有名な役者さんが多く出演されていましたので、楽しみでした。みなさん若い時の様子が観られて
良かったです。
くちづけ<東宝DVD名作セレクション>
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商品の説明
内容紹介
【初 DVD 化】明るい青春、楽しい恋、12大スタアが花と競う愛の傑作
筧正典監督「くちづけ」、鈴木英夫監督「霧の中の少女」、成瀬巳喜男監督「女同士」の3話で構成されたオムニバス作品。「青い山脈」「陽の当たる坂道」など多くの作品が映画化され、百万人の作家と称された石坂洋次郎の原作を、高峰秀子、青山京子、司葉子、杉葉子、中原ひとみ、中村メイコ、小林桂樹、小泉博、太刀川洋一、伊豆肇、笠智衆、上原謙ら豪華キャストで描く。
本編 115 分/モノクロ
音声1日本語モノラル(オリジナル)/スタンダードサイズ/片面2層
映像特典:ギャラリー
原作:石坂洋次郎 監督:筧正典/鈴木英夫/成瀬巳喜男/脚本:松山善三/音楽:斎藤一郎
出演:青山京子/太刀川洋一/司葉子/中原ひとみ/高峰秀子
(C)1955 TOHO CO.,LTD.
内容(「キネマ旬報社」データベースより)
石坂洋次郎の原作を映画化したオムニバス作品。筧正典監督作『くちづけ』、鈴木英夫監督作『霧の中の少女』、成瀬巳喜男監督作『女同士』の全3話で構成。高峰秀子ら豪華キャストが共演。“東宝DVD名作セレクション”。
内容(「Oricon」データベースより)
筧正典監督「くちづけ」、鈴木英夫監督「霧の中の少女」、成瀬巳喜男監督「女同士」の3話で構成されたオムニバス作品。
登録情報
- アスペクト比 : 1.33:1
- 言語 : 日本語
- 製品サイズ : 25 x 2.2 x 18 cm; 91 g
- EAN : 4988104130082
- 監督 : 筧正典, 鈴木英夫, 成瀬巳喜男
- メディア形式 : モノ
- 時間 : 1 時間 55 分
- 発売日 : 2022/5/18
- 出演 : 青山京, 太刀川洋一, 司葉子, 中原ひとみ, 高峰秀子
- 販売元 : 東宝
- ASIN : B09T3QGKLB
- 原産国 : 日本
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 19,890位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 1,053位日本のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年7月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
昔の映画はテンポがノンビリで良い。中原ひとみさんが可愛い。クレジットにも名前が出ていないので知らなかったが、八千草薫さんが一番最後にちょっと出る。さすがに美しい。
2022年7月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
『くちづけ』という総題が営利目的にはより敵っていたであろうとは言え、三つの短編に通じる主題を端的に言い表しているのは、第三話の標題である《女同士》の方であろう。第一話「くちづけ」では、義姉の再婚話が持ち上がって、妹に亡兄への真情故に兆す心の揺れが、第二話「霧の中の少女」では、突然現れた姉の実質上の婚約者を中に挟んでの、妹の姉に対する微妙に矛盾し合う「思春期」の情動が、第三話「女同士」では、小さな町の開業医の妻の、夫を秘かに慕う若い住み込みの看護婦への親愛の情と綯い混ざった軽い嫉妬が、それぞれ物語を展開させているのだから。第一話では、義姉と妹との、それぞれの初めての「くちづけ」(映画の中ではすべて「接吻」と言われている)が子供が揚げる凧の浮遊感と重ねられて想起される構成が確かに面白く、第三話では、成瀬作品には珍しい喜劇仕立てが貴重ではある。そうであっても、並外れて特筆すべきは第二話のみなので、以下に別にそれを述べる。
司葉子主演の『その場所に女ありて』(1962) で、銀座附近の広告会社に勤務する若き女性たちのそれぞれが、その疎外された生活の極みで、《存在し得ないもの》を微かに希求する姿を、周到且つ秀逸に描いた鈴木英夫監督による「第二話 霧の中の少女」が圧倒的に素晴らしい — 他の二篇に比して、というよりも寧ろ、それらを超えて遥かに、一見楽しいばかりの物語の中に、見えない真実を秘かに深く封じ込めた、比類のない、真の芸術作品となっている、という点で。
1955年の夏休み、東京の大学に通う姉(司葉子)が帰省している会津磐梯山の麓の町の家に、大学での学友、上村(小泉博)が旅の途中で寄宿しにやって来て、(数え年で)十六歳の妹(中原ひとみ)は「思春期」に特有な言うに言われぬ、故に反感と皮肉という形で現れるしかない、淡い嫉妬を催し動揺する — その、妹妙子の動揺こそが《霧》という言葉に託されている筈である。この監督は俳優への演技指導の異例の厳しさで悪名高かったそうである、その通りなのかどうか、若い姉妹役、と、おばあちゃん役(飯田蝶子)、を中心に、微細にして完璧な演技をおそらく最大限に引き出している。1958年の『鰯雲』(成瀬巳喜男)ででもまだ顕著であった様な司葉子の原点にあった純朴さが遺憾無く慎ましく輝きを放ち、中原ひとみはと言えば、1955年4月『姉妹』(家城巳代治)ででも打ち出していた、姉(野添ひとみ)を睥睨する程の純心な勝ち気さを、ここでも存分に発揮して余りある — 上村のリュックからルイ・アラゴンの(一世を風靡した)『レ・コミュニスト』を取り出して「上村さんって、共産党?」と訝って姉に尋ね、「でも、よく “コミュニスト” の意味がわかったわね」と返されると、「常識よ、これくらいの英語!」と誇る、その遣り取りには笑わせられる。
終盤に至って、「山の温泉」の戸外の、夜半に立ち籠める《霧》— 妹はそのさ中で、自分が眠っている間に自分に断りなく暗い木立の奥深く散策に出掛けた二人を探しながら泣きそうになるにはなるが — 以外の否定的な契機は皆無であり、姉由子と上村との間柄を危ぶむ両親の動揺をも勿論含めて、一見単純に朗らかで明るく快い、1955年という時代の〈文藝〉映画ではあるものの、そうであっても尚、この作品には既に、その七年後に大手広告会社の社員同士の駆け引きの渦中で引き裂かれる若い女性が最後には希求せざるを得ない、《存在し得ないもの》が奥深く、敢えて言えば《常に既に》、隠されている、と言えはしまいか — もし、真夏の晴天の田舎町ののんびりとした情景と、他愛もなく実直な家族とに、単に顕わにされているだけのものが映し出されているに過ぎないのであったなら、異例な迄の誘引力を湛えた、言い換えれば、これ程迄に真に深い感動を呼び起こす、完璧な映像作品とはならなかったのではあるまいか? それが《少女》の、更に敢えて言うなら、姉妹という《少女たち》の、胸中=身体に深く隠されて在る、そのこと自体が《霧の中の少女》という言葉の真の意味ではあるまいか? — 《少女の中の霧》!
附け加えるなら、終結部の手前の、温泉の湯船の映像は、八ヶ月前に公開されていた、かの有名な成瀬巳喜男の『浮雲』での伊香保の湯船のシーンの陰鬱さを恰も笑い飛ばすかの様で、痛快極まりなく、こちらの方こそが本物の日本映画史上屈指の名シーン、とまで言ってしまいたくなる。旅館内の横長ではあるがさほど大きくないひとつの湯船に、男女を分ける薄い衝立が真ん中に渡されて在るばかり、左側のおばあちゃんと姉妹とが楽しげに騒いで、妹が姉の傍へと湯の中を渡ると、右側に一人いる上村の方へ湯の波が漂って来る、その波は上村に何やら思い巡らさせる様であるのに、続いて左側の三人は「会津磐梯山」を、おばあちゃんの大きな口を開けての大声に先導されつつ、合唱し始める — この一連のショットの繋ぎの的確さには舌を巻かざるを得ない。この意味でも、この短篇を日本映画史上屈指の名作と称揚したい。
附記 原作の短編集『霧の中の少女』(新潮文庫版)を参照してみると、第一話「くちづけ」での義理の姉は、原作には存在せず、映画化に際しての完全な脚色であることがわかり、この事実から、やはり、一人の男性を廻る《女同士》、という主題で三話を結ぼうという意図が三つの短編小説をオムニバスにしての映画化の企図に際してあったのであろう、と推測できる。義姉から打ち明けられたその夫との結婚前の初めての「接吻」— と、その時挙がっていた《凧》— のイマージュがひりひりと眼に焼き着けられたからこそ、言わばイマージュの磁力に惹きつけられる様にして、学友との初めての「接吻」を自らに誘う妹 — 《凧》の浮遊感に身を任せつつ — という原作を離れた巧みな設定は見事に成功している、と、原作を参照して初めて確認できる — そうすると、姉の再婚話を知って以後の妹の態度、表情、行動のショットにも、工夫が多くなされていることを発見しやすくなるのだが、残念ながら〈大衆文学〉的な、大仰にして空疎な、台詞を多く残し、しかも、姉の初めての「接吻」の語りをラストにヴォイス・オーヴァーで再現する説明的作法によって、せっかくの《凧》のイマージュの浮遊感が少しではあっても損なわれてしまうので、この第一話を、第二話程には絶賛できないのが残念だ。第二話「霧の中の少女」では、原作での「祖母」がごく控え目な役柄であるのに過ぎない(哄笑もしないし歌いもしない)所を、天真爛漫な「おばあちゃん」に最大限の透徹した大らかさと横溢する諧謔と真実を突く皮肉味とを兼ね備えさせ、物語の楽しい舞台廻しを任せて成功している一方で、原作にある若干の通俗性が少しも取り入れられていない、という点でもやはり、監督の芸術性が徹底して発現させられていることがわかる。第三話では、残念ながら、と言えようか、原作への本質的な改変は見られない。付け加えると、この短編集に収録されている「婦人靴」と「青い芽」も、鈴木英夫監督によって翌年に映画化されている様である — 観ることができないのは残念だ。最後に、映画から離れて少し感懐を述べるなら、この短編集に収録されている、〈大衆文学〉の領域には収まり切らない、敢えて言えば《純》文学性を備えた、佳作と言い得る、「人生」と「冬山の幻想」とを読む機会が与えられたことも、私には第二話「霧の中の少女」がもたらしてくれた恩恵のひとつとなった。
司葉子主演の『その場所に女ありて』(1962) で、銀座附近の広告会社に勤務する若き女性たちのそれぞれが、その疎外された生活の極みで、《存在し得ないもの》を微かに希求する姿を、周到且つ秀逸に描いた鈴木英夫監督による「第二話 霧の中の少女」が圧倒的に素晴らしい — 他の二篇に比して、というよりも寧ろ、それらを超えて遥かに、一見楽しいばかりの物語の中に、見えない真実を秘かに深く封じ込めた、比類のない、真の芸術作品となっている、という点で。
1955年の夏休み、東京の大学に通う姉(司葉子)が帰省している会津磐梯山の麓の町の家に、大学での学友、上村(小泉博)が旅の途中で寄宿しにやって来て、(数え年で)十六歳の妹(中原ひとみ)は「思春期」に特有な言うに言われぬ、故に反感と皮肉という形で現れるしかない、淡い嫉妬を催し動揺する — その、妹妙子の動揺こそが《霧》という言葉に託されている筈である。この監督は俳優への演技指導の異例の厳しさで悪名高かったそうである、その通りなのかどうか、若い姉妹役、と、おばあちゃん役(飯田蝶子)、を中心に、微細にして完璧な演技をおそらく最大限に引き出している。1958年の『鰯雲』(成瀬巳喜男)ででもまだ顕著であった様な司葉子の原点にあった純朴さが遺憾無く慎ましく輝きを放ち、中原ひとみはと言えば、1955年4月『姉妹』(家城巳代治)ででも打ち出していた、姉(野添ひとみ)を睥睨する程の純心な勝ち気さを、ここでも存分に発揮して余りある — 上村のリュックからルイ・アラゴンの(一世を風靡した)『レ・コミュニスト』を取り出して「上村さんって、共産党?」と訝って姉に尋ね、「でも、よく “コミュニスト” の意味がわかったわね」と返されると、「常識よ、これくらいの英語!」と誇る、その遣り取りには笑わせられる。
終盤に至って、「山の温泉」の戸外の、夜半に立ち籠める《霧》— 妹はそのさ中で、自分が眠っている間に自分に断りなく暗い木立の奥深く散策に出掛けた二人を探しながら泣きそうになるにはなるが — 以外の否定的な契機は皆無であり、姉由子と上村との間柄を危ぶむ両親の動揺をも勿論含めて、一見単純に朗らかで明るく快い、1955年という時代の〈文藝〉映画ではあるものの、そうであっても尚、この作品には既に、その七年後に大手広告会社の社員同士の駆け引きの渦中で引き裂かれる若い女性が最後には希求せざるを得ない、《存在し得ないもの》が奥深く、敢えて言えば《常に既に》、隠されている、と言えはしまいか — もし、真夏の晴天の田舎町ののんびりとした情景と、他愛もなく実直な家族とに、単に顕わにされているだけのものが映し出されているに過ぎないのであったなら、異例な迄の誘引力を湛えた、言い換えれば、これ程迄に真に深い感動を呼び起こす、完璧な映像作品とはならなかったのではあるまいか? それが《少女》の、更に敢えて言うなら、姉妹という《少女たち》の、胸中=身体に深く隠されて在る、そのこと自体が《霧の中の少女》という言葉の真の意味ではあるまいか? — 《少女の中の霧》!
附け加えるなら、終結部の手前の、温泉の湯船の映像は、八ヶ月前に公開されていた、かの有名な成瀬巳喜男の『浮雲』での伊香保の湯船のシーンの陰鬱さを恰も笑い飛ばすかの様で、痛快極まりなく、こちらの方こそが本物の日本映画史上屈指の名シーン、とまで言ってしまいたくなる。旅館内の横長ではあるがさほど大きくないひとつの湯船に、男女を分ける薄い衝立が真ん中に渡されて在るばかり、左側のおばあちゃんと姉妹とが楽しげに騒いで、妹が姉の傍へと湯の中を渡ると、右側に一人いる上村の方へ湯の波が漂って来る、その波は上村に何やら思い巡らさせる様であるのに、続いて左側の三人は「会津磐梯山」を、おばあちゃんの大きな口を開けての大声に先導されつつ、合唱し始める — この一連のショットの繋ぎの的確さには舌を巻かざるを得ない。この意味でも、この短篇を日本映画史上屈指の名作と称揚したい。
附記 原作の短編集『霧の中の少女』(新潮文庫版)を参照してみると、第一話「くちづけ」での義理の姉は、原作には存在せず、映画化に際しての完全な脚色であることがわかり、この事実から、やはり、一人の男性を廻る《女同士》、という主題で三話を結ぼうという意図が三つの短編小説をオムニバスにしての映画化の企図に際してあったのであろう、と推測できる。義姉から打ち明けられたその夫との結婚前の初めての「接吻」— と、その時挙がっていた《凧》— のイマージュがひりひりと眼に焼き着けられたからこそ、言わばイマージュの磁力に惹きつけられる様にして、学友との初めての「接吻」を自らに誘う妹 — 《凧》の浮遊感に身を任せつつ — という原作を離れた巧みな設定は見事に成功している、と、原作を参照して初めて確認できる — そうすると、姉の再婚話を知って以後の妹の態度、表情、行動のショットにも、工夫が多くなされていることを発見しやすくなるのだが、残念ながら〈大衆文学〉的な、大仰にして空疎な、台詞を多く残し、しかも、姉の初めての「接吻」の語りをラストにヴォイス・オーヴァーで再現する説明的作法によって、せっかくの《凧》のイマージュの浮遊感が少しではあっても損なわれてしまうので、この第一話を、第二話程には絶賛できないのが残念だ。第二話「霧の中の少女」では、原作での「祖母」がごく控え目な役柄であるのに過ぎない(哄笑もしないし歌いもしない)所を、天真爛漫な「おばあちゃん」に最大限の透徹した大らかさと横溢する諧謔と真実を突く皮肉味とを兼ね備えさせ、物語の楽しい舞台廻しを任せて成功している一方で、原作にある若干の通俗性が少しも取り入れられていない、という点でもやはり、監督の芸術性が徹底して発現させられていることがわかる。第三話では、残念ながら、と言えようか、原作への本質的な改変は見られない。付け加えると、この短編集に収録されている「婦人靴」と「青い芽」も、鈴木英夫監督によって翌年に映画化されている様である — 観ることができないのは残念だ。最後に、映画から離れて少し感懐を述べるなら、この短編集に収録されている、〈大衆文学〉の領域には収まり切らない、敢えて言えば《純》文学性を備えた、佳作と言い得る、「人生」と「冬山の幻想」とを読む機会が与えられたことも、私には第二話「霧の中の少女」がもたらしてくれた恩恵のひとつとなった。
2022年10月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
1955年東宝作品。本作は、昔は時々製作されましたが、現在では殆ど見ることのなくなったオムニバス映画で、3編収録。収録作品は、
1.「くちづけ」筧正典監督、出演は、青山京子、太刀川洋一、杉葉子、笠智衆、十朱久雄、滝花久子他
2. 「霧の中の少女」鈴木英夫監督、出演は、司葉子、小泉博、中原ひとみ、藤原釜足、清川虹子、飯田蝶子他
3. 「女同士」成瀬巳喜男監督、出演は、高峰秀子、上原謙、中村メイ子、小林桂樹、伊豆肇、長岡輝子他
となります。1は青山京子と太刀川洋一(後に寛と改名)の仲の良い大学生同士が、徐々にお互いを性愛の対象として意識するようになり、ラストでくちづけをするまでを爽やかに描きます。2は福島の田舎に夏休みで帰省している大学生の司葉子の家に、同級生の小泉博が旅の途中でお金が無くなって泊りに来ることになって、純朴な農家に様々な波風が立つのを、主に司の妹で高校生の中原ひとみの視点から、これまた爽やかに描かれます。3は個人病院の院長の上原謙の嫁が高峰秀子で、彼女は住み込み看護婦の中村メイ子の日記をあるキッカケで盗み読みしてしまい、そこにはメイ子の上原に対する赤裸々な恋心が記されていることに動揺、嫉妬します。そして上原からメイ子を遠ざけるために、彼女と八百屋の小林桂樹との縁談をまとめるために奔走しますが・・・。
といった感じです。
まずは1は、主演男女はそれぞれ処女と童貞という設定であり、彼等の愛や性に対する憧れを、形而上学的な問題から脱して如何にして現実化するか?これは誰もが通る通過儀礼のはずですが、彼等は多摩川の河原の草地で、太刀川が突然青山にキスすることで、第一関門を突破します。しかし青山は太刀川に反発し抗議するのですが、恐らく彼女の抗議は本気ではなく、後に彼等はもっともっと深い仲になっていくことしょう(笑)。キスを「接吻」と呼称していたころの話で、登場人物たちはこの行為を接吻としか言いません。そして接吻が婚前交渉の一大儀式でもあった、当時の日本人の奥ゆかしい性道徳が微笑ましい。役者さんでは青山京子が実に良い。彼女の男好きのする顔と、やや豊満なボディが、徐々に体内に湧き出て来ている性愛に対する「あこがれ」を図らずも見事に表現しています。それと本編は、青山が義姉の杉葉子の再婚話を「不潔」呼ばわりすることなどから、小津作品「晩春」(1949年松竹)の変奏曲としての位置付けとも考えられます。笠智衆さんも出てますしね。
2は「通過儀礼」を終了していると思われる司葉子と小泉博が(彼等はすでに将来を誓い合っている、という設定)、如何にして小泉を司の両親の藤原釜足と清川虹子、そして妹の中原ひとみたちに認めてもらうかということに四苦八苦するお話。小泉を最初に認めるのは、おばあさん役の飯田蝶子ですが、撮影当時まだ60歳前の飯田さんのあの役作りはさりげなく凄い。釜さんも清川虹子も渋く好演ですが、中原ひとみのお芝居はやや生硬で煩い。そして主演両者もお芝居が地味で、決め手に欠けるかな・・・。タイトルの「霧の中の少女」というのは、ラスト近くで重要な展開が見られる温泉場が、霧深い場所であることからでしょう。
3は中年期にさしかかっている、上原と高峰の仲良し夫婦の良質なコメディ・ドラマ。「院長を愛しています」と綴る、住み込み看護婦中村メイ子の禁断の日記を読んでしまった高峰は、メイ子を追い出すために、出入りの八百屋の小林桂樹と結婚させようと画策し奔走して、何とか成功します。しかし替りに来た看護婦が、メイ子よりもはるかに美人の八千草薫なので、高峰がガックリと肩を落とすラストは実に秀逸。上原、高峰、中村メイ子、小林桂樹の主要の役者さんたちが何れも余裕の好演です。実はコメディのセンスも抜群な成瀬監督の演出も上々です。
それと石坂洋二郎の原作を、巧みにまとめた松山善三の脚本が素晴らしい。前述のように1では未経験の独身の男女を、2は経験済みと思われる独身男女を、そして3ではもはや若いとは言えない夫婦を、それぞれ主人公にして、1-2-3と段階的に話が進み、かつ有機的な繋がりを持つように各物語を設定していると思われますが、実によく考えられています。私の本作に対する評価の5星は松山の卓越した作劇に敬意を表してです。
本DVDは画質は中の上、特典映像に各編のフォト・ギャラリー20枚程度が付属します。現在では殆ど顧みられることのない作品ですが、今回初めて鑑賞して私的には色々な意味で楽しめましたし、青山京子の女優としての魅力を始め、発見も多かった。お値段も手頃で、昔の邦画ファンの方々におススメです。
1.「くちづけ」筧正典監督、出演は、青山京子、太刀川洋一、杉葉子、笠智衆、十朱久雄、滝花久子他
2. 「霧の中の少女」鈴木英夫監督、出演は、司葉子、小泉博、中原ひとみ、藤原釜足、清川虹子、飯田蝶子他
3. 「女同士」成瀬巳喜男監督、出演は、高峰秀子、上原謙、中村メイ子、小林桂樹、伊豆肇、長岡輝子他
となります。1は青山京子と太刀川洋一(後に寛と改名)の仲の良い大学生同士が、徐々にお互いを性愛の対象として意識するようになり、ラストでくちづけをするまでを爽やかに描きます。2は福島の田舎に夏休みで帰省している大学生の司葉子の家に、同級生の小泉博が旅の途中でお金が無くなって泊りに来ることになって、純朴な農家に様々な波風が立つのを、主に司の妹で高校生の中原ひとみの視点から、これまた爽やかに描かれます。3は個人病院の院長の上原謙の嫁が高峰秀子で、彼女は住み込み看護婦の中村メイ子の日記をあるキッカケで盗み読みしてしまい、そこにはメイ子の上原に対する赤裸々な恋心が記されていることに動揺、嫉妬します。そして上原からメイ子を遠ざけるために、彼女と八百屋の小林桂樹との縁談をまとめるために奔走しますが・・・。
といった感じです。
まずは1は、主演男女はそれぞれ処女と童貞という設定であり、彼等の愛や性に対する憧れを、形而上学的な問題から脱して如何にして現実化するか?これは誰もが通る通過儀礼のはずですが、彼等は多摩川の河原の草地で、太刀川が突然青山にキスすることで、第一関門を突破します。しかし青山は太刀川に反発し抗議するのですが、恐らく彼女の抗議は本気ではなく、後に彼等はもっともっと深い仲になっていくことしょう(笑)。キスを「接吻」と呼称していたころの話で、登場人物たちはこの行為を接吻としか言いません。そして接吻が婚前交渉の一大儀式でもあった、当時の日本人の奥ゆかしい性道徳が微笑ましい。役者さんでは青山京子が実に良い。彼女の男好きのする顔と、やや豊満なボディが、徐々に体内に湧き出て来ている性愛に対する「あこがれ」を図らずも見事に表現しています。それと本編は、青山が義姉の杉葉子の再婚話を「不潔」呼ばわりすることなどから、小津作品「晩春」(1949年松竹)の変奏曲としての位置付けとも考えられます。笠智衆さんも出てますしね。
2は「通過儀礼」を終了していると思われる司葉子と小泉博が(彼等はすでに将来を誓い合っている、という設定)、如何にして小泉を司の両親の藤原釜足と清川虹子、そして妹の中原ひとみたちに認めてもらうかということに四苦八苦するお話。小泉を最初に認めるのは、おばあさん役の飯田蝶子ですが、撮影当時まだ60歳前の飯田さんのあの役作りはさりげなく凄い。釜さんも清川虹子も渋く好演ですが、中原ひとみのお芝居はやや生硬で煩い。そして主演両者もお芝居が地味で、決め手に欠けるかな・・・。タイトルの「霧の中の少女」というのは、ラスト近くで重要な展開が見られる温泉場が、霧深い場所であることからでしょう。
3は中年期にさしかかっている、上原と高峰の仲良し夫婦の良質なコメディ・ドラマ。「院長を愛しています」と綴る、住み込み看護婦中村メイ子の禁断の日記を読んでしまった高峰は、メイ子を追い出すために、出入りの八百屋の小林桂樹と結婚させようと画策し奔走して、何とか成功します。しかし替りに来た看護婦が、メイ子よりもはるかに美人の八千草薫なので、高峰がガックリと肩を落とすラストは実に秀逸。上原、高峰、中村メイ子、小林桂樹の主要の役者さんたちが何れも余裕の好演です。実はコメディのセンスも抜群な成瀬監督の演出も上々です。
それと石坂洋二郎の原作を、巧みにまとめた松山善三の脚本が素晴らしい。前述のように1では未経験の独身の男女を、2は経験済みと思われる独身男女を、そして3ではもはや若いとは言えない夫婦を、それぞれ主人公にして、1-2-3と段階的に話が進み、かつ有機的な繋がりを持つように各物語を設定していると思われますが、実によく考えられています。私の本作に対する評価の5星は松山の卓越した作劇に敬意を表してです。
本DVDは画質は中の上、特典映像に各編のフォト・ギャラリー20枚程度が付属します。現在では殆ど顧みられることのない作品ですが、今回初めて鑑賞して私的には色々な意味で楽しめましたし、青山京子の女優としての魅力を始め、発見も多かった。お値段も手頃で、昔の邦画ファンの方々におススメです。