『キネマ旬報』は、1919(大正8)年に創刊され、現在まで続いている映画雑誌として、日本では最も古い歴史を誇ります。キネマ旬報賞の始まりは、当時の編集同人の投票集計により、まず1924年度(大正13年)のベスト・テンを選定したのが、その最初。当初は<芸術的に最も優れた映画><娯楽的に最も優れた映画>の2部門(外国映画のみ)でしたが、1926(大正15)年、日本映画の水準が上がったのを機に、現行と同様の<日本映画><外国映画>の2部門に分けたベスト・テンに変わりました。戦争による中断があったものの、大正時代から現在まで、継続的にベスト・テンは選出され続けています。
長い歴史を持つ映画賞
世界的にみても、非常に長い歴史を持つ映画賞。ちなみにアメリカのアカデミー賞よりもキネマ旬報ベスト・テンの方が1回多いのです!
多面的な選出
その年を代表する「日本映画」「外国映画」をベスト・テンとして10本挙げるほか、「文化映画作品賞」「日本映画監督賞」「外国映画監督賞」「日本映画脚本賞」「日本映画主演男優賞」「日本映画主演女優賞」「日本映画助演男優賞」「日本映画助演女優賞」「日本映画新人男優賞」「日本映画新人女優賞」「読者選出日本映画監督賞」「読者選出外国映画監督賞」「キネマ旬報読者賞」と、その年の称賛すべき作品・映画人を多面的に選び出しています。
厳選された公正な審査
ベスト・テン及び各賞の選出者は、映画を多く見ている者に厳しく限定され、しかも選出者数が多く、更にその年齢・所属の幅(映画評論家、日本映画記者クラブ員など)も広いことから、当年の映画界の実勢を反映する最も中立的で信頼に足る映画賞という評価を業界内外からいただいています。
トロフィーについて
トロフィーのデザインは、黒澤明監督「乱」で受賞したアカデミー賞衣裳デザイン賞をはじめとして、受賞経験豊富なワダエミさんにお願いしました。受賞の喜び、重みを知る方の作られたトロフィーには、こんな思いが込められています。
【ワダエミさんコメント(97年2月下旬号より)】
© キネマ旬報社
「頭の部分をコンセプト(発想力)、手の部分を技術力、表現力と考えますと、このトロフィーには、それらが欠けています。それは、これを受け取られた受賞者の方々の、発想力、技術力、表現力を以て、完全にしていただきたい、という気持ちからです。
また、少女でも、少年でもなく、あるいはその両方を備える若い精神と肉体を持った彫像であるのは、いつまでも役や作品に対し、真摯であり続ける映画人の取り組みを表現したためです。
細かなディテールで言いますと、一歩踏み出した足には、現状に満足せず、常に前に歩んでいく映画人の思いを、胸に付けられたフィルムの形には未来へ続くイメージをデザインしています。
アカデミー賞で、私は『オスカーには、私の衣裳は必要ありませんね』とスピーチさせていただきました。その通り、衣裳を着けたら、オスカーの良さは失われてしまうでしょう。
このキネマ旬報のトロフィーには、もともと人類が最初に衣とした素材―――、麻を纏せています。私は、この麻の衣を纏ったキネ旬のトロフィーと、衣を受け付けないくらい隙の無いデザインのオスカーは、ある意味で同じ重みを持つと思っています。賞を贈るということは、百年の映画の歴史に、何か新たなるものを加えることだと思います。
キネマ旬報賞は、文化勲章のように授けられるのではなく、偉業である映画作りを、より良い形で成し遂げられた方々に敬意を表すものだと思っています。このトロフィーが、映画の未来に貢献される映画人の、希望の“象徴”となってくれることを期待しています」
※ちなみにこのトロフィー、約4Kgあります。オスカー像は約3Kg。オスカー像よりも重いものをつくりましょうとワダエミさんに助言を頂きました。受賞された皆さんが手渡された時に、第一声として「重い...」と呟かれるのも頷けます。