生誕60周年・夏目雅子【夭逝の女優が蘇る】銀幕に焼き付けた、強く、激しく、美しい27年の生

2018年1月4日


撮影:田川清美

「30歳になってもお嬢さんでいられる女優がいたっていいじゃないかって、開きなおっているんです」
 わずか27歳で天に召された女優……しかし不在のなかで、人々の瞳の奥に残る面影の鮮やかさがどんどん増してゆく女優がいる。夏目雅子。2017年12月17日で生誕60年を迎えた。女優という仕事について彼女は生前語った。「もともと本を読むことが好きで、こういう女性ってどんな人なんだろうとか、こんな人に自分でもなりたいとか思ってる気持ちがお芝居をしたいっていう方につながってきたから、何をどういう風に演じるというより、そういう人にふれたいから仕事してるっていう方が正確なんです」(★1)。

 彼女が『キネマ旬報』に残した言葉をいま、ムック『女優 夏目雅子』を中心にたどってみよう。「男っぽいんですよ。サバサバしているところなんかが」(★2)と自分について語る彼女は五社英雄監督と組み、「鬼龍院花子の生涯」(82)でヤクザ鬼龍院政五郎の養女・松恵を演じ「なめたらいかんぜよ」という台詞を流行らせた。「今までのヤクザ映画だと女の人は添え物みたいだったでしょう。ヤクザ一家の中で、今まで語られることのなかった女の人たちが浮き彫りにされていて、女の人にぜひ見て頂きたいんですね」(★2)。


「この役を演るためにいろいろ考えたことが、これから演る作品に生かせるんじゃないかと思ったの。」
 その一方で、自分の演技を「お嬢さん芸」と言う。「小説吉田学校」(83)撮影時には森谷司郎監督から……「セリフがもたもたしているって。お嬢さんみたいなしゃべり方だって。それからやり直せと言われています」(★1)と指導されながら吉田茂総理大臣の三女・麻生和子を演じた。「大日本帝国」(82)では病身の娘とフィリピンの女の二役、という難しい配役だったが「気持ちもわかるし、自分でも演りやすかった」と語っている。しかし「時代屋の女房」(83)で真弓と美郷という現代女性二役を演じるのには悩んだようだ。出演を受けたのは「役が難かしそうだったから(笑)」と答えている。「この役を演るためにいろいろ考えたことが、これから演る作品に生かせるんじゃないかと思ったの。勉強っていうとおかしいけど、何か悩むために演ったみたい」(★1)。そして漁港に生きる女を演じた「魚影の群れ」(83)はさらに大変だったようだ。全身での演技を要求し長廻しで撮影する相米慎二監督との仕事である。「『お前さんの好きなようにやって下さい』って言って、演ってみて駄目だと『ハイ次の、ハイ次の……』で三十回以上演らされるんです。同じことを二回演っちゃいけないんですね。そうするとすごく大きい声で笑われるんです。馬鹿にされて。とにかくそのいびりがすごいの。だから毎日、監督と戦争していたようなものですね」(★3)。

「自分を見失わず生きようとする駒子という役を演じながら、女優としての在り方を考えさせられました。」
 「北の螢」(84)での〝声の出演〟を除けば最後の映画出演となったのは「瀬戸内少年野球団」(84)。終戦直後の国民学校の先生を演じた。「自分を見失わず生きようとする駒子という役を演じながら、女優としての在り方を考えさせられました。あの当時にくらべれば今はものがありあまっている時代ですが、自分もその中でおぼれてしまって知らず知らずのうちに社会や他人に対して傲慢になってしまっているのではないかと思いはじめたのです」(★4)。こうした内省をともなう演技から魅力を放った翌年、大女優の風格をみせはじめた矢先である、彼女は病によって永遠の眠りにつかなければならなかった。生前「女優業は一生続ける気ですか?」の問いにこう答えた。「続けられたらいいなと思います」「30歳になってもお嬢さんでいられる女優がいたっていいじゃないかって、開きなおっているんです」(★1)。

 銀幕の上の彼女の輝きは、いまも未知の次回作を期待させ続ける。


★1:取材者・黒田邦雄/★2:取材者・秋本鉄次

★3:取材者・高崎俊夫(以上、『女優 夏目雅子』キネマ旬報社収録)/★4:84年6月上旬号


製作:キネマ旬報社


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