かつて「科学忍者隊ガッャマン」「装甲騎兵ボトムズ」で知られる脚本家、「鳥海尽三」は、
弟子達を前にこう賜った、
「男2人で道を歩いているときに、向かいから女の子が一人歩いてくる、それをみた男のうちの一人が「見ろ、あの子カワイコちゃんだなー!」と言ってもう一人が「うん、カワイコちゃんだ!」と言ったらドラマにならない、「なに言ってんだ、あんなの全然カワイコちゃんじゃねえよ!」となって初めてドラマになる。」
つまり、「対立がドラマ生み出す」のだ。
本作「みつどもえ増量中!」には第一期で確立されたキャラクターと声優陣のシンクロぶりが制作スタッフのハイテンションなノリと更にシンクロ、各々の性格、主張、目的をもった反目、対立しあうキャラクターの織り成す「ドラマ」がたっぷりと堪能できる、
(通常、ドラマというと我々はつい、「シリアス」なものが高尚であると思いがちであるが、創作において、感涙、または悲しい、切ない、やりきれない等の感情を見るものに抱かせるのはさして難しい事では無い、それに対して見るものを笑わせ、楽しい気持ちにさせ、喜びを与えることは難しい、それは我々の住む世界がすでに悲しみに満ちた世界であり、「真実を自己の内に求めてこそ芸術」といった高ぶりを、創作者は持ちがちだからである。)
実例をあげると、本商品収録話の中に、バレンタインの後日談として、いわゆる「友チョコ」のお返しとして友人にクッキーを作ってプレゼントしようと計画した少女達が、その友人を遠ざけてしまったため、嫌われたと勘違いしたその友人は「自分が(お金持ちな事を鼻にかけ、)自慢ばかりするから嫌われたのか?嫌なら嫌と言って欲しかった」という旨の発言を少女達にぶつけるというエピソードがある、その際の彼女の破顔ぶりが素晴しく、親友と思っていた少女達に嫌われたとの思い、言いたい事があるなら言って欲しかったという思いが入り混じり、悲しみと、悔しさと悔恨の入り混じった表情で訴えかける彼女の涙でくしゃくしゃになった顔はその愛らしさと、普段の彼女がもつ高飛車な態度とのギャップによる魅力と、友達に嫌われてしまった「子供」の素直な気持ちを同時に表し、それが誤解であることがわかった彼女の喜び、そこにギャグとしてのインパクトのあるオチを(多重に)用意することによって(照れ隠しともとれるが)話をシリアスに傾けたままで終わらない志の高いギャグが堪能出来る。
原作漫画「みつどもえ」から取捨選択、昇華させた本シリーズは、原作にプラスや、原作を下敷きにアレンジ、といった他の原作付きアニメ作品の作劇とは一線を画する、「原作と同等の濃さをもってアニメシリーズとして再構築した」作劇法は(第一期)放映当初は通常の萌系美少女アニメを期待、予想していたアニメファン層には異質に感じられ、評判が芳しくなかったが、回を追うごとに本作独自の魅力に気付いた人々により支持され、わずか(一期、二期あわせて)22本の作品でありながら二度も大きなファンイベントが開催されるに至った、
制作の現場は厳しいようだが作品としてはこれから益々面白く(内外ともに)なる予感を強烈に感じさせる、
この「みつどもえ」アニメシリーズがこれからの日本のスタンダード、サザエさんやドラえもんに続く定番番組となれば、と願う。