十年後の私は楽しく元気にすごしていますか。明るくてやさしい人になっていますか。
私は九才の時、二月に病気になり、八か月間入院しました。病気になった日の朝のことは、父さんとおふろに入った他はあまりおぼえていません。父さんの話では急に「ねむたい。」と言って横になり、「体を動かしたい。」と言って手足をバタバタと動かして気を失ったのだそうです。父さんはびっくりしてきゅう急車をよんでくれましたが、のうの中の出血ということで、すぐに手じゅつを受けることになりました。
十日後、手じゅつはうまくいって、私は意しきを取りもどし、命は助かりました。でも、のうの血管の病気が見つかり、そのまま入院して、四月にもう一度三日間かけて手じゅつを受けることになりました。
四月の手じゅつが終わって目がさめると、半分ねているようなうすい意しきのなかで、頭から鼻やうで、そして足までたくさんの管が入っていて不思議な感じでした。トイレも食事も着がえもできなくて、かんごしさんに全てやってもらわなければなりませんでした。しゃべろうと思っても声も出せなくてイライラしたり、字を書こうとしても頭で思っているように手が全然動かなくてむちゃくちゃな字になってしまい、こまった気持ちになりました。ベットから出て立とうとしてもゆらゆらして立てませんでした。歩くのも全くできなくなっていて、これでは学校にもどる時は、はずかしくてくやしくてかなしくてたまらないと思いました。本当に手足が自由に動かせることができるようになるのかと思うと不安で毎日暗い気持ちでした。
車イスをおしてもらって病院の外を散歩するようになると、それを見ている人たちが「歩けるのが当たり前なのに。」と思っているようで、差別されているような気持にもなりました。
そんな中、父さんや母さんは病院に毎日来てくれて、ねるまでいっしょにいてくれました。それに、妹の陽奈絵や愛奈恵、おじいちゃんやおばあちゃんも会いに来てくれてうれしかったです。東山小学校のみんなからも、折りづるやビデオレター、よせ書きや文集などをもらいました。父さんのいとこのあや子おばさんも毎日電話してくれました。自分を心配してくれる人がこんなにいてくれて、早く良くなろうと思いました。
病院では、お医者さんやかんごしさんを見ていると、お医者さんは集中力がいるし、責にんがかかっている仕事ですごいなぁと思いました。かんごしさんも、はげましてくれたり、身のまわりのことを全部やってくれて、おまけにおしっこやうんちの世話など、きれいな仕事ばかりではないけれど、いつもニコニコしていてくれて大へんな仕事だなぁと思いました。大人の仕事は大へんだけど、大切なんだなぁと思いました。
私は五月の母の日にかんごしさんにカーネーションの花をあげたかったけれど、病室にお花を持って入ってはいけないきまりがあったので、お花の代わりに「ありがとう」という言葉をお世話してもらった時に必ず言うようにしました。そうしたら、かんごしさんやお医者さんはニコッとわらってくれました。私もうれしかったです。
七月になると、成育病院からリハビリせん門の神奈川リハビリ病院にうつりました。ここは、歩くことやしゃべることや手を上手に動かすようにするためのトレーニングをしてくれる先生がたくさんいて、先生たちと一生けん命、毎日リハビリをがんばりました。私は歩くことだけではなく、山登りやスキーや一輪車などが本当にできるようになりたかったし、もっと上手にしゃべれるようになりたかったし、字も上手に書いたりそろばんやピアノや習字もまだやりたかったので、父さんと一日もかかさず自主的なリハビリもしました。リハビリの先生からやるといいよと言われた発声練習やじゅうなん体そうやきん肉トレーニングなどを一時間くらいかけて一セット、それを毎日二セットやりました。また、学校も半年以上休んでいるのに、院内学級が一日一時間や二時間しかなったので、父さんと毎日数時間勉強もしました。
父さんに、「他の小学生は、夏休みも楽しくすごしているのになんで自分は病院で毎日リハビリばかりなの。くやしい。」と言った時、父さんは「人とくらべると苦しくなるよ、一人一人目標がちがうのだから、それぞれ自分の目標を見つけてがんばることしかできないよ。」と言いました。そんなものかなぁと私は思いました。
十月になり、私は病院を退院して学校にもどりました。一時は、もう自分では歩くことができないかと思っていたけれど、歩いて学校にいけました。学校ではみんなの前で、思いをこめてゆっくりとはっきりとスピーチをすることができました。みんなも「おかえり。咲奈英ちゃん。」と言ってくれました。
十年後の私は、お世話になったお医者さんやかんごしさんやリハビリの先生のように「ありがとう」と言われるようになっていますか。そして、自分でもすなおな心で「ありがとう」と言えるようになっているでしょうか。それから、人を思いやることもできるようになっているでしょうか。入院中は、色々な人が私を思いやってくれました。今度は私が人を思いやるようになりたいです。この手紙を読んでいる私が、そのためにがまん強くがんばれる私でいることをねがいます。
(これは、私が病室で「くちびるに歌を」のえい画のDVDを見て、自分でも書きたくなった未来の自分への手紙です。)