“終わり”を受け入れこれからの生き方を示す
“翔べない時代の「魔女の宅急便」”を中川龍太郎監督が描いた
映画「わたしは光をにぎっている」
世代を象徴する主人公・澪の人物像
中川:「“翔べない時代の『魔女の宅急便』”。僕はこの作品をそう表現しました。宮崎駿監督が『魔女の宅急便』(89)を作ったのは、まだ日本の景気がよく、都市生活に対する憧れがあり、女性の社会進出が進んだ時代です。だから、都会に出たキキという少女が、潑剌と空を飛ぶ可能性を信じることができた。しかし、誰もが生きるのに精一杯で、自己実現が難しい今の時代にそれをやっても、なかなか信じてもらえません。今ありえるとすれば、澪のような主人公ではないかと」
―中川龍太郎監督がこう語る「わたしは光をにぎっている」の主人公・宮川澪(松本穂香)は、長野から上京し、亡き父の友人・三沢(光石研)が経営する下町の銭湯に居候する20歳の女性だ。人付き合いが苦手な彼女は、紆余曲折を経て銭湯で働き始め、そこに自分の居場所を見つけ出していく……。こう聞くと、キキに似ているようにも思える。だが中川監督は、キキとは異なる澪に託した思いを次のように語る。
中川:「澪は好んで東京に来たわけではありません。故郷で祖母が経営していた民宿が立ち行かなくなり、仕事を求めて出てこざるを得なかっただけです。言ってみれば、澪は僕たち若い世代の象徴です」
―そんな澪が手にした平穏な生活は、都市開発の波に押された銭湯の閉鎖により、終わりが訪れる。それを知った澪は、自ら“終わり”と向き合うことを決意する。
中川:「澪は『最後までやり切りましょう。どう終わるかって、たぶん大事だから。しゃんとしましょう』と三沢に告げます。ある意味で、今よりも余裕があった時代は『社会に警鐘を鳴らす』という切り口に多くの人が目を向ける余地があったかもしれません。でも、当時を知らない僕から見ると、様々なものが現在進行形で失われていく現代は、もはやそんな段階ではない。澪が言うように、僕らは“終わり”を認めて受け入れ、その先を生きていくしかないのではないでしょうか」
写真=中川龍太郎監督
―戦後の繁栄を謳歌し、バブル崩壊以降を「失われた30年」と呼ぶ昭和世代と違い、これからの世界を生きていく平成世代の覚悟を示す痛烈な言葉だ。とはいえ、決して将来を悲観してはいない。
中川:「“終わり”を“悪いこと”としてのみ捉えるのも一面的な見方な気はします。人類の歴史を振り返れば、必ずしも悪いことばかりではありません。“終わり”を肯定的に捉える文化や思想、哲学はたくさんあります。そういうものを引き出し、今の社会にブレンドしていけば、よりよい生き方ができるはずです」
―こう前向きに捉える一方で、「僕の中にも“終わり”を受け入れられない部分はある」と語る中川監督は、その葛藤を酔って愚痴を吐く三沢の姿に投影する。
中川:「若い人に『俺みたいにならないようにな』と告げる三沢は、挫折を重ねていって挫けてしまった自分の未来を想像して描いたものです。そのまま意固地になっていると将来、こうなってしまうよ、と。ある意味、三沢は『影の主人公』と言えるかもしれません」
“終わり”は新たな人生への道標
―ところで、1990年生まれの中川監督は、幼い頃からスタジオジブリ作品に触れて育った世代だ。「魔女の宅急便」を引き合いに出した理由を知りたくなり、その影響を尋ねてみた。
中川:「ジブリの鈴木敏夫さんがラジオで取り上げてくださった時も話しましたが、僕らは最初から隣にトトロがいた世代で、ジブリ作品は原風景の一部になっています。ジブリの作品が特別なのは、創り手がシビアな現実や世界への認識を持ちながらも、その上でポジティブな物語を紡ごうとする意志にあると思います。自分と近い世代のインディペンデントな作家の中には、暴力や犯罪的な性行為を描くことに長けた人も少なくありません。それらを全否定するつもりはありませんし、完成度の高い作品もありますが、自分自身でいうと露悪的なアプローチには意義を見出しづらいです。苦しみのある世界だからこそ、ささやかな光を描きたいですし、それはジブリから学んだことかもしれません」
―本作が“終わり”を描きながらも、終末思想や悲壮感に覆われていないのは、そんなふうにジブリ的な精神を継承していることも一因なのかもしれない。“翔べない時代の「魔女の宅急便」”は、単なる惹句ではないのだ。“終わり”を語る中川監督の言葉はさらに続く。
中川:「“終わり”を描くことは、必然的に『なぜ生きるか』を描くことに繋がります。ただ、僕の中でこれからは『なぜ生きるか』から、『どう生きるか』に変わっていく気がしています。それは、この物語の後、自分で歩き始めた澪がどう歩いていくのか、すなわち『僕らがこれからの時代をどう生きていくか』に繋がる。この次に撮った『静かな雨』(20)は、そんな新しい一歩を踏み出すための作品にしようと、明確に違うものを目指しました。そういう意味でこれは、僕にとって一つの節目になる作品です」
―現在、新型コロナウイルスの感染拡大により、私たちの平穏な日常は失われつつある。中川監督への取材は、この問題が顕在化する前だったが、その話は期せずして、今の社会状況に符合するものとなった。澪の物語は、今や若い世代だけでなく、私たちすべてのものなのだ。この先、私たちは世界とどう向き合うべきか。その道しるべを、澪が示してくれているような気がする。
中川龍太郎 なかがわ・りゅうたろう:1990年生まれ、神奈川県出身。「愛の小さな歴史」(14)と「走れ、絶望に追いつかれない速さで」(15)が、2年連続で東京国際映画祭スプラッシュ部門にノミネートされる。「四月の永い夢」(17)では、モスクワ国際映画祭にて国際映画批評家連盟賞とロシア映画批評家連盟特別表彰をW受賞した。また、本作は19年のモスクワ国際映画祭にて特別招待作品としてワールドプレミア上映を果たす。そして新作の「静かな雨」(20)も公開され、今最も活躍が目覚ましい、日本映画界を代表する若手監督の一人。詩人としても活動している。
文=井上健一/制作:キネマ旬報社(キネマ旬報6月上旬号より転載)
「わたしは光をにぎっている」
●6月3日発売/ブルーレイは8月5日発売
●DVD 3800円+税 /ブルーレイは4800円+税
●監督・脚本/中川龍太郎
●出演/松本穂香、渡辺大知、徳永えり、吉村界人、忍成修吾、光石研、樫山文枝
●2019年・日本・カラー・16:9LB(ビスタサイズ)・音声1:日本語(ドルビーデジタル 5.1chサラウンド)・音声2:オーディオ・コメンタリー(ドルビーデジタル 2.0chステレオ)・字幕:バリアフリー日本語字幕・本篇96分
●音声&映像特典(33分)/オーディオ・コメンタリー(松本穂香×中川龍太郎監督)/メイキング/ 劇場予告篇/特典ミュージックビデオ
●発売・販売元/ギャガ
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