キネ旬総研 所長コラム

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2011/12/20 15:50

 キネ旬総研の初代所長であり私の先輩にあたる、現エグゼクティグ・ディレクターの掛尾良夫が、書籍「『ぴあ』の時代」を上梓。1972年7月に創刊し、今年7月にその役割を終えた日本初の情報誌『ぴあ』。その創刊から休刊に至る39年間を、昭和の最後の20年(1969~1989年)を中心に、関係者への綿密な取材をもとに克明に綴る。
 東大安田講堂の攻防・陥落により、安保闘争が終息に向かい始めた1969年からこの物語は始まる。わずか1年の差で団塊の世代から一線を画した新たな感性を持つ1950年生まれの矢内社長たちが、自身が、そして当時の若者たちが欲する情報誌を学生の身ながらにして如何に立ち上げ、大人たちが作った出版界、映画界、音楽界の「常識」という名の壁を次々と乗り越え、成功への階段を駆け上がっていったか――。そこには幾多の困難にも負けない強い信念と志を共にする仲間があり、奇跡的な出会いをも引き寄せる情熱があった。
 時代の空気をたっぷりと吸い込んだ筆致で69~73年当時の大学生の心情を描き、既成社会へ取り込まれるかたちでの「就職」を嫌い、販売も含めてすべて手作業・手弁当で『ぴあ』を創刊・販売した学生時代のくだりは、同時代を生きた世代やその後を追いかけてきた世代よりもむしろ、現在の若者に読まれてこそ価値を持つだろう。
 当総研主催の「映画・映像業界就職セミナー」などで知り合った今の大学生たちの、映画文化、映像文化への熱い想いに触れ、多少その熱に当てられ気味ながらも「若者の想いはいつの時代も同じか」と認識を改めた今年。映画批評誌やサブカル誌を自らの手で作り、映画の映画たる所以を夜を徹して論じ、脚本を書きカメラを回し、既に評価が確立している名作・傑作の類も含めて視聴したすべての映画を書き留める彼ら。その今の大学生の熱と本書で綴られた矢内社長たちの熱は、熱量こそ異なるものの同種のものだと感じた。いや、その熱量さえも同等に持ち得て、現時点での業界の“常識”を打ち破り映画・映像産業の発展に大きく貢献していく人物が、もしかして今年出会った彼らのなかから出てくるのかもしれない。
 若者が集まらない産業は時代とともに廃れていく――。今の大学生のどれほどが映画に興味を持っているのかは定かでないが、少なくとも今年私自身が出会った彼らは映画・映像業界を純粋な想いで志しており、一方でこの産業はそのなかのごく一部の人間を受け入れるだけの土壌しかない。こと映画に限っては、興行を始めパッケージ、テレビ、配信などすべてをひっくるめても1兆円に満たない産業規模を、さらに開墾して広げない限りは彼らを十分に受け入れる土地がないのだ。デジタル時代が洗練されるに従いますます多様化する趣味・娯楽のなかで、果たしてこれ以上の開拓が国内で可能なのか。ましてや人口が減少に向かい始めているなかで。それを諦めるつもりはないが、で、あれば同時に海外にも目を向け、韓国のエンタメ輸出の成功事例をなりふり構わず模倣すべきだろう。産業の維持ではなく本当の発展を目指すのであれば――。私たちの業界がそれをやらないのであれば、『ぴあ』を創刊した矢内社長のように、大人が作った「常識」を破り、今の大学生たちが直接そこを目指していくだろう。
 “『ぴあ』の時代”に遅れてきた現在の若者たちが、ひと周りもふた周りもして、今再び、奇跡を起こしていくのかもしれない。(2011年12月16日)

「『ぴあ』の時代」 詳細
http://www.kinejun.com/book/detail/tabid/89/pdid/978-4-87376-385-9/Default.aspx

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プロフィール

キネマ旬報映画総合研究所・所長
四方田浩一(よもだこういち)

1965年1月22日生まれ、埼玉県出身。 88年、株式会社ギャガ・コミュニケーションズ(現・ギャガ)入社。パッケージソフト業界誌「ビデオ・インサイダー・ジャパン」の創刊から編集に携わり、94年、同誌編集長に就任。98年、衛星放送事業の立ち上げに際し、映画情報専門チャンネル『カミングスーンTV(現・エンタメ~テレ)』編成部長に就任。その後、所属事業部の小会社化、合併、MBOなどを経て、08年より株式会社キネマ旬報社で業界誌編集本部を担当し、2010年、現職に。映画興行市場、パッケージソフト市場、有料放送市場など、映画・映像ソフト市場全般に深く関わる。