ゴーギャン タヒチ、楽園への旅 [DVD]
フォーマット | 色, ドルビー, ワイドスクリーン |
コントリビュータ | マリック・ジティ, ヴァンサン・カッセル, ペルニール・ベルゲンドルフ, ツイー・アダムス, プア・タウ・ヒクティニ, エドゥアルド・デルック |
言語 | フランス語 |
稼働時間 | 1 時間 42 分 |
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商品の説明
名画誕生の裏側に隠された、哀しい愛の物語―。
ゴッホ、セザンヌらと並び、19世紀"後期印象派"の天才と称される画家・ゴーギャン。野生を切望し続けた彼が、タヒチの大自然の中で、"原始のイヴ"をモデルに生み出した名画誕生の瞬間が、いま明かされる。
・2018年、ポール・ゴーギャン生誕170周年の記念の年。
・ヴァンサン・カッセル主演最新作。
・『イア・オラナ・マリア(マリア礼賛)』、『マナオ・トゥパパウ(死霊は見守る、死霊が見ている)』などの世界的に有名な絵画の制作風景が本編で描かれる。
ストーリー
1891年パリ。画家として名をなしながらも、作品が売れず行き場を失っていたゴーギャンは、都会生活の窮状から脱出するために、絵画制作の場をフランス領タヒチに求め、妻と5人の子どもたちを残して一人旅立つ。病に襲われながらも、画材一式を携え島の奥地の森へと分け入っていくと、そこで運命の出会いを果たす。それはまさに彼が求めた"野生の美"の輝きを放つ少女・テフラとの出会いだった。彼の絵はテフラという新たなインスピレーションを得、後年傑作の評価を得ることとなる作品を次々に生み出していくのだが――。相変わらず続く貧しい生活に、若いテフラの心は次第に変わり始め、この楽園の地においても、苦悩の日々がゴーギャンに再び忍び寄っていく。
キャスト
■ポール・ゴーギャン:ヴァンサン・カッセル
■テフラ:ツイー・アダムス
■アンリ・ヴァラン:マリック・ジティ
■ヨテファ:プア・タウ・ヒクティニ
■メット・ゴーギャン:ペルニール・ベルゲンドルフ
スタッフ
■監督:エドゥアルド・デルック
■製作:ブリュノ・レヴィ
■脚本:エドゥアルド・デルック、エチエンヌ・コマール、トマ・リルティ、サラ・カミンスキー
■撮影:ピエール・コットロー
■編集:ゲリック・カタラ
■音楽:ウォーレン・エリス
■美術:エマニュエル・キュイユリ
■映像特典
予告編+メイキング映像(約12分)
登録情報
- アスペクト比 : 2.35:1
- 言語 : フランス語
- 製品サイズ : 25 x 2.2 x 18 cm; 20 g
- EAN : 4907953071384
- 監督 : エドゥアルド・デルック
- メディア形式 : 色, ドルビー, ワイドスクリーン
- 時間 : 1 時間 42 分
- 発売日 : 2018/8/2
- 出演 : ヴァンサン・カッセル, ツイー・アダムス, マリック・ジティ, プア・タウ・ヒクティニ, ペルニール・ベルゲンドルフ
- 字幕: : 日本語
- 言語 : フランス語 (Dolby Digital 5.1), 日本語 (Dolby Digital 2.0 Stereo)
- 販売元 : Happinet
- ASIN : B07C7J826R
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 111,492位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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本作で印象的なのは、ゴーギャンの絵に対する情熱で、金銭や安住した生活を顧みないあたりは、一見正反対のようなゴッホと共通する。本作のタヒチの自然は絵のように美しく(他のレビューアーの方によると、現地に行くともっと美しいらしが)、それ以上に美しいのは現地でゴーギャンの妻となるテフラで、「原始のイブ」という表現が誇張でないナチュラルな美しさ。彼女を題材にゴーギャンは絵を描いているのだが(映画のエンディングで実際の絵も紹介される)、演じたチュアイ・アダムズは、ゴーギャンの絵以上に美しい。本作の中で、ゴーギャンがテフラにポーズをさせて「絵画のようだ」というセリフがあるが、本作を見て、ゴーギャンの絵をあらためて見直したい気持ちが強くなるほどの魅力。ちなみにテフラの写真は現存しないが、ゴーギャンの二度目のタヒチ滞在の時の14歳の妻パウラはその現存写真をみると、本作の女優チュアイ・アダムズにそっくりである。ゴーギャンの惹かれた人物・土地に興味を持つことで、絵画鑑賞の視点が深まる作品と言える。
ゴーギャンを演じたヴァンサン・カッセルは好演で、部屋に北斎の絵がさりげなく掲げられているなどよく描けている。ゴーギャンの妻子も登場するが、妻メットはゴーギャンの作品のモデルにもなっているので、作品のファンには嬉しい(ちなみに2019-20年に開催された「コート―ルド美術館展」ではゴーギャン作のメットの頭部の彫刻が展示)。
問題はカッセル老け過ぎのメーク。ゴーギャンはこの作品では40代前半のはずで、カッセルは撮影時50歳であるから、むしろ若作りが適当なのに、本作の60-70代くらいのゴーギャンは老人にしか見えない。テフラが老人ゴーギャンに惹かれるシーンは説得力ゼロである。そもそもゴーギャンは54歳で死亡しているので、そもそも老人のゴーギャンというのはあり得ない。
他の難点は、本作の老人ゴーギャンとテフラのベッドシーン。現代の尺度では、ゴーギャンが13歳のテフラと関係を持つのは犯罪であり、(歴史的には事実であるにしても)、映画のベッドシーンは青白い裸体の老人カッセルが少女と絡んでいるのは醜悪で、ストーリー上も不要なので、本作に入れるべきではなかった。
ゴーギャンのこの絵画作品は彼の集大成ではないでしょうか?それに触れていないとは・・・ 我々は何処からきたのか 我々は何者なのだ そして何処に行こうとしているのか? この絵画についてこの映画はひたすら避けたようでラストの作品オマージュにも出てこない。
翻って当時の絵画家はどれもこれも貧乏で、例外は長命だったクロード・モネや貴族出身の階級の異端者アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレックくらいなもの、モジリアになどは髄膜炎で1枚のクロッキー画も売れずにパリの石畳に死んでいる ゴッホはジギタリスでせん妄・脳をやられているし。
ゴーギャンの作品もそうだけれどそれらの作品の蜜と名声を吸い取ったのは悪辣な画商などで 芸術家本人たちは
全く恩恵によくしていない、 なんという人生の不公平。
キリスト世界に対するアンチテーゼとこの不公平感が彼のD'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?という作品に現れたのではないでしょうか? 私の長兄は東京美術クラブの画商でよく言ってた ’’画家はね長生きしなくちゃならないんだよ、でないと苦労だけに終わってしまう’’
この言葉通りこの映画のラストの仏語字幕でも 1903年5月8日 ’’彼は孤独と赤貧の中で死んだ’’ となっている ここはもうちょっとちゃんと訳して欲しいものだ。 というわけでやや思った描写と違った映画でした、
これならジェラール・フイリップがモジリアにを演じた montparnasse 19の方がいいかな。
淡々と進んでいきます。
ナビ派など、後継も多いゴーギャンですが、
この映画で描かれることは実際あったのかな…なんて思えます。
世俗を捨ててタヒチに向かったはずが、生活を棄てることができず苦しむ様子。
芸術じゃなくて仕事だったり宗教に置き換えてもいいのかも。
世俗はついてまわるよどこまでも…そんな映画でした。
もっと絵を出してくれたら良かったです。
つまりゴーギャンの中では、家族よりも芸術が勝ったのだ。
そんな愚かにも、生粋の芸術家の映画。
...にも拘わらず、芸術に全くフォーカスしていかない。
彼の偉業はこの映画からは全く読み取れない。
ただ、おっさんがタヒチの女性と過ごし、別れる話。絵はおまけ。
画家自身による著書「ノアノア」で読み取れたように、彼がどんなにタヒチの自然や人物に惚れ込んだか、
どんなにフランス国のタヒチ開拓に幻滅したかも、まったく感じさせない映画。
少なくとも私が知っているゴーギャンの人生は、凄まじく感動的だ。
ゴーギャンが描いた風景に感動すら覚える。ただ素面で内容を見るのは、キツイ映画だ。
アート面では物足りなくとも、希有な芸術家を描いたヒューマンドラマとしては、成功していると思う。
この映画で一番心を打ったのは、現地の弟子が、ゴーギャンの作品を真似て作った木彫品を、土産物としてフランス人に売りつけることに対して、怒りを示すところだった。
どれも同じコピー品を量産して金儲けする行為に対して、「私から何を学んだのか!」と。
あくまで「芸術家」としてのプライドをもち、そういう金儲けをするくらいなら、荷担ぎをしてでも生計を立てようとする人間ゴーギャンを描くのが、この映画の最大のテーマであると思われた。
この「楽園への旅」という、映画の内容とかけ離れた邦題は、販促のためだろうが、見事な皮肉になっているのも面白い。
もはや楽園ではなかったタヒチが、具体的にどうだったのかが描かれており、参考になった。
例えば、町には教会の鐘が響き、ミサに参加する妻を、ゴーギャンは教会の外から眺める。せっかく逃避してきたはずの、ヨーロッパから逃れられない。
一方、アートの面で言えば、妻のポーズや仕草をスケッチする程度の、平凡な描写しかないのは残念だった。
むろんタヒチは、ゴーギャンの絵ほどには、強烈な色彩の土地ではないだろう。しかし、「今では私は、いとも簡単にカンヴァスに赤や青を塗れるようになった」(「ノアノア」)という、“インスピレーションとしてのタヒチ”に関しては、この映画は何の解釈も示さない。
色彩の音楽性や、主題の文学性には踏み込まず、「単なるオセアニアの裸婦」を描く姿しか描写されない。
よって、全体としては星4つの評価しかできない。
気になった点として、この映画は第1期タヒチ時代(1891~93年)を扱っているはずだが、45歳にも満たないゴーギャンが、あまりに老いて衰弱していることが挙げられる。血を吐くほど健康を害していたことは事実だが、演出の都合上、第2期タヒチ~マルキーズ諸島時代(1895~1903年)と、意図的に混同して描写していると思われる。
また、ゴーギャンが現地語に堪能であるかのように描かれているが、事実なのか疑問で、演出上の都合にすぎないだろう。