以前の作品達より…ノスタルジックで…力強さは控えめで…どこか優しい。
そんな印象を受けた。
本作は寺山監督の遺作である…と、最初からそう構えていた…からだろうか・・・。
(いきなりネタバレありますので未見の方は注意してください)
本作の終末部。村の住人が一人残らず‘となりの街’へ去り、一夜にして高層ビルの立ち並ぶ都会になる。美しく鮮やかだった南国の映像は…煤けたボンヤリと生気のない都会の映像になる。街で暮らす‘現代’の住民達…そしてあるとき、集合写真のため集まる…。全ては‘過去’になってしまった。
…微かに漂う死臭。
…
監督はどんな意図でこのフッテージを作ったのだろう…とても気になる。
すくなくとも私にとって…本作のキーワードは‘過去’と思えた。
寺山監督の名を何時知ったのかはもう憶えていない。初めて観た映画はビデオで『書を捨てよ町へ出よう』だが、そのときでさえ寺山監督が亡くなって数年が経っていた。その後『田園に死す』、そしてDVD時代に入ってから本作と『草迷宮』を観た。とても面白かったが、相当にアナクロな印象だった。 ‘過去’だった。
本作が公開されたのは1984年9月。政治の季節は遥か遠い‘過去’になっていたはずだ。映画だってATGは娯楽中心にシフトしていた時期だしニューシネマはもう‘過去’だ。『インディジョーンズ』が客を集めていた頃である。そんな時代に公開された本作は ‘初めから過去’のアングラ映画といった居場所にいた…、ようにみえる。
舞台は南国の架空の村。映像は、赤やオレンジ・紫・黄を基調としフィルターを多用し美しい。閉鎖的な村社会の近代化を近親婚などを通して描きながら叙事詩的に描いている点で『神々の深き欲望』を連想させる。それ以外にも、見世物小屋(サーカス)、柱時計、異形の人々、などいかにも寺山的なガジェットも豊富だ。
それらは、どれも圧倒的で息苦しい密度感と脱出と破壊へのエネルギーに満ちている(祭りの日に主人公が本家当主に襲い掛かるシーン凄まじいシーン!)。
だが・・・、
それでも本作は上記のように‘以前の作品達より…ノスタルジックで…力強さは控えめで…どこか優しい’のだ。密度感もエネルギーもあるのだがどこか角がとれているのだ。
その要因はおそらく・・・ラストにあるのだろう。ラストの集合写真である。写真とは必ず‘過去’なのだ。
しかし、本作の集合写真はただの‘過去’には納まっていない。シャッターを切った途端に‘現代の住民達’は再び‘過去’の扮装に戻るのだ。‘過去’における姿に。そしてそのまま画面の動きは固まり…エンドロールとなる。…この意味は・・・。それは、『百年たったら、その意味わかる』のだろうか。‘過去’ではなく・・・百年たった‘未来’に到達した時に・・・。(2084年に・・・)
不思議な感触を残すラストだ。
勿論、本作とって‘過去’というキーワードはごく一部に過ぎない。それだけでは説明しきれない奇妙なエネルギーに満ちている。(本作への理解は始まったばかりなのだろう)
そして、寺山修二が今も生きていたら…本作の後どんな変化を見せていったのだろう。そんな感想を持っても仕方ないのだが…感じないではいられない。
ラストカットの少し前…映画館の切符売り場で背中を丸めて立っている寺山修二監督の姿を見ながらそんなことを思ってしまう。
(追記)
・・・ところで、私は本作の下敷きとなった『百年の孤独』を読んでいない。原作者側からの訴えによりタイトル変更などがあったということも含めて…無視できるはずもない。さらに、寺山監督は本作以外にも最後に‘書いた’戯曲としての『百年の孤独』を1981年7月に上演してもいる。(最後の演出は1982年12月の『レミングー壁抜け男』。但しこれは1979年の改訂版)非常に思い入れがあることは間違いない。これら全てに目を通さなければレヴューとして片手落ちだと自覚する必要はありそうだ。それらに触れることによって2084年まで待たずともわかる部分があるのかも…しれない・・・