東出昌大「6年間の演技経験が澱(おり)みたいなものに感じた」『寝ても覚めても』インタビュー

2018年9月19日


撮影=増永彩子

東出昌大「6年間の演技経験が澱(おり)みたいなものに感じた」『寝ても覚めても』インタビュー

映画はフィルムからデジタルになった。デジタルは「今」を手軽に記録できるが、過去を即座に消し、未来を簡単に試せる。「今」をその前後と平板化してしまう。濱口竜介は徹底して「今」を峻別する。その記録の連続が濱口映画となる。演技経験をもたない女性4人が主演した『ハッピーアワー』の輝きはそんな中で生まれた。新作『寝ても覚めても』は濱口の商業映画デビュー作だ。柴崎友香の恋愛小説を原作に、同じ顔をした二人の男と、その間で揺れ動く一人の女の8年間を、繊細にスリリングに描いている。

濱口竜介監督の前作『ハッピーアワー』(2015年)を見たとき、東出昌大は衝撃を受け、と同時に演者たちが発する生き生きとした感情に「嫉妬すらした」という。そんな“濱口メソッド”に、主演者として向き合うことになった『寝ても覚めても』の現場で、彼はいったい何を感じたのだろうか。

すごい監督だと確信した


(C)2018「寝ても覚めても」製作委員会

「オファーをいただいてすぐ、濱口監督のデビュー作『PASSION』(2008年)と『THE DEPTHS』(2010年)を見たんですが、そこに役者さんたちが確実に“生きて”いた。この時点ですごい監督だと確信しました」

この時点とは、今から4年も前の2014年。国内外の賞を総ナメにした『ハッピーアワー』は、それからしばらくして完成することとなる。

「これがまた衝撃的で、とにかく“えらい奇跡を見た!”という思いでした。ほとんど演技経験がない演者たちが口にする“台詞”ではない生きた感情がすばらしく、6年間の自分の演技経験が澱(おり)みたいなものに感じられました」

“本読み”を何百回となく繰り返す


(C)2018「寝ても覚めても」製作委員会

自分もこんな演技がしたい。そう意気込んだ東出を待っていたのは、まずはクランクインまでの約1カ月にわたった、『ハッピーアワー』と同じ手法によるワークショップだった。

「主として行われたのは、感情を入れず抑揚もイントネーションも付けず、すべての作為を排してただただ台詞を読む“本読み”。これを何百回となく繰り返すんですが、頭でっかちな僕にとっては難しいものでした。たとえば自分では同じように読んでいるつもりでも、あるときは『まだ色がある』と言われ、あるときは『今のはいい声だ』と言われる。で、(そうか、こうすればいいんだな)と思うんですが、そう考えること自体が作為なのでそこでまたひっかかり……の繰り返し。もう禅問答のような感じでしたね(笑)」

この独特のメソッドが何を目的としていたのか。単純にひと言で述べるのは難しいが、監督の著書『カメラの前で演じること』から引用すれば、「“自分が自分のまま、別の何かになる”ための一つの準備」ということになるだろうか。

演じ分けようと思わなくていい


(C)2018「寝ても覚めても」製作委員会

「今回、僕は、麦と亮平という二役を演じたのですが、まずは監督にこう言われたんです。“演じ分けようと思わなくていい。この本読みをしていけば、カメラの前に立ったとき、東出昌大という楽器から出る麦の声と亮平の声は、自然と違うものになっているはずだから”と。また監督は“1に相手、2に台詞、3、4がなくて5に自分”ともおっしゃっていました。つまり、自分の引き出しを開けて準備してきたもので演じようとすることは、相手に対して心を閉ざすことにもなると」

演者が現場でその環境に置かれ、相手と対したとき、“どうしたってこうなってしまう”という身体の状態をつかむこと。それが“役をつかむ”ということならば、本読みは、その状態を探るひとつの作業である。

インタビューの続きは『キネマ旬報9月下旬号』に掲載。今号は「恋愛映画の遥か彼方へ」と題して『寝ても覚めても』を表紙・巻頭で特集した。東出昌大のほか、唐田えりか、濱口竜介(監督・脚本)、是安祐(助監督)らへの取材や作品論を掲載している。(敬称略)

取材・文=塚田泉/制作:キネマ旬報社

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