「永遠の0」

「特攻隊」という言葉を初めて聞きました。行きの燃料しかないゼロ戦に乗り、基地からアメリカ軍を打つために飛び立っていく。ただ、ただ恐いと思いました。帰って来られないとわかっていて、ゼロ戦に乗り込む恐さ、たくさんの人が死んでしまっている恐さ、ばくだんで攻げきされる恐さ、もう二度と家族に会えない恐さ。想像もできないような恐さだったと思います。そのような中でも久蔵は自分の命ではなく自分が大切な人の命を思いながら、アメリカの空母にゼロ戦で向かって行きました。母はティッシュがぐちょぐちょになるまで泣いていました。映画の中でさえこんなに悲しいのだから本当に自分の家族だったらどんなにつらいだろうと思いました。

こんなにつらい戦争は絶対にしてはいけないと思いました。そしてこの戦争で亡くなった人たちの、大切な人を思う気持ちがあったからこそ今の私たちが生きているのだと思いました。

残された家族が食べるものにも困り、寒さをしのぎながら貧しい生活をしている場面で、祖父が、「おじいちゃんも芋ばっかり食べとった」と話してくれました。学校の社会の授業で戦争について教えてもらいましたが、教科書に出てくる昔の出来事でしかありませんでした。でも、祖父が経験していたことで私には遠い昔の戦争ではなくなりました。私は毎日ごはんもおやつも食べ、きらいなものを残したりもします。毎日、あたたかくて涼しい部屋で過ごしています。今の時代に生まれたことだけでも幸せだと思いました。戦後70年の今、この幸せがずっと続くように私ができることはなんだろう。考えてみました。でも思いつきませんでした。何かできることがわかるまで、まずは歴史に関心を持ち、正しく知ること、そして私の大切な人たちを大切にすることからはじめたいと思います。

「インサイド・ヘッド」を観て

私のおばあちゃんは、認知症という病気です。たくさんの、楽しい想い出や、大切な家族のこと、小さい時に学校で、いっしょうけんめい勉強した事を忘れていく病気です。

私のことも少ししかわかりません。

インサイド・ヘッドに出てきた想い出のゴミおき場にどんどん想い出のボールがすてられて保管のたなに、ボールが少ししかありません。ヨロコビ、カナシミ、ムカムカ、ビビリイカリたちも、どこかへ出かけてしまって、おばあちゃんは、あまり感情を見せてくれなくなりました。

小さい頃の歌や、お母さんが小さい頃のお話を、おばあちゃんは、とても優しい笑顔でうれしそうに話します。

たぶんスペシャルなボールは、まだおばあちゃんの頭の中には大切に残っていて、輝いているのだと思います。

この映画は、お父さん、お母さん、私の三人で観ました。

すごく楽しい想い出で、私の頭のヨロコビのボールとして保管されていると思います。

もしも、私たちの頭の中が、この映画のように、想い出の保管庫や想い出のゴミおき場があるなら、おばあちゃんのヨロコビのボールをこれ以上、ゴミおき場へすてないでほしいと強く思いました。

家族のことや、楽しかったこと、頑張ったこと、ひとつでも多く、おばあちゃんの頭の中に残しておいて下さい。

そして、こわれてしまった楽しかった頃の島が新しくできるかどうかわからないけれど、こんど会ったときに、この映画の歌とお話を私が笑顔でおばあちゃんにお話してあげようと思います。新しいヨロコビのボールが、できますように。

「生きる」

まっ青な海、くも一つないすっきりと晴れた空、おめんをかぶっているようなとり、みどりいぱいの草はら、子どもたちのえがおでいっぱいだった。わたしも、タイムスリップして、じゅんぺいとかんたとあそんでみたいとおもった。

しかし、この気もちは、すぐにきえた。日本中で、せんそうがおこっていて、日本がまけた。しこたんとうは、ロシアにうばわれてしまう。すむいえをとられ、学校のきょうしつもへり、子どもたちがかわいそうだった。

わたしには、たいせつなかぞくがいる。いえもある。本やおもちゃもある。たべものもある。おかしやアイスクリームも、ぐずれば、かってもらえる。あたり前だと思っていた。しかしそれは、あたり前では、なかったのだ。

せんそうをすると、人がしんでしまう。かなしいおもいをしてしまう。生きることがどんなにすばらしいのか、よくわかった。

「家族にありがとう!!」

私は12才。帰る場所は孤児院だ。字も読めないし、両親のことも知らない。もしも私がそんな人間だったら?学校では字が読めるフリをする人だったら?「ANNIE」で私はそう考えた。

この映画を見て私は「変わらなきゃ。」と思った。当たり前の生活は本当は当たり前じゃないことを分からなきゃ。1日1日を大切に生きなきゃと思った。怒られ、私は両親をいやに思うことがある。でも世の中には怒られたくてもできない人がいる。逆にほめてもらいたくてもそれができない人もいる。両親を求めてお金を出してまで資料をさぐったり、見つけようと思ったりしている人だっている。私はこの映画で「横に両親がいること」に感謝した。3才くらいのことだったからはっきりとは覚えてないけどディズニーランドに行った。父と母と。妹はまだうまれてないときだった。3人で横に並んで手をつないで。小さかったから乗り物とかもさっぱりに近い程覚えてないけれどきっと、私はずっと笑っていただろう。思い出になっただろう。アニーはそんな思い出が少ないのではないだろうか。世界には親を知らない子供がたくさんいることを私はこの映画で知った。

私は感謝しなければいけない。お父さんが私のために働いてくれる。お母さんは夏になったら旅行のプランを考えてくれる。2人とも立派でほこれる私の両親。4才のときにうまれた妹。けんかもするけれど体調が悪いときに「大丈夫?」と一言かけてくれるのは妹の優しさだと思う。そんな家族が私の支えになってくれている。ありがとうと一言かけなければいけないな・・・。

私も学校が大すき

私が見た映画は、「世界の果ての通学路」です。映画に出てきた子どもたちは、二時間い上も歩いて学校へ行っています。中には、象にふみころされるかもしれないきけんな道を通らないと学校に行けない子もいます。

私は、みんながどうして命がけで学校に行くのかふしぎでした。けれど、字まくを読んでくれたお母さんに、「みんなには、かなえたいゆめがあるからよ。」と、教えてもらいました。アフリカの男の子は、けい算ができないとパイロットになれないので、べんきょうをがんばっていました。学校へ行くまでが大へんでも、毎日がとても楽しそうでした。

私も丘の上に住んでいるので、学校からの帰り道がつらいです。でも、おもしろい友だちや先生に会える学校が大すきです。大きくなったらジャーナリストになりたいので、帰り道もがんばって体をきたえます。世界のみんなに負けないくらい、学校が大すきです。

「KANO」

「さきちゃん、映画が三時間だけど見れそうかなあ。」

とお母さんにたずねられました。

「だいじょうぶ。」

とこたえました。

私は、広島東洋カープが大好きです。野球の映画なので、お母さんが見せたかったそうです。

この映画は、台わんのかぎのう林学校が、台わん代表として甲子園に出場した本当のお話です。私が感動したところは、一番ボロボロのチームが甲子園でじゅんゆう勝をしたところです。ピッチャーは、指のつめがわれているのに、最後まであきらめずにし合をしていたので、

(負けない強い人だなあ。)

と思いました。私はこの映画をみて、

(ゆめはかなう。心が一心であれば、どんなゆめでもかなうのだなあ。)

と思いました。一生けん命がんばるすがたをみると、私もがんばろうと力がわいてきました。そして、みんなで力を合わせるチームワークが大切だと思いました。私は学校の休けい時間に野球をします。よく、ボール、ストライクで、もめたりするので、そこをなくせばよいし合になると思います。

三時間は長いと思いましたが、あっという間だったので、よほどおもしろい映画だったと思います。となりでお母さんは感動して、ボロボロと泣いていました。私はお母さんほど泣いていませんでした。でも、心はお母さんに負けないほど感動していました。

(ゆう気と力強さがある映画だったなあ。)

と思いました。

「大脱走」を見て

ぼくはピアノを習っていて、この映画のテーマ曲を知っていました。とても軽快な元気の出る曲で、「大脱走」というかっこいい題名からも、脱走という作戦をみんなで力を合わせて達成する物語だろうと思っていました。

ところが、実際の映画は全く違っていました。脱走は失敗に終わるのです。二五〇名のうち七六名しか脱走出来ず、しかもそのうち五〇名は見つかって殺され、二三名は収容所に連れ戻されてしまいます。

では悲げき的な内容かというとそれも違います。ぼくは戦争の時代のことはよく分からないけれど、連合国とドイツがお互いのプライドをかけて、戦いとは別の使命を全力でなしとげようとしたのではないかと思います。そのひたむきさにぼくは感動しました。

なかでも素晴らしかったのは、脱走を試みる連合国のほりょ達です。指揮官のビッグXのもと、情報屋、調達屋、ぎぞう屋、トンネル屋といった多くのプロが、世界一脱走が難しいと言われる収容所から逃れる作戦を実行します。

その一糸乱れぬチームワークと思いも寄らないような作戦はぼくを画面に釘付けにしました。そのなかから生まれた国せきをこえた熱い友情は、ぼくに一つの目標に向かってがんばることの大切さを教えてくれました。

映画の最期は、主人公ヒルツ大尉が収容所に連れ戻されるシーンです。出むかえる仲間達に「ただいま」と笑顔で帰ってくるのです。失敗だった大脱走にもきっとヒルツは満足感を持っていたのでしょう。ぼくは大きなことをやりとげた人間のすがすがしさを感じました。

戦争とは戦場での争いという知識しかなかったぼくは、この映画で戦争の違う一面を知りました。でも、それは戦争のない今の日本だから言えることです。ぼくは、改めて、平和であることはありがたいことだと思いました。

ヒックとドラゴン

バイキング、その名を聞くと、せなかがゾクッとする人もいるであろう。実は、ぼくもその一人だった。バイキングは、船をおそうたちの悪い、やばん人だと思っていたからだ。けれど、この映画を見て、その考えがかわった。題名は「ヒックとドラゴン」。主人公は、バイキングのヒックだ。父親は、とてもたくましい、バイキングの頭である。ところが、ヒックは、ぱっとしない。ヒョロヒョロして、おく病で、ドラゴンをたおすこともできない。全く、ぼくと同じだ。気弱なぼくは、走るのも速くないし、成績も良くない。ドラゴンとの戦いでは、ヒックがぼく自身のように思えてくる。

そんなヒックが、ある日、伝説のドラゴン、ナイトフューリーをうち落とし、それがきっかけで、そのドラゴンと親友になった。そしてついに、ヒックとナイトフューリーは、巨大でじゃ悪な大ドラゴンに立ち向かう。ここが、ぼくの一番のお気に入りのシーンだ。ナイトフューリーにまたがり、巨大ドラゴンと戦うヒックは、元の弱虫なんかじゃなかった。なんてかっこいいんだ。ヒックもドラゴンも。すごいぞヒック。君は誰よりもやさしくて、強いんだ。ぼくだって、ドラゴンに乗って大空を飛び回りたい。それだけでどんなに勇気が出ることだろう。

ぼくは、こう思う。

どれだけドジで、だめでパッとしなくても、人にはきっと、だれよりも良いところがあるはずだ。

「行けー、ヒック。」

ぼくはこうさけびながら、自分をおうえんしている気分になった。

けんかはだめだ

ミセスダウトをみました。

おとうさんとおかあさんがりこんしてしまいました。おとうさんはどうしてもこどもにあいたかったから、おてつだいのおばさんにばけてあいにきます。ぼくのおとうさんとおかあさんはなかよしだけど、けんかをしたらいやです。けんかをしてもなかなおりするのがいいです。ぼくも、おにいちゃんとまいにちけんかします。でもぜったいになかなおりをしなければいけないとおもいました。かぞくはいっしょにすごしたほうがいいとおもいます。パパがいえをでていくのはいやだからおばさんにばけたっていてほしいです。

「怪しい彼女」が好きだ

毎週、映画好きのお父さんと、最低でも二本は観る。その中で、これほどまでクセになった映画はない。合計で四回映画館に行った。

一回目に観た時も、もちろんすごい映画だと思った。でもこの作品は何度も観て、ますます引き込まれる魅力がある。普通、結末を知ってしまったら、さすがにもう一度映画館に行こうとまでは思わない。でもこの作品の花は枯れないのだ。そして、二回目に観に行った時には、もうこの作品のとりこになっていた。

私が好きなシーンは、主人公のオ・ドゥリが歌うシーンと、最後の病院でのシーンだ。歌のシーンは、色んな曲が出て来て、曲ごとに思うことも変わってくる。楽しくてワクワクするところもあれば、しっとり泣けるところもある。そんなオ・ドゥリメドレーが大好きだ。病院のシーンはただただ泣ける。息子を思う親。親を思う息子。そんな二人のやさしさと深い愛にやられた。

そして、主人公オ・ドゥリ役のシム・ウンギョンさんの演技とかわいらしい歌声にくぎづけだ。七十歳のおばあちゃんが突然二十歳という設定にピッタリだと思う。見た目は二十歳だが、なんとなく七十歳の面影が、残る。こんな演技が出来るのは彼女だけだと思う。

そんな大好きなシーンと、彼女が観たくて、三回目はお母さんとおじいちゃん達も一緒に行った。みんなもすごく気に入ってくれて、私と同じ気持ちになっていると思うとなんだかすごくうれしかった。四回目は、何ヶ月が経ってからのアンコール上映を観に遠くまで行った。しかも立ち見だ。観終わったしゅんかん拍手が起こり、みんなが一つになっていた。

「この映画はみんなに愛されているんだ。」と思った。そしてもちろんDVDも購入した。

私の将来の夢は映画監督になることだ。そしてこんな映画を撮りたい。

本当の正義の味方の強さ

「HERO」という題名から正義の味方が活やくする映画なのかなと期待をして、劇場へ足を運んだ。

この映画は主人公である、久利生公平という若い検事が事件をそう査し、解決していくストーリーだ。事件に関係のあるネウストリア公国大使館は、日本の中に存在する外国のような所で、何度も事件のことを聞こうとしても断られていた。しかし、久利生検事は、ネウストリア大使館員の心を開くために好きな食べ物やスポーツを調べ、ペタングというスポーツを一緒に楽しんで距離を縮めていった。本当にすごい執念だと思った。

相手のことを知るということでは、私も同じような経験をしたことがある。昨年学年が上がりクラス替えの時、仲の良い友達と離れてしまい、新しいクラスで友だちができるか心配だった。何となく気が合わないかなと思っていた子も何人かいたが、思い切って自分から話しかけ、いろいろな話をしていくうちに好きなことや、しゅ味が合うことが分かり、お互いにとても仲良くなれた。あの時、自分から意見を出して、心を開いていなければ友達も心を開くことはなかったと思う。今でもその時の友達とは、何でも言い合えて、分かり合える良き親友だ。

私は、来年、中学校へ入学する。今は、不安と期待でいっぱいだが新しい出会いを大切にして良い友達をたくさん作りたいと思う。また、中学校は、小学校よりももっと忙しく、勉強も部活動も大変だと思うけれど何事も久利生検事の絶対にあきらめない精神を見習い、へこたれず何事もねばり強く取り組んでいきたい。「HERO」は私に強い心を持つ大切さを教えてくれた、すばらしい映画だ。

うんがいいミニオンズ

ぼくにはりょう親が、ミニオンズにはボスがいないと生きていけない。

ミニオンズは、あたまがあまりよくなくてしっぱいばかりして、わるいボスの手下として生きているが、しらない間にボスをたおしている正ぎのみ方だ。

ぼくとミニオンズはちがう。ぼくはサッカーをしたり、本を読んだりするのが大すき。本を読んでいるからドラキュラが朝日をあびるとしぬことも、にんにくがにが手ということもしっている。

しょうらい学校の先生になるためにいろいろなスポーツをしたり、べんきょうをしたりしている。だからりょう親のために生きているわけではない。

でも、ミニオンズたちと一しょにドキドキわくわくのたびをしてみたい。なぜなら、いろいろ人に会えるし、いろいろなけいけんができるからだ。

夢をかなえるために

将棋の女流棋士になりたい。これが私の夢だ。今、私は強くなるための努力をしている。詰め将棋や棋譜並べ。机に向かって一人でする、地道な勉強だ。多分同じ小学校でこんなことをしている女の子は私一人だと思う。でも実際は、大会でも将棋教室でも、ほとんどが負け試合だ。くやしい。女流棋士という夢は、はてしなく遠いようでとてもくやしい。

大会の初戦で負けている私が、こんな大きな夢を言ったら、笑われるかもしれない。でもそんな時、だれかに「最高の夢持ってるじゃないか」と言ってもらえたら・・・。

映画「イン・ザ・ヒーロー」の中では、このセリフが出てくる。俳優のりょうさんが、アカデミー賞をとるという夢を語った時、他の仲間がばかにする中で、先輩の本城さんが言ったセリフだ。

この映画は、顔が画面に出ないスーツアクターとしてアクションを二十五年間も続けてきた本城さんと、売れている俳優のりょうさん、そしてアクションの仲間達の物語。最初あいさつもしないほど態度の大きかったりょうさんは、努力を重ねる本城さんを尊敬してアクションを本気で始め、成長していく。

二十五年といったら、私が今まで生きてきた年月の二倍以上だ。私は一、二年努力しただけで「がんばったな」と思っていたけれど、二十五年など、聞いただけで気が遠くなる。

母は、「続けることが一番大事。続けていればいつか夢はかなうよ。」という。心の中で「本当かな?」と思っていた。でも、この映画の本城さん役の唐沢さんという俳優は、本当にスーツアクターの仕事でアクションをずっと努力してきた結果、有名な俳優になれたそうだ。「本当なんだ。」私は今は思う。

私はこれからも、あきらめずに努力していく。夢をかなえるために、「最高の夢だ。」とはげましながら。

「海街ダイアリー」を見て

このえいがは、母親がちがう姉妹が父親の死をきっかけにかまくらでいっしょにくらすようになった少しふくざつな四人姉妹の話だった。私は、四人兄弟の一番下なので一番下のすずの気持ちを考えながら見た。この姉妹は、すずだけが母親がちがい、すずの母親は、父が死ぬ前になくなっていたので、血のつながった家族を失ったすずに一番上のさち姉が声をかけた。

「いっしょにすまない?」

この言葉からこの姉妹の生活が始まった。この時のそれぞれの気持を考えてみた。姉は十五さいで一人ぼっちになったすずをかわいそうに思い姉としての責任だと思ったから声をかけたのではないか。すずは、とまどいはあったが、気にかけてもらえた事がとてもうれしかったのではないかと思った。私には兄が二人、姉が一人いる。ときどきいじわるをされきらいになる事もあるが、私がこまっている時に手助けしてくれるたよりになるそんざいだ。一人っ子で育ったすずには、姉が三人できた事は、とてもしんせんでふしぎな感じでは、なかったかと思う。

ある日の夜、十五さいのすずが梅酒を飲んでしまいぐあいが悪くなるという出来事がおきた。梅酒は、飲めないとわかっていたけど、姉たちが育てた梅でつけた梅酒をのんでみたいというすずの好奇心から梅酒をのんだ。すずが飲むと思わないで姉たちが作ったこいめの梅酒を飲んだすずは、よってねむってしまった。そのすずのすがたを見て、心配しながらも姉たちは、すずが自分達姉妹ににている事に気づく。別々に育ったすずにとって姉達はあこがれ、姉達にとってはすずを妹としてみとめ愛しくなってきていた。家族が三人から四人へとふえ、え顔のたえない姉妹となった。私も兄や姉を大切にしおたがいみとめていける兄弟になりたい、家族のきずなを大切にしていこうとこのえいがを見て思った。

 

この映画の主人公はハリーポッター、ぼくと同じ十一才です。ぼくとちがうところはハリーがみなしごだということです。十一才のたん生日に自分が魔法使いだと知りました。もし、十一才のぼくに魔法学校から入学許可証が届いたら、と想像してみました。おどろきとうれしい気持ちと大丈夫かなという不安など、いろいろな気持ちが混ざり合うでしょう。でも、ハリーは迷わず魔法界へと飛び込んでいきました。ぼくが「ハリーは勇気があるな。」と最初に感じた場面でした。

そして勇気あるハリーは、両親を殺した闇の魔法使いと対決することになるのです。それは、かん単ではありませんでした。ぼくは、ここまで観てみて、ハリーは勇気がある無敵な少年だと知っていたので、きっと最後にはハリーが勝つんだろうと予想していました。ハリーは勝ちました。でも、それは決してハリーだけの力ではなかったのです。ぼくはハリーが勝つために必要だったのは、勇気と友情だと強く思いました。

ダンブルドア校長先生はこう言っています。「敵に立ち向かうのは勇気がいることだが、友に立ち向かうのはもっと勇気がいること。」ハリーの周りにはたくさんの友達がいました。でも、いつも味方をしてくれるだけでありません。間違ったことを止めさせたり、意見や注意を言ってくれる友達がいました。そうやってハリーはどんどん強くなっていきました。

ぼくは、運動会の応援団に入っています。応援団は一人ではできません。考えが合わない人や規則を破る人もいます。ぼくは、今まで友達を指てきすることが苦手でした。「きらわれたらいやだな」とか「だまっていた方がいい」と思ったからです。でもこの映画を観て、友達だからこそ恐れずに立ち向かう勇気が必要だということを学びました。それが本物の友情だと思うからです。ぼくは、本物の友情をつくり上げて、本当の友達と一ち団結して運動会で優勝を手に入れたいです。