黒澤の作品でもいくつか見損ねている作品がある。本作もその一つだ。タイの夕方にゆっくり
鑑賞した。
本作の主役は三船だと思っていたが、それは間違っている。志村が主人公だ。そう思った段階
で「生きる」との比較も容易になった。
実際に「生きる」と本作は重なる部分が多い。弱い人間であった主人公が、勇気を奮って
社会に立ち向かうという本筋はほぼ同じである。敢えて言うなら「生きる」の主人公は悪人ではないが本作の主人公は「弱く悪い」人間であることが出発点になっている。そこに違いはある。
主人公の「悪」とは、病気の娘の為にお金を稼がなくてはならないという、「受け身」の悪と
言える。お金を稼ぐために競輪等のギャンブルに嵌まり、買収されてしまう姿は痛々しさを
超えて、滑稽である。
そんな主人公を三船と山口は理解しながらも愚直に信じることを止めない。原告としての
自分達の弁護士が、被告に買収されていることを感じながらも、弁護士の病身の娘の
クリスマスに駆け付ける場面は感動的である。この映画では三船、山口、病身の娘は
非現実的に「善」である。かような人々は到底有り得ないという気もするが、クリスマスという
設定の中で観ている僕らとして納得させられてしまう。
そこからは「生きる」と同じだ。飲み屋でふいに湧き上がる合唱があり、主人公は合唱に浄化
され、生まれ変わり、戦う勇気を獲得していくことになる。
三船の絵のモデル役の千石のスパイスが効いている。お産をしたという話もあるから人妻
なのだろうが、なにくれとなく三船を支えている。三船のヌードのモデルだったらしいが、
この二人が男女関係にあるようには描かれていない。その清涼感が本作にコクを
齎している。
一方、三船と山口の間はどうか。本作の中ではまだ二人の間にはなにも起こって
いない。但し、雲取山の絵に対する二人の拘りを見ていると、この後に、二人の恋愛が
始まるのではないか。そんな伏線が最後の余韻も齎している。
ちょっと話は出来過ぎているが、傑作であると思った。50歳代にして黒澤の初見の傑作に
出会うことが出来たことは幸せである。