シリーズ4作目、「ドラキュラ伯爵=クリストファー・リー」主演物では、3作目である(1968年製作)。
前作「凶人ドラキュラ」(65)に続くドラキュラ復活物の第二弾作。監督はテレンス・フィッシャーの予定であったが、
自動車事故で降板、代わりにフレディ・フランシスが担当している。
この交代劇は「フランケンシュタイン」シリーズ第三弾「フランケンシュタインの怒り」(63)の時と同じである。
然も、今回は「ドラキュラ」(リー出演)物の第三弾である。因果応報なのか。
因みに「フランケンシュタイン」「ドラキュラ」物を共に監督したのはフィッシャーとフランシスの二人だけである。
脚本はジョン・エルダー、撮影はアーサー・グラント、美術はバーナード・ロビンソン、音楽はジェームズ・バーナード等、
お馴染みのスタッフに加え、特殊効果は「007」シリーズの3人フランク・ジョージ、バート・ラクスフォード、
ジェイムズ・スノウ等が参入、視覚効果に「2001年宇宙の旅」の特殊効果を担当したボブ・カフ、
特殊メイクは後に「血のエクソシズム/ドラキュラの復活」(70)も手掛けたヘザー・ナースが担当している。
鐘楼から垂れているロープに鮮血が滴り、鐘の中から首筋を噛まれた女の死体が、
逆さ吊りで飛び出すというショッキングな冒頭シーンで幕開け。
前作で流水に葬られた伯爵(リー)が復活を遂げるシーンは、大司教アーンスト・マラー(ルパート・デイヴィス)が、
城を清めようと、自堕落な神父(イワン・フーパー)を引き連れ、ドラキュラ城に出向いた時、
臆病風に吹かれた神父が転落事故に遭い気絶する。
転げ落ちた場所の氷が割れ、凍結状態だったドラキュラ伯爵の口の中に神父の傷口から流れた血が...という物。
<ご都合主義的な流れであるが、復活の兆しとして血を感じた伯爵が口をピクピク痙攣させる描写が面白い。>
本作では、森の中の小高い丘から険しい岩山の上に聳え立つドラキュラ城に設定変更された様である。
十字架を背負ったマラー大司教が、ドラキュラ城に向かって霧が立ち込める妖しく不気味な山谷部を背景に、
歩を進めるシーンは、日の光が反射する十字架の輝きと相まって、大変幻想的で壮麗な景観だ。
<ハマー作品のダイジェスト集”WORLD OF HAMMER”の最初に出て来る映像が、
本作のこのシーンの一部の光景である。>
ドラキュラが滅びて1年が経過しても迷える村人や荒んだ教会は変わらず。
自堕落で酒に溺れた神父を演じたフーパーは、蘇った伯爵の手下となり、大暗躍ぶりを見せてくれる。
馬車で女を脅かす暴走行為、ドラキュラの手下となった女を目で指示をするシーン、
そしてコロコロ立場が変わるクライマックス迄、奇妙な芸達者ぶりを発揮する。
村の活気を取り戻す為、勇敢な行動を起こし、又、亡き弟の妻アン(マリオン・マシー)と、
その娘マリア(ヴェロニカ・カールソン)の面倒見が良く寛容性あり、
人格者でもある大司教マラーを好演したデイヴィスも印象的だ。
大きな十字架を背負う姿のカッコ良さ、悲壮感漂うクライマックス・シーンは涙ものである。
大司教の姪マリアを演じたヴェロニカ・カールソンは、ハマーが後期に推奨する、
楚々とした美貌の顔とグラマーな肉体美を持つハマー歴代屈指のヒロインである。
彼女が恋人ポール(バリー・アンドリュース)に自室を抜け出し、
お忍びで屋根伝いに会いに行くお転婆ぶりが魅力的であり、
マット画を背景に描く情景の美しさはティム・バートン監督の作風にも影響を与えている。
恋人ポールを演ずるアンドリュースは野性的で無神論者で努力家。
パン屋と酒場を営むマスター(マイケル・リッパー)の仕事を住み込みで手伝いながら、
勉学に励む異色のヒーロー像を好演。マラー司教が彼の性格を理解し、伯爵との闘い、
引き継ぎを託す所は宗教を越えた人間関係の信頼感を思わせる演出である。
ポールへの密かな片思いから、ドラキュラの手下となっても、
振られて始末されてしまう報われない酒場の女ジーナ役バーバラ・イウィング。
そして剽軽なマスター・マックス役マイケル・リッパーの好演など、
個性的な脇役陣の人間模様を濃厚に織り込ませた物語も見応えがある。
勿論、前作で一言も台詞を発しなかったドラキュラ伯爵(リー)が、
超自然的なキャラを、不死性の怪物ぶりを披露している。
祈りが無い木の杭を突刺された伯爵が苦悶しながら杭を引っこ抜き、復活する血みどろ光景の凄惨さや、
十字架に怯み、窓硝子を突き破って飛び降りる衝撃シーン、マリアの寝室に現れ、吸血する情景は、
シリーズ随一の美しき官能的な演出効果だと思われる。
因みに祈祷で清めた杭でなければ、効果が無いという設定は、
元々ブラム・ストーカーの原作を忠実に踏襲した流れであり、
十字架の力を信じなければ効果を発揮しない事と同じ要素と言える。
但し、鏡に映らない吸血鬼の姿が、流水に反映する光景はある意味斬新だった。
撮影監督フランシスの演出だけに些細なシーンの映像にも拘りが見られる。
手下の神父に墓から棺桶を掘り起こさせる光景(女の亡骸を無造作に破棄する)では、
馬車の反対側から窓を通して伯爵が指示を出し、積み込ませる迄の一部始終のシークエンス、
塒に選んだ酒場の地下で佇む伯爵の妖美な表情を醸し出す色感溢れるショット、
マリアの部屋で窓を塞いだ板張りの隙間から見える美しい夕暮れ時の情景など、
彼方此方に繊細なカメラワークと照明技術の妙技が冴える。
前作と異なる因果応報な伯爵の最期を描いたラストは驚愕・圧巻で、刺激的な幕切れと言えよう。
ヘルシング教授(カッシング)こそ、出演せぬものの、前作の物足りなさを補い、
新趣向を展開させたフランシス監督の作風は評価せずにいられない。
<「フランケンシュタイン」シリーズ第三弾と同様に痛快な傑作である。>