又吉直樹(ピース)の名言コラム「確かにお前は大器晩成やけど!!」

其ノ十「速く行け! ええから走れ! 全員抜いてこい! ぼけっ!」(サッカー部の先輩平田さんの言葉)

 最近、急激にふくらみはじめた自分の腹をさすりながら、一人でオリンピックを観戦していた。
 自分の肉体や精神から、競技に不必要である無駄なものを全て排除した限りなく完璧に近い人間を目の当たりにすると、泣けてくる。
「努力」というものを超越した、特別な時間を容易に想像できる。
 或いは「才能」という言葉では到底追い付かない、奇跡を感じることができる。
 僕の目には、肉体が大声で叫んでいるように見える。
 凄まじい力で怒号とよく似た何かを全身から放っている。
 自分の肉体が思い通りに動くというのは快感だろう。
 僕は無様な自分の腹をさする。

 子供の頃、運動神経は普通だったと思うが、足だけは速い方だった。
 まだ保育所に通っていた時、近所の公園で犬に追いかけられたのだが、全力で走ったら振り切ることができた。
 保育所の短い廊下で、友達に少し遅れて走り出した時も、友達を抜いて向こうの壁を触ることができた。
 自分は足が速いかもしれない。そう思ったのは、決して犬や友達との比較だけでは無い。走っている最中に、全身から溢れ出す全能感がそう思わせるのだった。

 小学校に入ると、自分と同じくらい足が速い人は何人かいたし、上級生は自分よりもずっと速かったけど、相変わらず走ることは好きだった。
 小学三年から始めたサッカーは、三年経っても全く上達しなかった。
 大阪から奈良まで遠征に行った。
 その時、対戦チームの一人が、チームメートに「もっと俺みたいにダイナミックにこけろよ!」と指示していた。
 ダイナミックにこけなければ、審判にファールを取って貰えないという意味だったのだろうけど、わざと転ぶという発想が当時の僕には意外だった。
 速く走るのではなく転ぶ?
「もっと俺みたいに」という言葉も、「ダイナミックに」という言葉も、とても嫌な感じがした。

 毎朝、早起きして約七キロを走るようになった。
 学年全員がグランドに集められ、六分間に校庭を何周走れるか試す授業があった。
 スタートから、ほぼ全力で走り出した僕を、先生達は笑っていたが、何周走ってもペースが落ちないので、途中からは驚いていた。八周半走った。ほとんどの人を周回遅れにした。

 中学に入ると、体育の授業で走る1000メートルの記録が廊下に貼り出された。
 僕の2分58秒という記録は一年でも、二年でも一番だった。
 サッカー部に入部して直ぐの頃に、全部員での十周走があった。
 いつものように、全力でスタートを切った僕の前に二人の三年生がいた。
 一人は中村君。もう一人は平田君。
 平田君はサッカー部のエースで小学校の頃から、僕だけではなく皆の憧れだった。
 走ることくらいしか、僕は平田君に勝てそうなことがなかった。
 倒れそうになりながらも、最後まで走りきり、中村君が一位、僕が二位、平田君は三位だった。
 平田君の学年はガンバ大阪のジュニアユースを倒し、大阪大会で優勝した。
 平田君は、特待生として大阪で一番強い高校に入学した。それは地元で話題になるほど凄いことだった。
 僕は三年になると、平田君と同じ14番をつけた。
 平田君が中学の練習に参加しにきてくれた。その時の十周走でも僕は平田君に勝った。
 平田君が、「又吉ならウチの高校でも通用する」と言っていたと顧問の先生から聞いた。
 僕は地元の高校に行って、お笑いを始めようと思っていたが、先生が強い高校に行くことを薦めてくれた。
 その先生は僕に厳しく、「下手くそ」といつも言っていたが、「あれは、お前が調子に乗らんように努力を続けるように言うて来た、半分ほんまで、半分うそや」と言った。
 僕は、その厳しい先生のことが大好きだったので進学先を変えた。


 当時、その高校は全国屈指の名門と言われていて、練習が厳しいことでも全国的に有名だった。 毎年百人を越える新入生が入部した。
 A、B、C、D、一年と細かくレベル分けされていて、特待生として入った平田君でさえ、Bチームだった。
 上下関係も厳しく、平田君は、平田さんになった。
 走り込み中心の練習だったので、僕にとってはアピールするチャンスが多くあった。
 僕は運が良くて、四月の内にBチームに入れて貰えた。
 Bチームにいる平田さんと僕の関係はよくからかわれた。
 決して、そんなことはなかったが、「平田より、後輩の又吉の方が上手い」と言われたこともあったが、言われる度に腹が立った。
 その高校には、淀川の河川敷を皆で走る、通称「淀ラン」という伝統の練習があった。コースは約七キロだったので、僕がもっとも得意とする距離だった。
 まず、一年がスタートする。一分後に二年がスタートする。三分後に三年がスタートする。
 二年は、一年全員を抜いてゴールしなければ、もう一周。三年は、一年も二年も抜かなければ、もう一周のペナルティが課せられた。
 絶対に一位を取ろうと走り出した僕だったが、しばらくすると、「止まれ」という伝令が来た。
 二年、三年、全員が抜かすまで止まっておけという伝令だった。
 思い切り走ることが許されない。こんなに辛いことはなかった。
 僕も止まった。次々と二年生に抜かれて行った。
 三年の先頭で遠くから平田さんが走ってきた。
 平田さんが僕に向かって、なにか叫んでいた。
「行け~! 走れ~!」と叫んでいた。
 近くまで来ると、平田さんは「お前こらっ、なに止まっとんじゃ!」と凄い剣幕で怒鳴った。
「三年生が抜くまで、止まれって言われました」と報告すると、平田さんは「関係あるか!アピールするチャンスやろ!Aチームに上がるんやろ! 速く行け! ええから走れ! 全員抜いてこい! ぼけっ!」と言った。
 僕は、平田さんに初めて怒られた。
 だが、こんな優しく厳しい先輩はいないと思った。平田さんは、一年が止まっていることを知り、僕の所まで全力で走ってきてくれたのだ。
 感謝の気持ちでいっぱいになり、目に涙をためながら僕は走った。
 誰になにを言われても止まらなかった。何人も抜いた。自分の筋肉が気持ち良さそうに叫んでいた。全能感に包まれながらゴールした。

 だが結果は二位だった。

 五月に僕はAチームに上がった。

 未だに平田さんの言葉が忘れられない。

 走り出したなら、絶対に途中で止まってはいけないのだ。

 ふくらんだ腹をさすりながら、僕はそう思っている。

 三十路を越えた僕は、未だに十八歳の平田さんに教えられている。

またよし・なおき

1980年、大阪府生まれ。お笑いコンビ「ピース」として活動中。キングオブコント2010準優勝。趣味は散歩と読書。好きな作家は、太宰治、芥川龍之介、古井由吉、中村文則など。著書にコラムニストのせきしろ氏と手がけた『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』(幻冬舎)がある。「ピカルの定理」(フジテレビ)「ハッピーミュージック」(日本テレビ)などにレギュラー出演中。『acteur(アクチュール)』本誌では、大好きな本について語るエッセイ「憂鬱な夜を救ってくれる本といる」が好評連載中!

 バックナンバー

其ノ十九「私には、これくらいしかできませんので」(ジューシーズ児玉)

其ノ十八「すみません!立って良いですか?」(真心ブラザーズさんと開催したライブの観客の一人)

其ノ十七「又吉! サボるな!」(三ツ沢球技場サポーター)

其ノ十六「モグリなんじゃないかって噂になってたよ」(『若松屋』の常連さんの言葉)

其ノ十五「皆さん、ご家族なんですか?」(山に詳しい女性編集者)

其ノ十四「おひとりで、よろしいですか?」(京都のタクシー運転手)

其ノ十三「Good Sound」(あるジャズヴァイオリニストの言葉)

其ノ十二「わしは生活かかっとんねん」(父の言葉)

其ノ十一「ゴリラ太ってんじゃないっすか」(ハライチ岩井)

其ノ十「速く行け! ええから走れ! 全員抜いてこい! ぼけっ!」(サッカー部の先輩平田さんの言葉)

其ノ九「風車が悪魔に見えた時には、ためらわず悪魔の描写をなすべきであります。」(太宰治)

其ノ八「お~れもっ!」

其ノ七「ほらっ、マニアックナイト!」

其ノ六「昔はラッパー! 今は蕎麦屋でネギをタッパーにつめてます! ハハッ!」

其ノ五「本気で信じてないと……」

其ノ四「スミマセン……夏休ミ香港帰レマスカ?」

其の三「……面白すぎるんじゃないの?」

其の二「ジープって、やっぱり進駐軍?」

其ノ一「笑わんといてな……。俺、大阪城に住みたいねん」

帯

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