梅宮辰夫

追悼、映画俳優 梅宮辰夫 わが昭和のスター

梅宮辰夫は「昭和のスター」という存在を格別なものと思い、東映東京撮影所で身近にいた鶴田浩二や高倉健、菅原文太らへの哀惜の情をしきりと口にした。 だから旧年12月12日、梅宮辰夫逝去の報がテレビで流れ、その直後に『デイリースポーツ』に始まり、『毎日新聞』『日経新聞』『朝日新聞』『フライデー』『アサヒ芸能』『映画芸術』などと、追悼のことばを語るようにとの電話が次々にわが家にかかってくると、やはり梅宮辰夫は昭和のスターだったとの思いをあらたにした。

追悼、映画俳優 梅宮辰夫 ある夏の日の梅宮さんと坪内さん

梅宮辰夫のことを書こうとすると、坪内祐三のことが思い浮かぶ。二人が立て続けに亡くなったからではない。坪内が監督では内藤誠、俳優では梅宮辰夫を敬愛していたこともあるけれど(『新潮45』18年2月号で坪内は梅宮にインタビューした)、わたしがはじめて二人に会ったのが同じ夏の日だったからだ。 2010年7月21日(水)――わたしが企画、脚本を担当した色川武大原作の「明日泣く」(内藤誠監督、斎藤工、汐見ゆかり主演)の撮影初日、内藤の呼びかけに応じ、午前中は坪内が色川武大の父親役として、夜には梅宮が「地下カジノの地回り」の役で特別出演してくれたのだ。