マジッド・マジディ マジッド・マジディ

  • 出身地:テヘラン
  • 生年月日:1959/04/17

略歴 / Brief history

【北米圏にも愛されるイラン・ニューウェーヴの詩情】イラン、テヘラン出身。14歳よりアマチュア演劇で俳優活動を始め、テヘランの演劇学校で本格的に演技を学んだ。1979年のイスラム革命後は映画に魅かれ、モフセン・マフマルバフ監督の初期作ほかに俳優として出演。これを機に、81年よりドキュメンタリーやドラマ演出も手がけ始め、80年代中に4本の短編を監督する。91年、国境地帯の幼い兄妹の物語「バダック・砂漠の少年」で長編監督デビュー。これは児童虐待を扱ったため当時の検閲によって限定上映の憂き目をみることに。しかし、少年と軍人の義父との葛藤を描いた長編第2作「父」(96)は、イラン映画の全作が出品されるファジール映画祭で最高作品賞を獲得、国外の映画祭でも受賞し一躍注目された。 続いて長編第3作「運動靴と赤い金魚」(97)、第5作「少女の髪どめ」(01)もファジール最高作品賞を受賞し、イランを代表する監督となる。また「運動靴と赤い金魚」はモントリオール世界映画祭でグランプリ受賞、米アカデミー賞にイラン映画として初の外国語映画賞ノミネートと、国際的な舞台に躍り出る契機ともなった。日本でその名を広めたのも本作以後である。モントリオールでは「太陽は、ぼくの瞳」(99)、「少女の髪どめ」まで3作連続でグランプリ獲得の快挙。米国興行においても好成績をみせ、バイクの個人タクシーを始める一家を描いた「すずめの唄」(08)もアカデミー外国語映画賞のイラン代表に選ばれるなど、北米圏の高評価を期待されるイラン監督として活躍を続けている。なお、長編作の合間に短編やドキュメンタリーも手がけ、その評価も高い。【キアロスタミの一面の継承者】イラン映画では60年代末に社会派リアリズムの波が勃興、これ以降の作家映画の潮流をニューウェーヴと規定している。イラン・ニューウェーヴはさらに登場期によって世代を区分し、60~70年代初頭に長編でデビューするアッバス・キアロスタミなどが第一世代、79年革命以後に登場のモフセン・マフマルバフ、アボルファズル・ジャリリなどが第二世代、ホメイニ死去により体制変化の始まる90年代に開花したマジディは第三世代にあたる。マジディ作品はイラン・ニューウェーヴのなかで、90年代に世界が称賛したキアロスタミ作品の特徴(しいては当時のイラン映画全体のイメージ)を正統に継承する。素人俳優や現地ロケを多用したリアリズム、郊外や地方の舞台、庶民層に据えられる視点、シンプルなプロットと比喩性の強い映像。こうした要素によって綴られる寓話性の高い物語では、しばしば善意の行為が報われず主人公を落胆させるが、そのあとの慎しい祝福によって幸福に満たされるという構図をとった。この豊かな詩情は、キアロスタミの時と異なってヨーロッパより北米圏での評価が高く、数々の北米圏映画祭受賞や、4度の米アカデミー外国語映画賞・イラン代表に結び付くことにもなった。「太陽は、ぼくの瞳」に顕著である敬虔な信仰性も特徴のひとつで、「運動靴と赤い金魚」の金魚、「少女の髪どめ」の髪どめ、「すずめの唄」の小鳥は他作品でもしばしば登場、豊かでなくとも純粋に生きる庶民像のメタファーとして機能させている。

マジッド・マジディの関連作品 / Related Work

作品情報を見る

  • 少女の髪どめ

    制作年: 2001
    イラン人の若者がアフガンの少女に無償の愛を注ぐ物語。監督・製作・脚本は「太陽は、ぼくの瞳」のマジッド・マジディ。出演は「父」に続きこれが二本目のマジディ作品となるホセイン・アベディニ、「運動靴と赤い金魚」のモハマド・アミル・ナジ、これがデビューとなるザーラ・バーラミほか。2001年ナショナル・ボード・オヴ・レヴュー賞表現の自由賞、同年ヒホン映画祭監督賞、脚本賞、同年イラン映画批評家賞特別賞ほか多数受賞。
  • 太陽は、ぼくの瞳

    制作年: 1999
    純粋に生きる盲目の少年を描くヒューマンドラマ。監督・脚本は「運動靴と赤い金魚」のマジッド・マジディ。撮影はマームド・ダウーディ。音楽はケイバン・ジャハンシャヒー。出演は盲学校の生徒から抜擢されたモフセン・ラマザーニほか。
  • 運動靴と赤い金魚

    制作年: 1997
    運動靴をなくした小学生兄妹の姿をあたたかく見つめたドラマ。監督・脚本はイランの新鋭マジッド・マシディで、本作が日本初紹介となる。撮影はバービス・マレクサデー。美術はアスガル・ネジャド=イマニ。編集はハッサン・ハッサンドスト。録音はヤドラー・ナジャフィ。出演はミル=ファロク・ハシェミアン、バハレ・セッデキほか。
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