入賞者・作品紹介

地方大会最優秀賞

2017グランプリ受賞者はこちら

  • ◆各部門の最優秀賞受賞者と地区大会開催地域以外の応募者の中から選ばれた優秀者は全国大会へエントリーされます。
  • ◆記載のない地区に関しては、地区別の表彰を行っておりません。
宮城県
  • 低学年の部
  • 該当者なし
新潟県
  • 低学年の部
  • 該当者なし
  • 中学年の部
  • 該当者なし
東京都
神奈川県
埼玉県
千葉県
愛知県
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  • 該当者なし
静岡県
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  • 該当者なし
岐阜県
大阪府
岡山県
  • 中学年の部
  • 該当者なし
大分県

2017グランプリ受賞者はこちら

「私とマックイーン」

仙台市立西中田小学校4年生
山根一輝

「なんで死んでしまったの?もっと沢山のことを教えて欲しかったのに」今年の1月、私のおばあちゃんが天国へ旅立った。 マックイーンは走り方をドック・ハドソンから学びレースでは無敵の強さだった。しかし、新世代の車が登場すると勝つことができず、あせったマックイーンはスピードを出し過ぎて大事故を起こしてしまう。

私とおばあちゃんの関係はマックイーンとドックに似ている。おばあちゃんは私にあいさつや人への思いやりを教えてくれた。おばあちゃんがいたから今の私がいる。マックイーンは事故を起こした後、スピードや走り方に悩みを持っていたが教えてくれるドックはいない。大切な人を無くす悲しみと未来への不安は今の私と同じかもしれない。

マックイーンはドックのレース仲間の所へ練習に行く。その中でドックは自分が走るよりもマックイーンに教えて成長させる喜びを持っていたことを知った。おばあちゃんも「一輝の成長が楽しみ」と言われたが、ドックと同じ気持ちで私のことを見ていたと思う。

マックイーンは最後のレースの途中でクルーズにレースをゆずって優勝した。教えるというドックと同じ喜びを感じていたはずだ。私はまだ、人に何かを教えてあげられないけど、マックイーンのように教えてみたいと思うようになった。

おばあちゃんやドックも若い時は夢を持っていた。でも、大人になるにつれて、教わる側から伝える側へ、夢を叶える側から、夢を叶えさせる側になっていった。 私にも電車の運転手になると言う夢がある。もし叶えることができたら、私はマックイーンの様に、同じ夢を持つ人に運転を教える人になりたい。 おばあちゃんもドックも教えられて成長したと思う。そうやって人から人へ、車から車へ大切な事が伝えられている。私はこれからもおばあちゃんの教えを必ず守り続けたい。

「夢を追いかける」

仙台市立東長町小学校6年生
阿部優奈

私の弟はカーズが大好きで、カーズシリーズを一緒に見てきた私も、カーズクロスロードを、公開前からとても楽しみにしていた。夢の続きか、新たな人生か、人生の選択がせまられるという予告を見ていて、マックイーンがどのような決断をするのか、不安だった。

マックイーンが、ラジエータースプリングスの仲間や、新たな相棒に支えられながら、運命の決断をする姿に、胸が熱くなった。仲間の助言をチャンスに変え、新しい相棒と一緒に戦い、自分の夢を託すマックイーン。たくさんの努力と、挫折を味わった、マックイーンとクルズラミレスだからこそ、この結末が生まれたのだと感じた。

私の将来の夢は、医者だ。医者になる為にピアノと英語を習っている。ピアノを弾くことで指を動かし、手先が器用に動くようにと始めたピアノ。英語は、医学を学ぶ為、最新の情報を共用する為には英語は必要不可欠だと知り始めた。始めた頃は楽しくて、日々の努力の積み重ねで、スラスラ弾けるようになるピアノ。毎日聞いたり、書いたりする事で、身につく英語。しかし、今では、「時間がある時にやろう」とか、「今日は気分がのってないからやらない」と、自分の夢の為に始めた事なのに、やらない時間が増えている事に気が付いた。私は、努力する事から逃げていた。

夢は努力を惜しまず、見失わなければ叶うものだとクルーズラミレスは証明した。夢を叶えてからは、信じる仲間たちを見つけ、信頼しながら進んでいけば、新たな人生を見つけることができるとマックイーンが教えてくれた。そして、仲間の大切さだ。ラジエータースプリングスの仲間が、後押ししてくれたからこそ、マックイーンは、もう一度夢を追いかけることができたのだ。

私も、自分の夢を後押ししてくれる家族に感謝し、夢を見失わず、努力を惜しまないで夢を叶えたい。

「柏木先生と、わたし」

上越市立国府小学校6年生
小川泉

この映画は、恋人を失ってピアノが弾けなくなったピアニストの柏木先生と、ある中学校の合唱部員たちが出会い、合唱を通じて互いに成長していく、という物語です。

柏木先生は、私によく似ているな、そう思いました。ついキツい言い方をしてしまったり、強がったり。全部私にそっくりだなと思いました。心が壊れそうになると、これ以上傷つかないように周りとの関わりをさける。防衛戦をはる。でもそのせいで、どんどん自分は弱くなっていく。本当に私に似ているので、「柏木先生の気持ち、分かるなあ。」と思った場面がたくさんありました。

例えば、親友の松本先生に、何でピアノが弾けない事、言ってくれなかったの?と聞かれると、「ハルコに話したって意味ない。」と怒りました。私も話したくないことを友達に聞かれたら、「関係ないでしょ。」と怒ると思います。柏木先生も、どうしても聞かれたくなくて怒ったのかなと思いました。

また、柏木先生が「恋人が亡くなったのは自分のせいだ。」と思い、ピアノが弾けなくなったと知ったときは、胸がはりさけそうになりました。私も、自分の失敗なのに、友達が怒られているのを見たときは、ショックで何も言葉が出てきませんでした。だから私は、柏木先生の気持ちが痛いほど分かりました。

でも、柏木先生は私よりもずーっとずっと強くてたくましいと思います。つらい過去をのりこえて、ピアノを再び聴けるようになったからです。そして生徒に、「私は、もう逃げない」と言いました。私は、柏木先生のように強くてたくましい人になりたいです。でも、すぐにはできなくて「できない」とか、「怖い」と思って逃げ出してしまう日もあると思います。でもそんな時は、くちびるに歌をもって、あせらず、ゆっくりと一歩ずつ前に進もうと思います。

「あんたは1人じゃなか。みんながおる。」この言葉を信じて。

「大切なもの」

北区立田端小学校2年生
清水ことみ

カールじいさんと私はにているな。私たちには大すきな人と作った大切な思い出があるよ。私のパパは私が年長の時にびょう気で天国に行ってしまいました。もうパパが「ただいま。」って帰ってこないと思うととてもかなしかったです。もっともっと色々なことをいっしょにしたかったです。この気もちもカールじいさんといっしょだね。パパといっしょの思い出は私のたからもので、心の中でずっと大切にしています。今の私は、りょ行に行った時のこと、学校のこと、家でのこと、うれしかったりいやだったりした色々な出来ごとをいつもパパにほうこくしています。そうするとわらってるパパのかおがうかんで、私の新しい思い出にもパパがいっしょにいるような気もちになってすごくうれしくなります。私はこれからも楽しい思い出をたく山作ってパパにほうこくしたいです。今までも、これからもパパのことがとっても大好き。パパとの思い出が私の大切なたからものです。

「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」

宝仙学園小学校4年生
宮元華乃

この映画には特殊な能力を持つ子供達が登場する。私は彼らが羨ましい。

私にも能力があるだろうか?そもそも、能力があると気付かなければ活かしようがない。いや、能力があっても活かし方を知らなければ、持っている意味はない?彼らには、子供達を守り育てているミス・ぺレグリンの存在がある。子供達が自分の能力と向き合い、適切に使う方法を学べているのは、彼女のお陰だ。私はふとミス・ぺレグリンが父や母と重なることに気付いた。

映画鑑賞中、母は家事をしながら横目で見ては「怖そう。不気味そう。見ていて大丈夫なの……?」と口を挟んでくる。「大丈夫だよ……。」と思うが、恐らくこれはミス・ぺレグリン的役割。私や妹が進むべき道を間違えないように見守ってくれているのだ。アドバイスをくれる。ストップをかけてくれる。そう、私は父や母に守られている。彼らと一緒だ。

さらに、子供達がぺレグリン無しの戦いに挑み、能力は工夫して活かすことで、初めて敵とも戦えると気付くシーンを見た時、父がよく言う「能力を決めつけるな。出来ないと決めた時点で出来なくなる。」という言葉の意味が分かった気がした。無理だと何もせずにいれば、その先にある世界を知らないまま終わってしまう。何と、私は凄いことに気付いてしまった。映画の中だから「特殊」というわけではない。現実も同じだ。

この映画、二日間で気付けば三回も見てしまった。状況に応じて工夫し、自分を進化させようと努力できれば、私の眠った能力も開花するのかもしれない。能力は活かして初めて意味を持つことを彼らが教えてくれた。しかも、私は守られている。まずは、何事にも挑戦して、思う存分やりたいことをやってみよう!大事なことを気付かせてもらった。ティムバートンさん、どうもありがとう。

「モアナと伝説の海をみて」

杉並区立久我山小学校6年生
荒神桜雅

嫌味を言われて謝ってばかりの自分がいる。モアナが危険をもろともせず、テカーとなってしまったテフィティに心を返しにいったように、自分も立ち向かってちゃんと伝えられるようになりたい。映画を見終って強くそう思った。

自分の中に苦い思い出がよみがえる。ボールが転がってくる。早く当てなければ。その一心でボールを思い切って投げた。その瞬間。全身が氷つくような目線で見られぞわっと鳥肌が立った。しまった、そう思った時にはもう遅かった。ずっとぐちぐち言われ続けて、がまんの限界をこえた。「言いたいんだったらはっきり言ってくれ。」「じゃ、はっきりいってやるよ。お前じゃまなんだよ。」ひどく傷ついた。

それ以来、笑って受け流している自分がいる。心の中では嫌だなと思うけど、口には出てこない。どこか諦める気持ちもわく。どうせ言っても悪化するだろうとおじけづく自分もいる。笑って受け流せばいい、そう思い込ませている。モアナは何があっても最後の1%まで可能性を諦めなかった。激しく怒っているテカーにおじけづくことなく、冷静に道を探し出し、怒りに支配された姿のテカーの中に心を返すことができた。本当の自分になってとモアナが言ったシーンが頭から離れない。本当の自分てなんだろう。

怒るという感情と優しさという姿が、テカーとテフィティのように一人の中にも同じ勢力であって、一方が抜けるとどちらかが好き放題になってしまう。そうならば優しさがあるからこそ、怒りがコントロールできるのではないだろうか。嫌われたりする可能性があるけれど、怒りの中にあるものも考えて立ち向かう自分になりたい。大胆不敵でちょっと危ないけれど、そういうことがあってこそ未来が変わると感じることができた。

「怪盗グルーのミニオン大脱走」

横浜市立川上北小学校2年生
清水璃都

グルーはふたごのきょうだいのドルーがいることを知らずに大人になったけど、初めて会った時からドルーの考えることが分かるみたいだった。ケンカしてもなかなおり出来るし、なかよくなってもきょうそうしてる。

ぼくにも、5さいはなれたいもうとがいる。小さないもうとは、ぼくが学校からかえって来るのをいつもまってくれている。いつもぼくと同じものをほしがる。

いもうととけんかもするし、もののとりあいもしたりして、ないてしまったり、いもうとがきらいになったりするけど、でも、やっぱりいもうとのことは、大きらいにはなれない。おとうさんやおかあさんにおこられる時も、いもうとだけは、ぼくのみかたになってくれる。

グル―とドルーのように、なぜか、いっしょにいるとたのしいし、うれしい。ぼくは、いもうとが大すきだ。

「あきらめない心~「ちはやふる」をみて~」

横浜市立平戸小学校4年生
林里彩葡

私は、4年生になってから、学校で百人一首をおぼえています。ほぼ毎日、クラスで百人一首大会を行っています。百人一首をやり始めたときは、句もルールもわかりませんでした。おぼえるのも大変で負けてばかりで悔しかったです。「また負けるからやりたくない」などと思っていたときに、「ちはやふる」を知りました。主人公の思いにひきこまれました。

1番心に残ったところは2つあります。1つ目は、大会に出て優勝したところです。なぜかというと、人を集めてかるた部をつくり、弱いチームでしたが、練習しているうちに、どんどん強くなっていきました。仲間との絆が強いチームを作っていくところがすばらしいと思ったからです。2つ目は、札がとれなくて大会の途中で帰ろうとしたつくえ君をチームのみんながはげましていたところです。その時のつくえ君は、札がとれなくて立ち直れずにいました。そんなところが私ににていると思ったからです。これらには、仲間の団結力、仲間を思いやる気持ち、目標に向かってあきらめない心などあるのだと思いました。

私が学校でグループ活動や、体育で試合をするときには、色々な性格の子が集まります。不得意な子、消極的な子がいてもばかにせずに、手助けや、アドバイスをし、自分も人のアドバイスを聞くようにしています。一人一人が力を発揮し、心を1つにすれば、目標に向かって進めるし、目標達成できることがわかりました。

映画を見る前は、勝ち負けのことが頭に浮かび楽しくありませんでした。でも今は、勝ち負けが気になりません。努力していけば強くなれるし、あきらめない強い心をもつことが大切だと教えてもらったからです。仲間がいれば、一人よりも何百倍もの力を発揮できるので、仲間を大切にしてすごしたいです。

「私という存在」

横浜市立新治小学校6年生
齊藤葵

「どうせ、私なんて…。」
一度、そう思ったことがありました。そう思いたくない。思いたくないと思いながら…。

私は、生まれつき、ぜん息やアレルギーをもっています。それに、あごが小さいので、あごのきょうせいもしています。なので少しお金がかかります。そのことで少しおちこんでいました。自分でも正直、勉強はできる方だと思いますが、運動は自信がないものもあります。そんなことで私は家族が、「こんな私が家族にいたら、ただお金を持っていくだけのようなじゃまなヤツ」だと思っていると1人で思っていました。そして、自分で思っていた通りのことが起きました。うまくいかないことがあり私は思わず泣いてしまいました。この際に、思っていることを全部はき出そうと思い泣きました。でも、それで泣いたということは、すぐに母親は分かってしまい、

「なにかあったの?」
と、聞いてくれました。なので今まであったことを全て話しました。そして、母は言いました。
「なにもしないでそんなこと思わないで!!」
「えっ…。」

私はその時、おどろきました。もっといいはげましの言葉をくれると思っていたのに、逆におこられたんだもの。その日の夜に母が言っていたことについて考えました。でも、わかりませんでした。数日後、私は「SING」という映画を見ました。その時に自分と同じように自信がないキャラクターが出てきて思いました。「私とそっくり」と。でも、そのキャラクターは、みんなにぜったいにできると言われていました。私はまるで自分に言われているように感じました。それで自信がつきました。この映画を見て私はどんな時でも1人ではないことに気がつきました。私は1人ではありません。そしてあなたも。

「大すきなぼくの友だちへ」

さいたま市立慈恩寺小学校2年生
齊藤虎ノ介

今日は大すきなジョージへ手紙を書くことにしたよ。

さいしょは、いたずらでしりたがりで。犬のハンドリーにも心ぱいされている。こまったおさるだと思っていたけど、本当はちがうんだよね。ジョージは、何でも自分でやってみようとする。だからいっぱいしっぱいをしてしまう。でも、さいごにはいつだって、自分の力でかいけつしてしまう。そしてみんなといっしょにえがおになる。黄色いぼうしのおじさんが、でかけている間に、何かをしようとしてぐちゃぐちゃになったへやが、帰って来た時にはもとにもどっているみたいにね。それを見るとぼくは、いつもはく手をする。きみは、しっぱいしてもあきらめないゆう気のおさる。ぼくはきみのゆう気のまほうが大すき。だからぼくも、しっぱいしてもあきらめない。さいごは、ぜったいできるって思うことにしたよ。だからみててね。ジョージ。

「私の生きる道」

久喜市立栗橋西小学校4年生
植村苺香

「まるで、わが家のようだね。」と母が言った。その横で父は、「うちの子っておおかみ子どもみたいだね。」と笑う。

おおかみ子どもの雨と雪は、おおかみの姿と人間の姿をころころと変えながら毎日をすごしている。まるで、どちらかの方が生きていきやすいのかためしているようだった。

私の弟二人はというと、食べ物の取り合いがはじまると大きな声をあげてけんかをする。スーパーに行けば、おやつを買ってと泣きさけぶ。私も母も手がつけられず、まるでおおかみ子どもだ。かと思えば、二人で家ぞくごっこをして楽しそうに遊んでいたり、おやつを分け合っていたりする。そんな姿はものすごくかわいい。

雪は、人と関わることが好きで人間として生きていく事を選んだ。雨は、自然の中で自分の役割りを見つけ、おおかみとして生きていく。それぞれが自分で決めた生き方を、はなは「がんばって生きて。」と応えんする。

私は外で思いきり体を動かして遊ぶこと、読書が大好きだ。田んぼにいる魚やザリガニ、ドジョウが家のまわりにいる。しかし、そう簡単にはつかまえられない。一しゅんの早わざですくりあげる。成功した時の満足感は最高だ。また、友だちと大声をあげながら鬼ごっこをすると、パッと心がはじける。読書は、私の知らない場所や時代に行けたり、本の主人公になってその世界を体験した様な気持ちになる。だから私は、習い事やお出かけに行く事よりもゆったりとした空間の中でたっぷりと時間を使いたい。私の母はそんな私をそのまま受け止めてくれ、気持ちを大切にしてくれる。雨と雪の生き方を見守るはなと同じだ。

自分の生き方は自分で決めていきたい。きっと、父も母も応えんしてくれ、困った時には助けてくれる。そして、私がまよった時には背中を押してくれるだろう。だから私は、毎日を一生けん命生きる。

「聲の形」

ふじみ野市立元福小学校6年生
神木琴音

自分の聲を形にすることはものすごく勇気がいる。なぜならそれは自分をさらけ出すことだからだ。本当の気持ちを受け入れてもらえるのか、不安であり恐怖でもある。

私はふだん思っていることをなかなか相手に伝えられない。5年生の時、お友達に本当の気持ちを伝えられず、逆に人を傷つけてしまったことがあった。伝えられなかったのは、仲間はずれにされたらどうしよう…という怖さや、嫌われたらどうしよう…という不安があって言葉がつまってしまったからだ。きっと同じ気持ちの人がたくさんいたのだと思う。そして、こんな気持ちが集まってクラスの雰囲気は悪くなってしまった。こんなんじゃだめだと思った。少し勇気を出して変わる努力をした。仲良しの友達に注意したり、クラスの中心で自分の気持ちを声にしたりした。すると、目の前の世界が変わって見えたのだ。

私はこの映画から、周りを変えるにはまず、自分が変わることが大切だと思った。一人一人が勇気を出して聲を上げれば必ず良い集団となる。変わってほしいと願っているだけでは何も変わらない。西宮さんが変わろうとしたから、自分の気持ちを行動に表したから、周りのみんなも変わり本当の友達となれたのだと思う。6年生になって友達に、
「すごい変わったね!カッコイイ」
と言われた。このとき私はすごくうれしかった。今でも言葉がつまり、自分の気持ちを伝えられないときがある。でも、友達の言葉や西宮さんを思い出すと勇気が出るのだ。

これからは、聲を形に、気持ちを行動に表していきたい。

「どうして私はおどるのか?」

柏市立柏の葉小学校2年生
田中まひろ

私は小さい時からダンスを習っていて、夢はダンサーなのでこの映画を見ました。

すごいと思ったのは、フェリシーがかいだんの上からグラン・ジュテでとぶところです。あんなふうにとんでみたい、自分もあきらめずにれんしゅうしつづけようと思いました。

フェリシーとカミーユのバレエたいけつのさいご、メラントゥ先生が
「二人はどうして踊るの?」
と聞いたとき、自分はどうだろうと思わず考えてしまいました。

ダンスはただたのしいだけじゃなくて、うまくいかなかったり、えらばれなくてくやしいこともたくさんあります。でも、それがバネになったり、しょう来の力になると思うし、私はダンスが大好きです。フェリシーとにていますが、『ダンスは私の人生みたいなものだ』と思いました。

そして、見てくれた人が笑顔になってくれるようなダンサーになりたいと思います。

「ペットがいる幸せ」

船橋市立海神南小学校4年生
關花音

デュークは飼い主のおじいさんが亡くなり保健所にいるところをケイティに助けだされました。

うちの犬のレモンは、昨年亡くなったばあばの飼っていた犬です。ばあばが亡くなる前にレモンのことを心配しママにひきとってほしいと電話をかけてきました。じいじは認知症がすすんで施設に入所しなくてはいけなくなっていたので、ばあばはレモンが心配でしかたがなかったのだと思います。わたしはレモンが来たとき、マックスと同じ気持ちでした。レモンはわたしが3歳のときにわたしを噛もうとしたことがある犬です。そんな老犬よりもかわいい子犬の方が良いに決まっています。

レモンをひきとったあと、月に一回仙台のじいじのいる施設に遊びにいきます。じいじはママとパパの名前がなかなかでてきません。でも、レモンの鳴き声をきくとすぐに「レモン」と名前を呼んでさがします。レモンと兄妹になったわたしの名前も思い出して学校のお話を聞きたがります。亡くなったばあばのことはわすれてしまっているのに、レモンのことはいつも心配していて会うとよろこんでごきげんになるのです。それだけじいじとレモン、ばあばとレモンはお互いに信頼しあう家族だったんだなと、この映画を見て思いました。

わたしはレモンがわが家にきて良かったと思います。ママは、「老犬だから毎週病院に通ってお金がかかって大変だ。金くい虫が2匹になってしまった。」と、なげいていますが一番だっこしてかわいがっています。わたしの家ではきっと子犬を飼うことはないでしょう。これからも生き物を飼うときはすてられたり、事情があって飼うことができなくなったペットをひきとることになると思います。それで良いと思えるように私はなりました。人によってきずついた生き物を助けいやせる人間に私はなりたいからです。
だからばあば、安心してください。

「グルーになる」

千葉市立金沢小学校5年生
橘川大海

「よう聞け、うじ虫。これからそっち行くからな。必ず地ごく見せたる。」と、ぼくは言い、そして巨大なホオシロザメを右手のパンチ一撃で、蚊を退治するかのようにやっつけます。50回以上この映画を観ているぼくは、この場面が1番好きで、画面に入っているかのようにグルーと一緒に動きます。この時のグルーの言葉は、3人の女の子を助けたいという強い意志がこめられていて強気で戦っていて格好良いです。

ぼくは、初め、グルーを見た時、鼻が長くて、ハゲてて、服も地味で、あまり好きではありませんでした。最初のグルーは、自分勝手で人の事を考えず、うそつきでした。例えば、カフェで並んでいるお客を凍らせてコーヒーとマフィンを横取りしたり、子供にいじわるをしました。でも施設にいた3人の女の子と暮らすにつれて、グルーの心は、雪が溶けるかのようにやさしくなってきました。それは、3人のことが好きになったからだと思います。そして、3人と一緒にくらした方が楽しく幸せに感じたからだと思います。グルーは3人のことが大切になり、守ってあげたいと思い、強い人間になったからだと思います。そして、3人の女の子から信頼されるようにもなりました。

ぼくには3才の妹がいます。7年間一人っ子でさみしく、今より他の人の事を考えられませんでした。でも今は、妹が大好きで、とても大切に思っています。『にいに』とよばれると心が温まります。昔は、おやつも人にあげられなかったけど、今は、自分が食べなくても妹にあげられるようになりました。そして妹がぼくをたよってくれると、うれしくてついはりきっちゃいます。だから、グルーが3人の女の子を守りたいという気持ちは、ぼくにもよく分かります。

ぼくは、まだ命がけで人を守った事はないけど、いつかグルーのように命がけで人を守れる、強くて、やさしい兄になりたいです。

「成長する感じょう」

名古屋市立上名古屋小学校3年生
多和田鈴

わたしは、インサイドヘッドをえい画とDVDで見ました。これは、ライリーという女の子の頭の中にいる感じょうたちのお話です。

感じょうたちは、全部で5人、イカリ、ムカムカ、ビビリ、カナシミ、ヨロコビ。その中でわたしが1番好きな感じょうは、ヨロコビです。なぜかというと、ヨロコビがいるとライリーはいつも元気でいられるからです。

感じょうたちは、毎日頭の中のしれい室でライリーの感じょうを出す仕事をしていました。でも、ある日ライリーたちの家族がひっこすことになって感じょうたちがふあんていになってしまいます。

私の1番わすれられない場面は、ビンボンというライリーが小さいころ想ぞうで作り出した友だちが、出てくるところです。ビンボンはヨロコビと記おくのごみ山におちてしまい、そこから歌のパワーでとぶロケットにのって、上までいこうと何回も何回もちょうせんしたけれどむりでした。ビンボンは、ライリーにわすれられたくなかったけれど、よろこびをしれい室に帰してあげたかったので、そっとロケットからおりて、ヨロコビをごみ山から出してあげました。ビンボンは自分のことより、ライリーにとって大事なのはヨロコビの方だと考えたのかもしれません。

わたしにもビンボンみたいに小さいころは大切だったけど今わすれてしまっている思い出があるかもしれないと思いました。

この映画で、昔の思い出のうれしいより今のうれしいの方が昔とは、ちょっとちがうと思いました。小さいころは、ニコニコただわらってうれしいと思っていただけだけれど、今は理由のあるうれしいや楽しいがあります。感じょうは、成長するたびにふえているんじゃないのかなと思います。感じょうをゆたかにするには、たくさんの事をけいけんしたり、学んだりすることではないかなと思いました。これから私の中にもたくさんの記おくの島を作るためにいろいろなけいけんをしたいです。

「千尋とハクと私」

名古屋市立植田南小学校5年生
水野安珠

今年の春、私は四年間過ごした長崎から名古屋へ引っこしてきました。

長崎の学校では、平和や福祉についてたくさん学びました。原爆の爆心地から近い学校には、平和モニュメントや被爆したクスの木、少年平和像などがたくさんあり、平和学習を深めました。また、友達と毎日楽しく遊んだり、勉強したり…。私はこの学校に通うのがとてもほこらしかったです。

名古屋に引っこすと聞いたとき、新しい学校で友達ができるのか、とても不安でした。

私と同じ10才の千尋も、転校することになり、不安な気持ちを抱えながら新しい家へ向かう途中、不思議な世界に迷い込みます。

この不思議な世界で、声をかけて勇気づけてくれたのがハクでした。千尋にとってハクは、とても大切な存在だったのです。

ハクがいたから、千尋は色々な経験を通して強くなり、成長することができました。

私にとっての不思議な世界は、初めての学校、初めての教室そして初めて見る先生、クラスの友達でした。

新しい学校になじめるのか、新しい友達はできるのか不安な気持ちでいっぱいでした。ドキドキしながら自分の席につくと、たくさんの友達が声をかけてくれました。わからない事を親切に教えてくれる友達のおかげで、私の心は晴れわたるようでした。

これからも私は、新しい場所で、新しい友達とたくさんの事を経験したいです。友達と意見が合わずに落ちこんで悩んだり、一緒に遊んで笑ったり、みんなで力を合わせ、1つの目標に向かってがんばったりしながら私も千尋のように成長していきたいです。

そして、不安な人や困っている人を見かけたら、「大丈夫だよ。」とハクのように声をかけられるような存在になりたいです。

夏休み、お父さんに頼んで、「油谷」のモデルだと言われている清洲城へ行き、私は千尋のように朱橋を息を止めて通ってみました。

「努力のあとには…」

菊川市立堀之内小学校6年生
戸塚俊作

ぼくは、水谷豊が好きだ。この映画は水谷豊の初監督作品だ。

五十人以上のダンサーが、全員でタップをするシーンは、すごくかっこよかった。早いリズムでも細かいリズムでも、全員の足がそろってすごかった。そんなすばらしいダンスが出来たのは、何ヶ月かも一人一人が一生懸命練習をして力の限り努力をしてきたからだと思う。

この映画のダンサー達と、運動会のリレー練習をするぼくのクラスは似ていると思った。

ぼくのクラスは、なかなかみんなの気持ちが1つにならなかった。遊んでばかりいて、練習をやらない人達がいたからだ。ぼくや他の友達が、「遊びたい気持ちはわかるけど、今はリレー練習をやらないといけない時だよ。みんなで力と心を合わせてやろうよ。」と、声をかけた。何度もさそううちに、やっと全員で練習することが出来てきた。バトン練習や声出しも少しずつ上手になり、本番には、みんな一人一人が今まで努力してきた成果を思いっきり出すことが出来た。

最初はみんなバラバラだった気持ちが、声をかけたりかけられたりして、最後には、1つのことをみんなで力と心を合わせて成功させた。それが、この映画のダンサー達とぼくのクラスの一番似ているところだ。

ぼくは、この映画を見てあらためて思った。それは、何事にも努力をするということの大切さだ。ダンサーの人達が一生懸命練習をして、その努力があったからこそ、ラスト24分間の最高のダンスが出来たと思う。努力するということは、決して無駄にはならない。これからの生活、これからの人生でたくさんの努力をしていきたい。

「メアリと魔女の花をみて」

岐阜大学教育学部附属小学校1年生
足名昴

ぼくメアリみたいな人になってみたいなあ。ピーターから、てをはなしたとき、たすけにいこうとかんがえていたからです。ぼくが、あのとき、メアリだったら、こわくて、かちんこちんにかたまっていました。なにもできなかったでしょう。だから、ぼくは、しっぱいしないようにしんちょうにやりたいとおもいました。うかれてちょうしにのらない、うそをつかない。メアリはうそをついたことでみんなに、たいへんなことを、してしまいました。ぼくも、おなじことがありました。ちょうしにのってうしろはしりをしていたらかべにあたまをぶつけけがをしました。そのとき、みんなにしんぱいをかけてしまいました。しんちょうにやってもじょうずにできないぼくです。でもぼくも、こわいひとでも、たちむかっていきたいです。このように、まほうは、ありません。でもやりとげることは、じぶんのちからになるかもしれません。だからぼくは、まほうをかけられるにんげんになりたいです。みんなをほめてえがおにしたい。

「フェリシーと同じ夢を見る私」

岐阜聖徳学園大学附属小学校3年生
大橋莉々

フェリーシーと私は、いつでもどこでも踊ってしまうくらいバレエが大好きで、夢がバレリーナになるところが同じです。フェリシーはパリオペラ座バレエ団で、私は、イギリスロイヤルバレエ団に入ってバレリーナを目指しています。

フェリシーは主役になるために、一生懸命練習していました。カミーユと勝負してさい後にフェリシーがグランジュッテをきれいに成功したところが1番心に残り感動して泣いてしまいました。なぜなら、すごくむずかしいおおわざのグランジュッテをしっかりと一直線に開いて成功し、カミーユに勝って夢をかなえたからです。

私は、ちょうど今トウシューズをはき始めたばかりで、足がいたいけれど、はけるようになったことはとてもうれしくてレッスンがすごく楽しいです。フェリシーみたいにいつか大わざのグランジュッテやグランフェッテ32回転をトウシューズでできるようになりたいです。バレリーナを目指すには、しっかりとバーレッスンをしてきそをみにつけ、フェリシーのような情熱を持って練習を頑張ろうと思います。

私のあこがれているバレエダンサーがロイヤルバレエ団にいたので、私もいつかプリンシパルになっていろいろな主役をやりたいです。そして、フェリシーの踊りを見て私が感動したように、見てくれる人に感動してもらえるようなすてきなバレエダンサーになりたいです。

「立ち向かえる勇気」

岐阜市立則武小学校6年生
宮田果典

「魔法なんて、いらない!」
ピーターを助けるため、1人で巨大な力に立ち向かった少女、メアリの言葉だ。私はこの言葉を聞いた時、はっとした。

メアリは不思議な花のおかげで魔女になった。すばらしい魔法で様々な事ができた。もしも魔法が使えたら、どんなに良いかと時々ふっと考える。空を飛べる、変身できる、欲しい物が手に入る。良いこと、楽になることばかりがあふれてくる。満ち足りた生活になるだろうか。

しかしメアリは、最後にそんな便利な楽しい力をいらないと言った。私は思い返してみた。

この夏、水泳の授業が始まった時のことだ。私は100mの検定を受けることにしたが、最後まで泳ぐことができるのか、心配で心配で検定のことを考えるたびに、心に重い石が積まれてゆくような気がした。何度も「魔法で100mが泳げたらいいな」と考えていた。

そして検定の日、力を出し切り100mを泳ぎ切った。途中で足を着こうか…迷ったけれど、声えんが水の中にも響いた。大きな力がわいてきた。水から上がった時には、心の中の重い石がすっかりくだけ散り、すがすがしい満足感でパンパンになった。もしも、魔法を使ったとしたら、こんなにすばらしい気持ちは味わえなかっただろう。私には、みんなの応えんの声が何よりの、「魔法」だったのだ。

メアリは、魔法に頼らず自分の力だけでピーターを助けた。特別な力が無くなっても、「勇気」という何よりも強い武器で戦ったのだ。メアリから武器をもらって、何度でも失敗しても顔を上げて、立ち向かえる気がした。

これから、私も強い心を持って何ごとにも自分の力で挑戦していきたい。魔女の花を広い青空に放り投げた。メアリのように。

「ゆうきのまほう」

大阪教育大学付属天王寺小学校1年生
本岡環

ぼくもまほうがつかえるようになりたいとおもった。そらをとんだり、まほうのちからでりょうりしたり、じぶんではできないことができてたのしそうだ。でもぼくのせかいのなかにも、まほうみたいなことはたくさんある。

おみせにいかなくてもパソコンでかいものをしたり、かいだんをのぼらなくてもエレベーターのボタンをおすだけでいきたいところまでいける。こんなまほうがぜんぶなくなってしまったらどうしよう。そうぞうしてみたら、とてもふべんでたいへんそうだ。でもきっと、おみせのひとにそうだんしてかいものをしたり、ともだちとはげましあってながいかいだんもなんとかのぼれるとおもう。

じぶんのちからでのりこえるぞというきもちときょうりょくするともだちパワーが、ゆうきのまほうになってどんなときもまえにすすんでいけるといいな。

「平和をいのって」

大阪教育大学付属天王寺小学校4年生
引地桜子

ほたるのはかは、見た人に「せん争はとても悲しいこと、いけないことだ。」と伝えるえい画だと感じました。

もしせん争が起きて、父や母がいなくなったり、はなればなれになったら、と考えると、どこで、どうして私は生きていくのかなといろんなことを考えてしまいました。でも、考えれば考えるほど悪い方にどんどんおちいってしまいました。

このえい画を見る前からも、せん争はこわいと思っていました。しかし、ほたるのはかを見てからは、もっとせん争はざんこくでおそろしいものとわかりました。

せん争をして、なんのとくがあるのか。せん争に勝ったとしても、たくさんの死者が出るのだから、全くうれしいことではありません。しかし、昔の教育は今と違い、「お国のためにたたかえ。」「お国のために死ぬのが美しい。」と教えられていたとひいおばあちゃんから聞きました。

ひいおばあちゃんが10さいくらいのとき、学校のかえりにばくだんが落ちてきたといっていました。今そんなこわいことがおきたらどうなるだろうと、考えるだけでおそろしくなりました。

私はこんなに平和な時代に生まれたことをすごく幸せに思います。約50年前に生まれていたらどうなっていたのだろうか。たぶんたくさんの人が死んでいき、たくさんばくだんがふってきて、おびえるくらしを、まいにちのようにおくっていたでしょう。

せん争はこの世の中でも本当ににくむべきものであり、あってはならないものです。せん争というもののおそろしさを私の子どもやみなさんにもつたえていくべきだと感じました。

「ツナグ」

大阪市立聖賢小学校5年生
曽我綸

映画が終わった時母に「お空のばあばに会いたい。」と尋ねた。母は、よくばあばのことを口にする。特に私が頑張ろうとする時「ばあばが空から見守ってくれているよ。」と、私に声をかける。私は、ばあばに会ったことはない。ばあばは、私が生まれる前に天国へ行ってしまったからだ。でも母に言われる度、ばあばが見てくれている気がして頑張れる。だから私は、「お空のばあば」とよんでいる。

当時母は、一人暮らしをしていた。ばあばが亡くなる前日の夜、ばあばから電話があったそうだ。その時母は、そっけない態度をとってしまった。次の日元気だったばあばが、天国へいってしまうなんて夢にも思わなかったから。「もっと親孝行しておけば良かった。もっとやさしくしとけば良かった。もっと色んな話をしとけば良かったなぁ。」と、母は遠い目をしてつぶやいた。

身近な人が、永遠に自分の目の前からいなくなった時、人は色々と後悔する。それが自分にとって大切な人であればあるほど…。きっと私の母も自分の母親に会いたいにちがいない。人は、必ず死ぬ。死んだ人はどこへ行くんだろう。大切な人とは、死んでしまってもつながっていたい。つながりが強い人ほど残された人は前に進めなくなる。ツナグで死者にあった人は皆そうだった。親友にあった嵐も婚約者にあった土谷もハッピーエンドではなかった。でも結果的にハッピーエンドでなくても、彼らは現実を受け入れ、これからを生きていこうとしている。

大切な人をなくすということは、きっと1番つらいことだ。でも残された人間が、幸せでくいのない人生を送ることが1番大切なんだと思う。私は、自分の人生を一生けん命生きていきたい。そして、大切な人をおもい、ずっと忘れないでいたい。「お空のばあば、私頑張るからね。見守っていてね。」と私は、まっ青な大空を見上げ、何度も何度も願った。

「ぼくはおにいちゃん」

倉敷市立味野小学校1年生
尾池一成

ぼくには3人おねえちゃんがいる。ひとりっこのネイトはあそびあいてがほしくて、コウノトリにあかちゃんをたのんだ。ぼくのおうちにも、ちょっとまえにおかあさんのおなかにあかちゃんがやってきた。おねえちゃんたちは、やったぁとおおきなこえでよろこんでうれしそうにしていたけど、ぼくはおねえちゃんやネイトみたいにわくわくしたうれしいきもちにはなれなかった。あかちゃんがうまれてきたら、ぼくのだいずきなおかあさんがとられるなとおもったら、なみだがでた。

でも、えいがをみてからぼくも、あかちゃんのなまえをかんがえたり、せわをしたりするのがたのしみになってきた。コウノトリのジュニアもこわいおおかみたちもみんなかわいいあかちゃんにメロメロだった。ぼくもあかちゃんにメロメロになるのかな。10月になったらあかちゃんがうまれてくる。ぼく、りっぱなおにいちゃんになるよ。だから、げんきにうまれてきてね。

「あきらめない強い気持ち」

倉敷市立児島小学校6年生
道久海斗

ジュディ・ポップスと同じ警察官になるのがぼくの夢だ。ジュディは体が小さくみんなから、無理だから夢をあきらめるよう言われても、努力し一生けん命訓練しがんばって夢をかなえた。ぼくは感動した。

ぼくは6年生だけど体が小さい。ぼくは、ふた子で弟だ。姉はふ通なのに、なんでぼくは体が小さいのかと何度も思ったことがある。その事を友達から、からかわれたりする事もある。いやな思いをし帰たくして泣いた事もある。ジュディの家族のように、ぼくの家族も心配してくれる。でもそんな時お母さんは「大丈夫。大きくなる。大きくなれるよ。」とやさしくだきしめてくれる。するとぼくは、自然となみだが止まり、やさしい気持ちになれる。

ぼくは5年生から少林寺を習っている。習い始めてすぐ大会に出た。もちろん負けた。でもその時、悔しい気持ちで泣いたことを今でも覚えている。先生にも「始めたばかりだ。次でがんばれ。」と声をかけてもらった。それから1年、練習がきつい時もあるけど、休まずがんばっている。そして今年の大会でゆう勝した。最高にうれしかった。今年は去年とはちがう、うれしなみだだ。がんばって練習して本当に良かった。がんばれば夢はかなう。ぼくはそう思った。ズートピアの主題歌の中に「あきらめないでいこう。どんなことがあったとしても。何度でもダメだったとしても。向かっていけばいい。」と言う歌しの通り、ぼくも練習をがんばってもっと強くなって、弱い人や困っている人の力になりたい。絶対夢はあきらめない。ジュディ・ポップスじゅん査のように、みんなから愛される、かっこいい警察官になる。

「ともだちはたからもの」

中津市立大幡小学校2年生
西和磨

マックイーンとメーターはしんゆうです。ぼくにも、2さいからいっしょにいるしんゆうがいます。学校の行きかえりもしゅくだいもいっしょにして、まい日あそんでいます。

マックイーンはメーターのせいでレースにまけて、ひどいことをいってしまいます。でも、
「ゆうじょうよりだいじなけんかなんてない。ともだちはたからものと同じ。」
と言われて、本とうに大せつなことに気がつきました。だからすなおにあやまってなかなおりできました。

ぼくたちはけんかをしても、つぎの日にはわすれてなかよくなります。でもこれからは、ぼくがわるい時には、ちゃんとあやまってなかなおりをします。マックイーンとメーターのようなしんゆうで、これからもいたいからです。ともだちはたからものと同じです。ぼくも大せつなことに気がつきました。

「あきらめない気持ち」

大分市立西の台小学校4年生
内田早紀

私は、「私でよかった!」と思える人生にしたいと、この作品を観終わって思いました。

私はスヌーピーが大好きで、この映画を観ました。その時は、スヌーピーみたいな犬が飼いたいなと思いました。でも、それだけではない、いろんなメッセージが気になり、夏休みにDVDでもう一度観ました。

私は今、ピアノの発表会に向けて、頑張っています。「メヌエット・ト長調」という難しい曲に挑戦しています。最初に先生から楽譜をもらった時、見たこともない記号がたくさんあり、「どうしよう…」と思いました。先生が曲を弾いて聞かせてくれると、聞いたことのあるステキな曲で、「私も弾いてみたい!」と思いました。練習が始まり、弾いてみると、全く弾けません。先生が丁寧におしえてくれるけど、なかなかできませんでした。くやしくて涙が出ました。チャーリーブラウンが思ったように「世界中がぼくに意地悪しているみたいだ」と思ってしまうくらい、いやな気持ちになることもありました。

週に1回のレッスンで先生に習い、後は家に帰って自分で練習します。右手→左手→両手と順に少しずつ、あきらめずに毎日練習しました。とにかく毎日少しでも弾けるようになりたいと言う気持ちでがんばりました。チャーリーブラウンのたこ上げのように「あきらめない」気持ちでした。

そして、発表会の3週間前、ついに1曲通して弾けるようになりました。とてもうれしくて、今度はうれし涙が出ました。先生もお母さんもとてもほめてくれました。あきらめずに頑張ってよかったと思いました。

いよいよ来週がはっぴょう会です。この映画に出てきた「大事なのは続ける勇気だからね」を思い出し、最後まであきらめずに練習を続け、最高の演奏をしたいです。

そして、やっぱりスヌーピーみたいな犬が飼いたいです。スヌーピー待ってるよ。

「心に太陽を持て」

宇佐市立駅館小学校6年生
森本秀明

『生まれてきてくれてありがとう』アルバムをめくっていると、生まれたばかりの僕の写真にこうそえられていた。僕は素直にうれしかった。そして、心がすっと楽になった。

僕は今、中学受験を目指して勉強している。この夏、4泊5日の塾の合宿に参加した僕は、ライバルとの学力の差に打ちのめされた。僕は落ち込み、不安で胸が苦しくなった。そんな僕を勇気づけてくれたのが、この映画だった。境遇は違うものの、みんな何らかの不安や悩み、苦しみや悲しみを抱えながら生きている。僕は上手くいかなかったり不安があったりすると、心が折れ、立ち止まってしまう。しかし、ナズナやサトルは苦しみや悲しみと戦いながら、一歩一歩前を向いて進んでいる。その強さに僕は心を打たれた。

僕が生まれてきた意味、存在している理由って何だろう?生まれて初めて考えてみた。僕の家は産婦人科医院、4人兄弟だが男は僕1人。だから、いつの頃からか僕がしっかりしないといけないと思うようになっていた。その思いがプレッシャーとなり、苦しく思うことが時々ある。僕は、僕が存在する意味を、父と同じ道をたどることだと思い込み、苦しんでいたのかもしれない。

生まれたばかりの赤ちゃんをぼんやり眺めていると、みんなが口々に言う言葉が耳に入ってきた。「元気に生まれてきてくれて本当によかった。」僕が生まれた時、みんながどんな気持ちだったのかを確かめるように、僕はアルバムをめくった。どの写真にも僕を見て笑ってくれている家族が写っていた。僕が元気でいるだけで笑顔になってくれる家族の存在、家族の笑顔で元気になれる僕、とても簡単でとても大切な、僕が存在する意味をそこで見つけることができ、心が楽になったのだ。

僕は、家族の笑顔が大好きだ。元気に生まれて来れたこと、いつも支えてくれる家族への感謝の気持ちを忘れず、辛いことがあっても前を向いて一歩一歩進んでいこうと思う。