大杉漣さんお別れの会「さらば!ゴンタクレ」しめやかに開催

2018年4月24日

4月14日に東京・青山斎場にて『大杉漣お別れの会「さらば!ゴンタクレ」』が開催された。

さる2月21日、テレビドラマ撮影中に急遽腹痛を訴え、急性心不全によりそのまま帰らぬ人となった俳優・大杉漣。まだまだ66歳という若さ、映画にドラマに舞台にバラエティ番組にと、現役バリバリの活躍をしていた人気俳優の突然の死に、多くのファンや関係者がショックを受け、悲しみに沈んだ。

それから2か月足らずの4月14日。東京・青山斎場にて『大杉漣お別れの会「さらば!ゴンタクレ」』が開催された。

大杉漣は1951年9月27日生まれ、徳島県出身。大学在学中の1973年、太田省吾率いる劇団・転形劇場に入団し、舞台俳優として活躍をスタートさせる。1980年、高橋伴明監督のピンク映画『緊縛いけにえ』で映画デビュー。以後、映画、テレビはじめ多数の作品に出演し、名バイプレイヤーとして人気を博す。1998年には『HANA-BI』(北野武監督)と『犬、走る DOG RACE』(崔洋一監督)への出演で、キネマ旬報ベスト・テン助演男優賞ほか数々の映画賞を受賞。

映画出演作だけで420本近くにのぼり、この数は現代の俳優として驚異的な数字だが、それ以外にテレビドラマやバラエティ番組など、様々な方面で活躍し、小学生からお年寄りまで、その名前と顔を知られている人気ぶりだったのは周知の通り。
人格的にもすぐれ、多くの共演者、スタッフに慕われた故人を偲び、お別れの会には約700人以上の関係者をはじめ、多くのファンがつめかけた。

草彅剛「僕はやっぱり、また漣さんとお芝居したいです。」

 

お別れの会はまず早朝の街中をセリフ覚えのために散歩する自撮り映像から始まる、20分ほどの大杉漣のメモリアル映像の上映からスタート(ナレーションは田口トモロヲ)。続いてゆかりの深い人々による弔辞が読まれた。

最初に登場したのはデビュー作『緊縛いけにえ』を監督した高橋伴明。続いて「僕」シリーズなど多くのドラマで共演した草彅剛は、あらかじめ用意された原稿はなく、遺影を見つめ、時に言葉をつまらせながら、次のように語った。

「漣さん、お元気ですか。まさかこういうふうに漣さんに話をするなんて、ほんとに思ってなかったです。何言っていいか、分からないじゃないですか。……漣さんがいなくなって、もう2か月ですね。そっちの生活はどうですか。多分漣さんのことだから、もう、すぐ、みんなと仲良くしてるんでしょうね。残された僕らは、そのまま時が止まって……整理がつかず、ほんとに困ったもんですよ。どうしたらいいか分からないしさ。ほんとにたくさんの顔を持っている漣さんだから、どの顔がほんとの顔なのか、ねえ、聞こうと思っていたし、でも、もういなくて。ずるいですよ、ほんとに。なんか、何度も何度も、悔やんで悔やんで……どうして漣さん、早すぎるよ。

何度も何度も問いかけるけどさ、最後はあの低い声で、笑って……漣さんの笑顔が残るだけなんだよね。ほんとにずるいよ。……人の命ははかないですね。なんか漣さんみたいな、ほんとに優しくていい人をこんなにすぐ天国に連れてっちゃうなんてさ、神さまってほんとにいるのかよ、漣さん。(そう)思ってるよ。ねえ……だけど残された僕らはちゃんと前を向いて、しっかり生きていかなきゃいけないということも漣さんに教わったし。あの大きな背中がそういうふうに、僕に教えてくれたよ、漣さん。分かってるけどね。なんか、時には自暴自棄になったりとかした時もあるよ。突然すぎるから。……ほんとにたくさんのことを教えてくれたよ、漣さんは。漣さんが言うとおりに、人は必ず死ぬよ。死んでしまうよ。だけど作品に対する思いとか、気持ちっていうのが、残るんですよね。ほんとにその通りだよ。

もっと僕らも、しばらく頑張らなくてはいけない。そして、いつかね、それぞれの心にいる新しい漣さんに会える日がくるんですよね。そしたらまた、みんなで楽しいことしましょうよ。僕はやっぱり、また漣さんとお芝居したいです。ドラマとか、映画とか、舞台とか、やりましょうよ。そしてまた漣さんが連れてってくれた海にさ、ギター持ってさ、一緒に好きな歌うたいましょうよ。それまでしばらく待ってて下さい。大杉漣さん、心からご冥福をお祈りします。漣さんのことだから、安らかには眠らないと思いますけれども、そっちでしばらく楽しんで待ってて下さい。必ずみんな、そばに行きますから。それじゃあ、またね」

「漣さんは、光のような人だ」

次に故・太田省吾夫人で転形劇場時代を知る太田美津子。『船を降りたら彼女の島』やドラマ「ニコニコ日記」などで共演し、お互いを「レンレン」「ヨシヨシ」と呼び合っていた女優の木村佳乃は、しばらく言葉が出ない。

続いてドラマ「バイプレイヤーズ」の面々(田口トモロヲ、遠藤憲一、光石研、松重豊)が並び、代表して田口トモロヲが弔辞を読む。「あなたがいなくなった喪失感は大きくて、呆然としている」。淡々と弔辞を読むのがかえって悲しみを聞く者に実感させる。それぞれに、漣さんの突然の死をまだ認めたくないが、それでも前に進まなければいけない、という思いが伝わってくる。

そして、漣さんと定期的に東京と故郷・徳島で一緒にライブを行っていた大杉漣BANDのメンバーによる「出航」「金色のウイスキー」の献奏が行われた。メンバーの堀尾和孝は献奏に際し、「先ほど田口さんとも話していて、『漣さんは、どこにでも射してくる光のような人だ』と仰っていたのですが、本当にその通りだと思います」と語った。

 弔辞を読む人たちは斎場のいちばん前の列に並び、その中には北野武の姿もあったが、その場での彼の話はなかった。ただ、「自分がテレビや東京スポーツ大賞の授賞式で話したことは記事にしていい」と語り、「キネマ旬報5月上旬号」にはそのコメントを採録している。彼は「(大杉さんは)縁があって、自分の映画を支えてくれた人だから、相棒がいなくなるような寂しさがある」と悼み、この日のお別れ会でも静かな佇まいで供花する姿が印象に残った。

「僕に何かあっても大げさなことはしてほしくないなあ」


斎場に入ると大杉漣さん愛用のギターと自転車が飾られていた

最後に遺族を代表して、妻であり、所属事務所の代表でもある大杉弘美が挨拶。 「ふだん何気なく、『僕に何かあっても大げさなことはしてほしくないなあ』と大杉が語っていたので、その遺志を尊重して通夜・告別式は親族だけで行わせて頂きましたが、一方で、突然の死にお別れを言えなかった関係者の皆さま、ファンの皆さまに、何かそういう機会を設けることが出来ればと思いました。突然の死に途中で放り出してしまう形になってしまった仕事を引き継ぎ、おさめて頂いた方にも、この場を借りて改めて御礼申し上げます」と挨拶され、その後の献花を以てお別れの会は終了した。

420本近くの大杉漣の映画出演作の中には、10月に公開が予定されている『教誨師』をはじめ、これから陽の目をみる作品も数本控えている。その膨大な仕事を、これからも繰り返し、あるいはあらたに見続けることによって、大杉漣という俳優の魅力を再確認していきたいと思う。

「キネマ旬報」5月上旬特別号では、この名優を偲んで「追悼 現場者・大杉漣」という特集で表紙・巻頭で行った。表紙は大杉漣の長男である写真家・大杉隼平撮影による写真を借り、またお別れの会のメモリアル映像で流れた多くのプライベート写真も掲載。 田口トモロヲ、高橋伴明、井筒和幸、周防正行、小松隆志、黒沢清、三池祟史、崔洋一、SABU、石井岳龍、松居大悟、佐向大、廣木隆一、篠崎誠、大杉弘美らへの取材あるいは寄稿記事を掲載している。(文中敬称略)

文=青木眞弥(キネマ旬報編集部)/制作=キネマ旬報社

「キネマ旬報」5月上旬特別号は表紙・巻頭特集に「追悼 現場者・大杉漣」が掲載。詳細はこちらから↓