リトル・ブッダ 【HDマスター】 [Blu-ray]
フォーマット | 色, ワイドスクリーン, 字幕付き |
コントリビュータ | アレックス・ウィーゼンダンガー, ベルナルド・ベルトルッチ, キアヌ・リーヴス, ブリジッド・フォンダ, クリス・アイザック |
言語 | 英語 |
稼働時間 | 2 時間 20 分 |
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商品の説明
ベルナルド・ベルトルッチ監督作品、初のブルーレイ化!
撮影監督ヴィットリオ・ストラーロ監修によるHDマスター版
アカデミー賞10部門に輝く『ラスト・エンペラー』のスタッフが再集結
溢れる色彩と光、豪華絢爛の一大叙事詩
HDマスターによって格段に向上した映像と音楽が、新たな感動を呼び起こす
『ラスト・エンペラー』『シェルタリング・スカイ』に続く"オリエント三部作"完結編!
『ラスト・エンペラー』で世界を熱狂させたベルナルド・ベルトルッチ監督がスタッフを再集結させ、
キアヌ・リーブス、ブリジッド・フォンダ、クリス・アイザックら豪華キャストを配し描くエピック・ロマン。
当時初のネパール、インド、ブータンで一大ロケーションを敢行した。
名キャメラマン、ヴィットリオ・ストラーロが描き出す圧倒的な映像美、坂本龍一の魂を揺さぶるスコア、
そしてベルトルッチならではの溢れんばかりの色彩と光によって、2500年の時空を超えた物語が展開していく。
今回初のHDリマスター化により、ベルトルッチ監督が目指した色彩が再現された。
アメリカのシアトルに住む9歳の少年ジェシーは父親と母親と暮らす典型的な現代っ子。
ある日、一家の前にラマ・ノルブほか4人のラマ僧が訪れた。ノルブは、ジェシーがブッダの魂を受け継いでいた
高僧ラマ・ドルジェの生まれ変わりであると告げる。
動揺する両親だったが、ジェシーはそのことを静かに受け入れ、仏教に興味を示していく。
その夜ジェシーはラマ・ノルブから受け取った本を開いた。それは、古代インドに”世界を救う者”として生まれたシッダールタ王子の物語。
王子はこの世の心理を求め、苦しみの果てに悟りを開きブッダとなるのだった。
ジェシーはノルブらの僧侶たちと親しくなっていく。そのことに危機感を覚える両親であったが、
突然訪れた友人の死をきっかけに、ジェシーをブータンに連れていくことを決意するのだった・・・。
登録情報
- アスペクト比 : 1.78:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 言語 : 英語
- 製品サイズ : 25 x 2.2 x 18 cm; 83.16 g
- EAN : 4933672238364
- 監督 : ベルナルド・ベルトルッチ
- メディア形式 : 色, ワイドスクリーン, 字幕付き
- 時間 : 2 時間 20 分
- 発売日 : 2011/1/28
- 出演 : キアヌ・リーヴス, ブリジッド・フォンダ, クリス・アイザック, アレックス・ウィーゼンダンガー
- 字幕: : 日本語
- 販売元 : IVC,Ltd.(VC)(D)
- ASIN : B004BLKGRG
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 111,958位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 8,654位ブルーレイ 外国映画
- - 10,664位外国のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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映像も美しく、若きキアヌ・リーヴスも美しい。
DVDを探しても中古品しか出回っていない時期があったので、新品を見つけて即購入。
買って良かったです。
この映画は、単に輪廻転生を描いたのではなく、お釈迦様の生い立ちと出家の理由、悟りとは何かを説き、死とは何かを哲学的に描いています。
誰にも訪れる「死」という問題に深くかかわった映画です。お葬式のあった家の方に観てもらったり、一緒に観たりして、「死ぬことは終わりではなく、新しく生まれ変わっていくことだ」と教えています。
この映画は、単に輪廻転生を描いたのではなく、お釈迦様の生い立ちと出家の理由、悟りとは何かを説き、死とは何かを哲学的に描いています。
誰にも訪れる「死」という問題に深くかかわった映画です。お葬式のあった家の方に観てもらったり、一緒に観たりして、「死ぬことは終わりではなく、新しく生まれ変わっていくことだ」と教えています。
ただブッダは輪廻転生 (生まれ変わり) を否定している。
また生まれ変わって人間をやるなんて「苦」だと。
「わたしは2度と生まれ変わらない。だからわたしは幸せ」と言っている。
解脱、涅槃は、輪廻を断ち切り2度と生まれ変わらないことを言う。
煩悩、執着を断ち切れなかった人間はまた生まれ変わるが、人間に生まれ変わるとは限らない。
六道輪廻の考えが古代インドからあり、人間に生まれ変わるのは85万年に1回という話もある。
そして人間に生まれたときしか輪廻を断ち切ることはできないのだと。
六道輪廻の絵ではブッダが輪廻の輪の外に描かれることがある。
つまりブッダはすでにどこにもいないということだ。
チベット仏教ではブッダが何度でも生まれ変わることになっているらしい。
すくなくともこの映画では。
あと 北王子欣也の空海も癒やされる映画ですよ。
だが、その後はさしたる展開もなく、終盤はひどくつまらなくて何度も眠った。
ブータンからアメリカに渡る坊さんは「ラストエンペラー」にも出演していた中国人で、なかなかいい味を出していた。
で、その坊さんは、自分の師匠の生まれ変わりではないかとされた金髪の子どもに仏教を教えるのだが、ブッダについての説明は回想シーンのようなつくりになっていて、キアヌ・リーブスがブッダを演じている。
が、ブッダのシーンは悟りをひらくところまで。旅をしながら教えを説いて歩いて数千人の弟子を従える大スターとなるところまでは描いていない。そこを描いていたらもっと面白かったろう。
尚、ブッダがスーパースターになったのは、説法によるものとなっている。すでに何千人も弟子をかかえていた教団の幹部のような者がブッダの説法でブッダの弟子となり、ブッダはその者の弟子たちをそっくり自分の組織に吸収したそうだ。吸収したと言うと聞こえがいいが、組織を乗っ取ったとも言える。また、マガタ国(北西インドの大国)の王がブッダの説法を聞いて弟子入りして、スポンサーのようになったらしい。
が、説法というのは講義や演説のようなものでしかない。数千人もの弟子をかかえる者が講義や演説を聞いただけで浪人のようなブッダを師匠と仰いだとは考えにくい。弟子になるということは敗北を認めることであり、自分がもっていた組織を譲り渡すことにもなる。高い地位にある者ほど敗北を認めるのは難しい。
また、マガタ国というのは、ブッダの祖国のシャーキヤとは敵対関係にあったと思われる。シャーキヤ国はコーサラ国の属国であり、コーサラ国は何度かマガタ国と戦争しており、最終的に弱体化してマガタ国に併合されている。マガタ国の王からすると、ブッダは敵国の支配下の小国の王子(もしくはただの市民)であり、そう簡単にその弟子にはならないだろう。
では、どうやってブッダはすでに大きな組織をもっていた思想家やマガタ国の王を弟子にしたのだろう?
ブッダの最初の頃の直弟子のひとりにマカ・クララという人物がいる。で、これは問答第一の弟子と称されるそう。ブッダは弟子を集めはじめた当初において、問答の能力を重要視していたのではないかと思う。ほぼ、ブッダと同時代のギリシャでもプラトンやソクラテスがスターになっていたが、それらが弟子を教育する際にはもっぱら問答をしたようだ。プラトンが設立したアカデメイアという学園は現代の大学の元祖である(アカデメイアはアカデミーの語源)が、それは問答の道場のようなものだったらしい。
おそらくブッダは著名な者たちと問答で勝負をし、次々と相手を負かして有名になったのではないかとわたしは思う。
昔にテレビのドキュメンタリーで観たのだが、インドかチベットあたりのどこかの古い寺院では今でも問答が行われていた。大きな広場にたくさんの坊さんが集まっていて、それぞれが適当に相手をみつけては問答を仕掛ける。なにやらムニャムニャ叫んで手をパチンと打って相手を指差すと、相手はまたなにやらムニャムニャ叫んで言い返し、パチンと手を打って指を指し返す。道場で組み手をしているような雰囲気だった。
で、おそらく大物同士の対決は大会場に多数の観客を集めて行われ、ボクシングやプロレスのタイトルマッチのような雰囲気であったろうと想像する。
で、若い頃のブッダはそういうタイトルマッチをやってまわって大物を何人も打ち負かして名をあげ、それによって多数の信者を獲得し、信者の数が増えたことでさらに絶大な人気を誇ったのではないかと思う。
マガタ国の王も問答で負けて、ブッダの弟子になるということで体面を保ったのであろう。
が、ブッダはスーパースターになってからは負けるリスクを避けて問答はやめ、もっぱら説法をしたのではないかと思う。当時のインドにはブッダ以外にもスーパースターがいて古来からのバラモン教もあればジャイナ教などもあった。が、ブッダはそれらに挑戦するようなことはしなかったようだ。もっぱら説法をして獲得した弟子を保持することに務めたのではないかと想像する。
ちなみに、ブッダという人が本当はどんな人だったのかはよくわかっていない。生没年がはっきりせず(紀元前1千年代という説から紀元前4百年代という説もある)、生まれた国の位置も確定していない。インドとネパールの国境付近にあったシャーキヤという国の王子だったことになっているが、そこは怪しいと思う。
本名はゴータマ・シッダールタとなっているが、ゴータマという姓はバラモン(ブラフマン)階級の者の姓であり、クシャトリア階級(王族・武人)の者の姓ではないらしい。王子ならばクシャトリア階級のはずなのだ。
シャカという呼称は出身国のシャーキヤという国名がなまったものだが、本名ではなくて出身国の地名で呼ばれたというのは王族らしくない。出身地が名前のようになるのは身分の低い者を思わせる。ちなみに、キリストも出身地のナザレが苗字のようになっているが、これは大工の息子だったからだろう。
尚、ブッダという単語は「目覚めた人」という意味だそうで、これはすぐれた修行者や聖者に対する呼称であり、仏教ではこれがシャカの尊称となった。
シッダールタという名も「目的を達成した人」という意味の単語だそうで、ウィキによれば、生まれたときにつけられた名前ではないのではないかと言われている。
つまり、要するに、生没年も、生まれた場所も、本名もはっきりしていないのである。
母親の右脇から生まれ出て7歩あゆみ、右手を上に、左手を下に向けて、「天上天下唯我独尊」と言った・・・ということになっているが、もうこれは神話伝説のようなものであり、事実ではないだろう。股から生まれず脇から生まれたというあたりは、マリアが処女のままキリストを生んだという話に似ている。
断食をしていてヘロヘロになったブッダが、こんなことをしてもダメだと思い、村娘からもらった乳粥をすすって元気になり、どっかの木の下で悟りをひらいたという話もおそらくフィクションだろう。
王子ならば読み書きができたはずなのだが、ブッダが書いたものは何ひとつ残っていない。ブッダが生きていた時代に門弟たちが残した記録もない。原本はもちろん、その写しもない。はじめからなかったのか、あったのに散逸したのか・・・わたしは、後世の信者たちが組織防衛のために意図的に隠滅したのだと思う。
仏教の最初の文書が作成されたのはブッダの死後である。
仏教の経・論・律(三蔵)をまとめるために弟子が集まって編集会議を開くことを「結集」というそうだが、仏滅後しばらくして最初の結集が開かれたらしい。その座長となったマハーカーシヤパはブッダの直弟子だったようだが、ブッダが中年になってからの弟子らしい。で、これはブッダの弟子になるまえから独自に修行を行っていて若いときから天才と言われていたようで、結婚しても奥さんとセックスせずに修行をつづけ(奥さんも結婚前から出家を考えていたそう)、出家に反対していた親が死ぬと夫婦2人で出家したそう。ブッダの弟子になったのは中年になってからで、おそらく、今の仏教の基礎をつくったのは、このマハーカーシヤパであろう。厳しい戒律もこの弟子がつくったものと思われる。
で、マハーカーシヤパが最初の結集を催したときには、ブッダが自分で書いた文書やブッダの法話をその場で門弟が速記した記録文書などが存在したのではないかと思う。が、それらの内容はすでに時代遅れになっていたりして、新しい信者を獲得するためには公表したくなかったのではないかと思う。また、そこに集まった500人の門弟たちが世間に言い放っていた話とくいちがう部分があり、組織の分裂を防ぐためには邪魔なものになっていたかもしれない。だからこそ編集会議が催され、ブッダの教えを編集する必要があったのではないかと思われる。
尚、ブッダの弟子にはデーヴァダッタという者があった。
で、これは、「五事の戒律」なるものをブッダに提案したようだがブッダに受け容れられず、分派して新しい教団をつくったそうだ。で、その五事の戒律は以下のようなものであるそうだ。
1. 人里離れた森林に住すべきであり、村邑に入れば罪となす。
2. 乞食(托鉢)の際に、家人から招待されて家に入れば罪となす。
3. ボロボロの糞掃衣(ふんぞうえ)を着るべきであり、俗人の着物を着れば罪となす。
4. 樹下に座して瞑想すべきであり、屋内に入れば罪となす。
5. 魚肉、乳酪、塩を食さず。もし食したら罪となす。
ブッダはもっぱら街で暮らしていて、人里はなれた辺鄙なところで瞑想したりはしてなかったということである。
で、いつもオシャレで小ぎれいな着物をまとっていて、フアンから招待されれば家にあがって接待を受けていたのだろう。
で、精進料理なんてものはクチにせず、魚も肉も塩をふってガンガン食べていた。
デーヴァダッタはそれらをやめてくださいと言ったので破門されたのかも(笑)。
ちなみに、ブッダが悟りをひらく直前に村娘から乳粥をもらったことが有名なエピソードとして伝えられているが、その村娘の名前はスジャータという。乳粥を提供しただけで名前まで残るというのは不思議である。おそらくブッダはその娘と内縁関係になっていて、弟子たちにも大きな顔をしていたのだろう。が、セックスすることを不真面目と考えるマハーカーシヤパは、そのあたりの話をバッサリ切り捨てようとしたのだろう。ただ、その最初の結集のときにはまだスジャータが生きており、名前だけは残さねばならなかったのではないかと思う。
ブッダが生きていた時代ははっきりしないのだが、当時のインドは高度成長期にあったそうで、商業で儲けて成り上がる者がたくさんいたらしい。で、新しい思想を売りにして多数の門弟を集める組織が乱立したようで、仏教もそのうちのひとつだった。仏教の他にはウパニシャッド哲学やジャイナ教やアージーヴィカ教などがあり、古来からのバラモン教もあった。仏教ではそれらの仏教以外の思想を「外道」と呼ぶ。
外道という言葉に当時から侮蔑の意味が含まれていたのかどうかわからないが、信者たちは当然自分たちのライバルのことをよく思っていなかったであろう。で、自分たちの勢力を維持・拡大するためにはライバルの宗派を蹴落とさねばならず、そのためには教祖のブッダを美化して、ありとあらゆる装飾をほどこす必要があったろう。
で、その時代の弟子たちはすでに問答ではなくて説法によるパフォーマンスを主としており、ブッダが問答の達人だったことは忘れさられていたのではないかと思う。
今、ネパール地震により、撮影された多くの建造物が壊れてしまったことが残念でなりません。
美しい映像と、セリフは何度観ても感動します。当時さほど評価されなかった映画ですが、自分にとっては大きな影響を与えてくれた作品のひとつです。