映画専門家レビュー一覧

  • orange オレンジ

    • 映画評論家

      上島春彦

      珍しく「ええ話やなあ」と感心し、未来を変えるというより要するに現在をより良いものにする、というコンセプトに納得する。ただしSFとしては片手落ち、というより両手落ち。どうやって手紙(物質)を過去へ送るのか、何の納得できる説明もない。こういう突飛なシチュエーションほど仕掛け(ガジェット)とか伏線とかが必要なのに。ある朝、鞄に入ってたってのはズサンに過ぎる。二通目も無駄。それと手紙を過去に送った人にはパラレルワールドの現在は分からないので拍子抜け。

    • 映画評論家

      北川れい子

      アンジェラ・アキの歌『手紙~拝啓十五の君へ~』をチャラッとマネしたような設定は、まあ、大目に見るとして、この6人の高校生たちの愛だか友情だかの間のびした薄っぺらさは、もう無かったこと、観なかったことにしたいほど。等身大の青春映画ならぬ、等身小の青春オママゴト。原作の少女漫画のことは知らないし知りたくもないが、簡単に人を死なせる無神経さも、幼稚な6人だけの発展性のない人間関係も小学生レベル。ヒロイン役・土屋太鳳の上ずった幼稚声がまた気色ワルー。

    • 映画評論家

      モルモット吉田

      未来から来た手紙に、これから起きる出来事が事細かに書いてあったら、何を差し置いても一気に全部読みたいはずだが、このヒロイン、やたらと他のことにかまけて読むのが遅い。心情を説明するモノローグの多用といい、漫画なら成立しても実写では一考の余地があったはず。現在と過去が交錯するが、過去を変えても平行世界で異なる未来が広がるのはいいとしても、どうやって過去に手紙が届いたのかが曖昧すぎる。しずかちゃんみたいな節回しで台詞を言う土屋太鳳の演技も乗れず。

  • 天王寺おばあちゃんゾウ 春子 最後の夏

      • 映画評論家

        上島春彦

        これは思わぬ拾いもの。人間なら百歳に近い老ゾウの最後の日々を真っ正直に描いて出色の出来。若い人から定年間近まで多数いる飼育員も各々個性的で楽しい。というかそれが本作最大の見どころになっている。途中から皆、そろそろ彼女が死ぬな、と了解し始めてその心の準備も見えてくる構成。日本の高齢化社会を象徴するような看護と看取りの日々、とりわけその死の瞬間に感涙必至である。倒れた時に折れてしまった牙が改めてラストに効いてくるあたり、端倪すべからざる上手さ也。

      • 映画評論家

        北川れい子

        なんという命の重さ。飼育員の方たちが必死で支え持ち上げようとする“春さん”の命。アップで写される開いたままの眼は、すでに冷たい陶器のようだが、春さん、春さんと励ます声はまだまだ諦めない。64年間も天王寺動物園にいたアジア象の春さんの厳粛な命の終わり。カメラはその前年から老いが目立つ春さんの日々を追っていくが、頑固で気難しい親の世話をするように春さんに話しかける飼育員の方も感動的で、フト、命に寄り添うということばが浮かぶ。ただラストがくどすぎる。

      • 映画評論家

        モルモット吉田

        学生時代は天王寺動物園の近くに住んでいたので、見知ったゾウの最期を感傷的に眺めたが、感動を押し付けすぎない作りは好感(音楽は湿りすぎだが)。ゾウで描く高齢化と終活という内容だが、ゾウが飼育員をランク付けしていて、下位カーストの飼育員がゾウに蹴りを入れたり、「すまんなあ、無理言うて」と、なだめたり威したりしながら〈労働〉として愛想をふりまくよう送り出す姿がいい。パンダにタイムカードを押させた『パンダコパンダ』以来の動物園で労働する動物を描いている。

    • 母と暮せば

      • 映画評論家

        上島春彦

        こういうほどほど感が魅力、と評価する人も多い監督だ。原爆を「人間のすることやなか」と怒る辻萬長。避けられたから運命じゃない、と小百合さん。そうだよな、とは思いつつそれだけかい、と感じる私が無責任なのか。原爆投下から三年経ってようやく現れた息子の幽霊。そのわけは最初に本人から語られるが、本当の理由は最後に分かる、という作り。ラストに歌われる、自殺した作家原民喜の詩に曲をつけた歌は確かに聴き物。小林稔侍の片腕演技とか細部にまで俳優の見どころは多い。

      • 映画評論家

        北川れい子

        同じ親と子でも、父親と娘、母親と息子では大違いなのだと痛感する。父系映画「父と暮せば」と対をなす母系映画「母と暮せば」。ベースにあるのはどちらも原爆に対する怒りだが、生き残った娘をテレたように励ます「父と暮せば」の亡霊父親に比べ、「母と暮せば」の亡霊息子は、まだ母親に甘え足りないとでもいうようにあれこれと母親に甘え、ダダをこねる。この辺の密なる母子関係があのラストにつながったのだろうが、息子の恋人に未来を委ねてはいるものの、それでも疑問は残る。

      • 映画評論家

        モルモット吉田

        市川・小津の次は黒木和雄かという感じだが、「父と暮せば」の対を意識しすぎて設定に無理を感じる。一人残された息子のもとに母の幽霊が現れる方が良かったのでは。これでは母が死んだ夫や他の息子も忘れて末っ子を溺愛する「息子と暮せば」だ。粗雑な上海のおじさんの扱いは山田映画的で絶品だが、息子と婚約者の〈遠距離恋愛〉に母が手を貸すのかと思っていると素知らぬ顔で、まるで恋人の様な面持ちで息子と過ごしている。「大霊界2」の終盤みたいなラストシーンには呆然。

    • 創造と神秘のサグラダファミリア

        • 映画・漫画評論家

          小野耕世

          72年に初めてバルセロナを訪ねた私は、ホテル・ガウディに泊り、ガウディの建築を見てまわったが、当時ガウディの名は日本でそれほど一般的ではなかった。20年後の92年に再訪したときは、グエル公園の上に囲いができていたが、今は入場料をとるという。サグラダ・ファミリアは教会なので、映画ではその宗教的な意味や理念が主に語られるのは当然だが、この未完の建造物のメタボリズム生命体のようなふしぎさや完成をめざすための技術的な工夫などを、もっと知りたかった。

        • 映画ライター

          中西愛子

          1882年に着工され、創始者アントニオ・ガウディの死後も、そしていまなお未完の建築物である、スペインの大聖堂サグラダ・ファミリア。その歴史を辿り、現場スタッフを取材し、また外観、内部を映し出し壮大なプロジェクトの創造過程を追う。1世紀以上にわたる変遷は複雑だ。ガウディの天才にまず驚嘆し、多くの困難を乗り越え、これを死守してきたバルセロナ文化に感動する。が、時代は変わる。関係者の考えもそれぞれ。移りゆくアートや宗教の未来に思いを巡らせてみたくなる。

        • 映画批評

          萩野亮

          オーソドックスなインタビュー・ドキュメンタリーながら、とてもよくまとまっている。「サグラダ・ファミリア」というこの途方もないプロジェクトは、いまはいない鬼才と、図面を引き継いだ建築家や彫刻家との対話そのものなのだと知らされた。ファサードを手がけた日本人彫刻家の、そのたたずまいやことばの奥ゆかしさ。近代化も戦争も生き抜いてきた、神秘の尖塔群から見えてくるカタルーニャがある。それにしても、自分が生きているうちに完成のめどがつくとは思わなかった。

      • 独裁者と小さな孫

        • 映画・漫画評論家

          小野耕世

          「私が新作を撮ると知って中国も興味を示したが、脚本を見せたらすぐ手を引いたよ」とマフマルバル監督が香港で語ったこの映画を私は二度見たが、ヨハン・シュトラウスの曲が流れる開巻の街の夜景からひきこまれてしまう。ジョージアで撮影された独裁者の官邸の横のほうにわざと傾いたような白い建物が移動ショットで映るのがずっと気になっている。現地に行って見てみたいほどだ。従軍慰安婦問題すらも含むと言えそうなこの現代の切実な寓話にはユーモアもある。傑作。また見たい。

        • 映画ライター

          中西愛子

          舞台は、独裁政権下にある架空の国。クーデターが起こり、独裁者と小さな孫は逃亡し海に向かう。独裁者は道中で初めて自らの政権が招いた国民の惨状と怒りを目の当たりにする。ロードムービー的な展開で、ハプニングとサスペンスがうまく仕掛けられている。力の論理がすべての、暴力の荒野のような土地に見える男と女の壮絶な姿。そんな人間の根っこをえぐりながら、独裁、復讐、負の連鎖の本質に近づいていく。一方、孫の描写が生む寓話性が出色。踊る孫の優美に何より救われる。

        • 映画批評

          萩野亮

          目下革命後のさらなる混乱状態にあるアラブ各国を想起せずには見られない映画である。その意味では「神々のたそがれ」(アレクセイ・ゲルマン)と姉妹のような作品だと思う。どちらも架空の国の寓話のようでありながら、むしろそれゆえに現実の政治へのするどい喚起力をもっている。既存の犯罪逃避行ものに形式を得ながら、結末に約束された死(カタルシス)をかぎりなく引き延ばし、問い返すところに、このフィルムの暴力への批判的提言と映画的な野心の両方がゆるぎなくある。

      • A Film About Cofee(ア・フィルム・アバウト・コーヒー)

          • 翻訳家

            篠儀直子

            コーヒーについて何かを語るとすれば、その歴史とかグローバリズムとの関係とか南北間格差とかさまざまな切り口が考えられるのだけれど、この映画は基本「ファン目線」であって、キレイキレイなスローモーション映像が多用されたり、ドキュメンタリーというよりは、コーヒーとコーヒーを作る人々をとにかく美しく描くことを目的としているようだ。そのなかにあって、大坊珈琲店(現在は閉店)の大坊さんの仕事ぶりを撮影した長回しのショットが、映画的にもずば抜けてすぐれている。

          • ライター

            平田裕介

            サードウェーブ・コーヒーの虜だという監督が撮っただけに、その素晴らしさを謳っただけのPR的内容に。豆だけぶん取らずに赤貧だったコーヒー農家の方々も幸せにしているのもわかるが、功績だけなく功罪だってあるだろうし、そっちも追わないと。両方を見せてこそ、その世界が?めるもの。しかし、なぜに第3波コーヒー界の住人の多くが、髭+ツー・ブロック+ウェリントン眼鏡+ニット帽になるのか(監督もすべて該当)。第2弾を撮るのなら、そのあたりを踏み込んで欲しい。

          • TVプロデューサー

            山口剛

            コーヒーの歴史、流通、バリスタと言われる人たちの技術などがよく判り、たまには丹念にいれたおいしい珈琲を飲みたくなる映像だ。大坊珈琲店主の真剣な眼差しと手つき、眼をつむって一杯7ドルの高級エスプレッソを飲む生産者のアフリカの農夫たちの表情など印象深い。しかし、情報番組的な内容と一時間強という上映時間は観客の足を映画館に運ばせるにはいささか魅力に欠ける気もする。居心地のいいカフェでカップ片手に大モニターで観た方が似合うような映画だ。

        • ソークト・イン・ブリーチ カート・コバーン 死の疑惑

          • 翻訳家

            篠儀直子

            日本のテレビでもよく放映されている、海外の奇怪な事件を再現ドラマや関係者の証言を交えて紹介する番組みたいなものが出てくるんじゃないかと思ったら、画面に多少お金がかかっているだけで、ほんとにそれ以上でも以下でもない映画だった。知っている人はみな知っているカート・コバーン謀殺説を、丁寧に説明する内容。建前としては一応「さらなる検証が望まれる」という結論に落としこんではいるけれど、「こんな一方的な語り方をされても……」という気持ちがやはりぬぐえない。

          • ライター

            平田裕介

            他殺説を唱える探偵が録音したコートニーの音声の内容はたしかにファム・ファタールしているが、それっぽいのを厳選という感じ。カートは自殺する奴じゃないと証言する連中は、彼の故郷に暮らす古すぎる友人・知人たち。なんとも微妙だが、再現ドラマはしっかりと撮られていて、それにコートニー音声を被せることで生々しさとスリルが醸し出されている。陰謀はともかく、“なにか”があったのは伝わった。しかし、カリスマと呼ばれる人物は死んだ後も、こうして飽きさせないから凄い。

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