死ぬまでにしたい10のこと My Life Without Me
主人公の独白で物語ははじまる
「これが私 雨の中で目を閉じる こんなことをするなんて 思ってもみなかった うまく言えないけれど― 月を見上げたり― 波や夕焼けを何時間も眺める人がいる 私もそんな人みたい 違うかしら 」
誤訳でないにしても私は翻訳が違うのではないかと思う。「これが私」はThis is you.である。主人公は自分自身にもう一人の自分として語りかけているのだ。「私もそんな人みたい」は「あなたもそんな人みたい」なのだ。
「やっぱりそんな感じだわ 寒さに震えて― シャツにしみ込む雨を肌で感じる ぬかるむ大地を足の裏で感じる 生命のにおい 葉を打つ雨の音 読んでない本の物語”“This is you これがあなた」
私ではなくあなたと話していることに象徴されるように、物語の中で主人公は常に客観的で冷静である。だからこそ時折見せる感情が一層、彼女でも抑えることができなかった感情なのだと観客は理解する。
(斎藤 香)という人はこの映画の解説として「 23歳という若さで、がんで余命2か月と宣告されたアン。彼女はやり残したことをノートに10コ、書き留める。オシャレのこと、ふたりの娘のこと、そして夫以外の男と付き合ってみること…。リストを作ったときから、アンの平凡だった人生がイキイキと動きだした。」と書いている。
違う、と思う。
主人公は、死の宣告に至るまでのつつましい生活を誠実にそして一つ一つの出来事を大切に扱いながら生きている。掃除係の仕事仲間との会話、主人公はダイエットを気にする友人を傷つけないように、そして気を和らげるように行動する。友人は主人公のことが好きだし、主人公も友人のことを大切にしていることがわかる。血縁に因る遠慮の無さはあるものの母親との関係も、友人と変わらない。主人公はこの関係も大切にしている。そのあと、夫、子供たちとの関係も描かれる。主人公の眼差しはやさしく慈しむようだ。自分の死の時期を知る以前に、仕事が続かない夫に対して、やんちゃ盛りの子供たちに対して、彼女は個々の関係を大切に、誠実に生きてきた人間なのだ。
だからこそこの物語にはやり切れなさと深みがある。
平凡かどうかはわからないが、宣告によって「人生がイキイキと動きだした。」わけでは決してない。
自分の死の時期を知った後、以前にも増して主人公は知的にすべてを受け入れる。
彼女はビールさえ飲めない、高校時代皆がやってた(と思われる?)麻薬もやらなかった。しかし宣告の後、心情を吐露する「世界中の麻薬を試したい気分だ」と。
自分の死の時期を知り、後数カ月しか子供たちや夫と過ごすことができない主人公にとっての麻薬は、不倫相手だ。主人公は最初から苦しみから逃れるための麻薬だと理解しているのだろう。彼女は不倫相手の姉が送ってくる曲(イタリア曲やブロッサムディアリー 私は好きだが)を決していいと思っていないのだろう。またフランスのミュゼットを聞きながらのダンスも普段であればしないのだろう。あまり音楽にこだわりが無いとは言っていた、Barry Manillowを知らず、Mini Vanilliをよく思わず、Nirvanaのラストコンサートで大泣きしていた彼女だからだ。だからこんな状況でなければ彼と付き合うことはなかったのではないだろうか。客観的に見れば恵まれていたとは言えない彼女の人生、しかし子供たちと家族との生活にささやかな希望を感じている、それを23歳で終える。このやり切れなさから逃れるための麻薬だ。しかし彼女はこれから離れなくてはならない家族や夫を愛している。新しいお母さんにわたさなければならない家族と夫を愛している。だから夫―「君のためにがんばるよ」という夫に対して、Brian WilsonのGod Only Knowsを― 「愛せないときもあるわ でも夜空に星が輝くかぎり― 私の愛を決して疑わないで それだけは本当に信じてね 神様だけがよく知っている あなたなしじゃ私は生きていけない」―唄ったのだ。この映画では、これはただの歌詞ではない。私であれば ―映画に自分を投影するなんて― 耐えられない。だから私は彼女がとった行動を理解する。
夫と娘たちが出て行った後主人公は夫にテープを吹き込み、内緒にしたことを謝っている。それが唯一のプレゼントだと。
一緒に病院に行けばもっと辛くなるわ あなたにそんな思いをさせたくなかったの 幸せになってね 子供たちを幸せにしてね 天国を想像して 2人を励ましてやって いい思い出を話して 愛しているわドン いつまでもTシャツで涙をぬぐってくれる人よ と吹き込んだ後、God Only Knowsの別のヴァースを唄う。この節は少し辛い一節なのだ。
If you should ever leave me 別れの時がいつか来ても
Well life would still go on believe me 私の人生は ずっと続く
The world could show nothing to me 世界は私に何もしてくれない
So what good would living do me? こんな人生のどこがいいの?
God only knows what I'd be without you あなたなしじゃ 私は生きられない
最後の節で声が上ずる。「世界は何もしてくれないのだ」と、彼女は夫には本当は悩みを打ち明けたかったのだ、話したかったのだ。
その時夫は海・ビーチを見ている。その横顔は苦しみを自分の中に閉じ込めているように見える。私たちはここで気づく ―夫はわかっているのかもしれない。
次の場面で、主人公は不倫相手と同じ海・ビーチが見えるレストランに来ている。不倫相手は「君をいろいろな所に連れて行きたい」と話す。チリ南部真っ白な砂漠の話、アルゼンチンの湖の話、彼女は懸命に聞いているが、実は興味が無いのだろうと思われる。その前に話したブロッサムディアリーの話、83歳の可愛い歌手(若くして死ぬ彼女には為しえないこと)の話も興味が無いと思われる。彼の話より、路肩のグラスハープの音が大きく聞こえるのは、そちらに気をとられているからだ。彼の話に興味を持っていないからだ。彼女はレストランを出たいと言う。「ここに来たかったのに」と言う。そして料理を包んでほしいと言う。料理は家族のためにだ。家族のことが頭にあるのだ。「ここに来たかったのに」は家族とビーチに来たかったということなのだ。
映画でもことさら挙げていないけれど、実は彼女のしたいことのうち、実現できなかったことは「4.家族でビーチにいくこと」。夫が実現すると話したこの「したいこと」は、もしかすると最も実現性が低いことだったのかもしれない。このような夫が実現すると話した実現しなかったことはこれまでにもたくさんあったのかもしれない。この願いは主人公がいなくなった主人公の人生の中で、別のアン・・・新しい母になるであろう女性・・・が彼女の代わりに実現する。かつての夫とともに。夫にはこの後子供たちと一緒に生きていくことができ、新しい妻に愛されることができる。彼女にはできない未来の幸せを彼ひとりが実現するのだ。だから少しの嫉妬の気持ちがあったのかもしれない。だから彼女には麻薬が必要だったのだ。ビーチに出かけると思われる新しい家族のシーンがある。それは少しもやがかかった映像で、おそらく主人公がどこかから見ているということを表現しているのだろう。最後に彼女は「死んだらなにも感じない」と話している。しかし彼女は自分で実現せずに、見ているのだ。諦めながら。死の前にも感じていた「これまでに感じたことの無い孤独」を抱えながらいるのだろうか。それはあまりに可哀相である。私なら、せめて死によって「何も感じない」世界 ―この独白シーンのように真っ白な世界― に解放してほしいと思った。
「もし君がどこかに去っても、人生は続くかもね。
そう人生は続くのだ。この曲の本当の切なさと美しさは、そこにあるのかもしれない。」
と、God Only Knowsについて村上春樹は書いている。この映画にも同様の切なさと美しさがあると思う。