邦題の意味がいまだにわからない。原題「盗まれた接吻(くちづけ)」が、シャンソン<残されし恋には>の一節〽あの美しい日々/一枚の古びた写真/四月のランデヴー/追いすがる思い出/色あせた幸福(しあわせ)/風になびく髪/盗まれた接吻/うつろいやすい夢>からとられたというのが判りずらいと判断したのか?この歌のように、全篇にノスタルジアの馨しい音色とそれを突き破るツーカイな可笑しみがモレてきて楽しませてくれる。
ご存知「アントワーヌ・ドワネルの冒険」の3作目だが、いよいよ成人したジャン=ピエール・レオ24歳の行状こそが、この映画を支えている。トリュフォーも認める通り、ここには自由なアドリブが随所にあるようだ。どれがそうなのか、というよりも、ヘマばかりしていた軍隊から除名!されていの一番にすることは決まっているが、気に入らないとすぐさまチェンジして、また別の女と階段を登っていくさまや、ガールフレンドのところへ身を寄せるが、彼女の両親から過分の扱いをうけてガードマンの職を斡旋してもらい、当然のようにヘマをして即日クビになる。このあたり、ウディ・アレンほど喜劇的な風貌でもないのに、コメディアンぶりがすでに板についている。
彼ほどおどおどしているわけでもなく、ヘンに自信ありげにペラペラと減らず口も叩くが、そのどれもが空回りする様が妙に可笑しい。完全に言行不一致なのだ。時折見せる驚いた=呆れたヘン顔も変にハマる。一等可笑しかったのは、探偵事務所から派遣されて、靴屋の店員になるために入社テストをうける場面。依頼主が社長とはいえ、候補者の前に置かれた靴を包装せよ、という課題に…アントワーヌがうまくできるはずもないと見守っていると、案の定、一等ひどい包み方なのに、社長が平気で<君が一番だ。合格は君だ>と言い放つ処。
“恋人たち”という邦題ながら、アントワーヌとクリスティーは友情を温め?ながらもなかなかその距離がちぢまらない。心が千々に乱れるということもない。本当に2人は恋をしているのか?アントワーヌが依頼主の社長夫人に手を出すのはご愛敬とはいうものの[デルフィーヌ・セリッグの誘いを断れる殿方はいないだろうが]、2人はいつもティーンエイジャーのような顔をしてすれちがいを繰り返す。それでも、クリスティーの機転で2人は無事結ばれる。これはまぎれもない逆ナンパだ。それにしても、エンディングで正体を明かす紳士の言う“完璧な愛[=片恋]とは、[相手の出方次第で]フワフワとして定まらぬ愛情とは違って普遍のものだ”というコトバの意味するところは狂っちゃいるが案外深いかも。