内田裕也とショーケン、映画史に刻んだ異形の輝きとは?

内田裕也とショーケン、映画史に刻んだ異形の輝きとは?

「キネマ旬報」6月上旬特別号より

内田裕也ショーケン、映画史に刻んだ異形の輝きとは?
神代映画の中の裕也ショーケン

文=轟夕起夫

古今東西、映画史には脈々と「ミュージシャン兼俳優」の異形の輝きが刻まれている。内田裕也萩原健一はその中でも、最重要級の存在だ。そしてある時期、それぞれと出会い、タッグを組み、永遠の傑作群を残した神代辰巳監督も。

ささやかながらここで、3人の“奇跡の軌跡”を振り返ってみたいと思う。最初に動いたのは萩原健一だった。1973年に続けざまに公開された神代監督の日活ロマンポルノ、『恋人たちは濡れた』と『四畳半襖の裏張り』を観て、彼は衝撃を受けた…ばかりか、主演することに決まっていた東宝配給の『青春の蹉跌』(1974年)の監督に神代を推挙した。何と、一度も直接話した経験もないのに。なぜか。当時、日活ロマンポルノはプログラムピクチャーの一形態でありつつ、図らずも映画表現を拡張してゆく“作家たちの実験場”の貌も持っていて、要はカラダにビンビンくるような音楽的グルーヴを伴い、生と性を見つめる神代作品に、萩原健一のバイブスが感応したのであった。

演技プランを次々と思いつく能力に長けていた

「キネマ旬報」6月上旬特別号より

自社の枠から初めて飛び出し、しかもメインストリームとも言える東宝の青春映画を手がけた神代だが、そのテイストはいつもと寸分変わらず、良き相棒である姫田眞佐久の手持ちキャメラと合わさって、グニュグニュ、ウネウネと、しかし芯のあるファンカデリックなノリで上昇志向と野望の果てに破滅していく若者像を描き出した。役者の生理感覚を重視したアドリブや、エモーションが途切れないよう長回しを多用するのも神代演出の特徴で、そんな一度体験したら病みつきになる強力な“文体”に、さらに“文彩”を付けたのが萩原健一である。単に役を演じるのではなく、役と対峙している自分自身をさらけ出すアプローチが信条で、例えば冒頭、屋外のレストランでローラースケートを履き、どこか不安定に滑りながら椅子をセットしていくのも、また劇中、心情を吐露するかのごとく「エンヤートット」とひとり呟くのも彼独自の“文彩”だ。つまり神代監督の要求に対し、台本を膨らませ、演技プランを次々と思いつく能力に長けていたのだ。

一瞬一瞬の閃きがきらめきを生むこの映画的セッションは、共演者に田中邦衛を加えた『アフリカの光』(1975年)でも爆ぜっていて、憧れのアフリカ行きのためマグロ船に乗ろうと北国の港町に逗留、そこで船を待ちながら希望と無為を嚙みしめる男二人のダウナービートな“停滞の時間”が奏でられていった。これも東宝の配給だが、さらに「港町に男涙のブルースを」「草原に黒い十字架を」といった演出回も含めた連続TVドラマ「傷だらけの天使」(1974〜1975年)や、奇抜なワンカップ大関のCMシリーズなどの“神代作品”がお茶の間にも流れていた。言うなれば、神代辰巳ひいては日活ロマンポルノの冒険性は、時代の寵児たる萩原健一の肉体を通じて広く一般にも享受されていたのである。

自ら企画を立て神代監督のもとへと持ち込んだ

「キネマ旬報」6月上旬特別号より

かたや年齢がひと回り上、ロックスターとしても萩原よりキャリアが先行していた内田裕也のほうは、60年代からプログラムピクチャーを中心にコメディリリーフ的に顔を出していたが、1977年、藤田敏八監督の『実録不良少女 姦』で日活ロマンポルノに参入し、本格的に役者として頭角を表していったのだった。神代辰巳には『少女娼婦 けものみち』(1980年)で初めて呼ばれ、「ヤるのと食うのと仕事だよ、俺は」とうそぶく、粗野でやさぐれた、しかし底なしの優しさを湛えた(内田裕也その人を思わせもする!)トラック運転手を好演した。そうして次なる主演作、自ら企画を立てたロマンポルノ10周年記念第2弾『嗚呼!おんなたち 猥歌』(1981年)で再び共闘。札幌に一軒だけあったという女性用ソープランドを雑誌で知り、「ロックンローラーが挫折して、ソープボーイになる」というストーリーを考えついて、神代監督のもとへと持ち込んだのだ。

自由を求めて転がり続ける

完成作はスキャンダリズムとリリシズム、なおかつ半ドキュメンタリータッチが混ざり合い、それは役者・内田裕也の本質でもあるのだが、売れない中年ロッカーがどんどん堕ちていき、最後は浴室で泡まみれになりながら、女性客に奉仕する姿で終わる。このシーンの撮影中、神代監督は「裕也がんばれ〜」「そこでもっとやれ〜、ゴー、ゴー、ファックオン」と叫んだという(ロマンポルノは同録ではなくアフレコだ)。『嗚呼!おんなたち 猥歌』とは日本版『レイジング・ブル』(1980年)なのかもしれない。転落したボクサーが場末のバーでスタンダップ・コメディアンとして立つあのラスト。となれば、神代辰巳内田裕也の関係は、マーティン・スコセッシロバート・デ・ニーロの名コンビに匹敵する…いや! それは萩原健一とのコラボレーションにこそ当てはまるものだろう。半ば神代監督と萩原の自画像である、どうしようもないけれども魅力的な男と“おんなたち”との愛憎こもごもの世界を綴った『もどり川』(1983年)、『恋文』(1985年)、『離婚しない女』(1986年)の3作が、あとに控えていたのだから。

萩原健一は、神代の映画の遺作となった『棒の哀しみ』(1994年)にもオファーがあったそうだが、残念ながらこれは実現しなかった。それから内田裕也萩原健一、両雄並び立った神代作品も。ゆえに『嗚呼!おんなたち 猥歌』のエンディングシークエンスに流れる〈ローリング・オン・ザ・ロード〉が一層沁みるのだ。この曲は内田裕也プロデュースで1981 年1月22日〜25日に開催された“サヨナラ日劇ウエスタン・カーニバル”の初日、昼の部のフィナーレを飾ったライブ音源である。萩原健一が歌い出し、仲間の沢田研二を招き入れ、二人でメインボーカルを務めたレアバージョン。自由を求めて転がり続ける…内田裕也こだわりの選曲は、神代作品の中でこれからもロケンロールしてゆく。

 

この記事は「キネマ旬報」6月上旬特別号に掲載。今号では「内田裕也×萩原健一 天才・不良・役者馬鹿―まつろわぬ男たちに捧ぐ」と題して、両名の追悼特集をおこなった。湯浅学奥山和由崔洋一、モブ・ノリオ、桃井かおり山﨑努青山真治らへの取材あるいは寄稿記事を掲載している。(文中敬称略)

 

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