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光の雨 特別版 [DVD]

3.7 5つ星のうち3.7 29個の評価

仕様
価格
新品 中古品
DVD, 色, ドルビー, ワイドスクリーン 1枚組
¥3,909
フォーマット 色, ドルビー, ワイドスクリーン
コントリビュータ 鳥羽潤, 小嶺麗奈, 高橋伴明, 青島武, 川越美和, 萩原聖人, 大杉漣, 立松和平, 裕木奈江, 山本太郎
言語 日本語
稼働時間 2 時間 10 分

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商品の説明

Amazonより

連合赤軍のリンチ事件を題材にした小説『光の雨』が映画化されることになり、若手キャスト(結木奈江、山本太郎ほか)が集結して撮影に入るが、まもなくして監督(大杉漣)は失踪。彼は赤軍を同時代を生きた男でもあった。代わって、それまでメイキングを回していた新進監督(萩原聖人)がメガホンを取り、撮影は続行される…。
高橋伴明監督が、これだけは撮らないと自分の20世紀は終わらないとの覚悟で取り組んだ社会派青春映画の傑作。立松和平の原作が劇中劇として描かれ、当時の若者たちの思想を理解できず、混乱しながら役を演じていく若手俳優たちのドラマとクロスしていく。理想を追い求めた果てが仲間同士の殺りくであったという痛恨。それは決して過去の出来事理ではなく、閉塞的現代とリンクする歴史的重要な惨劇であったことまで思い知らされる、必見の作品。(的田也寸志)

レビュー

製作総指揮: 高橋紀成 製作: 遠藤秀仡/石川富康 プロデューサー・脚本: 青島武 プロデューサー: 森重晃 監督: 高橋判明 原作: 立松和平 撮影: 柴主高秀 照明: 渡部嘉 美術: 金勝浩一 録音: 福田伸 音楽: 梅林茂 出演: 萩原聖人/裕木奈江/山本太郎/池内万作/鳥羽潤/小嶺麗奈/川越美和/高橋かおり/金山一彦/塩見三省/大杉漣
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内容(「CDジャーナル」データベースより)

登録情報

  • アスペクト比 ‏ : ‎ 1.78:1
  • メーカーにより製造中止になりました ‏ : ‎ いいえ
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 梱包サイズ ‏ : ‎ 19.4 x 13.6 x 1.8 cm; 0.28 g
  • EAN ‏ : ‎ 4947127522540
  • 監督 ‏ : ‎ 高橋伴明
  • メディア形式 ‏ : ‎ 色, ドルビー, ワイドスクリーン
  • 時間 ‏ : ‎ 2 時間 10 分
  • 発売日 ‏ : ‎ 2002/12/21
  • 出演 ‏ : ‎ 萩原聖人, 裕木奈江, 山本太郎, 大杉漣, 鳥羽潤
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語 (Dolby Digital 2.0 Stereo)
  • 販売元 ‏ : ‎ ハピネット・ピクチャーズ
  • ASIN ‏ : ‎ B00007B95C
  • ディスク枚数 ‏ : ‎ 1
  • カスタマーレビュー:
    3.7 5つ星のうち3.7 29個の評価

カスタマーレビュー

星5つ中3.7つ
5つのうち3.7つ
29グローバルレーティング

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上位レビュー、対象国: 日本

2005年12月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
浅間山荘事件は知っていても、そこに至るまでの凄惨なリンチはよく知らないという方は、ぜひ見てください。学生運動の末路がよく分かります。団塊ジュニアにとくにおすすめです。定年を迎えつつある自分たちの父親・母親たちの物語です。

また、劇中劇という手法がこれほど意味のある作品もなかなかないと思います。劇中劇でなかったら、リンチシーンは、ぜんぜん直視できないか、あるいは白々しくなったことでしょう。

キャストのなかでは裕木奈江がダントツで素晴らしい。大竹しのぶみたいになれるんではないでしょうか。彼女のことを印象で嫌った女性たちも、この映画を観て、我が身を「総括」してほしいなあ。
30人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2024年5月6日に日本でレビュー済み
私は山本太郎&れいわ新選組を支持しているが、アンチがこの映画を持ち出してディスったりしてるのをTwitter(X)のタイムラインで見たことはない。ネガキャンには絶好の材料だと思うんだけど。ネトウヨは文化レベル低いから映画も観ないのか。けっこうけっこう、そのままでいてください(笑)。

太郎の名誉のために言っておくと、彼は政治活動を始めた直後のインタビューで、主人公のモデルになった連合赤軍リーダー・森恒夫には何のシンパシーも感じなかったと語っている。"森はイニシアチブをとりたいだけの男"だとも。
大江健三郎の戯曲シナリオ草稿『革命女性』のヒロインのモデルは永田洋子だが、この映画では裕木奈江が同様の人物を演じている。『革命女性』のヒロインにも裕木は合うと思う。あと、松たか子と黒木華も。(ある人から、美人とブスの微妙な境界領域にいる女優ばかりだな、と言われたw)

当初の監督・大杉漣が失踪して、最後に独りでハーモニカ吹いてるようなシーンが出てくるのは、全共闘世代の自意識過剰ぶりが露呈していて、ウンザリ。お前のことなんか、お前が運動で負った「心の傷」なんか、どうでもいいんだよ!と言いたくなる。この監督は広告業界から映画デビューしたという設定になっているが、学生運動にコミットしたことで知られるコピーライター糸井重里は、この世代の自意識過剰ぶりを「山男の論理」と呼んだ。そして、登山の歌には「(誰も惚れたなんて言ってないのに) 惚れるなよ」とか、その類のフレーズが多すぎると批判した。
2016年10月11日に日本でレビュー済み
山本太郎と裕木奈江の俳優と役との演技、ほとんど2役状態だったけどそれが素晴らしかった。
浅間山荘事件関連のものは色んな形で触れていたので話の概要は知っていたけど、これが一番取っつき易かったと思います。
やっぱり劇中劇っていう形がある種の緩衝の役割を果たしているからだと思います。
後は大杉漣と萩原聖人の眼差しの違いがこの映画の見方と内容を理解する胆だと思います。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2015年1月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
話がバラバラでも頭で上手く繋げて楽しめる方向け。素人達の舞台裏でのざれ言がメインの、作成側がアップ後に観て楽しむ為の映画?かも。それに上乗せして、暴力、映画もどき、監督逃亡。この映画をもって何を表現したいのか全く解らない。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2017年6月13日に日本でレビュー済み
連合赤軍の山岳ベース事件を中心に描いた映画。といっても、事件は劇中劇であり、それを演じる俳優たちの苦悩も描かれる。この構成は(加えて登場人物を全て仮名にしているところも)、連合赤軍に関する初めての本格的な映画化ということもあり、無用な反発を抑えたかったということだろう。ただ、その試みは単体の映画としては失敗しているように思われる。劇中劇はそうであっても凄惨で直視に耐えないし、俳優たちの苦悩も所詮はフィクションであって、「連合赤軍について知りたい」という需要からは外れている。正直なところ、出来はよくないと思う。

それでも良かった点を挙げると、永田洋子や森恒夫の人物像について、弱さを入れ込んでいるところだ。彼らは狂信的な人物ではあるが、だからといって現実感から遊離した存在でもなかっただろう。この点は、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』の描き方とは異なっている。『実録』では狂信者を狂信者として描き、むしろ格好良くなってしまっている。本作で坂口弘が森恒夫を「アイスピックで刺そうと思えば刺せるが…」と逡巡するのは自然だ。また、永田洋子と森恒夫が自らも「総括」のやり玉に挙げられかねないと危惧して下山するのも自然だ。この点を描けているところに、バランスの良さを感じる。

気になったのは、やはり山岳ベース事件を劇中劇という扱いにしたところだ。もし劇と劇中劇を対比させるのであれば、劇の人物が劇中劇の内容に感化され、それがさらに大きな事件に発展する…という展開が考えられる。本作でも感化はあるが、特にそれが何かに発展するということはない。ただただ劇の人物が苦悩するだけだ。しかし、果たしてそこは見どころなのだろうか。山岳ベース事件の狂気について理解するのは、その背景もさることながら、赤軍派の個々の人物について丁寧に描いていく、製作者側の態度が必要だったのではないか。題材は非常に興味深いのに、フィクションの人物への共感を志向した製作者側の覚悟のなさを感じてしまう。

山岳ベース事件以前の背景は最初にさらっと流されるのみなので、予備知識がないと見るのは辛いかも知れない。ただ、知識がある状態で本作を見ることに意味があるかは分からないが…。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2016年1月4日に日本でレビュー済み
あの事件は何だったのか?なぜあのようなおぞましいことが起こったのか?
事件の本質を真摯に問おうとする制作者の誠実さは伝わる。
しかし、答はない。
現在の日本では映画化するとしても、本作のように<劇中劇>という形式によって事件のリアリティのごく一部を表現できるのみだろう。
本当に正面から事件を描くのは無理だし、敢えて試みても、リアリティにも訴求力にも乏しい駄作にならざるを得ないだろう。
長谷川和彦監督が長年映画化を構想しながら、未だ果たせていないのも頷ける。
結局「昔こんなことがありました」という締め括り方をするしかないし、実際本作もそうしている。
繰り返すが、あの70年代初頭のエトスの中で、自らが何を考え、どう行動しようとしていたかを赤裸々に語ろうとする制作者の姿勢はいい。
しかし「逃げながらも考えていたのだ」とでも言うかのように、自分の良心の証という言い訳の匂いも感じる。
何にしても、事件の本質を「不可解」と締め括り、昔話で終わらせていると思われるのだ。こういう終わらせ方しかできないとも思うが。
結局答の出ない問題に答を出そうとするのが無理なのだろう。

事件の本質ついて以下に私見を述べます。関心のある方のみお読み下さい。

事件の本質は何だったのか?100%の確信はないが、述べてみる。
当時(そして今も自意識インテリ層の一部には)絶対善とされていた左翼イデオロギーに多くの人々が眩惑されてきたが、結局は小集団内部の、今で言う「いじめ」だったのではないか。
左翼イデオロギーを奉ずる集団が外部状況の悪化のため追いつめられると、内部に敵を求め、むしろ意図的に作り出そうとさえする。そして当初はゆるやかに、そしてあるポイントを過ぎると一気に、凄惨な殺人(「粛清」と彼らは通常呼ぶ)に突き進む。これは稲垣武氏が「悪魔祓いの戦後史」で述べているように、新旧を問わず左翼の運動法則だ。例は数多い。フランス革命。旧ソ連スターリン時代の粛清。中国文化大革命(規模が大きく事実上の内戦だが、質的には同じ)。そして、連合赤軍連続リンチ殺人。その後今に至るも繰り返されている新左翼の内ゲバもこのヴァリエーション。
しかしだ、イデオロギーなど言葉の上で善と悪を弁別するためだけの、単なる用語の組合せの体系に過ぎない。結局は閉じた集団の中で(絶対善とされる)イデオロギーの解釈権(永田洋子はその不思議なカリスマ性でこれを握っていた)を掌握した人物や勢力が、動物本能の赴くまま暴力支配に走ることになる。イデオロギーという迷彩を剥がせば、まさに「いじめ」と同根である。
「自分は嫌だ。やりたくない。」と内心思いながら、加わらなければ今度は自分が標的になるかもしれないという恐れから、いっそう加速する。このことも「いじめ」と同質だ。
「いじめ」に過ぎないものに左翼イデオロギーの衣を着せるから、外からは事件の本質が不可解に見える。左翼イデオロギーという盾があるから、「いじめ」に過ぎないものを正当化できる。左翼イデオロギーをナイーブに信じたい者には「いじめ」に過ぎない事件の本質が見えにくくなる。
かつて「革命ごっこ」という言葉があった。「暴力革命」を呼号しながら、警察権力のふるう「暴力」は横暴だと批判し、自らの「暴力」は許されるとする甘え(「甘えるな!お坊ちゃん!お嬢ちゃん!戦争してるんだろうが!戦争ごっこなのか!」と思いますなぁ)。マスコミも戦後教育も、この甘えと集団妄想の応援団だった。甘えと集団妄想のゲーム。これに名前をつけると「革命ごっこ」。「ごっこ」つまり子供の遊び。子供の遊びとそれに多くの場合付随する「いじめ」。子供の仲間内の「いじめ」さえ、極めて短期間にエスカートしてリンチから凄惨な殺人につながることは、近年の多くの事件で実証されている。
まさしくそうなのだ。「革命ごっこ」に夢中になった子供の遊びがエスカレートして「いじめ殺人」に行き着いた。しかもこれはクセになる。理性で止める者=大人がいないからだ。子供の世界ではまさにそうだ。大人=社会が強制力を持って止めさせなければ、何度でも繰り返すことになる。これが事件の本質であり、全てだ。
断っておくが、永田洋子だけが「いじめ」の資質を持っていたと言っているのではない。自分は良心的な人間だと確信できる、あるいは確信できるふりができる人間なら、その裏返しに「いじめ」の資質も、おそらく無自覚に持っているということだ。自分に実は100%の自信がない人間(そういう奴はほぼ例外なく自分を良心的だと考えている)は、相対的に自らより弱いと見下したい人間に身勝手に反感と嫌悪感を持つものだ。決して永田だけの話ではない。
(付記)
子供の仲間内の関係が「いじめ」につながる。かつて「いじめ」という言葉が使われなかった時代にもあったことだ。相手が気弱で反抗しないと分かると、いっそう加速する「いじめ」。誰にも思い当たるはずだ。あなたにも。私にも。新左翼や左翼シンパでなくても、ごく普通の人間が連赤連続リンチ殺人に不愉快なおぞましさを感じるのは、自分の中にある動物本能と少年少女の頃の記憶のせいだ。そうではないですか?
あの出来事は遠い昔話ではない。日本で世界で、今この瞬間も、小規模に、殺人にまで至らず行われている。学校で。職場で。地域で。家庭で。人間がいるあらゆる場所で。
12人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2010年11月16日に日本でレビュー済み
劇中劇というスタンスでワンクッションを置くことで、世にも恐ろしい、あさま山荘事件より尚恐ろしい事件を、少し見やすいものにしてくれた作品。
原作も読んだが、非常に読みづらく私個人は何を伝えたいのか全く理解できない作品でしたので。
正直あれなら当事者の諸説を読んだほうが分かりやすいとも思えます。
劇中劇であるがゆえに演じる俳優の視点やその他いろいろな背景も描かれているが、まぁそれはそれとして。
悪くない出来だとは思いますが、私個人はどうでもいいレベルだったので感想も何もないですが・・・
ただどうにもどっちつかずの中途半端な感じは否めません。
途中で監督が逃げたりと、「えっ?なんで?」みたいなシーンも多々ありますので(笑)
ただストレートにリンチ事件を描くには、あの事件は衝撃が強すぎる気はします。
あさま山荘の前に何があったのか、映像で見やすくしてくれた点そして☆3つかな。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2009年5月27日に日本でレビュー済み
森と永田の指示を仰ぐために、下山してきた坂口が二人のアジトである公団住宅の一室を訪れる場面が、相当怖い。
疲れ切った顔の坂口に対して、余裕の表情の森、そしてシャワーを浴びてでてきた永田洋子(裕木奈江)の「あら、坂口くん、来てたんだ」の一言。あの平然とした口調がホントに恐ろしい。あんなこと言われたら坂口じゃなくても絶句するだろう。リーダーの「凡庸さ」がはっきりと現れる瞬間だ。ここのやりとりを観てほしいがためにこの映画を他人に勧めている気がする。
こんな複雑な構成でいて、破綻しないのは脚本がよくできているからなのか、ま、とにかく『実録・連合赤軍』よりずっと「良い」作品であることは疑いない。
11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート