カンヌで4冠受賞!「ドライブ・マイ・カー」西島秀俊インタビュー

カンヌで4冠受賞!「ドライブ・マイ・カー」西島秀俊インタビュー

目の前で何か凄いことが起きている

 西島秀俊はこれまで、『キネマ旬報』で名監督たちへの驚きを語ってきた。

 濱口竜介監督の師、黒沢清監督の「ニンゲン合格!」(99年)で「ただ右を向いてください。できますよね。よ一いスタート」と指示された驚き。

 「Dolls」(02年)の際、北野武監督からは「何も準備しなくていいから」と言われた。

 「2/デュオ」(97年)の諏訪敦彦監督からは「撮れなかったら、みんなで何で撮れなかったかを話し合って、それを撮ればいい」と言われ「吹っ切れた」。

 そして、濱ロ竜介監督の撮影現場で西島秀俊を新たに待っていた驚きとは?

新鮮な驚き

 俳優・西島秀俊。表現者としてのキャリアはまもなく30年を迎えるが、そのような彼にとっても、濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」の現場はこれまでにない独特なものであったという。

〈というのは、演技を深めていって本番を迎えた時に、全然見え方が違ってくるんです。「本読み」は何度もやっているので、自分以外の俳優さんの台詞もすべて頭の中に入っているはずなのに、はじめてその人やその光景に触れたような、新鮮な驚きがある。そうした驚きは、『ドライブ・マイ・カー』の現場ではずっと持続していました〉

 このような新鮮な驚きはなぜ生まれたのだろうか。西島は、その背景にはまず「本読み」の独特さがあったと語る。

 〈準備段階では一切の感情を込めず、ちょうどスケジュールを読むような形で台詞を読むことが求められました。それに、台詞の読み方も厳密でした。ここは、をつけて、ここは…・・みたいに間を空ける。設計図みたいに、出演者のみんながメモしながら、台詞を狂いなく頭の中に入れていきました〉

 濱口自身が「ハッピーアワー」(15年)で確立した、いわゆる濱ロメソッドと呼ばれる演出だ。その存在自体は西島も知ってはいたものの、実際に自身が演技の当事者となったことで、新たな発見が大きかった。

 物語は、西島が演じる演出家、および舞台俳優の家福悠介が広島国際演劇祭での依頼を受け、広島でチェーホフの舞台『ワーニャ伯父さん』を演出するまでの過程が軸となる。

 〈演出家という役柄はほとんど経験がなく、難しかったですね。いろんな劇団の稽古場に行って、実際の演出家、出家の方に話を聞いたりして、自分なりの演出論を考えたりもしました。また、濱口さんからは質問表を渡されることもありました。「愛についてどう思いますか?」といった質問に、家福として自分が答えるんです。家福悠介がそう思ったのであれば、回答は「答えたくありません」でもよくて。そのような過程を通して、家福としての自分が、徐々に身体の中に根づいていったと思います〉

自然な驚きが態度に

 準備段階でのセリフには緻密さが求められる一方で、本番では対照的に台詞と動作の自由さが認められた。「本番では何をやってもよくて。実際にうまくいっているときって、セリフが抜けるんです。不思議とすぽんて。変な言葉が出てきたりもして」。しかし、そうしたいわばアクシデントが発生したシーンが、実際の映画に採用されることもまた少なくはなかったという。

 〈そのため、本番ではより自由な感覚がありましたが、そうした感覚はまた、撮影の四宮(秀俊)さんや照明の高井(大樹)さん、録音の伊豆田(廉明)さんなど、スタッフの方の優秀さに支えられたものでもありました。撮影中にはここからここまでしか動けないという制約が入ることも、照明器具の存在を意識させられることもなく、大きな声で話さなくては、みたいなこともありませんでした。車中の撮影は、決して難易度の低いものではありません。ノイズも発生しますし、普通の現場では普段より大きな声で話すことを求められることもありますけど、「ドライブ・マイ・カー」の現場では一切そのようなことがなかった。そのため、必要以上に演技を意識する必要がなく、ありがたかったですね〉

 そうした過程を経て(そして恐らくは本番においては準備段階でのさまざまな制約が解消されたことで)、西島が語った数々の新鮮な驚きが、「ドライブ・マイ・カー」の中には生まれた。その中でも大きかったのは、『ワーニャ伯父さん』で主人公ワーニャを演じる俳優高槻耕史(岡田将生)が、車中で家福に対し、やつめうなぎに関連した長いエピソードを語るシーンだったという。

 〈あのシーンは、劇中においても一つのヤマ場でしたが、それは僕にとって、予定調和なものではありませんでした。あの場では家福としての僕も驚きの反応を見せますが、狙ってそうしたのではなく、あの瞬間、明らかにこれまでとは違った高槻像、また物語の像が見えて、自然な驚きが態度となって出てきました。こうした、目の前で何か凄いことが起きているという驚きは、僕以外のキャストの方たちもずっと共有していたものでした〉

 家福と高槻に加え、劇中のキーパーソンとなるのは、広島で家福の専属ドライバーとなる渡利みさき(三浦透子)だ。寡黙で、自分から口を開くことはめったにない彼女だが、次第に自身の率直な感情や、過去の経験を口にするようになっていく。〈高槻と同様、みさきも車中で印象的なセリフを口にしますが、その時もまた、家福としての自然な驚きがありました。そうした自然な感覚が、作品では反映されていると思います〉

 本番で俳優が新鮮な姿で立ち上がる。その姿を見て、対峙する別な俳優が驚く。その予期せぬ驚き、リアクションもまた、演技に新鮮さを付加する。それを見た元の俳優もまた、相手の新鮮さに驚き……その限りない連鎖。濱口は自らのメソッドによって俳優たちが相互触発し合い、新鮮さを生み出し合い続けるという事件をカメラの前に生み出し、捉えたかったのではないか。

孤高の映画制作

 「ドライブ・マイ・カー」の劇中の世界は、家福が脚本家であった妻・音(霧島れいか)と暮らしていた「東京篇」と、音の死から2年が経ち、演劇祭の依頼を受けた家福が広島に向かう「広島篇」のふたつに分けられる。撮影は順撮りで行われたものの、コロナ禍の影響で、東京篇の撮影終了から広島編の撮影開始までには、半年以上の間が空くこととなった。〈ただ、それが結果的には、プラスに作用したと思います。2年と半年という違いはありますが、時間の経過による変化が僕の身体にも染みこまれたことで、作中の時間の変化にも自然に入り込んでいけた。また、音の死による家福の変化を演じる上では、コロナ禍による世界の変化にも影響を受けています。もちろん、感染対策の手間などはありましたけど、こうした偶然を味方につけられることに、濱口さんの強さが感じられましたね〉。

 濱口監督からは撮影にあたって、ある本を薦められた。〈ロベール・ブレッソンの『シネマトグラフ覚書映画監督のノート』(87年、松浦寿輝訳、筑摩書房)です。これは僕自身もその多くのページにぴっちりと付箋をつけた、かつての愛読書でした〉しかし、同時に長い間にわたって封印してきた、自身にとっては禁断の書でもあったという。〈書いてあること自体は率直にすごいなと思いましたけど、ブレッソンの言うような感情を抑制した、いわゆる芝居じみた演技を排すことは、自分にはできないなと思ったんです。ただ、自分にこうしたことが求められているのであれば、逃げてはいけないと思い、今回10何年ぶりに読み返して、また新たな刺激を受けました〉

 濱口監督と話す中では、かつて20年前に同じ衝撃を共有していたこともわかった。〈00年に「カサヴェテス2000」という特集上映で、ジョン・カサヴェテスの「ハズバンズ」(70年)や「ミニー&モスコウィッツ」(71年)を見て、こんなに既成の映画づくりから離れた自由なことができるんだと思いました。それは自身の中でも大きな映画体験だったのですが、濱口さんからは『シネマトグラフ覚書』と一緒に、『ジョン・カサヴェテスは語る』(00年、レイ・カー二ー編、遠山純生・都筑はじめ訳、ビターズ・エンド)を薦められたんです。それでひょっとして、と尋ねたところ、当時大学生だった濱口さんもこの特集上映を見て、こんな作品を作りたいと魅了されたことを語られて。ブレッソンやカサヴェテスのような孤高の映画制作は、「ドライブ・マイ・カー」でも確かに感じました〉

 今後も出演作が続々と控える西島だが、初の濱口組への参加は、彼にとっても大きな分岐点になるかもしれない。「こうした経験をした以上は、これから良くも悪くも、自分の仕事が別なフェーズに移行してしまいそうな感じがしますね」と、最後に笑顔を見せた。

(C)2021「ドライブ・マイ・カー」製作委員会

取材・構成=伊藤元晴+山下研+若林良 

『キネマ旬報』2021年8月上旬号より転載

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