1959年3月11日公開の若尾文子主演映画、大映、モノクロ。初DVD化とのこと。若尾文子25歳。
監督は枝川弘。若尾文子作品としては増村保造監督の『最高殊勲夫人』(2月公開)の次の映画。映画の中で、下宿のそばの看板に『最高殊勲夫人』のポスターが貼られている。
この映画は浜田ゆう子のデビュー映画。また、田宮二郎という芸名が初めてクレジットに載った映画(それまでは本名の柴田吾郎)。
原作は芝木好子の同名の小説で『新婦人』(若い女性向けの洋裁・ファッション・流行・文化雑誌)に1958年6月号から1959年8月号まで連載され、1959年11月に光文社から出版(231頁の長編単行本)された。つまり、雑誌連載中の映画化である。
映画の内容は、父を戦争で母を空襲で亡くし、奨学金で英文科に通う貧乏処女女子学生若尾文子が、アルバイトでブルジョア娘の家庭教師となり、ブルジョアの世界に足を踏み入れる。この一家の長女浜田ゆう子は設計技師田宮二郎に別荘の設計を依頼しているが、田宮もまたブルジョアの御曹司。激情型でやや単細胞の田宮は若尾に夢中になり、若尾もまんざらでもない。伊豆の別荘完成のブルジョアパーティで初めて酒を飲んだ若尾は、帰り道、田宮の強引熱烈な求愛を受け入れてしまい、ホテル(別荘?)で田宮に奪われる。その後、田宮は猛烈な速度で二人の結婚の準備を進めるが、若尾には、赤線上がりで酌婦をしているたった一人の姉角梨枝子がいて・・。ここまで(前半)はおおむね原作通り。
私的感想
〇若尾文子が美しい。貧乏勤勉女子大生も、一夜限りのパーティドレスもよく似合っている。
〇題名の意味がわかりにくい。映画の予告編では、大きく「貧乏女子大生が訪れる美しき薔薇の花園」と出てくるが、原作では、薔薇の木とは貧乏女子大生自身を指している。
〇この映画には三つのテーマがある。
一、女性はたとえ好きな男であっても、結婚前に肉体の関係を持つことは許されるか、また、そうなった場合相手と結婚するのが当然か。
二、貧乏な階級の娘がブルジョア息子と結婚して、幸せになれるか。
三、ふしだらな娼婦同然の姉が妹の結婚の障害になりそうな場合、妹は姉をどうすべきか。姉はどうすべきか。
原作と映画の違いは、原作では一が重要で、二、三はそれに関連する要素にすぎないのだが、映画では二、三が重要となっていることである。
つまり、小説では、精神的な交流が大事で、肉体の問題はその結びつきが深まってから自然にと考えていた女性が、交際相手からかなり強引に肉体関係を持たれてしまい、その行為自体のおぞましさ、征服されたという屈辱感、また娼婦の姉と同じことをしてしまったという嫌悪感、同情されることへの反発から、相手から結婚の申し込みががあっても、受けられないという女性心理の掘り下げがメインテーマになっていた。
しかし、映画の後半では一はほどほどにして、わかりやすく映像化しやすい、二、三のテーマを前面に押し出し、原作にない派手な展開をいくつか取り入れて、面白く、情念燃え上がる映画を作り上げている。(結末も原作とちょっと違う)
二はブルジョア階級と貧乏階級の格差、貧乏階級の誇りの問題となり、戦前戦後の日本映画の手慣れたテーマである。
三は社会的に蔑視される仕事をしている女性は、上流階級へ上昇していく娘の幸せのために、娘から離れて行くべきかという戦後母物映画のテーマである。
〇この結果、本映画は、三つの側面を持つ。
一、若尾文子貧乏女子大生がブルジョア体験、性初体験を経て、自らの生きる道を発見するドラマ。
二、ブルジョア御曹司田宮二郎の失恋ドラマ。
三、娼婦角梨枝子演じる母物映画。
私的結論
〇今日的でも十分見るに値する、また、見て楽しめる若尾文子映画である。泣ける所もある。
〇戦後東宝(『山のかなたに』等)→松竹映画のはつらつたるヒロイン角梨枝子は大映入社後は脇役に回り、本映画(まだ30歳)ではクレジット序列NO.7まで落ちている。しかし、感情豊かで、存在感の高い名演技と思う。