パトリシア・ハイスミスに恋しての映画専門家レビュー一覧
パトリシア・ハイスミスに恋して
-
映画監督
清原惟
ギターのやさしい音色が印象的なこの伝記映画は、1920年代にアメリカに生まれたひとりの小説家が、ひとりのレズビアンとして生きた軌跡をたどる映画でもあった。「キャロル」をはじめとする、彼女の小説を原作とした映画の断片と、そこに彼女自身の物語が重なる瞬間には鳥肌が立つ。創作への向き合い方から、女性が女性と恋に落ちることの当時の社会的困難さについてなど、軽快でかわいらしいタイトルからは想像しなかったような人生の重みと示唆が含まれた映画だった。
-
編集者、映画批評家
高崎俊夫
長年のハイスミス・ファンにとってはたまらないドキュメンタリーである。母親との熾烈なまでの確執、同性愛者としての側面が往時の愛人たちによって語られ、その栄光と苦渋に満ちた人生のピースは補完されるも謎は残されたままである。改めて「見知らぬ乗客」を見出したヒッチコックの慧眼に唸るほかない。「めまい」が暴いたようにヒッチコックはオブセッションの作家であり、ハイスミスも、二人をつなぐ「ふくろうの叫び」のクロード・シャブロルも同じ妄執に囚われた精神的血族にほかならない。
-
映画批評・編集
渡部幻
「自信満々な人ではなかった。そこに好感を持った」。ハイスミスと暮らしたかつての恋人が振り返る出会いの印象は、即座に「キャロル」のルーニー・マーラを連想させる。この映画の広告、恋人たちの証言、そして若き日の写真もそうだ。かの犯罪小説家のイメージとは異なるが、そこには人間形成の地層があるのだ。母の愛を求めて叶わず、女性たちを愛し、本物の愛を見つけると外国に移住して……。「私は人生のどんな災難も栄養にしてみせる」。この決意と実践なくして作家ハイスミスは生まれなかった。
-
映画監督
清原惟
ギターのやさしい音色が印象的なこの伝記映画は、1920年代にアメリカに生まれたひとりの小説家が、ひとりのレズビアンとして生きた軌跡をたどる映画でもあった。「キャロル」をはじめとする、彼女の小説を原作とした映画の断片と、そこに彼女自身の物語が重なる瞬間には鳥肌が立つ。創作への向き合い方から、女性が女性と恋に落ちることの当時の社会的困難さについてなど、軽快でかわいらしいタイトルからは想像しなかったような人生の重みと示唆が含まれた映画だった。
-
編集者、映画批評家
高崎俊夫
長年のハイスミス・ファンにとってはたまらないドキュメンタリーである。母親との熾烈なまでの確執、同性愛者としての側面が往時の愛人たちによって語られ、その栄光と苦渋に満ちた人生のピースは補完されるも謎は残されたままである。改めて「見知らぬ乗客」を見出したヒッチコックの慧眼に唸るほかない。「めまい」が暴いたようにヒッチコックはオブセッションの作家であり、ハイスミスも、二人をつなぐ「ふくろうの叫び」のクロード・シャブロルも同じ妄執に囚われた精神的血族にほかならない。
-
映画批評・編集
渡部幻
「自信満々な人ではなかった。そこに好感を持った」。ハイスミスと暮らしたかつての恋人が振り返る出会いの印象は、即座に「キャロル」のルーニー・マーラを連想させる。この映画の広告、恋人たちの証言、そして若き日の写真もそうだ。かの犯罪小説家のイメージとは異なるが、そこには人間形成の地層があるのだ。母の愛を求めて叶わず、女性たちを愛し、本物の愛を見つけると外国に移住して……。「私は人生のどんな災難も栄養にしてみせる」。この決意と実践なくして作家ハイスミスは生まれなかった。