入賞者・作品紹介

2017年 グランプリ受賞作

地区大会最優秀賞 受賞者はこちら

2016 特別賞
団体賞
  • 最優秀賞
  • 大阪教育大学附属天王寺小学校
  • 優秀賞
  • 大阪市立島屋小学校/柏市立柏第五小学校/鎌ヶ谷市立鎌ヶ谷小学校/川越市立川越小学校/
    熊谷市立江南南小学校/鴻巣市立鴻巣南小学校/吹田市立東山田小学校/東郷町立音貝小学校/姫路市立東小学校/
    深谷西クラブ/藤井寺市立藤井寺小学校/ふじみ野市立元福小学校/宗像市立赤間西小学校/横浜市立金沢小学校

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  グランプリ 低学年の部  

「大切なもの」

東京都北区立田端小学校2年生
清水ことみ

カールじいさんと私はにているな。私たちには大すきな人と作った大切な思い出があるよ。私のパパは私が年長の時にびょう気で天国に行ってしまいました。もうパパが「ただいま。」って帰ってこないと思うととてもかなしかったです。もっともっと色々なことをいっしょにしたかったです。この気もちもカールじいさんといっしょだね。パパといっしょの思い出は私のたからもので、心の中でずっと大切にしています。

今の私は、りょ行に行った時のこと、学校のこと、家でのこと、うれしかったりいやだったりした色々な出来ごとをいつもパパにほうこくしています。そうするとわらってるパパのかおがうかんで、私の新しい思い出にもパパがいっしょにいるような気もちになってすごくうれしくなります。私はこれからも楽しい思い出をたく山作ってパパにほうこくしたいです。今までも、これからもパパのことがとっても大好き。パパとの思い出が私の大切なたからものです。

  グランプリ 中学年の部  

「私の生きる道」

埼玉県久喜市立栗橋西小学校4年生
植村苺香

「まるで、わが家のようだね。」と母が言った。その横で父は、「うちの子っておおかみ子どもみたいだね。」と笑う。

おおかみ子どもの雨と雪は、おおかみの姿と人間の姿をころころと変えながら毎日をすごしている。まるで、どちらかの方が生きていきやすいのかためしているようだった。

私の弟二人はというと、食べ物の取り合いがはじまると大きな声をあげてけんかをする。スーパーに行けば、おやつを買ってと泣きさけぶ。私も母も手がつけられず、まるでおおかみ子どもだ。かと思えば、二人で家ぞくごっこをして楽しそうに遊んでいたり、おやつを分け合っていたりする。そんな姿はものすごくかわいい。

雪は、人と関わることが好きで人間として生きていく事を選んだ。雨は、自然の中で自分の役割りを見つけ、おおかみとして生きていく。それぞれが自分で決めた生き方を、はなは「がんばって生きて。」と応えんする。

私は外で思いきり体を動かして遊ぶこと、読書が大好きだ。田んぼにいる魚やザリガニ、ドジョウが家のまわりにいる。しかし、そう簡単にはつかまえられない。一しゅんの早わざですくりあげる。成功した時の満足感は最高だ。また、友だちと大声をあげながら鬼ごっこをすると、パッと心がはじける。読書は、私の知らない場所や時代に行けたり、本の主人公になってその世界を体験した様な気持ちになる。だから私は、習い事やお出かけに行く事よりもゆったりとした空間の中でたっぷりと時間を使いたい。私の母はそんな私をそのまま受け止めてくれ、気持ちを大切にしてくれる。雨と雪の生き方を見守るはなと同じだ。

自分の生き方は自分で決めていきたい。きっと、父も母も応えんしてくれ、困った時には助けてくれる。そして、私がまよった時には背中を押してくれるだろう。だから私は、毎日を一生けん命生きる。

  グランプリ 高学年の部  

「ツナグ」

大阪府大阪市立聖賢小学校5年生
曽我綸

映画が終わった時母に「お空のばあばに会いたい。」と尋ねた。母は、よくばあばのことを口にする。特に私が頑張ろうとする時「ばあばが空から見守ってくれているよ。」と、私に声をかける。私は、ばあばに会ったことはない。ばあばは、私が生まれる前に天国へ行ってしまったからだ。でも母に言われる度、ばあばが見てくれている気がして頑張れる。だから私は、「お空のばあば」とよんでいる。

当時母は、一人暮らしをしていた。ばあばが亡くなる前日の夜、ばあばから電話があったそうだ。その時母は、そっけない態度をとってしまった。次の日元気だったばあばが、天国へいってしまうなんて夢にも思わなかったから。「もっと親孝行しておけば良かった。もっとやさしくしとけば良かった。もっと色んな話をしとけば良かったなぁ。」と、母は遠い目をしてつぶやいた。

身近な人が、永遠に自分の目の前からいなくなった時、人は色々と後悔する。それが自分にとって大切な人であればあるほど…。きっと私の母も自分の母親に会いたいにちがいない。人は、必ず死ぬ。死んだ人はどこへ行くんだろう。大切な人とは、死んでしまってもつながっていたい。つながりが強い人ほど残された人は前に進めなくなる。ツナグで死者にあった人は皆そうだった。親友にあった嵐も婚約者にあった土谷もハッピーエンドではなかった。でも結果的にハッピーエンドでなくても、彼らは現実を受け入れ、これからを生きていこうとしている。

大切な人をなくすということは、きっと1番つらいことだ。でも残された人間が、幸せでくいのない人生を送ることが1番大切なんだと思う。私は、自分の人生を一生けん命生きていきたい。そして、大切な人をおもい、ずっと忘れないでいたい。「お空のばあば、私頑張るからね。見守っていてね。」と私は、まっ青な大空を見上げ、何度も何度も願った。

  GEO賞 低学年の部  

「いろいろなキモチ」

神奈川県横浜市立不動丸小学校1年生
小野紗友海

このえいがをみて、わたしのあたまのなかにもいろいろなキモチがいるなぁとおもった。

わたしがいちばんすきなキモチは、むずかしいことでもがんばってチャレンジしようとするキモチだ。このキモチがあるからちょっとながくてむずかしそうな本もあきらめないでさいごまでよめる。

わたしがいちばんこまっているのは、これをしたらおかあさんにおこられそうだなぁとわかっているのに「やっちゃおう」というキモチと「やっちゃだめ」という二のキモチがあることだ。でも、やってみたいキモチのほうがつよくて、けっきょくおかあさんにおこられる。おかあさんは、「それをやるまえにかんがえなかったの?」というけれど、キモチはむずかしい。

このえいがをみて、おとうさんとおかあさんのあたまのなかにもキモチがいることがわかった。わたしもじぶんのいろいろなキモチをだいじにしたいとおもった。

  GEO賞 中学年の部  

「パディントンを見て」

愛知県名古屋市立滝ノ水小学校4年生
西野有真

ぼくは、えい画のCMを見て、おもしろそうだなぁと思っていたので、DVDをかりて見ました。実さいに見てみると心に残った所が三つありました。

一つ目は、パディントンが、スリの落としたさいふをとどける所です。にげるスリをパディントンがカサを使って空を飛んだりしながら、一生けん命追いかけます。ぼくは、パディントンはじゅんすいなんだなぁと思いました。

二つ目は、地理学者協会にぼうしの持ち主を探しに行った所です。お父さんが女そうをして、せん入そうさをしますが、まちがえてサンドイッチが機会につまってしまいます。そして、協会の中をめちゃくちゃにしてしまいました。

三つ目は、パディントンが悪い人につかまってしまった所です。パディントンがますいじゅうで打たれ、はくせいにされそうになりますが、お父さんが一生けん命がんばって助けようとします。がけっぷちの所を通る時に落ちそうになり、とてもはらはらしました。

最後にパディントンが家族の一員になって良かったなぁと思いました。

見終って、パディントンが来る前と後でどうちがうか考えました。来る前は平和でしたが、おもしろいこともありませんでした。お父さんが、子どもがけがをしないように、きけんなことをきん止していたからです。パディントンが来て、家はこう水や火事などでめちゃくちゃになったけど、いなくなってみるとさみしくなり、家族みんなで一生けん命パディントンを探しました。パディントンのことが大好きになったからだと思います。パディントンがもどってからは、おもしろいことがいっぱいあり、あぶなっかしいことをするようになりました。

もくも、パディントンのような何事にも一生けん命な人になりたいと思いました。

  GEO賞 高学年の部  

「グルーになる」

千葉県千葉市立金沢小学校5年生
橘川大海

「よう聞け、うじ虫。これからそっち行くからな。必ず地ごく見せたる。」
と、ぼくは言い、そして巨大なホオシロザメを右手のパンチ一撃で、蚊を退治するかのようにやっつけます。50回以上この映画を観ているぼくは、この場面が1番好きで、画面に入っているかのようにグルーと一緒に動きます。この時のグルーの言葉は、3人の女の子を助けたいという強い意志がこめられていて強気で戦っていて格好良いです。

ぼくは、初め、グルーを見た時、鼻が長くて、ハゲてて、服も地味で、あまり好きではありませんでした。最初のグルーは、自分勝手で人の事を考えず、うそつきでした。例えば、カフェで並んでいるお客を凍らせてコーヒーとマフィンを横取りしたり、子供にいじわるをしました。でも施設にいた3人の女の子と暮らすにつれて、グルーの心は、雪が溶けるかのようにやさしくなってきました。それは、3人のことが好きになったからだと思います。そして、3人と一緒にくらした方が楽しく幸せに感じたからだと思います。グルーは3人のことが大切になり、守ってあげたいと思い、強い人間になったからだと思います。そして、3人の女の子から信頼されるようにもなりました。

ぼくには3才の妹がいます。7年間一人っ子でさみしく、今より他の人の事を考えられませんでした。でも今は、妹が大好きで、とても大切に思っています。『にいに』とよばれると心が温まります。昔は、おやつも人にあげられなかったけど、今は、自分が食べなくても妹にあげられるようになりました。そして妹がぼくをたよってくれると、うれしくてついはりきっちゃいます。だから、グルーが3人の女の子を守りたいという気持ちは、ぼくにもよく分かります。

ぼくは、まだ命がけで人を守った事はないけど、いつかグルーのように命がけで人を守れる、強くて、やさしい兄になりたいです。

  TSUTAYA賞 低学年の部  

「大切なもの」

東京都北区立田端小学校2年生
清水ことみ

カールじいさんと私はにているな。私たちには大すきな人と作った大切な思い出があるよ。私のパパは私が年長の時にびょう気で天国に行ってしまいました。もうパパが「ただいま。」って帰ってこないと思うととてもかなしかったです。もっともっと色々なことをいっしょにしたかったです。この気もちもカールじいさんといっしょだね。パパといっしょの思い出は私のたからもので、心の中でずっと大切にしています。

今の私は、りょ行に行った時のこと、学校のこと、家でのこと、うれしかったりいやだったりした色々な出来ごとをいつもパパにほうこくしています。そうするとわらってるパパのかおがうかんで、私の新しい思い出にもパパがいっしょにいるような気もちになってすごくうれしくなります。私はこれからも楽しい思い出をたく山作ってパパにほうこくしたいです。今までも、これからもパパのことがとっても大好き。パパとの思い出が私の大切なたからものです。

  TSUTAYA賞 中学年の部  

「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」

東京都宝仙学園小学校4年生
宮元華乃

この映画には特殊な能力を持つ子供達が登場する。私は彼らが羨ましい。

私にも能力があるだろうか?そもそも、能力があると気付かなければ活かしようがない。いや、能力があっても活かし方を知らなければ、持っている意味はない?

彼らには、子供達を守り育てているミス・ぺレグリンの存在がある。子供達が自分の能力と向き合い、適切に使う方法を学べているのは、彼女のお陰だ。私はふとミス・ぺレグリンが父や母と重なることに気付いた。

映画鑑賞中、母は家事をしながら横目で見ては「怖そう。不気味そう。見ていて大丈夫なの……?」と口を挟んでくる。「大丈夫だよ……。」と思うが、恐らくこれはミス・ぺレグリン的役割。私や妹が進むべき道を間違えないように見守ってくれているのだ。アドバイスをくれる。ストップをかけてくれる。そう、私は父や母に守られている。彼らと一緒だ。

さらに、子供達がぺレグリン無しの戦いに挑み、能力は工夫して活かすことで、初めて敵とも戦えると気付くシーンを見た時、父がよく言う「能力を決めつけるな。出来ないと決めた時点で出来なくなる。」という言葉の意味が分かった気がした。無理だと何もせずにいれば、その先にある世界を知らないまま終わってしまう。何と、私は凄いことに気付いてしまった。映画の中だから「特殊」というわけではない。現実も同じだ。

この映画、二日間で気付けば三回も見てしまった。状況に応じて工夫し、自分を進化させようと努力できれば、私の眠った能力も開花するのかもしれない。能力は活かして初めて意味を持つことを彼らが教えてくれた。しかも、私は守られている。まずは、何事にも挑戦して、思う存分やりたいことをやってみよう!大事なことを気付かせてもらった。ティムバートンさん、どうもありがとう。

  TSUTAYA賞 高学年の部  

「モアナと伝説の海をみて」

東京都杉並区立久我山小学校6年生
荒神桜雅

嫌味を言われて謝ってばかりの自分がいる。モアナが危険をもろともせず、テカーとなってしまったテフィティに心を返しにいったように、自分も立ち向かってちゃんと伝えられるようになりたい。映画を見終って強くそう思った。

自分の中に苦い思い出がよみがえる。ボールが転がってくる。早く当てなければ。その一心でボールを思い切って投げた。その瞬間。全身が氷つくような目線で見られぞわっと鳥肌が立った。しまった、そう思った時にはもう遅かった。

ずっとぐちぐち言われ続けて、がまんの限界をこえた。「言いたいんだったらはっきり言ってくれ。」「じゃ、はっきりいってやるよ。お前じゃまなんだよ。」ひどく傷ついた。

それ以来、笑って受け流している自分がいる。心の中では嫌だなと思うけど、口には出てこない。どこか諦める気持ちもわく。どうせ言っても悪化するだろうとおじけづく自分もいる。笑って受け流せばいい、そう思い込ませている。モアナは何があっても最後の1%まで可能性を諦めなかった。激しく怒っているテカーにおじけづくことなく、冷静に道を探し出し、怒りに支配された姿のテカーの中に心を返すことができた。本当の自分になってとモアナが言ったシーンが頭から離れない。本当の自分てなんだろう。

怒るという感情と優しさという姿が、テカーとテフィティのように一人の中にも同じ勢力であって、一方が抜けるとどちらかが好き放題になってしまう。そうならば優しさがあるからこそ、怒りがコントロールできるのではないだろうか。嫌われたりする可能性があるけれど、怒りの中にあるものも考えて立ち向かう自分になりたい。大胆不敵でちょっと危ないけれど、そういうことがあってこそ未来が変わると感じることができた。

  東映賞  

「努力のあとには…」

静岡県菊川市立堀之内小学校6年生
戸塚俊作

ぼくは、水谷豊が好きだ。この映画は水谷豊の初監督作品だ。

五十人以上のダンサーが、全員でタップをするシーンは、すごくかっこよかった。早いリズムでも細かいリズムでも、全員の足がそろってすごかった。そんなすばらしいダンスが出来たのは、何ヶ月かも一人一人が一生懸命練習をして力の限り努力をしてきたからだと思う。

この映画のダンサー達と、運動会のリレー練習をするぼくのクラスは似ていると思った。

ぼくのクラスは、なかなかみんなの気持ちが1つにならなかった。遊んでばかりいて、練習をやらない人達がいたからだ。ぼくや他の友達が、「遊びたい気持ちはわかるけど、今はリレー練習をやらないといけない時だよ。みんなで力と心を合わせてやろうよ。」と、声をかけた。何度もさそううちに、やっと全員で練習することが出来てきた。バトン練習や声出しも少しずつ上手になり、本番には、みんな一人一人が今まで努力してきた成果を思いっきり出すことが出来た。

最初はみんなバラバラだった気持ちが、声をかけたりかけられたりして、最後には、1つのことをみんなで力と心を合わせて成功させた。それが、この映画のダンサー達とぼくのクラスの一番似ているところだ。

ぼくは、この映画を見てあらためて思った。それは、何事にも努力をするということの大切さだ。ダンサーの人達が一生懸命練習をして、その努力があったからこそ、ラスト24分間の最高のダンスが出来たと思う。努力するということは、決して無駄にはならない。これからの生活、これからの人生でたくさんの努力をしていきたい。

  20世紀フォックス賞  

「あきらめない気持ち」

大分県大分市立西の台小学校4年生
内田早紀

私は、「私でよかった!」と思える人生にしたいと、この作品を観終わって思いました。

私はスヌーピーが大好きで、この映画を観ました。その時は、スヌーピーみたいな犬が飼いたいなと思いました。でも、それだけではない、いろんなメッセージが気になり、夏休みにDVDでもう一度観ました。

私は今、ピアノの発表会に向けて、頑張っています。「メヌエット・ト長調」という難しい曲に挑戦しています。最初に先生から楽譜をもらった時、見たこともない記号がたくさんあり、「どうしよう…」と思いました。先生が曲を弾いて聞かせてくれると、聞いたことのあるステキな曲で、「私も弾いてみたい!」と思いました。練習が始まり、弾いてみると、全く弾けません。先生が丁寧におしえてくれるけど、なかなかできませんでした。くやしくて涙が出ました。チャーリーブラウンが思ったように「世界中がぼくに意地悪しているみたいだ」と思ってしまうくらい、いやな気持ちになることもありました。

週に1回のレッスンで先生に習い、後は家に帰って自分で練習します。右手→左手→両手と順に少しずつ、あきらめずに毎日練習しました。とにかく毎日少しでも弾けるようになりたいと言う気持ちでがんばりました。チャーリーブラウンのたこ上げのように「あきらめない」気持ちでした。

そして、発表会の3週間前、ついに1曲通して弾けるようになりました。とてもうれしくて、今度はうれし涙が出ました。先生もお母さんもとてもほめてくれました。あきらめずに頑張ってよかったと思いました。

いよいよ来週がはっぴょう会です。この映画に出てきた「大事なのは続ける勇気だからね」を思い出し、最後まであきらめずに練習を続け、最高の演奏をしたいです。

そして、やっぱりスヌーピーみたいな犬が飼いたいです。スヌーピー待ってるよ。

  ポニーキャニオン賞  

「心に太陽を持て」

大分県宇佐市立駅館小学校6年生
森本秀明

『生まれてきてくれてありがとう』アルバムをめくっていると、生まれたばかりの僕の写真にこうそえられていた。僕は素直にうれしかった。そして、心がすっと楽になった。

僕は今、中学受験を目指して勉強している。この夏、4泊5日の塾の合宿に参加した僕は、ライバルとの学力の差に打ちのめされた。僕は落ち込み、不安で胸が苦しくなった。そんな僕を勇気づけてくれたのが、この映画だった。境遇は違うものの、みんな何らかの不安や悩み、苦しみや悲しみを抱えながら生きている。僕は上手くいかなかったり不安があったりすると、心が折れ、立ち止まってしまう。しかし、ナズナやサトルは苦しみや悲しみと戦いながら、一歩一歩前を向いて進んでいる。その強さに僕は心を打たれた。

僕が生まれてきた意味、存在している理由って何だろう?生まれて初めて考えてみた。僕の家は産婦人科医院、4人兄弟だが男は僕1人。だから、いつの頃からか僕がしっかりしないといけないと思うようになっていた。その思いがプレッシャーとなり、苦しく思うことが時々ある。僕は、僕が存在する意味を、父と同じ道をたどることだと思い込み、苦しんでいたのかもしれない。

生まれたばかりの赤ちゃんをぼんやり眺めていると、みんなが口々に言う言葉が耳に入ってきた。「元気に生まれてきてくれて本当によかった。」僕が生まれた時、みんながどんな気持ちだったのかを確かめるように、僕はアルバムをめくった。どの写真にも僕を見て笑ってくれている家族が写っていた。僕が元気でいるだけで笑顔になってくれる家族の存在、家族の笑顔で元気になれる僕、とても簡単でとても大切な、僕が存在する意味をそこで見つけることができ、心が楽になったのだ。

僕は、家族の笑顔が大好きだ。元気に生まれて来れたこと、いつも支えてくれる家族への感謝の気持ちを忘れず、辛いことがあっても前を向いて一歩一歩進んでいこうと思う。

  ワーナー・ブラザース賞  

「ぼくはおにいちゃん」

岡山県倉敷市立味野小学校1年生
尾池一成

ぼくには3人おねえちゃんがいる。ひとりっこのネイトはあそびあいてがほしくて、コウノトリにあかちゃんをたのんだ。ぼくのおうちにも、ちょっとまえにおかあさんのおなかにあかちゃんがやってきた。おねえちゃんたちは、やったぁとおおきなこえでよろこんでうれしそうにしていたけど、ぼくはおねえちゃんやネイトみたいにわくわくしたうれしいきもちにはなれなかった。あかちゃんがうまれてきたら、ぼくのだいすきなおかあさんがとられるなとおもったら、なみだがでた。

でも、えいがをみてからぼくも、あかちゃんのなまえをかんがえたり、せわをしたりするのがたのしみになってきた。コウノトリのジュニアもこわいおおかみたちもみんなかわいいあかちゃんにメロメロだった。ぼくもあかちゃんにメロメロになるのかな。10月になったらあかちゃんがうまれてくる。ぼく、りっぱなおにいちゃんになるよ。だから、げんきにうまれてきてね。