樹木希林が30代のときに語った”己の死にざま”とは?

2019年3月1日


『キネマ旬報』1978年2月下旬決算特別号 連載「ニッポン個性派時代」より

樹木希林が30代のときに語った”己の死にざま”とは?

 

<不定期連載1>まだ知られてない樹木希林の魅力

「芸能人のこの世での役は、己の死にざまをお見せすることかもしれません」

『いつも心に樹木希林 ひとりの役者の咲きざま、死にざま』より

 

その死にざまにより、なおいっそう鮮やかにその像を私たちの記憶に刻印した樹木希林さんが、名エッセイストであったということをご存知の方は案外、少ないかもしれない。

本書『いつも心に樹木希林 ひとりの役者の咲きざま、死にざま』に再録した連載エッセイ〈樹木希林のあだダ花の咲かせかた〉では、見事な書き手としての希林さんを知ることができる。

希林さんが連載したのは現代評論社から出ていた月刊誌『現代の眼』。左翼運動系メディアとして知られた論壇誌に、当時、ピップエレキバンやフジカラープリントのテレビコマーシャルで一世を風靡した芸能人が連載を持つ―というのは、かなり異例のことだったのではないだろうか。

芸能人のこの世での役は、己の死にざまをお見せすることかもしれません

ときは1982年。樹木希林39歳。消費社会が全面化し、世の中の気分は“好景気”。のちに樹木さんの身内になる本木雅弘さんが「シブがき隊」のメンバーとして『NAI・NAI16』で歌手デビューし、樹木さんの最初の夫、岸田森さんが亡くなった年でもある。

希林さんは、「世の中、核家族の風潮になって大分年月がたちました。その結果、一番の損失は、家族をはじめ、身近の者の死に出会うことが少なくなったことです。今まで湯につかってたじいさんが…、今までへらずぐちたたいていた手伝いのおばさんが……、(中略)とにかく息をしていた者が突然息をしなくなる、という嘘のようなほんとうの出来事に出会ったとき、どんな人でも心を動かされます」と書き、「ひょっとして芸能人のこの世での役は、死に目に出会わなくなった世の人びとに、己の死にざまをお見せすることかもしれません。その生きてきた人生をぶっちゃけながらです」という言葉を手繰り寄せる。

そして、希林さんは「役を果たした先(中略)、それこそが明らかなる死なのではなかろうかと思うのです。それが承知できたときに『あだダ花』は泥沼に感動的な咲きざまを観せ、その咲きっぷりが生を明らかにすることなのだとむずかしいような、やさしい問題に、ぐったりとしています」とこのエッセイを結んでいる。

本書のサブタイトル、「ひとりの役者の咲きざま、死にざま」は、このエッセイからいただいた。
(注:文中の「あだダ花」とは、自身のことを「はんぱに身をさらしているもの」としてそう表現されています)

なぜ、樹木希林はこんなにも女性の心をつかむのか


(c)キネマ旬報社
『いつも心に樹木希林 ひとりの役者の咲きざま、死にざま

「病と戦いながらも、気高く、そして美しく生きようとする彼女の姿に多くの人が魅了された」(『週刊現代』)の言葉に象徴されるように、今、多くのメディアは、「なぜ、樹木希林はこんなにも女性の心をつかむのか」の答えを様々な側面から出そうとしている。

だが、「なぜ、樹木希林はこんなにも女性の心をつかむのか」の答えは、“気高く、美しい”ところだけにとどまるとは思えない。

本書では、彼女が言葉にしてきた、
父のこと
母のこと
(突然知らされた)兄姉のこと
結婚のこと
離婚のこと
再婚
出産
別居
病のこと
生のこと
そして死のこと
に触れ、希林さんが、一人の人間として、一人の役者として、一人の女性として、何に悩み、何に迷い、何に葛藤し、生きそして死を迎えたのかを辿ることで、その“なぜ”の答えに近づきたいと思う。

既に発売となっている多くの名言、金言集を経て、もっともっと「生の樹木希林」あるいは「樹木希林の深淵」に触れたい方は、ぜひ、本書『いつも心に樹木希林 ひとりの役者の咲きざま、死にざま』の中で、中谷啓子として生まれ、「女優・悠木千帆」、そして「役者・樹木希林」として生きた時間を、追体験して欲しい。

制作:キネマ旬報社


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