ポストジブリの才能はどこへ?2018年アニメ映画のゆくえ

2018年8月28日


『名探偵コナン ゼロの執行人』 監督:立川譲 全国にて公開中(配給:東宝) (C)2018 青山剛昌/名探偵コナン製作委員会

ポストジブリの才能はどこへ?2018年アニメ映画のゆくえ

今夏の目玉映画のひとつとして注目を集める細田守監督の『未来のミライ』。2016年に空前の大ヒットを記録した『君の名は。』の新海誠監督とともに、“ポストジブリ”を期待される才能はどこに向かおうとしているのか?

一方、『夜明け告げるルーのうた』でアヌシー国際映画祭最高賞を受賞した湯浅政明、『映画 聲の形』に続き『リズと青い鳥』を放った山田尚子、『さよならの朝に約束の花をかざろう』で注目を集める岡田麿里ら、ジブリとはいささか出自を異にする監督たちの躍進……。

巨匠・高畑勲がこの世を去り、時代の変わり目を感じさせるなか、アニメーションの表現は今どうなっているのだろう? 次世代を担うふたりの気鋭の論客が、最近の話題作をめぐり存分に語りあう! アニメーション映画の未来はどっちだ!!

『未来のミライ』から考える

土居伸彰(以下、土居) いま、日本アニメ映画界の見取り図が傍目からはよくわからなくなっていると思うんですね。少し前だったらポストジブリの覇権争いという形で、新海誠や細田守、米林宏昌や原恵一をまとめて捉えることができた。しかしいま面白い作品は何かと言うとき、ポストジブリという後ろ向きな見取り図ではつかみ切れなくなっていて、むしろジブリと関係のない作家のほうが生き生きとしているのではないかと思います。そして山田尚子や岡田麿里、湯浅政明を典型とするそうした作家たちは、世界的なアニメーション映画の動向とも繋がっていると感じています。


『詩季織々』
監督:イシャオシン、竹内良貴、リ・ハオリン テアトル新宿ほかにて公開中(配給:東京テアトル)
(C)「詩季織々」フィルムパートナーズ

石岡良治(以下、石岡) ポストジブリに関して見逃せないのは、2010年代の邦画の興行においては、もはやアニメがほぼトップ10を独占する状況が定着している点だと思っています。しかもそこでは、『ポケットモンスター』シリーズなどファミリー向けアニメの存在感が当然のものとなっている。また、「実写VSアニメ」というこれまでの映画業界的なアングルがかなり無効化されたところもあると感じます。そんななか、結果としてポストジブリの座に収まることになったのは、『名探偵コナン』シリーズだったと思うんですよ。かつての『男はつらいよ』シリーズ的な国民的映画という枠ですね。

その一方で、新海誠の『君の名は。』(2016年)以前は、細田守がポストジブリの急先鋒と見なされていたわけです。もともとジブリアニメが映画業界の見立てに合致しやすかった理由としては、俳優を声優として起用していることも大きかったと思いますが、細田守アニメはキャスティングが巧みで、アニメ声優と俳優をシームレスに共存させることに長けていました。さて、今回の『未来のミライ』はいかがでした?

土居 僕としては『未来のミライ』が描く世界はナイーブすぎるというのが率直な感想です。既存の日本や家族という単位を疑わず、まるでそれが唯一の正義であるかのように描かれている。僕はアヌシー(国際映画祭)で最初に観たのですが、他のコンペ作品がそういった枠組みを懐疑的に眺めるものが多かったこともあり、余計に強く感じました。

石岡 細田守自身の私的な問題を描くという、すごくパーソナルな領域に閉じているということですか?


『未来のミライ』
監督:細田守 全国にて公開中(配給:東宝)
(C)2018 スタジオ地図

土居 きわめてドメスティックで同質的な世界になっているということですね。さらには、その立ち位置を一歩引いて批評的に眺める視点が弱い。ただ、そういうベタさ、メタ意識の欠如は、ポストジブリないしは新海誠以後のアニメーション映画の風景として定番化してもいますね。宮崎駿や高畑勲は人間の問題を垂直的な立ち位置から、構造として扱おうとしてきたとするならば、ポストジブリにはその意識はなくなっている。

石岡 なのに「人間」を仮構してると。

土居 そうです。メタ視点を欠くため、結果的に、キャラクターの主体がみえづらいものになっている。そうなってしまうと、ポノックの『メアリと魔女の花』(2017年)に顕著だと思うんですが、宮崎駿やジブリが残した遺産をもとに、どれだけアニメーション映画を持続させるか、というだけのものに見られてしまう。厳しい見方をすれば、違う価値観を作り出すことなく、旧来の世界観を突き放すことができていない。


『未来のミライ』
監督:細田守 全国にて公開中(配給:東宝)
(C)2018 スタジオ地図

石岡 細田守は公的な発言では、家族の多様化に対応した作品を志向しているようですけど。僕が『未来のミライ』で気になったのは、彼が東映時代の「チカ子の噂でワニワニ!?」(『ひみつのアッコちゃん[ 第3期]』第14話、1998年)や「どれみと魔女をやめた魔女」(『おジャ魔女どれみドッカ~ン!』第40話、2002年)でやっていたようなキレのいい演出が感じられなかった点ですね。つまり「同ポ」(同一ポジション)と呼ばれることもある、同じ構図を繰り返し用いたシャープな絵作りや、画面のフレーミングをしっかり作り込むことで、作中で起こっていることに対してクールに距離を取るというスタンスも大幅に削がれてしまっていました。特に脚本を自分でやるようになってからその傾向が強くなっているように思います。

青春映画としてのアニメーション映画


『君の膵臓をたべたい』
監督:牛嶋新一郎 9月1日よりTOHOシネマズ新宿ほか全国にて(配給:アニプレックス)
(C)住野よる/双葉社 (C)君の膵臓をたべたい アニメフィルムパートナーズ

石岡 またポストジブリに関してはもう一点、『君の名は。』の大成功は、青春映画枠のニーズと重なったところも大きいと思うんですよ。ジブリで言えば『耳をすませば』(1995年)、細田守で言えば『時をかける少女』(2006年)の枠ですね。つまり実写邦画の青春ラブコメ枠における、必ずしも大ヒットはしないけれども安定したフォーマットに引っかかることで、アニメファンという層を超えた範囲まで響いた。岡田麿里が脚本を手がけた(監督は長井龍雪)『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(2013年)や『心が叫びたがってるんだ。』(2015年)も、その枠組みを持つことで若い層の間でヒットしたんだと思います。

今年の夏アニメで言えば、ウェブ小説を原作とした『君の膵臓をたべたい』(監督:牛嶋新一郎)と、新海誠の『秒速5センチメートル』(2007年)へのオマージュとして中国を舞台に作られた『詩季織々』(総監督:リ・ハオリン)の二本がそれにあたりますね。どちらもアニメの現状を考えるうえでいい試金石になるように思います。

記事の続きは『キネマ旬報』9月上旬号に掲載。本号では、「2018年 アニメーション映画のゆくえ」と題して2018年アニメーション映画の特集をおこなった。今夏公開の『ペンギン・ハイウェイ』『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』の監督インタビューや対談記事を掲載。アニメーション映画の未来をうらなう。


(C)キネマ旬報社

石岡良治(いしおか・よしはる)/1972年生まれ。批評家、表象文化論、視覚文化、ポピュラー文化研究。早稲田大学文化構想学部准教授。著書に『視覚文化「超」講義』『「超」批評 視覚文化×マンガ』、共著に『マンガ視覚文化論―見る、聞く、語る』『オーバー・ザ・シネマ 映画「超」討議』など。


(C)キネマ旬報社

土居伸彰(どい・のぶあき)/1981年生まれ。アニメーション研究・評論。新千歳空港国際アニメーション映画祭フェスティバル・ディレクター、海外作品の配給を行うニューディアー代表。著書に『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』『21世紀のアニメーションがわかる本』など。

構成・文=高瀬司/制作:キネマ旬報社

『キネマ旬報』9月上旬号の「2018年 アニメーション映画のゆくえ」特集の詳細はこちらから↓