ニュースNEWS

特集・評論ARTICLE

新作情報NEW RELEASE INFORMATION

週末映画ランキングMOVIE RANKING

専門家レビューREVIEW

Page30

公開: 2025年4月11日
  • 映画評論家  上島春彦

    監禁舞台シチュエーションは秀逸で俳優も頑張っている。だがいろいろ甘い。台詞の内容とリハーサル現場の確執が虚実皮膜で、それを配役変更の繰り返しで表現していく趣向は素晴らしいものの、お客さんがセレブで彼らを納得させるのが目的というのはいただけない。4人の女優それぞれが崖っぷち状態だから、自分が主役をやりたいというバトルのようだが「舞台ってホントに主役じゃないとダメなものかな?」と私は思ってしまった。テーマソング付きのオチは良くできている。

  • ライター、編集  川口ミリ

    “女優”像が古すぎる。4人が公演を終え、拍手喝采を受けるラストで観客がかける「頑張った!」の一言に、本作の醜悪さが集約されていた。全役のセリフを覚えるとか、憑依型であるとか、どんな理不尽にもめげないとか……、芝居の本質からズレた、献身ばかりを役者の美徳とするような設定にうんざり。ワンシチュエーションゆえ、物語上の謎、カメラワーク、劇伴などに変化をつけて話を引っ張ろうとはしているが、場当たり的なのでさすがに飽きる。4人のキャラもブレブレで困惑した。

  • 映画評論家  北川れい子

    円形の舞台に集まったのは、キャラもキャリアも異なる女優4人。手にしているのは「アンダースキン」という30ページの台本で、本番は3日後。4役の誰がどの役を演じるかは未定で、全員が4役分の台詞を覚えることに。という台詞がメインのへヴィな下克上劇って、しかもページが激しく移動、さらに台詞と女優たちの私語が混ざり合い、観ているこちらは神経衰弱寸前! けれども本番を迎えたときのリレー演技は全員がつながり、監督、脚本、女優たちの大胆な挑戦にぐったりしつつ乾杯! 

>もっと見る

プロフェッショナル(2024)

公開: 2025年4月11日
  • 映画評論家  鬼塚大輔

    「マークスマン」を観て、構図感覚の素晴らしさに驚愕していたので、ロバート・ロレンツ監督とリーアム・ニーソンの再タッグ作には期待していたのだが、軽々と期待を超えてきた。アイルランドの自然を美しく捉え、テロリストが登場して、内容的には西部劇。こりゃジョン・フォードに並んだね!と言っても過言ではある、もちろん。とは言え、いつものリーソン無双を期待するとがっかりするかもだが、いつものリーソン無双かあ、と思って見逃すのは惜しい大快作なのは間違いない。

  • ライター、翻訳家  野中モモ

    これは眉間に深い皺が刻まれたリーアム・ニーソンと「心優しき殺し屋」というファンタジーがもともと好きかどうかが評価に直結しそう。普段あまりすすんで観ないジャンルだが、寂寥とした美しさをたたえたアイルランドの田舎の風景(時代設定は70年代前半)と主人公の友だちの老警官を演じるキアラン・ハインズの愛嬌の滲む顔が良かった。邦題と宣伝ヴィジュアルから静かで渋い質感が全然伝わらなくてもったいない気もする。「聖者と罪人たちの国で」(原題直訳)でいいのでは?

  • SF・文芸評論家  藤田直哉

    穏やかに丁寧に作られた一作で、アクション映画であると同時に宗教的な映画である。孤独と友人、贖罪と利他性などの精神性が主題となっており、脚本や主題や演技などが綺麗に収束する見事な作品。「男性性」が主題になっているのだと言ってもいいだろう。他者と関係を持つことの価値についての寓話だと言ってもいい。アイルランドの広大な自然の中で生きる人々を丁寧に描いているからこその説得力である。評者は本作にじんわりと感動してしまった。

>もっと見る

サイレントナイト(2022)

公開: 2025年4月11日
  • 映画評論家/番組等の構成・演出  荻野洋一

    まず紹介文だけ読んで、チャールズ・ブロンソン時代ならともかく、今さらながらにマッチョかつアナクロな復讐譚が始まるのかと気が滅入ったが、いざ始まってみると画面内にクレッシェンドで異様な緊張感が充?されてくる。ジョン・ウーは腐ってもジョン・ウーだ。冒頭の抗争で主人公から声帯を奪い、むだな自己吐露の猶予を?奪した上で、すべてを喪失した復讐者の生き様を一挙手一投足のみで潔くすくい取っていく。ロッテントマトでの低評価なんぞに惑わされてはならない。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    男のロマンに興味ないので見当違いな文句を書きますが、セリフなきバトルを撮るためだけに主人公を?者にしちゃったね。敵がヤク中とか、助けに来るのが真面目な黒人とか、復讐の動機が家族愛とか古すぎるよ。俺だったら、声を奪われた主人公は孤独な非モテだが好きだった不美人が殺されて立ちあがるひ弱な黒人、悪の黒幕は健康で卑劣で屈強な各人種の美女の合議制組織、手下はトランプとバイデンとプーチンと習近平に似せた老人の愚連隊にする。それでこれと同じアクションやったら星5。

  • 著述家、プロデューサー  湯山玲子

    これぞ、ジョン・ウー歌舞伎。クリスマスの惨劇、主人公が声を失う設定、要所に響く聖歌、華麗な銃撃戦の数々に、ギャングの親玉のタトゥーと悪相はもはや実悪、仁木弾正!  最も共感を得られる復讐とは「理不尽に我が子を殺された親」のそれだが、加害者側の事情等は一切ナシ。正義と悪との対立項を様式美にて描き、目には目をのハムラビ法典にまで遡る人間の復讐力の凄まじさが現出。言語という近代的理性を立ち入れさせないための沈黙劇。でもって、やっぱ歌舞伎だ!

>もっと見る

A LEGEND/伝説

公開: 2025年4月11日
  • 映画評論家  鬼塚大輔

    「ライド・オン」では実年齢に(ほとんど)相応しい、しみじみ演技を披露したジャッキーだが、この作品の大半を占める古代パートではCGIでツヤツヤピカピカのご尊顔を披露(実際の若き日よりもイケメンなのはご愛嬌)。でもってこの古代パートは清々しいまでの国威発揚映画なので、「ゲッベルス」を観たばかりなこともあり、うんざりしつつも、逆に興味深かったりもした。ラストの20分ほどが、これが観たかったんだよ!のジャッキー映画で、この部分に★一つサービス。

  • ライター、翻訳家  野中モモ

    ジャッキー・チェンが考古学教授を演じるシリーズの3作目。夢の中で前漢の武将になって戦ったり若い人に慕われたりするのだけれど、いくら大スターでも今それはキモいよ!と引いてしまう描写が散見。「HERE 時を超えて」のトム・ハンクスのAIによる若返りがそんなに嫌じゃなかったのは横にロビン・ライトもいたからだったんだな……と気づかされる。新疆ウイグル自治区の大草原でのロケも中国政府による少数民族への弾圧の問題はどうなっているのか気になってしまって心がざらつく。

  • SF・文芸評論家  藤田直哉

    スタンリー・トンとジャッキー・チェンが組んだ作品らしい、ユーモアとインチキくささが融合した作品。風景の美しさはゲームっぽく、恋愛や合戦はテレビドラマ的なチープさだが、メタフィクションの構造で表現に組み込んでいるのは美質。このチープさとアイロニーと、ガチなロマンとのバランスが現代人の心を打ち、前二作もヒットしたのだろうと思う。八〇年代やゼロ年代の日本を思い起こさせ、現象としては興味深いが、残念ながら評者には波長が合わなかった。

>もっと見る

ゴーストキラー

公開: 2025年4月11日
  • 評論家  上野昻志

    映画において、殺し屋という存在は珍しくない。だが、こちらは、タイトル通り、ゴースト、幽霊なのだ。ただ、出没自在な幽霊でも、そのままでは、生身の人間を殺せない。そこで、彼は、自分の薬莢を拾った女子大生に取り憑き、彼女の手を借りて組織への復讐に乗り出す。いささか漫画チックな設定ではあるが、ごく普通に可愛らしい女子大生と、むさ苦しい中年男ふうのゴーストキラーとの組み合わせで見せてしまう。だが、最後の格闘では、ゴーストが肉体を得ているかに見えるのは何故?

  • リモートワーカー型物書き  キシオカタカシ

    日本アクション界からの「ジョン・ウィック」への返歌が「ベビわる」だったわけだが、本作もその系譜……園村監督の演出はD・リーチよりもC・スタエルスキ的で歯応え十分、画面にも洋画風味が染み込んでいる。心を殺されてきた若い女性と家父長制的規範で雁字搦めにされてきた中年男性の両方が“呪縛”から解放されていく過程を活劇として表現、超常の物語が日本社会の暗い日常と接続している点も印象的。そして髙石あかりの佐藤健的“二心同体”演技に、改めてそのスター性を見た!

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    申し訳ないことに「ベイビーわるきゅーれ」を観ていないので、「いまさらそこに感心する?」みたいなことを書いていたらご容赦いただきたいのだが、三元雅芸を筆頭にアクションが素晴らしく、しかも、美しいアクションを連続した動きとして全部見せようという意思が撮影と編集にみなぎる。それだけでなく人物に魅力があるのも美点。髙石あかりと三元のコンビが面白く、ふたりの人間が出会うことによって生じるそれぞれの変化を描くという、ドラマの基本が手堅く押さえられているのが地味にいい。

>もっと見る

ベテラン 凶悪犯罪捜査班

公開: 2025年4月11日
  • 映画評論家  川口敦子

    まず「ベテラン」を見たらブロンディ〈ハート・オブ・グラス〉にのって愛人づれのチンピラがちゃらっと飛び出してきてR・スンワンこういう作風だった!?と目が点に。が、笑わせながら小気味よく大企業とそのバカ息子という巨悪に挑む手練れの刑事と捜査班の人となりを語り切る娯楽活劇の手際にリュ自身もベテランになったのねとしみじみ、しつつ「クライング・フィスト」の頃の尖りを想ったら「2」には往時の劇画調を射抜く鬱蒼があり、ネット映像の横溢も意図よねと許せる気になった。

  • 批評家  佐々木敦

    大ヒット作の9年ぶりの続篇。監督のリュ・スンワン、主演のファン・ジョンミンを始めとする座組みはほぼ変わっていないのに、この約10年の韓国社会と韓国映画の変化を反映して、印象が大きく異なる作品になっている。前作は「大企業=悪」一点張りだったが、今回は法に護られ罪に見合わぬ軽罰で済んだ悪人を次々と手に掛ける連続殺人犯とドチョル刑事の対決をユーチューバーが世論を扇動する現象を背景に描く。「いい殺人と悪い殺人があるのか?」というドチョルの問いがテーマだろう。

  • ノンフィクション作家  谷岡雅樹

    無茶な主人公でも先が見たくなるのは、愛されるキャラクターであるからだ。自由な人間か好き勝手放題なのかの鍵は、感情移入できるかだ。植木等の「無責任男」は、出鱈目の陰で努力家だ。寅さんも、ズボラの裏に配慮がある。本作の刑事たちにあるのは、僅かの人情程度だ。主人公以上に酷い悪人を対置させても割引きされない。喜劇でもあるから笑わせるが、手法が暴力的だ。毒で毒を制するという理屈の作品か。悪に同調し許す者の問題をこそ掘り下げて描くべきだ。主人公の妻が救いである。

>もっと見る

ゲッベルス ヒトラーをプロデュースした男

公開: 2025年4月11日
  • 映画評論家  鬼塚大輔

    具体的に見せない、を徹底することで、ナチスの悪(だけではないが)を鮮烈に表現した「関心領域」とは対照的に、ドラマ、記録映像、プロパガンダ映画の一部、説明的字幕、などをこれでもかと駆使して独裁、それを支えるプロパガンダの恐ろしさを訴える。そのプロパガンダに嬉々として乗っかっていく民衆の姿の方こそ、今は描くべきだと思えてしまうし、ドラマ部分の安っぽさが目立つものの、それでもネット時代の今だからこそ、観ておくべき作品なのは間違いない。

  • ライター、翻訳家  野中モモ

    俳優がゲッベルスやヒトラーを演じるドラマとナチス・ドイツの時代に実際に撮影された映像を組み合わせて世論を操作するプロパガンダの舞台裏を描くのだが、とにかく後者が強烈すぎる。「ショッキングな場面も含まれております」と警告されていてもやはりしんどい。マイノリティを「他者」と定めて悪魔化し排除しようとする残虐な動きは今日のドイツでもアメリカでもパレスチナでも日本でも現在進行形だから自分も含め人類が愚かで吐きそう。生きていてごめんなさいという気持ちに。

  • SF・文芸評論家  藤田直哉

    ナチスドイツの宣伝を担当した男を、史実や資料に基づいて再現。メディア統制や映画やラジオを用い、現実を歪め認識できなくさせたことが、いかにドイツを破滅に導いたかを描く。極悪人ではなく、卑小ですらある人間として彼らを描くことで、現在起きている類似の事象との繋がりを生々しく感じさせることに成功している。フェイクニュース・デマによるファシズム的な現状に対する批判意識は極めて明瞭。惜しいのは、映画全体を貫くドラマ的な醍醐味が薄いこと。

>もっと見る

ブリジット・ジョーンズの日記 サイテー最高な私の今

公開: 2025年4月11日
  • 映画評論家/番組等の構成・演出  荻野洋一

    今月は偶然にも「ベター・マン」と並び、ファンベースに立脚したイギリス物2つ。ブリジットという登場人物じたいが、かつてのイーリングコメディに匹敵するジャンル性を帯びる。本国では反フェミニズムとの批判もなくはないそうだが、ケン・ローチ、マイク・リーあたりとはおよそ遠く隔たったイギリス中流向け喜劇としては健在だ。SF的無時間に居座った寅さんとは異なり、50代を迎えたブリジットが年下男性とのロマンスで自虐を連発するこのコンサバな喜劇性は、いつまで持続できるだろうか。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    過去のブリジット・ジョーンズ・シリーズを一本も観たことなかったので大丈夫かしらと心配したけど大丈夫でした。もしかしてガンダム知らない勢がジークアクスで最初のガンダムの登場人物が出てくるのに面白く観れちゃったのと同じ現象が起きたのかな(たぶんちがうな)。ADHD母さんの恋なんて応援せざるをえないし、目尻に皺が刻まれた中年女性がセックスするのは美しいです。もうじき死にそうな登場人物が「ただ生きるな。楽しんで生きろ」と遺言してたが、ほんとうにそのとおりだよ。

  • 著述家、プロデューサー  湯山玲子

    この辛口点数は、世界中の女性たちの心をつかんだ「ブリジットは私だ!」的生き方大肯定リアリズムは皆無だったゆえん。アラフィフシングルマザーの奮闘、若いイケメンとの恋愛と別れ、このシリーズの期待値においてはNGすぎる、リアル故の毒気もない手垢の付いた表現に終始ゼルウィガーの演技もわざとらしく、自らのブリジット像を間違った方向に強化。シリーズを経ての俳優たちの経年変化は、見応えがあるのに、脚本がそれを生かし切ず残念。

>もっと見る

シンシン/SING SING

公開: 2025年4月11日
  • 映画評論家  川口敦子

    キャストの大半を演劇を通したシンシン刑務所の更生プログラム経験者で固めた一作は、穏やかに参加者を鼓舞するひとり、無実の罪で刑を被った作家と所内のだれもが恐れる強面のひとりがゆっくりと心を溶かし合う様を軸に人への眼差しのやわらかな緊密さが紡ぐ物語としてまず胸を打つ。波打つハドソン川、空の高み、吹き抜ける風――そこに息づく土地の精霊めいた感触を掬う繊細な撮影の力も称えたい。演出家役P・レイシーのS・フラーみたいな風貌もドラマをしぶとく支えて素敵だ。

  • 批評家  佐々木敦

    全米最高警備レベルのNYのシンシン刑務所で長年行われている演劇による更生プログラムを題材にした作品で、コールマン・ドミンゴ以外の主要キャストのほとんどが実際に同プログラムを受けたことがある元囚人。ドミンゴとともに実質主演のすきっ歯が粋なクラレンス・マクリンは、これに出たことで人生が一変した。ドキュメンタリータッチの映像設計が功を奏しており、役者陣の本物ぶりも(本物なのだが)相俟って引き込まれる。本番を省略するのも上手い。終幕は紋切型だがまあ許そう。

  • ノンフィクション作家  谷岡雅樹

    家に帰れた者と今も収監中の仲間に捧ぐ。そう記される。塀の外にあってもホームを持つ者と持たない者とがいる。時々いがみ合っても、同志的な感覚を持ち、またそれは死者にも通じる。実話を基にしたであろうことは、早いうちに気づく。だが解説を読んで初めて知る。登場人物の8割以上が実際にシンシン刑務所の元収監者であった。主人公の台詞にも出てくる映画「フェーム」の刑務所版を見る躍動感を覚えた。踊るか止めるか。何のために踊るのか。この文章もそうだ。踊るためにしか書けない。

>もっと見る

ウリリは黒魔術の夢をみた

公開: 2025年4月5日
  • 映画評論家  川口敦子

    ロシア製レンズヘリオスが醸すボケの感じがきまっているモノクロの映像はT・ディチロやA・ロックウェルが撮った90年代NYインディのシャビーな感触とも似て、実験的と構えるより遊んだといいたいような重/軽なフットワークが面白い。筋をかいつまむと青春スポーツドラマになるのだが、すんなりそうとは見えない味つけ部分こそがこのフィリピン映画の新鋭ハーン監督の要だろう。トパンガあたりでゆるくらりっていてもおかしくないルイス役、M・アドロの“ぽさ”がいい。

  • 批評家  佐々木敦

    フィリピン映画というと、私の貧弱な映画的記憶では、古くはキドラット・タヒミック、近年はラヴ・ディアスぐらいしか思い浮かばないが、本作のティミー・ハーンは「フィリピン映画シーンの最先端」とのことである。実際、非常にユニークな作風で、ちょっと驚いてしまった。まるでユスターシュのようなモノクロの映像といい、先の読めないストーリー展開といい、まったくもって一筋縄でいかない。芸術映画と娯楽映画の歪で魅力的なハイブリッド。日本の小説だと小川哲や佐藤究に近いかも。

  • ノンフィクション作家  谷岡雅樹

    バスケの神様MJと名付けられた主人公。鮮明な固定カメラと白黒映像が印象深く新鮮だ。足りないものは何か。金か。チャンスか。自由か。持っているものは何か。仲間、恋人、育ててくれた叔母。だが強欲で自分勝手で愛情も疑わしい。そしてバスケの才能。いや、度胸も正直さも、体格も、それなりの風貌にも恵まれている。車もある。夢もある。だが悲劇が襲う。生命線のスラムダンクへの道は遠のく。やたらと死ぬ人間は隠喩なのか。フィリピンのルー・リードのような歌声と弦の音色に和まされる。

>もっと見る

終わりの鳥

公開: 2025年4月4日
  • 映画評論家  鬼塚大輔

    ポーの『大鴉』がヒントなのかもしれないが、死の象徴である鳥を巡るパーソナルな物語なのかと思って観ていると、中盤から一気にスケールアップして瞠目させられる。そして再びパーソナルへ。めちゃくちゃをしているようでいて、実は誰もが経験したことのある/これから経験する物語なのである。CGIをこれでもかと乱用する娯楽大作には食傷気味だが、この作品のようにユニークな使い方をするのであれば大歓迎。悲劇と喜劇と奇想のバランスも心地よい。

  • ライター、翻訳家  野中モモ

    「人知を超えた力を持つ鳥がやってくる」といえば思い浮かぶのは『火の鳥』。だけど本篇の鳥はあいつ(AKAクソ鳥)に比べるとだいぶかわいげがある。命を奪いに来た異形の者と特別な関係を結ぶのも昔から人気の型だよね、『うしおととら』とか。母と娘の話になる後半はちょっと萩尾望都とか大島弓子みたいな……。そんなふうに漫画的かつ怖くて魅力的なクリーチャーは英国の伝統を感じさせもして、カルト的に愛されそうな予感。クロアチア出身女性の初監督長篇、次作にも期待。

  • SF・文芸評論家  藤田直哉

    死神のように訪れる鳥と仲良くなる死期が近い若い娘と、その母親の物語である。鳥は、「死」を擬人化し、ドラマ化するための装置だろう。擬人化によって描かれるのは、死の受容である。自身に訪れる死と対話したり、娘の死を避けようと奮闘したり……。描かれているのは、ターミナル・ケアにおける内面のドラマの寓話である。極めて少人数の内的で繊細なドラマをよくぞ映画化したと評価したい。とはいえ、狭く小さい関係性の話ゆえの停滞も感じざるを得なかった。

>もっと見る

アンジーのBARで逢いましょう

公開: 2025年4月4日
  • 評論家  上野昻志

    企画からそうなのだろうが、草笛光子あっての映画。彼女演じるアンジーと名乗る、訳ありの流れ者が行き着いた町で、放置された家屋を借りて、バーにしていく。手伝うのは、ホームレスの大工や職人に、物言わぬ舞踏家。そこに関わる連中で、まともなのは、向かいの美容院の女性経営者ぐらいで、あとは一癖も二癖もある住人。ただ、それらが賑やかしに留まっているのが、残念。バーが完成、その開店祝いで一騒動が起こり、アンジーはまた旅に出る。草笛光子の存在感で★一つプラス。

  • リモートワーカー型物書き  キシオカタカシ

    現代のおとぎ話のような優しく心に染み入る温かい人情噺なのだが、「ある日ぶらりと流れ者が町にやって来て……」という構造は完全に西部劇のそれ。本作は言うなれば“草笛光子版「ペイルライダー」”である。ただしある意味で天上の存在と化していたイーストウッドの“牧師”に対して、本作の主人公アンジーは超然としながらもその確かな実存を伝える生の躍動感を備える。もはや本人を“ひとつの映画ジャンル”として成立させてしまう草笛光子のオーラに、改めてそのスター性を見た!

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    流れ者が街にやって来た、的な西部劇みたいなオープニングから、小津みたいな煙突の立ち並ぶ風景へという導入にわくわく。青木柚をめぐるエピソードの描き方が瑞々しくてよいのだが、手垢のついた表現になっているところとの落差が激しくて、どうしたものかと思う。でも、草笛光子の魅力がこれだけ炸裂していたら悪く言う気にはなれない。彼女が経営するバーに行きたくない人などいるだろうか、早く開店してほしいと思いながら観ていたから、その点では肩透かしだったが、まあこれはこれでよいかと。

>もっと見る

HERE 時を越えて

公開: 2025年4月4日
  • 映画評論家  川口敦子

    アメリカの現代史を駆け抜けた「フォレスト・ガンプ」。今度はアメリカ、歴史との向き合い方を定点観測としてみる試みといえるだろうか。足下に恐竜の時代から降り積もった時の堆積があること、歴史は今ここにあるのだと――そんな大きなことをゼメキスは小難しくいうのではなくVFXを駆使もしながらささやかな家族の物語ごしに語ってみせる。一部屋で移ろう家族の物語の部分でD・リーン「幸福なる種族」を想起させるとの海外評もあり、その先に小津を見る眼もあるようなのが興味深い。

  • 批評家  佐々木敦

    原作のグラフィックノベルは読んでいて、映画化を楽しみにしていた。マンガの「コマ」が映画では「フレーム」である。ゼメキス監督は原作と同じく「居間」にカメラを固定したまま、フレーム・イン・フレームを多用することで映画ならではの表現を生み出している。時間のスケールも原作から大幅に縮小し、ヒューモアとペーソスに満ちた「ある家族の物語」に仕立て直している。めまぐるしく時間が前後するが筋が見えなくなることはない。ラストは(やると思ったけど)すこぶる感動的。

  • ノンフィクション作家  谷岡雅樹

    時空を超えた定点劇だ。作り込まれたスケールの大きな映像に魅了される。同時に忘れていた苦い過去を想起させてくる。人物や風景が時を超える。今昔比較の重さと喪失。人類史総決算のごとき画の洪水は、儚くも見える。人間さえ調度品のごとく、完成された労作を見る思いだ。かつてアメリカ映画に漠然と見た憧憬も蘇り心奪われる。映画は、窓を見る行為だと改めて知らされる。ある意味で、家は穴の開いたノアの箱舟だ。修繕しているときこそ華だ。もう一つの「関心領域」を見ている気持ちになる。

>もっと見る

おいしくて泣くとき

公開: 2025年4月4日
  • 映画評論家  上島春彦

    子ども食堂の意義を説く貴い企画である。しかし映画としては問題含み。意義を理解しないクズみたいな連中と貧困少女をさげすむクズな女子生徒たちのいじめ描写にうんざり。教師が輪をかけて無能なのもどうかと思う。世の中こんなもんと脚本家は言いたいのか。そして少年時代の主人公がさらにふがいない。少女が健気なのが唯一の救いじゃ映画としては持たんよ。親切な工務店の謎というのもあるのだが、常識で考えて謎にしておく理由がない。映画の物語の都合に過ぎないだろう。

  • ライター、編集  川口ミリ

    若い世代はネオリベラリズム以外の社会像を知らないがゆえに、何事にも自己責任を刷り込まれているといわれる。そんな中で「貧困は自己責任では解決できない」と伝える真っ当な物語を、人気の長尾謙杜を主演に描いたのには、それがたとえ薄味であっても一定の価値があると感じる。けれど映画としては物足りなくて……。キャストは役を全うしているし、夏らしい自然現象が物語を美しく彩ってもいるが、ラストの仕掛けも含めすべてに新鮮味がなく、何か他にないのかなと思ってしまった。

  • 映画評論家  北川れい子

    タイトルが子ども食堂絡みであることはすぐ分かる。貧困、差別に孤独、家庭内暴力などでお腹をすかせた子どもたち。が本作の場合、貧困や家庭内暴力は初恋話の小道具にすぎず、それがいささか引っ掛かる。子ども食堂の息子のボクが、そういう状況にいる同級の少女を連れ出しての危なっかしい逃避行。それから30年。実らなかった初恋を引きずったボクは子ども食堂を引き継いでいるのだが。ともあれ終盤の思いがけないエピソードは観客への玉手箱。これはこれでいいか。

>もっと見る

片思い世界

公開: 2025年4月4日
  • 評論家  上野昻志

    片思いということ自体は、珍しくはない。だが、そこに世界という言葉があることが、この物語の重要なキィである。一軒の家で仲良く暮らす女性3人組。まず、この3人の組み合わせがいい。朝になると、3人は、それぞれオフィスや大学、水族館などに行き、仕事や学業に励む。なんの変哲もない日々に見えるが、少しずつ、3人の生きている世界と、日常とのズレが顕わになっていく。やがて、3人それぞれが、想いを通じさせたい相手に近づくところから、物語は一挙に核心に向かう。見事!

  • リモートワーカー型物書き  キシオカタカシ

    どういうわけか「少年」と謎のシンクロニシティが発生。90年代・Y2Kに起きた事件が下敷きかつ、早くも序盤で明かされるツイストが1999年・2001年に製作された映画そのまんま。「(時代は)なんかこう一周したりするのよ」という昔の人の言葉を思い出した。類似作品と比べれば“クライマックスでどんでん返しになっていたような設定を主人公たちが最初から自覚している”点が新機軸だが、それは“受容”ではなく“否認”……後に遺された者の願望充足ではないだろうか。真摯だが、奇妙な味わい。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    本誌が出た時点でたぶん世の中全員が言っていると思うけど、坂元裕二の関心はいま、マルチバース的な世界や並行世界にあるのだなと思わせる、正しく「ファーストキス」の姉妹篇と言えるだろう作品。彼が以前からTVドラマでも取り上げていた、重いテーマも絡む。坂元作品特有の饒舌さはだいぶ控えめ。合唱シーンからラストまではもっとコンパクトにまとめてくれるほうが好みだが、土井演出は人物の感情を丁寧にすくい、横浜流星の悲しみ、椅子に乗る妹を無言で見つめる杉咲花の表情など忘れがたい。

>もっと見る

少年(2024)

公開: 2025年3月29日
  • 評論家  上野昻志

    「君が代」の大合唱が響く高校の卒業式で、唯一人、椅子に座ったまま歌わなかったために、式後、教師に殴られた少年の物語だが、両親との関係や、街で出会った少女との一筋縄でいかない関係、引きこもりの友人などが、時間の推移と共に変化し、少年を追い詰めていく過程がリアルに語られていくのに惹き込まれた。先輩に誘われて行った愛国団体の会長を、鈴木清順師が演じているのも嬉しかった。居場所をなくした少年と少女のその後を描いた最後まで緊張が途切れることがない。

  • リモートワーカー型物書き  キシオカタカシ

    自分は1983年早生まれなので、本作の“少年”とまさに同じ世代。我々が“大人”から現代への絶望と未来への希望を双肩に託される“若者”だった時代もあったのだよな……と、当事者として感傷的になってしまった。長尺に90年代末?Y2Kの社会問題全部盛り。符合する部分が多い同時代撮影作「リリィ・シュシュのすべて」「凶気の桜」と比べたら奇を衒わない、悪く言えば2時間ドラマ的な直球表現により、今に連なる宿痾を宿す当時の空気を封じ込めた“タイムカプセル”として機能している。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    大島?の同名作品と直接関係はないが、似ているところもあるのかも。ほとんどの人が少年少女時代に経験するだろう、世界への普遍的な違和感が、後戻り不可能な負のスパイラルへとつながっていく。長身すぎる主人公が、自分の身体を家屋やフレームに収めるのに難渋して見えること自体が、彼の受難を表現しているかのようだ。メインの撮影は2000年前後。いまよりいい時代だったか悪い時代だったかはともかく、当時の日本社会の独特の閉塞感が、そのままパッケージされたかのように見えるのも興味深い。

>もっと見る

うしろから撮るな 俳優織本順吉の人生

公開: 2025年3月29日
  • 映画評論家  上島春彦

    この映像はNHKで少し見ていて気になっていた。織本を「乳房よ永遠なれ」のクズ夫演技で見、感嘆したばかりだったので、ここでの台詞を覚えられなくなっている晩年が痛ましいけれども、役者魂だねえと結局感嘆した。監督は彼の娘。泣きわめくお父さんを撮り続け、しまいにはお母さんが一度だけキレる。ここも凄いが、家族が撮るからユーモアもある。自分のあさましい映像を見せられた織本が「凄いドキュメントだな」と娘の仕事を絶賛して死ぬ様子がさすがとしか言いようがない。

  • ライター、編集  川口ミリ

    娘である監督が、俳優である父・織本順吉との関係に見出したある種の“暴力性”に、カメラの暴力性でもって対抗したのは理解できるとして、タイトルがややミスリードな気も。脳裏に焼きつくのは織本の俳優人生というより、父娘の強烈な愛憎のバトルだからだ。監督は作品のどこが普遍的かを理解していないか、あえてそこから目を背けているように思う。だからこそこの映画はどこか私的な、“一つ屋根の下”のパースペクティブにとどまっている。それが本作の歪な魅力であり、弱点でもある。

  • 映画評論家  北川れい子

    性別で言うのは何だが、父や母など近親者にカメラを向けたドキュメンタリーはなぜか女性監督が際立つ。いずれも死や認知症に寄り添った作品で「エンディングノート」、2部作の「ぼけますから、よろしくお願いします。」、3部作の「毎日がアルツハイマー」。俳優・織本順吉の最晩年までカメラを向けた本作も、テレビドキュで実績のある娘の作品で、しかもきれいごとなし、容赦なし。そしてカメラ慣れしている父の虚実皮膜的実体。父と娘の意地の張り合い的な異色作。

>もっと見る

エミリア・ペレス

公開: 2025年3月28日
  • 映画評論家  川口敦子

    真の自分にと新たな肉体を獲得。わが子との暮らしは捨てず母性を注ぐ。暗黒街での過去の罪を悔い改めて暴力と対峙し行方不明者を探す非営利団体を組織して、その過程で新たな恋にもめぐりあう――と、望みのすべてを叶えた挙句の最期、そして聖人に?! いかにも荒唐無稽な物語をミュージカルという糖衣で包み成立させる剛腕に、でもと傾ぐ首を持て余す。「預言者」「君と歩く世界」の頃までは映画の芯に確かにあった心が見当たらないオディアールの近作、今回もまた無念を?みしめた。

  • 批評家  佐々木敦

    ミュージカル仕立てにする意味があるのかと観る前は思っていたが、必然性はともかくとしても曲も歌唱も極めて魅力的に仕上がっている。オディアール監督はアクチュアルなテーマとスピード感に溢れる娯楽性を高いレベルで合致させている。過去のSNS発言の炎上が何とも残念なカルラ・ソフィア・ガスコンはもちろん良いのだが、ゾーイ・サルダナが大変素晴らしい(特にあの身のこなし!)。ラストは「やはりこうなるのか」とやや残念な気もした。悲劇にしない選択もありえたのでは?

  • ノンフィクション作家  谷岡雅樹

    主人公が誰かと言えば私は絶対的に弁護士だと思うのだ。だが、タイトル名でもある麻薬王で犯罪者のその人物の、第二の人生という、圧倒的なパフォーマンスによって、人権派と思しき弁護士も、その助力者となり突っ走る。そして第二の人生を受け入れず意のままにはならぬ元妻。三人は、それぞれの折合いをどう付けて生きていくのか。♪いつまで奴らに媚を売るの。いつまでこき使われるの。心の声が歌になる。造形物でもって人生の改革は難しい。絡まった運命の鉄鎖のもつれを、三者三様ほどいていく。

>もっと見る

マリア・モンテッソーリ 愛と創造のメソッド

公開: 2025年3月28日
  • 映画評論家/番組等の構成・演出  荻野洋一

    モンテッソーリ教育法の創始者の伝記は、現代映画にふさわしい好企画だ。家庭に収まることを断固拒絶して研究活動に邁進した主人公女性の自己解放にフォーカスしたシナリオはよい。架空の高級娼婦を作り出し、彼女と知的障がいをもつ娘との関係の推移を、主人公と合わせ鏡にしたのが秀逸だ。ただしこれがデビュー作となる監督は思想家ツヴェタン・トドロフの娘とのことだが、力不足を露呈している。意義深い題材を揃えても、カメラに収める際のアイデアが不足。もっとシネマを飛翔させよ!

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    子どもたちはもちろん全員ガチで、ドキュメンタリーだとまでは言わないが少なくとも「頭が良くて芝居が上手な子役」の達者な演技を見せられているよりは楽しい。この子どもたちが出演してるからこそ大人の臭い芝居が伝える切実なフェミニズムが心に響く。余談ですけど、現代日本でも続いてる「健常」児へのモンテッソーリ教育は、かえって児童から協調性を奪うという批判もあるようだ。だが普通の学校で教えてる協調性とやらのせいで世界はこんなになっちゃったんじゃないのって気もするんだが。

  • 著述家、プロデューサー  湯山玲子

    子持ちキャリア女性の先駆者を描くときの定石は、仕事か、子育てかの悩みだが、本作においてはその軸が強調されていることに違和感アリ。何せ主人公は、教育を哲学、精神医学も含め徹底的に科学した合理精神の女性なので、そのあたりを描くには丁寧さと説得力が必要。夫の嫉妬心と裏切り、障害を持つ私生児に悩むパリの高級娼婦との立場を越えたシスターフッドと、『虎に翼』的な紋切り型展開も女性映画インフレ状態の今においては、今一歩人間模様の強度が欲しかった。

>もっと見る

ベイビーガール

公開: 2025年3月28日
  • 映画評論家  鬼塚大輔

    「ナインハーフ」、はたまた「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」かと思っていると「危険な情事」に……、と特定ジャンルに収まらないまま物語が進んでいくのがむしろ魅力の作品。善か悪か、被害者か加害者か、と単純化できないヒロインをキッドマンが熱演。かつてのセックスシンボル、アントニオ・バンデラスをこの役で使うというのも、「昼下りの情事」でモーリス・シュヴァリエにうらぶれた探偵を演じさせたワイルダーのイジワルさを想起させて面白い。

  • ライター、翻訳家  野中モモ

    よくある話の男女逆転? なんてことないエロティック・スリラー? しかしこの「なんてことなさ」こそ女たちが獲得しようと苦労してきたものなのだろう。「サブスタンス」のデミ・ムーアもそうだったけど、洋画が好きな自分はある意味ずっと「ニコール・キッドマン物語」を見てきたんだな……と思い知らされて感慨深いものがある。だって「誘う女」も「ある貴婦人の肖像」も「アイズ ワイド シャット」も伏線になるわけだから。音楽がどこかふざけてる感じなのも「あえて」の深刻の回避とみました。

  • SF・文芸評論家  藤田直哉

    女性CEOがインターンに誘惑され、秘められていたSM的欲望を解放していく。よくある官能映画・ポルノの導入だが、組織内で女性が「権力」を持っているが、プレイや関係においては従属であるという厄介な問題を真正面から描いた点に好感。立場や家庭があるから「ダメ」と思いながら、誘惑に惹かれていく分裂した女性の演技をニコール・キッドマンが実に見事に演じている。SM的な欲望をどうしても抱いてしまうことをどう受容するかという物語の側面には感動させられた。

>もっと見る

BETTER MAN/ベター・マン

公開: 2025年3月28日
  • 映画評論家/番組等の構成・演出  荻野洋一

    R・ウィリアムズおよびテイク・ザットのファン向け。それ以外の層にアピールできる作品かというと難しい面がある。ファンベースの巨大規模を計算しての企画だし、主人公のカリスマ性は間違いないが、それに依存した独白一点張りの作劇が閉塞的である。そしてM・グレイシーの荒っぽい演出、これは前々作「グレイテスト・ショーマン」の段階できちんと批判されるべきだったが、当時はあいにく絶賛評ばかり読まされた。ただしラストのロイヤル・アルバート・ホール公演のシーンは圧巻である。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    すばらしい。米国でコケたと聞き、まさか猿だというのがなんらかのコードに引っかかったのではと一瞬思ったが、アメリカ人がロビー・ウィリアムスに興味ないだけかな。俺だって興味ないけどイギリス人ならきっと誰でも知ってるスターが子どもの頃から発達障がい気味で醜形自己嫌悪があったって実話を、全篇歌って踊るお猿さんで描く監督と御本人の大英断。猿も人間もダンスも歌もいい。これ猿じゃなかったら、最近よくある「超有名人の知られざる苦労話」映画の一本にすぎなかったと思う。

  • 著述家、プロデューサー  湯山玲子

    スター映画はちまたに数多くあるが、本作が描いたのは、「人はパンのみで生きるにあらず」という本質的なエンタテインメントの実像。「スターは普通じゃない」というメタファーを、猿顔の主人公にて共通理解させた上での挫折と成功の物語が陳腐に陥らないのは、修辞的な台詞のセンスにもある。大衆音楽のベースがメディアと芸能界にしかない日本と違って、パブやミュージックホールの伝統があるイギリス。芸人や音楽家たちの骨太なバックボーンの描写は、この監督ならでは。

>もっと見る

山田くんとLv999の恋をする

公開: 2025年3月28日
  • 映画評論家  上島春彦

    エンドクレジットの後に映画最高の瞬間が訪れるのに、見ないで出ていった愚か者がいた。山下美月ファン必見。私なんかファンでもないのに大感激である。作間龍斗ファンは複雑な心境か。ただ主人公が美女すぎて、そうなるとあざとさが前に出ちゃう感じがする。恋愛未満の感情を扱う作品なんだから作間の同級生茅島みずきにだって山下と同じ資格はあるのに、あんまりハラハラさせてくれないんだなあ。ほっこりできる好企画で推薦できるが、傍役陣は主人公を守り立てるだけの役割なんだね。

  • ライター、編集  川口ミリ

    人気少女漫画を原作に、トップアイドルを主演に迎え、誰もがときめくラブコメを撮る。その初ミッションを、安川監督は丁寧にやり遂げた。印象的なのは、主人公たちがまだ不確かな想いを不器用に伝え合う文化祭シーン。ダイアローグをふまえての、階段を用いた俳優同士の位置関係が絶妙で、その位置設定が別シーンでも反復され生きてくる。微かに届く吹奏楽部のチューニング音により、恋のはじまりを予感させるセンスにも唸った。色使いにも工夫が見られ、ゲームチックなギミックも楽しい一作。

  • 映画評論家  北川れい子

    20歳の女子大生が、ネトゲで出会った男子高校生にお熱を上げましたとさ。ラブコメ好きの若い世代向けに作られた作品だが、にしても主人公の幼稚さ、能天気さにはほとほとマイッタ。言動やナリフリはまんまギャルで、彼女の部屋はカワユイのてんこ盛り、そのくせ酒にはだらしない。演じている山下美月も、高校生役の作間龍斗もすでにしっかり大人顔だけに尻がムズムズ。「よだかの片想い」の安川監督の演出も過剰にハシャギ過ぎ。でも原作ファンにはいいのかも。

>もっと見る

ミッキー17

公開: 2025年3月28日
  • 映画評論家/番組等の構成・演出  荻野洋一

    MCU的マルチバースで惰眠を貪るアメリカ映画を全否定する映画である。ポン・ジュノは今回、「パラサイト」と「グエムル」を合体させ、何度も殺されては蘇生させられる最下層の男の悲哀と反撥の火種を通じて、映画人たちが胡座をかくマルチバース的全能感を告発し、さらにはファシストを打倒するため、いま一度、黒人女性のリーダー像を擁立する。第二次トランプ政権の誕生を予知した上で、「スターシップ・トゥルーパーズ」的ニヒリズムと戯れていればよい時代の終焉を宣言したのだ。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    中盤までふざけまくってて面白かったが、肝心の「何が揃えば〈私〉になるのか」ってハードな哲学がどっかにいき、16回死んでも残ってた罪悪感を分身がぬぐうセラピー的よくある話になったのが惜しい。シリーズ化できぬものを金かけて作る心意気は買えるが、つい「インターステラー」と比べちゃうな。あっちのほうが男のロマン臭かったのにSFギミックの使いかたが上手で、謎に感動させられたよね。それにしても今後ハリウッドはトランプをいつまで風刺できるのか。がんばり続けてほしいのだが。

  • 著述家、プロデューサー  湯山玲子

    再生医療の極致である「生き返り」が可能になった世界で、そういう存在が重宝されるのは、人体実験だろうなぁ、という悪い予想そのままの主人公が、運命を案外淡々と受け入れるやるせなさ加減には、さすがこの監督ならではの、弱者のリアル描写とブラックユーモアが光る。しかし、後半になるとそのテイストが失速。主人公の敵となる宇宙船の支配者夫婦の描き方が、カリカチュアされすぎだし、先住者であるデカい芋虫系生物の在り方も紋切り型で凡庸な勧善懲悪劇になってしまった。

>もっと見る

レイブンズ

公開: 2025年3月28日
  • 映画評論家  上島春彦

    ヴィジュアルが完璧で冒頭の煙草の煙はVFXだが、きめ細かい処理に感服。伝記映画のためフィクション部が限定的で、せっかくの鴉の幻影も説明的に留まるのは残念か。ファウストにおけるメフィストというよりも、芸術のミューズみたいな存在なんだね。主人公の写真家と同時代を同じように生きて死んだ赤塚不二夫もかつて浅野忠信が演じている。妙な符合だ。ニコの《アイル・ビー・ユア・ミラー》を梶芽衣子やザ・ダイナマイツの昭和歌謡とごっちゃに味わえるのも本作の楽しさ。

  • ライター、編集  川口ミリ

    深瀬と洋子が展覧会で再会するシーンの切り返しがダイナミック。深瀬の洋子をみる瞳は明らかに喜び、潤んでいる。だがある瞬間、目から光が消える。徐々にカメラ目線へ。眼差しの先には、鴉。深瀬は漆黒の闇に?み込まれる??。実話ベースの本作が描くのは、あくまで人と人。深瀬と洋子には個々の世界があるのが窺え、“芸術家とミューズ”に矮小化しないのがいい。主題へのカラッとした、節度ある距離感は英国出身の監督のセンスによるものだろう。ラストのThe Cureもグッとくる。

  • 映画評論家  北川れい子

    “カメラじゃなくちゃんとこっちを見てよ。あなたはいつも自分ばかり見ている”と妻で被写体の洋子が深瀬に言う。ずっと深瀬を支えてきた助手に写真をやめた理由を問われ、“写真はみんなをダメにする”と深瀬。“写真じゃなく自分がでしょ”と助手。そんな深瀬は、自ら生み出した異形の化身に追い詰められ、ますます自分の穴蔵に。それにしても特異な写真家の生きざまを、家族のしがらみなどを入れながら昭和的感性でアート映画に仕上げた監督とスタッフ、俳優陣に畏れ入る。 

>もっと見る

BAUS 映画から船出した映画館

公開: 2025年3月21日
  • 評論家  上野昻志

    青森で活動写真の魅力に嵌まった兄弟が上京して、ひょんなことから、東京の郊外、吉祥寺の映画館「井の頭会館」で働き始めた1927年から、ムサシノ映画劇場を経てバウスシアターになるという、かの名物劇場の90年に及ぶ歴史を、兄弟を巡る家族の物語に重ねて語っていく。もともとは、青山真治が書いたシナリオを、甫木元空が改稿・監督したものだというが、冒頭に示される老人の回想というかたちにしたことで、どこか夢物語ふうな色合いを帯びることになった。

  • リモートワーカー型物書き  キシオカタカシ

    「逃走」にて居直ったかのように現代の風景がそのまま映し出されるたび現実に引き戻されてしまったのだが、限られた予算で“歴史”を描こうとすれば物理的アナクロニズムが避けられない。本作も制約の中で工夫を凝らしているものの限界は明らか。しかし逆に一種の異化効果と言うべきか、過去と現代がオーバーラップした存在として立ち上がる作用が生まれていた。過去からの想いを受け取り、その普遍性を今のものとして瑞々しい感性で語り直す――そんなタイプのアナクロニズムは大歓迎。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    活動家ではなくカツドウ屋しか出てこないけれど、映画を観ることも生活することも、すべては政治的な営みだという姿勢が全篇を貫く。そのまま朝ドラの題材にスライドできそうな物語にエッジが立つのはそのためであり、しかも出てくる人々は、たいして背景が描きこまれているわけでもないのに、みな熱い血がかよっている。そして驚くべきは、この映画がまぎれもなく甫木本監督の演出力を証明するものでありながら、なお青山真治の存在を強烈に感じさせることだ。この監督の早世があらためて惜しまれる。

>もっと見る

その花は夜に咲く

公開: 2025年3月20日
  • 映画評論家  鬼塚大輔

    いや、これは主人公カップルの片方をトランスジェンダーにしなくても成り立つ古臭い話ではないのか?と思って観ていると、途中からもう一人(二人?)が加わって、性別/性差を超えた小さくとも理想的な共同体の成立と崩壊の物語として奥行きが出てくる。いくつかの点で「エミリア・ペレス」を想起させるのも、二つの作品を合わせて考えると興味深い。ヴェトナムの街並みをしっとりした触感で捉えた撮影も魅力的で、作品世界の中に引き込まれていく。

  • ライター、翻訳家  野中モモ

    ナイトクラブで歌うあでやかな姿も、化粧を落とした自宅での姿も、主人公を演じるチャン・クアンが本当に美しく撮られているのが見どころ。ちょっとIS:SUEの釼持菜乃に似ているし、往年のナスターシャ・キンスキーや満島ひかりを思わせる瞬間もあってまさに「なりたい顔」。社会の周縁に生きる若者たち(というかほぼ子ども)が肩寄せ合って疑似家族を築く中盤はある種の少女漫画に通じる味わいがあって引き込まれたが、悲劇に向かう展開はあまり好きになれなかった。

  • SF・文芸評論家  藤田直哉

    魅力的で壮麗な衣裳や美術で現代ヴェトナムが活写されており、ハッとさせられるような都市描写が幾度もある。貧困な若者が格闘家になったり、トランスジェンダーの女性たちが身体を売っており、富裕層との描き方の差、彼らの精神的な苦しさの描写には胸が詰まる。が、どうも肝心のドラマが弱い。対立と葛藤がはっきりと顕在化しないような個と関係性の社会だからこそ中盤の関係性になったのかもしれず、そこは良かったのだが、それをもう少し掘り下げてほしかった。

>もっと見る

教皇選挙

公開: 2025年3月20日
  • 映画評論家  川口敦子

    90年代グッド・マシーン社でA・リーやT・ヘインズにつき修業した監督ベルガー。その佳作「ぼくらの家路」(14)は、R・ハリス原作の新作とはまた別の世界を描きながら、目の前の困難に耐える少年を無駄口叩かずみつめる眼差しが、ヴァチカンの閉塞的時空で欲望と陰謀渦巻く教皇選挙の現実に耐えるひとり(R・ファインズ適役!)を活写する様と重なり面白い。70年代A・J・パクラの政治的スリラーを意識したという今回も不安を抱え耐える存在への共感がふるふると映画を活かしている。

  • 批評家  佐々木敦

    レイフ・ファインズ演じるローレンス首席枢機卿がバチカンに急遽やってくる冒頭のシーンを除き、映画はシスティーナ礼拝堂の敷地内を一歩も出ない。コンクラーベを巡る思惑と策謀。繰り返される投票が静かなサスペンスを生むが、広大な密室劇の「外」を開示するある出来事以降、物語は大きく転回する。ファインズをはじめとする俳優陣の重厚な演技、監督ベルガーの手堅い演出も見事だが、これはピーター・ストローハンのシナリオの勝利だろう。一種の宗教論とも呼ぶべき作品だと思う。

  • ノンフィクション作家  谷岡雅樹

    映画には作者の主張が滲み出る。対立する候補がいても、言い分を並列に描いても、そこには作家の態度が現れる。理想を捨ててはならない、という主張の人物こそ際立つ。103人という多人数でもって、人間模様を映し出し、善悪の境界を微妙に群像配置する。右往左往し逡巡する集団の様を俯瞰で捉えた洪大な映像で見せる。脚本家は「裏切りのサーカス」よりまた一つ権力闘争を心で紡ぐ点描図。選挙には不純物が混じる。形勢は刻一刻変転する。点である個々の人間の動線。これこそがまさに映画だ。

>もっと見る

スケジュールSCHEDULE

映画公開スケジュール

2025年5月1日 公開予定

たべっ子どうぶつ THE MOVIE

1978年発売以来愛され続けているギンビス社の動物をかたどったビスケット菓子『たべっ子どうぶつ』をモチーフにしたアニメーション。らいおんくんをはじめとしたパッケージでお馴染みのキャラクターたちに、映画オリジナルの新キャラクター・ぺがさすちゃんが加わり、世界滅亡のピンチを救おうと大冒険を繰り広げる。監督は「放課後ミッドナイターズ」の竹清仁。企画・プロデュースはアニメ『ポプテピピック』などを手がけてきた須藤孝太郎。アイドルグループTravis Japanの松田元太、「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」の水上恒司、「ベイビーわるきゅーれ」シリーズの髙石あかりらが声優として参加。

女神降臨 After プロポーズ編

メイクにより人生を変えようとする少女を描いた韓国発の大ヒットWEBマンガ『女神降臨』を「TOUCH/タッチ」のKōki,主演で実写映画化した二部作の後編。メイクで誰もが振り向く女神のような美女へと大変身を遂げる麗奈の、恋と夢を追いかける9年間の行く末とは。誰にも言えないすっぴんの秘密を持つ谷川麗奈をKōki,が、同級生の神田俊を「三日月とネコ」の渡邊圭祐、俊と因縁の仲で麗奈に心奪われる御曹司・五十嵐悠をドラマ『未来の私にブッかまされる!?』の綱啓永が演じる。監督は『チーム・バチスタの栄光』シリーズや『イチケイのカラス』など数々のドラマの演出を手がけてきた星野和成。

Vシネクスト「爆上戦隊ブンブンジャーVSキングオージャー」

新旧戦隊が共闘するスーパー戦隊“VSシリーズ”第31作。地球の平和を守ってきた爆上戦隊ブンブンジャーが、惑星チキューの英雄である王様戦隊キングオージャーと奇跡の出会いを果たし、惑星トリクル、惑星チキュー、そして地球を舞台に壮大な物語を繰り広げる。出演はTV『爆上戦隊ブンブンジャー』の井内悠陽、葉山侑樹、鈴木美羽、TV『王様戦隊キングオージャー』の酒井大成、渡辺碧斗、村上愛花。監督は「キングオージャーVSドンブラザーズ」の加藤弘之。2025年5月1日より期間限定上映。

TV放映スケジュール(映画)

2025年5月1日放送
13:00〜15:00 NHK BSプレミアム

E.T.

13:40〜15:40 テレビ東京

免許がない!

2025年5月2日放送
13:00〜15:00 NHK BSプレミアム

勇気ある追跡

13:40〜15:40 テレビ東京

シャーロック・ホームズ(2009)

16:00〜18:30 BS10

デンジャラス・ラン

20:00〜22:30 BS松竹東急

吉原炎上

今日は映画何の日?

注目記事