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専門家レビューREVIEW

はじまりの日

公開: 2024年10月11日
  • 文筆家  和泉萌香

    主人公と、物語を進行させるためだけに存在しているような都合のいい登場人物たちや台詞にくわえ、肝心の二人が打ち解けていく様子がまるでダイジェストで、現実の強度がゆるいために、夢のミュージカルシーンがひどく浮いて感じられてしまう。男が(彼らに名前を与えないのも効果的と思えないが)薬物に走ってしまったのにはさまざまな葛藤があったのだろうと想像するも、娘との和解シーンもとってつけたよう。歌声はもちろん素晴らしいのだが、ドビュッシーの言葉の引用も的外れでは。

  • フランス文学者  谷昌親

    中村耕一、そしてとりわけ遥海の歌がすばらしいし、ミュージカルシーンの華やかさにも目を奪われる。だがそうした音楽関係の要素を取り除いてみると、劇映画としてのあり方に物足りなさを感じてしまう。主人公の二人が隣人で、職場も同じという偶然があっても悪くはないが、それが映画的に活かされているかというと疑問だし、なにより二人が古ぼけたアパートに流れ着いているという設定が重要であるのに、そのロケーションがほとんど書き割りのようになってしまっているのが残念だ。

  • 映画評論家  吉田広明

    一度地に堕ちた歌手と、同じく底辺に沈んでいた女性が、共に助け合い、歌によって再び活路を見いだす。舞台は日本の地方都市、主人公らが住むのは路地のアパートだが、女性が歌うのは英語、しかもその歌詞は前向きで多幸感に満ちており、なおかつ歌い方も朗々、ミュージカル風に演出される部分もあって、ほとんどディズニー作品のように聞こえる。泥臭い物語と歌が水と油、昭和の平屋住宅にシンデレラ城が乗っかっているようだ。「PERFECT DAYS」を連想させるのも不利に働く。

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ブラッド・スウェット&ティアーズに何が起こったのか?

公開: 2024年9月27日
  • 俳優  小川あん

    ‘70年代に活躍した8人組のロックバンド(ジョニー・キャッシュの曲名からそのまま拝借した、バンド名とのこと。知らなかった……)。時系列を示す多くの写真と映像、そして関係者のインタビューを含む模範的なアーティストの音楽史。膨大な資料を背景にすると、BS&Tの歌詞と曲調に理解が増してくるのだけれど、ヴェトナム戦争も、アメリカの政治事情も詳しくないので、アーティストよりも歴史的背景のほうが興味深い。その印象が強く残ってしまって、少し残念。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    ヴェトナム反戦運動の時代に、ロックバンドが、国務省主導で東欧ツアーを行うことが持ってしまう意味。バンドをスターダムに押し上げた強力な二代目ヴォーカルが、政府につけこまれるウィークポイントになったという皮肉。未発表映像と機密資料で驚愕の事実が次々明らかに。「東側の国が全部同じだったわけではない」ことが具体的にわかるのも面白いが、何よりも、毀誉褒貶に遭った偉大な音楽家たちの再評価であり、破壊され失われたと思われていた映画(東欧ツアーの記録映画)の、感動的な救済。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    60年代後半?70年代初頭の米人気ロックバンド「ブラッド・スウェット&ティアーズ」が米国務省主催による東欧諸国を回る「鉄のカーテンツアー」を実施した様子を捉えた映像と現在の関係者の証言からなるドキュメンタリー。東西冷戦の中で「音楽の政治的利用」を巡る興味深い内容で、ニュース素材や当時の時代感を伝える映像もうまく織り交ぜた構成だが、いかんせんバンドそのものに強い魅力がなく、驚くような発言があるわけでもないので、映画として観客をグリップする力に欠ける。

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SUPER HAPPY FOREVER

公開: 2024年9月27日
  • 文筆家  和泉萌香

    現在と過去、男と女の眼差し、ふたつの世界を同じ質量で提供してみせる館。海沿いのホテルというドラマにぴったりなロケーションも、ひたむきに流れる名曲も露骨さなしに、「海」という場所そのものが持つ時間のちからを借り、個人の物語をも超えてゆくその美しさ。永遠と感じられるような甘やかなひとときは始まりの一瞬であり、それをたぐり寄せるべく、文字通りどんなになくした符号を探し続けたとて、あとは失い続けるのみというやるせない真理もさらりと暴き出す。

  • フランス文学者  谷昌親

    どちらかと言えば小品の部類に属するような映画だが、かつてヌーヴェル・ヴァーグによって生み出された傑作にもそうした小品が少なからずあった。しかも、ひとつのショットのなかで鮮やかに時間を遡ることで始まる後半部において、海や空や避暑地の光景はまさにこれがヌーヴェル・ヴァーグ的なヴァカンスの映画であることを示している。佐野から凪へ、そして凪からアンへと持ち主を変えつつ、オフュルスの「たそがれの女心」でのイアリングのごとくに物語を紡ぐ赤いキャップが印象的だ。

  • 映画評論家  吉田広明

    前半では妙に投げやりで、奇矯な行動を繰り返すだけの変人にしか見えなかった男が、後半の二人の出会いのフラッシュバックにより、それが妻を喪った悲しみによるものだったと判明する構成。順序を逆転させることで、またタイトルや劇中歌われる歌がハッピーであることのアイロニーという作為によって痛切さを「自然」に演出しているわけだ。後半における二人の交情がそれこそ「自然」に見えるだけに、後半を前半への答え合わせに貶めるような作為がかえって邪魔に思える。

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西湖畔(せいこはん)に生きる

公開: 2024年9月27日
  • 映画監督  清原惟

    はじめは母親の愚かさに辟易とし息子に同情していたが、彼女の発言を聞いていくうちに別の側面が見えてきた。彼女はただ騙されただけの愚かな女性ではなく、家族や社会規範のなかで抑圧されて生きてきて、マルチ商法に自己実現を託したのだった。まわりの男性たちがそのことを重要視していないことがどうしても気になってしまう。もう少しだけでも女性の自己実現について掘り下げてほしかった。雄大な自然と、人間の愚かさが映像としてはっきり対比させられていたのが印象的だった。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    「成功とは神経症の副産物」というフロイトの引用があったが、較差社会の中国で見果てぬチャイニーズ・ドリームが蔓延しているのは煽情的なマルチ商法のシーンで垣間見ることができる。〈自己実現〉という空無な妄想のはてに、否応なく突きつけられる敗残者という過酷な現実。一方「人生で最も苦しいことは、夢から醒めて、行くべき道がないことであります」という魯迅の箴言も思い浮かぶ。終幕、山水画の世界の中で母子が融和するフォークロア的なイメージがささやかな救いであろうか。

  • 映画批評・編集  渡部幻

    冒頭、山を冬の眠りから起こして豊作を願う人々の列が映し出される。主人公を乗せたバスがトンネルを抜け、カメラが右側の木々を越えて上昇、空撮で再び薄闇の山々を歩く人々のシルエットを捉える。いかにも劇映画的なカメラワークに目を見張る。が、ここから予想外の転調を繰り返し、ネズミ講の犠牲となる母親とその息子をめぐる受難劇が描かれ、詐欺組織の洗脳場面でアロノフスキー風の悪夢を展開。面食らわせたが、弧を描くようにして故郷に戻る寓話的な後半ではエネルギーが尽きてしまっていると思う。

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憐れみの3章

公開: 2024年9月27日
  • 俳優  小川あん

    ランティモスがいよいよ映画界の問題児にモデルチェンジしている! 悪趣味を乱発し、次にどんな球が投げられるのか分かりゃしない。そして、見手は大打撃を受ける。原題「Kinds of Kindness」のブラックジョークを超えた意地悪さよ……。3章共通テーマを「親切味」として捉えるならば、どう考えたって狂っているし、許容しづらい。しかし、一周回れば意外とメルヘンなお話かも、とも思えてしまう。映画の矛盾を思い知らされ、結果、この策士の才能に翻弄されている私。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    何かにとり憑かれた人物や、支配と従属、共依存のさまが、3つのエピソードで共通して描かれる。共感できる人物がほぼ出てこないのだけれど、「嫌映画」というよりは、突き放したブラックコメディという印象(特に最終話の幕切れ)。第1・第2エピソードで、人物の顔を意図的に見せないようにしているショットが頻出するが、これは、俳優たちが次々役を乗り換えていくのと同様、誰もが交換可能な存在だということだろうか。ランティモスは「足」と「人の歩き方」にフェチがあるのかもなあと今回発見。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    「哀れなるものたち」で世界の映画祭を席巻したヨルゴス・ランティモスの新作。前作にも出演したストーン、デフォー、クアリーが引き続き出演し、3つの章でそれぞれ異なる役を演じる三部作構成。3つともアメリカ郊外を舞台にした奇妙な筋書きで不穏なムードに満ちている。原作モノの映画化で大ヒットした反動か、新作でランティモスは彼の初期作と同じ脚本家と組み、現代の不条理劇を描かんとするが、最後まで映画的カタルシスのないままに終わる。登場人物の生死を極めて軽く扱う世界観も肯定し難い。

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Cloud クラウド

公開: 2024年9月27日
  • ライター、編集  岡本敦史

    「蛇の道」リメイク版よりもずっと“みんなが好きな黒沢清”を感じた快作。クレショフ効果のごとくプレーンな表情から自業自得以上の意味を読み取られ、市民の憎悪の対象となる菅田将暉がまさにハマり役。シャブロル「ふくろうの叫び」を思わせる悪意の醸造劇にゾクゾクし、「CURE」にも通じる“異常者に認められること”がスイッチとなる構成に笑い、まさかの活劇展開になだれ込む無邪気な不自然さにワクワク。この監督・主演チームでサイコな「勝手にしやがれ」シリーズのような連作希望!

  • 映画評論家  北川れい子

    現代は、生きているだけで誰でも加害者、誰でも被害者、と誰かが書いていたが、ネットを使って転売を繰り返している主人公が、集団暴力に曝されるという本作、極端な設定、極端な展開だが、奇妙な説得力がある。もともと黒沢清作品はかなり無口で、言葉より人物たちの黙々とした行動やその映像で話を進め、いつの間にか、観ているこちらをとんでもない世界に引きずり込み、というのが得意なのだが、今回はさらに過激化、後半のアクションなど、背景といい、戦場さながら。アンチヒーローものとしても痛快。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    2階の窓から下の道を見下ろせるアパートの一室、湖の傍の一軒家、巨大な廃工場。突如として降り出す雪も含め、相変わらず黒沢が作り出す空間は映画らしさにあふれ、あれよあれよという間に地獄の入り口へ突き進む。ネットを介した憎悪を無機質な菅田を通して肥大させる前半と、戦場さながらの銃撃戦が展開する後半へ。出鱈目なまでの過剰さがたまらない。窪田、岡山ら30代の実力派たちが明らかに乗って演じ、洞口依子的存在感の古川も良い。次世代が刷新した黒沢清的世界を堪能する。

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ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー

公開: 2024年9月20日
  • 映画監督  清原惟

    ジョン・ガリアーノが差別的発言をしてしまうという自らの過ちについて語るシーンから始まり、彼のキャリアを包括的に描いている映画。ガリアーノの発言は許されるものではないし、その後の行動にも疑問を感じるが、人が過ちを犯してしまったあとに、どのように再び歩むのか、という部分にフォーカスしていたのは興味深かった。ガリアーノだけではなく、傷つけてしまった相手にもインタビューするなど、この難しい題材を扱うにあたって多角的な視点も入れていたのがよかった。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    眩いばかりの栄光の絶頂に君臨していたファッションデザイナーがふと口にした〈反ユダヤ主義的な暴言〉ゆえにキャリアを?奪される。その?落と再起を追ったドキュメンタリーだが、ガリアーノが崇拝するアベル・ガンスの「ナポレオン」(27)の映像を、彼の栄枯盛衰に重ね合わせる手法はいささか鼻白む。K・マクドナルドは、こうしたハッタリめいたテクニックを除けば、ガリアーノの貧しい出自から掘り起こし、オーソドックスな語り口で、その屈曲に富む境涯を浮き彫りにしている。

  • 映画批評・編集  渡部幻

    革命的だがビジネスには不向きな男の波乱に富んだ軌跡をガリアーノ本人が振り返るドキュメンタリー。80年代のロンドンに始まり、スリップドレスを流行らせた94年のブラックショーへ……最盛期のコレクションを見ていると素人のぼくでも天才の二文字が思い浮かんでくる。ディオールのデザイナーに選ばれ、一時代を築くが、仕事上の右腕を亡くしたことから心が荒み、酒と処方薬漬けになった末に、2011年の反ユダヤ発言のスキャンダルへと至る。この贖罪と再起への願いが彼自身の言葉で語られる意欲作。

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パリのちいさなオーケストラ

公開: 2024年9月20日
  • 文筆業  奈々村久生

    音楽界の中でも特に指揮者のポジションにおけるジェンダーアンバランス、移民差別や彼らとの共存など、実話ベースとはいえ訴えるに足る要素が詰め込まれた形。ただしテーマが強固である分、それを語るドラマの作劇や映像表現はやや脆弱で、現実の複雑さをカバーしきれていないように思う。ヒロインはいくつかの困難に直面するも、それなりの努力をすれば報われるのが既定路線となっている。ただ、女性が当たり前に指揮棒を振る姿を写し、それが多くの人の目に触れることには意味がある。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    最初の30分、観ているのが本当につらかった。僕は人種差別されたこともなく、男だからという理由で悔しい思いをしたこともないので罪悪感が湧きあがり、主人公を意地悪に嘲笑う白人の金持ちの少年少女たちに激しい共感性(というのもなんだけど)羞恥を感じたからだ。主人公姉妹の人生を祝福したい。もちろん女性には(恋愛以外のことに)執念をもてる人が沢山いる。ただ、世界が変わっても才能もなく運もなく性格も悪い者は結局、差別されちゃうんだよなと映画とは関係ないことも思う。

  • 映画評論家  真魚八重子

    実話に基づいた映画で、パリに限定したタイトルと少し違い、主人公はパリ郊外に住むアルジェリア移民の少女だ。パリの富裕層が集まる音楽院と、郊外の移民が多い貧困地区という対立構造があり、女性が指揮者を志すことへの性差別も描かれる。そのために主人公が郊外で指揮を執るオーケストラを作る物語で、パリの音楽院にも彼女に共鳴する仲間はおり、移民にも演奏能力はあると明らかにする。ただ善悪をはっきりさせすぎていささか鼻白むし、わかりやすさがスケールをすぼめている。

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ぼくが生きてる、ふたつの世界

公開: 2024年9月20日
  • 文筆家  和泉萌香

    赤ん坊を世話する若い母を見つめた光景や、学校で手話を友人に見せてみせる少年の顔など、日常に溶け込み繊細に主人公の成長を追う前半部分に比べると、どうしても成人後の彼の心の揺れ動きは粗い印象が。気になったのは想像以上に、物語内に父が不在で、働きに出ている彼、家にいる母、マッチョな祖父に耐える祖母と、世代の差、男と女、そういったさまざまな二つの世界の重なり合いも自然と浮き彫りになっている。とはいえ、小さく遠ざかっていく母の背中などはやはりほろりとする。

  • フランス文学者  谷昌親

    自身もコーダである五十嵐大の自伝的エッセイの映画化である。当然ながら、宮城県の小さな港町に住む聴者の少年が、聾者である母親との関係に戸惑うようになる映画の前半がむしろ重要だし、そもそも呉美保は、地方での家族のあり方を描くのに手腕を発揮する監督でもある。だが、この作品では、主人公の大が乗った列車がトンネルを抜け、東京へと向かうことでむしろ映画が動き出す。つまるところ、少年から大人への旅立ちとして成立している物語が、強みでもあり、弱みでもある作品なのだ。

  • 映画評論家  吉田広明

    両親が「普通」ではないとの気づきから、色眼鏡で見られることへの反発、コーダとしてではない自分の希求へと、主人公のアイデンティティをめぐる葛藤が淡々と時系列に沿って描かれるだけに、初めて時間軸が揺らぐラスト、過去の母親の後ろ姿に、コーダであることも含めて自分なのだと自己肯定に至り、記憶が溢れ出して両親と同じ音のない世界を体感する部分が生きる。奇を衒った表現もなければ、大事件も起こりはしないが、一個の人間の等身大の大きさを確かに感じさせる。

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たとえ嵐が来ないとしても

公開: 2024年9月14日
  • 俳優  小川あん

    2013年、フィリピンの地で実際に被害を受けた台風ハイエン災害後をドキュメンタリータッチではなく、創造力の高い予想外な物語に描き直した。物凄くいい。主人公の二人は被災した街中を歩き続け、景色を交わしながら、未来への意を決していく。気弱な男子の隣で恋人役ランス・リフォルが銃を構えるショットは「バッファロー’66」のクリスティーナ・リッチを想起した。気概のある、力強い女性像で、最高。彼女が肝だ。焦点の合わせ方が独特な撮影も、メロウな音楽も、絶妙。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    災害後の荒廃を生き抜くサバイバルドラマか、夢のマニラへ渡ろうともがきつつもたどり着けない若者たちの苦い青春映画かと思って観ていたら、不条理劇かマジックリアリズムかという展開に。こんな映画観たことないとうっかり口走りそうになるけれど、どこか懐かしさを感じるセンスでもある。終盤ややメロドラマ的になるのをどう評価するかが難しいのだが、それまでの、若者ふたりが旅を続けるパートは、最近亡くなったせいもあるのか、個人的には、なぜか佐々木昭一郎の作品を重ねつつ観てしまった。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    2013年にフィリピンを襲った巨大台風を題材に、壊滅的な被害を受けた街を舞台にしたドキュメンタリーのようなドラマ。新たな嵐の到来の噂が流れ、主人公は恋人と母を探して街から脱出しようとする。この世の終わりのような背景の中、フィクションとノンフィクションの境界が溶け合った世界で、話はラテンアメリカ文学のマジック・リアリズムのように徐々に神話的な色彩を帯びてくる。「探すこと/逃げること」という矛盾する行為にもっとダイナミズムを与えていれば映画はもっとドライブしただろう。

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ジガルタンダ・ダブルX

公開: 2024年9月13日
  • 文筆業  奈々村久生

    「マッド・マックス」的な暴力と狂気に支配されたバイオレンス・アクションが、腐敗した国家権力とそれに癒着した警察組織の政治ドラマと連結し、密猟される象や少数部族を巻き込んだ復讐劇へと展開。まさに銃をカメラに持ち替えてシュートする命懸けの闘いで、撮影を名目にあらゆるリスクを冒す制作現場特有の狂った論理もメタ的に内包。振付師出身であるラーガヴァー演じるギャングのダンスは圧巻で、「イングロリアス・バスターズ」を彷彿とさせるクライマックスも映画愛に満ちている。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    血を見ると気絶する男が暗殺者になる。西部劇マニアのヤクザが自分主演の映画を撮れと無茶振りし、撮影方法を何も知らない男は巨匠になりすまして監督しなければならない。かつて聖なる象を殺してしまい村を捨てた男が帰郷して、象を密猟する邪神の如き森の民と悪徳警官との三つ巴の抗争に巻き込まれる。ここまでですでに面白そうな映画3本分のシノプシスが詰め込まれてるのに、最後にインド現代史の闇をあばく政治ドラマになってマジの感動で泣かされるなんて誰が想像しただろうか。

  • 映画評論家  真魚八重子

    イーストウッド好きなギャングの親分に、サタジット・レイ門下と偽った警官が近づき暗殺を狙う。このシネフィル的設定は問答無用に惹かれるし、8ミリカメラで撮っていようとリアリズムなど求めない。冷酷な政権側と象牙を狙った密猟の問題なども絡み、複雑だがわかりにくくはない。政治を前にした民間人の無力さという悲劇性も、映画には昔からあったやりきれなさだ。ただ主人公が強面で愛嬌が足りないことや、続篇を匂わせる物語ゆえに本作だけで判断がしきれない惜しさがある。

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ヒットマン(2023)

公開: 2024年9月13日
  • 映画監督  清原惟

    地味な大学講師が殺し屋になりきり警察の捜査に協力していくなかで、相手の好みに合わせた殺し屋に扮していくのだが、そのレパートリーの豊富さとそれぞれの人物の説得力がとてつもなくて笑える。前半は演技で人を欺くさまを単純に楽しんで観ていたが、物語の核となっていく依頼人の女性との恋愛は、どんな人間でも日常の中で演技をしていることや、相手によって自分が変わってしまうこと、それによって人が変化していくことなど、演技というものに深く考えさせられる展開だった。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    無類のシネフィルであるR・リンクレイターだけに冒頭の殺し屋映画のフッテージをコラージュ風に引用した下りで野村孝の「拳銃は俺のパスポート」(67)が登場した瞬間、思わずニヤリとなる。よいセンスだ! 実在のニセ殺し屋がモデルらしいが、ふだん大学で心理学を講じる教授という設定は「霧の夜の戦慄」(47)のジェームス・メイソンのパロディではないか。ただし元ネタのような深刻なスリラーではなく、プレコード時代のモラルを粉砕するようなスクリューボールな笑いをこそ顕揚したい。

  • 映画批評・編集  渡部幻

    快作。好調の波に乗ったグレン・パウエル。リンクレイターのファンは彼の近作でこの妙に面白い役者を発見したが、コンビの新作では二人で脚本を書いている。離婚経験のある地味な心理学教授が、囮捜査への協力のため偽の殺し屋を演じさせられる。依頼人を逮捕するため、彼らが期待するだろう“殺し屋像”を演じ分ける才能に気づくのだが、ある女性に思い入れてしまい……。リンクレイターは彼ならではの現代人の混乱をユーモアに包んで「本当の自分は誰? 真実の人生とは何?」と問いを忍び込ませているのだ。

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スオミの話をしよう

公開: 2024年9月13日
  • ライター、編集  岡本敦史

    舞台『オデッサ』は手法も含めてすこぶる面白かったし、近年はおそらくTVドラマを「最も冒険できるメディア」として認め直した感がある。つまり三谷幸喜が想定観客レベルを最も低く見積もっているのが映画なのでは……そんな疑念が今回も拭えず。投げやりな空中遊泳ギャグなどは映画への憎悪に見えるし、どうかするとお話自体が女性憎悪の表れに見えなくもない。「他人に合わせる生き方しか知らない」人間の救済と脱出を正面から描いてこそ、映画なのでは。ダメ男の自己憐憫ではなく。

  • 映画評論家  北川れい子

    まずは気楽に楽しめるパロディと遊びが満載のミステリである。長澤まさみをまるで操り人形のように男たちの間をたらい回しさせ、その男たちがまた、上っ調子の曲ものばかり。が三谷監督、長澤まさみを“あなた好みの女”で終わらせるはずもなく、操り人形の本当の姿は。彼女を含め、俳優たち全員が喜々としてその役を演じているのもお気楽感を誘い、特に5番目の夫役の板東彌十郎は堂々の悪のり。“スオミ”という名の由来とショー形式のラストにもニンマリ。思うに三谷監督も作品の後ろでニンマリかもね。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    近作は最後まで観るのも苦痛だったが、舞台調へと引き寄せた今回は捲土重来を予感させる。だが、男たちがスオミとの関係を語りだすと、いちいち映像で見せてしまうので、クライマックスも驚きがなくなる。「天国と地獄」だって前半は室内から出なかったんだから、三谷なら彼女の姿を見せずに、対話だけで彼女の幻影を描くことができたのでは? 長澤の七変化は圧倒的な演技でそれを見せてくれるわけでもないので、後に控える見せ場も寒々としてしまう。終始映画を観ている実感わかず。

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チャイコフスキーの妻

公開: 2024年9月6日
  • 文筆業  奈々村久生

    女性の自立が事実上不可能だった時代で、結婚に人生を懸けようとしたアントニーナを責めるのは酷かもしれない。だが一貫して自分の理想のみを追い求め相手と現実を見ようとしない業の深さはしんどい。届いたばかりのピアノを弾くチャイコフスキーの興をぶち壊す行動や、離婚の説得に訪れたルビンシュテインを見送った後の一言にはゾッとさせられる。同性愛・異性愛に拘らず、いつの時代も恋愛や結婚には向き不向きがあり、自分に合った生き方を選択できる自由の大切さを痛感する。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    まあ映画は映画ですけど、一応この映画の元ネタではある大変な夫婦関係をやりながら同時進行で夫は世界的な名曲を書いてるのが凄い(その名曲〈白鳥の湖〉をジョン・カサヴェデスの「こわれゆく女」でジーナ・ローランズが踊り狂ってるのも、考えてみると凄い。チャイコフスキー夫婦のこと念頭に曲を選んだのかな)。これは夫が悪いとか妻が悪いとか、才能ある人と結婚してはダメとか、愛なき恋をしてはダメとかそういう話ではない。どうすることもできなかった可哀想な「寂しさ」の話だ。

  • 映画評論家  真魚八重子

    チャイコフスキーの妻アントニーナは悪妻として知られる。この映画は史実として伝えられる彼女の愚かで無神経な振る舞いを踏まえつつ、一途にチャイコフスキーを愛した情念の女性として描く。そのため熱烈だが、愛されようと身勝手に振る舞う分裂した女性像になっている。ただチャイコフスキーを囲む男性の友人たちのミソジニーが、一人の女性に露骨ないじめを働く結束を作る、ありがちな構図を描き抜いたのは誠実だ。美しい映像でも夫婦両者が不快な143分を見続けるのはしんどい。

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憑依(2023)

公開: 2024年9月6日
  • 文筆業  奈々村久生

    イカサマ祈?師コンビの詐欺行為がぬるいコントみたいで煮え切らないのに対して、占い師のパク・ジョンミンがケレン味たっぷりの芝居で引き締めている。依頼人として「パラサイト 半地下の家族」の家政婦と夫を演じた二人や、仙女役でBLACKPINKのジスも出演。近年は是枝裕和監督の映画に参加するなど演技派として箔をつけたそうなカン・ドンウォンだが、「チョン・ウチ 時空道士」をはじめとするスピ系のアクションは得意分野で、こういうトンチキな作品に出てしまうのは嫌いじゃない。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    こういう筋書は大好きなんだが、恐ろしさも笑いもなにもかもが不発でもったいない。漫画の原作で動かないものをCGで動かして実写映画化と言われても困る。主人公に魅力がないのは、物語の中で変化していかないからだ。弟や悪鬼との因縁も、助手がなぜ主人公に命がけでついていくのかも、天女に憑依された占い師も、ヒロインの眼の超能力も材料はいいのに中途半端。ラスボスの悪鬼もチンピラの親分みたい。なによりエロスがどこにも見当たらない。ようするに「神話」になっていない。

  • 映画評論家  真魚八重子

    カン・ドンウォンは相変わらず美しいのだが、善悪に分かれる霊的な対戦は使い古されたテーマだ。「哭声/コクソン」や「呪詛」といった異形のホラーが登場しているのに、いまさらこういった単純な戦いに引き戻されるのは飽き飽きしてしまう。CGで描く光の線も一昔前のものだ。だが主人公が一見偽者のような祈?師で、おおよそは人間の行動に現れた心理の痕跡から、持ち込まれた事案を解決する冒頭が面白い。探偵の能力は祈?と別物なので、そういった頭脳の鋭さも持った主人公は魅力がある。

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エイリアン:ロムルス

公開: 2024年9月6日
  • 俳優  小川あん

    シリーズ1作目「エイリアン」が公開された70年代は、エイリアンが地球外生命体としてSFジャンルに属していたし、まさに未知との遭遇だった。時を超え、今やエイリアンは近くに存在する可能性が高まり、世間的にも目撃の噂が後を絶たない。外惑星ジャクソン採掘植民地という舞台設定には説得力を感じたし、人々の生活模様は想像できた。エイリアンは不気味だということに変わりはないが、驚きのインパクトは弱まった。つまり、時代の先を見据えたリドリー・スコットには敵わない。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    構造だけ取り出せば、ゾンビだらけの呪われた廃墟にうっかり高校生たちが足を踏み入れてしまったみたいなストーリーだが、シリーズにオマージュを捧げたちょっと古風なメカニックデザインと、こけおどしのない演出が、作品全体を引き上げる。第1作に顕著だった「母体恐怖」のモチーフが再度押し出され、リブートと銘打ってはいないがリブートの趣あり。けれども最も魅力的な要素はアンディの設定、およびアンディとレインの関係。彼らを演じる若い俳優ふたりが相当達者で、今後の活躍にも期待大。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    「エイリアン」フランチャイズ最新作は1作目と2作目の間の物語。漂流する宇宙ステーションにたどり着いた若者たちがエイリアンと遭遇し壮絶な体験をする。「ドント・ブリーズ」のフェデ・アルバレスによる1&2作目のエッセンス満載の原点回帰な仕上がり。若手監督らしからぬ熟練の技のような活劇力を見せるが、かつてキャメロン、フィンチャーが自らの作家性をこのフランチャイズで示したような映画作家性はナシ。「エイリアン」フランチャイズは、怪物だけでなく大企業とも抗わないといけないのだ。

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夏目アラタの結婚

公開: 2024年9月6日
  • ライター、編集  岡本敦史

    かなり強引な性格描写と饒舌なセリフ、キメ絵の連続で読者を引っ張るような原作漫画のストーリーを、映画版ではどんな工夫で説得力をもたせるのかと思いきや、工夫を投げていて驚いた。原作のキャッチーな部分だけを抽出し、無駄な努力を放棄した作りは、ある種の実写化アプローチとして業界では有効なのかもしれない(観客にではなく、プロデュース側にとって)。「ブルーベルベット」そっくりの曲で悪夢感を醸し出すセンスの世代感は「サムシング・ワイルド」好きの堤幸彦監督らしい。

  • 映画評論家  北川れい子

    ナントぶっ飛んだラブコメディなの! いや、ドタバタした動きや笑いは一切ない。自分のことを“ボク”と言う若い女性死刑囚・真珠と、目的のためなら手段を選ばずとばかり、彼女と獄中結婚する元ヤンキーの児童相談所職員・夏目アラタ。二人のデート?!は警官が脇に控えた面会室。そもそもアラタの目的からしてかなり乱暴なのだが、面会での会話は当然、?み合わない。その過程で二人の人生が回想的に語られていくのだが、柳楽優弥と黒島結菜の演技がどこかポップなのが痛快で、人騒がせのわりに消化はいい。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    受けの演技に徹する柳楽によって映画が牽引される。陰惨な背景に比重がかかりすぎないよう軽妙に描く点においてはこの演出で正解なのだろうが、現実が虚構を追い抜く時代においては、この軽薄ぶりを素直に楽しめるかどうか。アクリル板越しの死刑囚との会話によって状況が二転三転し、見透かされ、コントロールされていくという「羊たちの沈黙」以来の設定だけに新味はなく、死刑囚との結婚も「接吻」の後では衝撃は薄い。黒島は熱演ながら硬軟自在に翻弄するところまでは行かず。

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ナミビアの砂漠

公開: 2024年9月6日
  • 文筆家  和泉萌香

    宣伝文句を頭に入れて見ていたのだがちょっと予想外、ただごとではなく、ひっくり返ってしまった。冷凍庫の食材をあたためることさえしない、だらしない、近くにいる(いるからこその)男たちの愛情を試しまくってはがんじがらめになり、自傷していることも気がついていないであろう「激情的」に見える女の像を、距離とさめた温度を保って描きあげた山中瑶子、天才的ではなかろうか。彼女と河合優実が、若い女の青春ポートレートを塗りかえた。ああ、20代前半のあのころ……キツかった!

  • フランス文学者  谷昌親

    映画史においては、「不良少女モニカ」をはじめとして、さまざまな作品で不良少女が描かれてきたが、そのどれともまったく違う新しい不良少女がこの映画とともに誕生した。「勝手にしやがれ」のベルモンドよろしくタバコを手放さないカナの言動は人びとの理解を容易に寄せつけないが、山中瑶子監督はそうしたカナを、それこそナミビアの砂漠の水飲み場にやってくる動物たちを眺めるように、ひたすら見守る。そうした視線を受けとめて、カナの行動が映画ならではの躍動感を獲得するのだ。

  • 映画評論家  吉田広明

    終始どこか不機嫌で、本能的に生きている女性。映画はこの女性が生きる世界をリアルで自然なものとして演出する。その場の光だけで撮ったかに見える照明、故意にダラダラした長回しや無造作なズーム、隣の席の声が意味として入ってくるリアル音響感等々。「自然」で「等身大」の存在である彼女が生きることに苦しむなら、それは世界の方が異常なのではと言わんばかりだが、しかしこの作為を作為的に抹消した「自然」という不自然の方が、周囲の偽善以上の欺瞞でないとは言えまい。

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サユリ(2024)

公開: 2024年8月23日
  • 文筆家  和泉萌香

    原作からそのまま飛び出してきたような、最強婆ちゃんを演じる根岸季衣の弾けっぷり! 呆気にとられるほど最悪な、しかもそこから逃げられない!という事態に立ち向かうには、兎にも角にも元気を出すことだと文字通りパワー全開、エンジン全開で推し進める痛快さ。一人の少年の通過儀礼的物語でもあり、怨霊化した少女の理由も哀しいのだが、そんな余韻は残させないとばかりにたたみかけるサービス精神。まったく納涼にはならない真夏のエンタテイメント・ホラー。

  • フランス文学者  谷昌親

    「貞子vs伽椰子」も撮っている白石晃士監督だけに、Jホラーをしっかり踏まえているはずだが、家にまつわる物語でありながら、その映画的な表現は「呪怨」に遠く及ばない。もちろん、この「サユリ」の場合、Jホラーとは異なる試みをしているのだろうし、実際、突如としてアクション映画のごとき展開になるあたりには痛快さも感じられるのだが、それも、凄惨でひたすら内向きの復讐劇となっていき、それでいて都合よく事件性が発覚しないというのでは、作品としての緊迫度が保ちえない。

  • 映画評論家  吉田広明

    後半になって中心になる人物すら変わってくるあたりが新機軸ということになるだろうが、それまでの前半がホラーとしてはありきたりで若干タルく見える。悪霊vs.祖母=長男チームのバトルと、サユリがいかにして悪霊と化したのかの哀話の交代。前半後半に分かれ、さらに後半も二重化して、構造が若干煩雑。バトルのロックなノリが、サユリ周りの話でスピードダウンしている。さらにサユリの陰惨な過去も挿話的な処理で、深刻な話をネタ使いされているようであまりいい気はしない。

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ラストマイル

公開: 2024年8月23日
  • ライター、編集  岡本敦史

    確かにこれは現代日本の縮図かも、と思わせる大舞台で展開する犯罪サスペンス大作として、出色の出来。多くの問題提起を喚起するイマドキの社会派娯楽作としても秀逸で、野木亜紀子脚本のうまさを全篇堪能できる。家族連れで賑わう商業施設の爆弾テロ発生シーンも「よくやった!」と言いたい。観客の反感や疑惑を買うことも臆さず、謎めいた主人公を演じてのけた満島ひかりが素晴らしい。ドラマとのリンクは別段気にならないが、本篇自体がTVドラマの劇場版っぽい必要はなかった。

  • 映画評論家  北川れい子

    お客のために少しでも安く早く。舞台となる巨大な物流倉庫の俯瞰映像には目を見張る。ベルトコンベアで選別された無数の荷物は一瞬も止まることなく流れ続け、まさに人が荷物に使われているの図。ともあれ物流業界の厳しい実情を背景に、慌ただしくも賑々しい娯楽サスペンスに仕上げた脚本の野木亜紀子と監督・塚原あゆ子のお手並みに感心する。もし業界のシステムの闇に本気で首を突っ込んだら、ドラマ『アンナチュラル』『MIU404』チームのファンサービス的な出番もないだろし。ただちょっと後味が。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    いやはや面白い。「新幹線大爆破」「太陽を盗んだ男」を視界に捉えるところまで肉薄した快作。モデルも露骨な巨大ショッピングサイトの倉庫を舞台に、物流、配送の問題と爆弾テロを巧みに組み合わせた野木亜紀子の脚本と、脇に主役級の俳優たちを顔出しさせつつノイズにしない演出も良い。火野正平と宇野祥平の委託ドライバーを湿っぽくせずに描き、派遣社員をわかりやすい悪役にしない見識も買う。ここまでできるなら、さらに求めたくなる面もあるが、一夕の娯楽としては申し分なし。

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至福のレストラン/三つ星トロワグロ

公開: 2024年8月23日
  • 映画監督  清原惟

    とにかく美しい料理と、美しい所作と、それができるまでの過程を丁寧に撮っていて、一生のうち一度でいいから行ってみたい、と思わされる。こだわり抜かれた料理を作るためのシェフ同士の本気のディスカッションが、じっくり映されているのはワイズマンの映画らしい。一方で、時折はさまれる食材や料理、風景の実景カットも五感が刺激され魅力的だった。長尺の作品だが、一つひとつの食材の生産者への取材も含まれていると考えると、このボリュームになるのは必然なのかもしれない。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    美しい自然に囲まれたフランス中部のウーシュにあるレストラン〈トロワグロ〉の料理人たちがワイワイ言いながら近所の川で魚をとり、野菜をつんでいる至福に満ちたシーンを見ながら、フランスは農業国だったんだなとあらためて思った。まるでジャン・ルノワールの「ピクニック」(36)を思わせる豊穣なる風景のなかで、ワイズマンは、〈トロワグロ〉が優雅な美食家たちに愛される秘密をあらゆる角度からみつめて、そっと差し出す。これはブリア=サヴァランの向こうを張ったワイズマン流「美味礼讃」でもある。

  • 映画批評・編集  渡部幻

    料理に集中する人間の表情と全肉体の動作はあまりに魅惑的なので、しばし時を忘れる。フレンチ・レストラン〈トロワグロ〉の内幕を追って「偉大な芸術家のアトリエを見るよう」と語るワイズマンのカメラにも穏やかな集中美がある。職人技の美学、客の望みを共有して実現する、もてなしのプロフェッショナリズムとエレガンスに見惚れる内に4時間が瞬く間に過ぎていく。代々受け継がれてきた過去の蓄積が子供世代の未来に繋がることを願う終幕の言葉と共に、この映像作品もまた芸術へと昇華されるのだ。

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箱男

公開: 2024年8月23日
  • ライター、編集  岡本敦史

    石井岳龍監督の「映画表現と文学表現を横断する」一連の試みの集大成とも言うべき力作。前衛的文芸作でありながら「ELECTRIC DRAGON 80000V」顔負けのアクション娯楽作にもなっていて、確かにこれは石井監督にしか作れない。長年にわたり紆余曲折を繰り返した執念の企画だが、出来上がってみれば「ほら、だから面白い映画になるって言ったじゃないか!」という監督の声が聞こえるような、清々しい快作となった。箱をまとった永瀬正敏の所作の美しさ、キレのある動きにも惚れ惚れ。

  • 映画評論家  北川れい子

    安部公房の原作は遙か昔、背伸びをして読み、リアルな観念小説という記憶以外、ほとんど忘れていたのだが、石井監督がその観念を人物たちの言動と挑発的な映像で具象化しようとしていることに敬服する。戦後の昭和。箱の中から外の世界を覗き見る正体不明の箱男。そんな箱男に惹かれる訳ありの男たち。ただ原作が書かれた当時はともかく、ダンボール生活というと、どうしてもホームレスを連想してしまい、それが観ていて落ち着かない。“箱男を意識するものは箱男になる”という言葉も皮肉に聞こえて。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    90年代日本映画にどっぷり浸かった身としては「暴走機関車」「連合赤軍」より実現を夢見た幻の企画だけに感無量。意外や緻密に原作を解体再構築しており、箱男たちが全力疾走し、過剰なまでのアクションを見せる野放図な石井の世界と接合させる荒業が成立してしまう。永瀬、佐藤、浅野に囲まれ、伝説とは無縁に堂々たる存在感を見せる白本彩奈も出色。ただ、ヒッチコックの「裏窓」が観客を一体化させてスクリーンが覗き窓と化したことを思えば、本作の終盤は説明過多にも思える。

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劇場版 アナウンサーたちの戦争

公開: 2024年8月16日
  • 文筆家  和泉萌香

    全篇にわたるナレーションとテロップをふくむ構成に、見ているのはNHKのドラマ……という印象は拭えないが、呑気に茶番を流しているらしい今のテレビを思うと、映画は(もう一つのレビュー作品である「マミー」でも同様のことを感じたが)まだ間に合う、という気がしてくる。主に焦点が当てられるのは和田信賢の葛藤で、他のアナウンサーたちは登場時間は決して長くはないものの、それぞれの「貌」は(親切な説明もあり)強く焼きつくし、実枝子さんの物語などもスピンオフで見てみたい。

  • フランス文学者  谷昌親

    NHKらしい題材であり、記録映像をふんだんに用いていることも含めて、NHKだからこその作品でもある。さらに、国が戦時体制を突き進み、報道すらも戦意高揚の道具とされていくなかで、決断を迫られたアナウンサーたちが味わうことになった苦悩を描いている点は、いまのように報道そのものの信頼性が問われる時代にあっては貴重であり、見ごたえもある。だが、「劇場版」と銘打ちながら、再編集後も、どうにもテレビ番組的としか見えない作りのままであるのは否定できないだろう。

  • 映画評論家  吉田広明

    ポイントは二点。総力戦である戦争における市民(アナウンサー)の戦争への加担の問題。その声が人々を鼓舞してしまうとしたら、その責任は如何。第二に、情報戦として敵に、あるいは戦況を隠すため市民に流される偽ニュース。フェイクニュースが問題になる現在に反省の材料を与える。何が「事実」かは難しい話だが、主人公は上から流されてきた情報を垂れ流すのでなく、調べて話す。それが彼の言葉に力を与える。昨今の記者クラブの在り方を含め、報道とは何かを考えさせる作品。

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フォールガイ

公開: 2024年8月16日
  • 俳優  小川あん

    アクション映画で絶好調のデイヴィッド・リーチ監督。スタントマンとしての経験で内側から見てきた映画界をポジティブに取り入れて、映画愛が炸裂。ぜひ、スタントマンにもオスカーの受賞を……! 各部署が完璧な仕事をしていて、一体感◎な皆さんのおかげで俳優は仕事に徹していられます。感謝。こんな感じで仲間と映画作れたら最高だよね。本作を観た後に真面目な話はしたくないけど、(実はあまり観てこなかったジャンルだったので)アクション映画って際立って編集が要だと感じました。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    死体発見を機にプロットが急転換するのを、「えっ、そんな話だったの?」と必要以上に唐突に感じてしまい、以後の展開もごちゃごちゃして見えてしまうのが、自分のせいなのか脚本と演出のせいなのかと考えこんでしまうのだが、SF超大作映画の撮影風景を見られるのが何より楽しく、エンドロールでそのさらに裏側まで見られるのも楽しい。女性キャラが全員、暴れはじめたら徹底的に暴れるのも愉快。主演ふたり快調。多くのアクションシーンのなかでも、〈見つめて欲しい〉が流れるシーンが最高にアガる。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    撮影中に大怪我をして業界を去ったスタントマンが、元恋人が初監督となる撮影に復帰するも、殺人事件に巻き込まれる。スタントマン出身で「ブレット・トレイン」でも知られるデイヴィッド・リーチ監督がTVドラマ「俺たち賞金稼ぎ!! フォール・ガイ」から題材を得たスタントマン讃歌。映画関係者しか出ないため映画ネタ満載の会話も楽しく、アクション馬鹿への愛に溢れた、マーケティング先導でない快作。タイトルバックのメイキング・シーンも素晴らしく、映画という命懸けの嘘を作る気概を感じる。

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ボレロ 永遠の旋律

公開: 2024年8月9日
  • 映画監督  清原惟

    作曲家ラヴェルの代表曲〈ボレロ〉が生まれるまでにフォーカスした伝記映画。冒頭のたくさんの〈ボレロ〉のカバー曲のつなぎが楽しく、今に至るまで愛されてきた曲だと改めてわかる。演奏シーンが長めで贅沢な時間だったが、もう少しラヴェル独特の曲作りについて見てみたかった。クラシックの文脈だけではなく、様々な背景を基に作られたラヴェルの独自の作曲や、同時代の音楽家との交流についての言及は少なめで、生みの苦しみや私生活のウエートが高かったのが少し残念だった。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    〈亡き王女のためのパヴァーヌ〉をピアノトリオで聴いて興奮したことがある。劇中、ラヴェルがNYで黒人が演奏するガーシュインの〈私の彼氏〉に聴き惚れ「ジャズは単純ではない。複雑で力強く絡み合うものだ」と呟く。〈ボレロ〉の永劫に反復されるようなメロディの源泉にジャズがあったのではないかと夢想するのは愉しい。ラヴェルの生涯は母、ダンサー、愛人、家政婦と様々な女たちに囲繞されるも、そこには〈性〉が希薄で、倒錯にも似た依存関係が断片的な語り口で表出されるばかりだ。

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夏の終わりに願うこと

公開: 2024年8月9日
  • 映画監督  清原惟

    少女の見ている世界がまるでドキュメンタリーのように繊細に描かれていた。音がとても印象的で、舞台となっている家の周りの空気や、家の中にたくさんの人が同時に動いている感覚が音によって表現されていた。女性たちのシャワーやトイレなどプライベートな場面がいくつかあり、そこに映っている親密さや人肌の温度みたいなものが、映画の全体に響いている。主人公の少女が、親戚の家で手持ち無沙汰になって落ち着かない様子を見ながら、私自身の子どもの頃にもあった感覚が蘇ってきた。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    公衆トイレでの母娘のあけすけな会話という意表を突く導入部から、すでに不穏な気配が漂う。祖父の家で重篤な病を患う父親の誕生日を祝うために集まった大家族。その特別であるはずの一日が奇妙な居心地の悪さを抱えた7歳の少女の視点を介して、断片的な世界そのものとして提示される。ドアの向こうにたしかにいるはずの父親との再会が絶えず遅延された果てに、ささやかなクライマックスが訪れる。何かとてつもなく豊かな世界に触れたという記憶のみが揺曳する稀有な映画体験である。

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ブルーピリオド

公開: 2024年8月9日
  • ライター、編集  岡本敦史

    絵描きの映画は難しい。この作品も観ながら「そういうことかなぁ」と思うところ多々だったが、尺の問題もあるのだろう。絵を描くことの喜び、独自の視点の獲得など、見せ場にとっておきたいのもわかるが、そんな基本的なことは序盤で描いてしまって、どんどん高度な挑戦や障壁を惜しみなく描いてほしかった。とはいえ、トランスジェンダーの登場人物を単なる彩り以上(またはコメディリリーフ以外)のキャラクターとして掘り下げた青少年向けドラマが普通に全国公開されるのは喜ばしい。

  • 映画評論家  北川れい子

    共感度の高い青春映画である。いや間口の広さは青春に止まらない。映画はこれまで、音楽でもスポーツでも恋でもゲームでも、何かに本気でぶつかっていく人の姿を無数に描いてきたが、本作の場合は“絵”。しかも実証的、立体的に描いているのが素晴らしい。茶髪にピアスの高校生が、放課後の美術部で偶然目にした一枚の絵に触発され、才能や将来性など一切度外視、絵という難物に体当たり。美術部員のエピソードや彼らの絵も説得力があり、主人公が唯我独尊的ではなく、聞く耳を持っているのも頼もしい。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    美大系青春映画は数あれど、ここまで描くことのみに徹した作りは異色。学校、友人、ライバル、家族も登場するが、一線を引いた距離感になっており、描くことからブレない作劇が素晴らしい。画架に置かれた紙を見つめ続ける画面が続くだけに、眞栄田のドラマチックな眼差しが本作ではいっそう際立つ。ユカちゃん役の高橋が見せる繊細な演技は自暴自棄になる姿にも品があり魅了。「ルックバック」との共通項も多いが、あちらは実写ではなくアニメが相応しかったが、本作は実写が合う。

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#スージー・サーチ

公開: 2024年8月9日
  • 文筆業  奈々村久生

    ヒロインの自己承認欲求が物語の引き金になるというフリがあまり効いておらず、事件解決の鍵を握ると見られたライブ配信もほとんど生かされていない。オチはわりと早い段階で明かされるにもかかわらず、それが作劇の軸となっているわけでもなく、単に構成を入れ替えて流行りのツールをちりばめただけに思えてしまう。インフルエンサーとされている男子生徒の描写は薄く、なぜ彼がそれほどまでに人気を集めているのか語りが足りていない。学校の対応も記号的すぎて全体的に粗さが目立つ。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    ミステリとしては古典的だが、見せかたが新しく音楽もすばらしく、その古い筋立てで描かれてるのがポリコレ以後の、今の人間だった。その「今」とはどういう時代なのかを書くとネタバレしちゃうが、あえてちょっとだけ書くと、この青春映画はむちゃな恋愛の加害者がもつ権利意識の話だとも読める。関係ないが「ヘレディタリー 継承」主役のアレックス・ウルフが本作ではイケメンキャラなのに「ヒメアノ?ル」や「神は見返りを求める」のムロツヨシと同じ、とぼけた顔をしていて笑った。

  • 映画評論家  真魚八重子

    ミステリ映画として非常に珍しい形を取っている。ポッドキャストやYouTubeを使って、自己承認欲求を満たす若者たちの物語で、映像の加工なども現代的なクリシェが使われている。幼い頃から推理小説が大好きなスージー(カーシー・クレモンズ)が、行方不明のインフルエンサーを捜す序盤から、その後の謎を割っていく展開が、突然倒叙ミステリになるという風変わりな構成だ。そこからサスペンスの要素が加わり、観客にハラハラ感を与える。ラストの編集の切れ味も余韻がある。

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新米記者トロッ子 私がやらねば誰がやる!

公開: 2024年8月9日
  • ライター、編集  岡本敦史

    監督の小林啓一、脚本の大野大輔、主演の藤吉夏鈴・高石あかりと、新世代の才人が一挙に集結しながら、一見まるで欲のない作りで楽しませる学園スクリューボールコメディ。体制に逆らう学生新聞部員のアナーキーな冒険を描くところは漫画『映像研には手を出すな!』を想起させ、適度に温度の低いコミカルな演出は初期の周防正行も思わせる。社会派要素を自然に盛り込む心意気にも好感が持てるが、もう少し「適度」から逸脱しても良かった。音楽が案外冴えないのも惜しい。

  • 映画評論家  北川れい子

    若い観客層向きのとんでも学園騒動だが、“私“のナレーションに加え、各人物の説明台詞や後だし情報が多い脚本と演出はかなり甘いし、学園の闇がまたチープなおふざけレベル。ではあるが、活字離れや新聞離れが言われて久しいいま、学園の目玉という設定の文芸部と、モグリの新聞部のスパイ合戦とはかなり大胆で、一方から踊らされているとも知らず二股をかける”私“の迷走は、さしずめ文学少女の勇み足? 新聞部部長役の高石あかりが、刷り上がっていく新聞のインクの臭いにうっとりする場面にはほっこり。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    時代錯誤な設定も台詞も瞬時に観客に了解させ、没入させてしまう小林啓一は、小さな世界を周到な演出で拡張させ、学校をスパイ戦の舞台へと変貌させる。随所に一歩間違えれば白々しくなりかねない箇所が出てくるが、戯画的な描写とリアルの配分が神がかり的に絶妙。学生たちが皆良いが、藤吉と高石による〈躍動する低温演技〉が絶品。全篇にわたって空間の切り取り、カットの繋ぎが突出し、一人部室に取り残された新聞部員が立ち尽くすさりげないロングショットも忘れがたい。秀作。

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夜の外側 イタリアを震撼させた55日間

公開: 2024年8月9日
  • 映画監督  清原惟

    イタリアで実際に起きた誘拐事件を基にした、5時間40分もの超大作。議員、テロリスト、家族、教皇など様々な立場の視点をもって多層的に描いている。実際の多くの出来事が起こっているときにはわからないことが多いように、渦中にいる人間の感じる混乱がそのまま描かれているような臨場感があった。長い映画でありながらどのシーンもスマートに作られていて、疲労はあっても飽きることはない。一人ひとりの物語の片鱗がたくさんあって、もっと彼らを知りたかったと思うくらいだった。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    20年前に「夜よ、こんにちは」で描いたアルド・モーロ元首相誘拐・殺害事件を340分という長尺で再話するマルコ・ベロッキオの意図は奈辺にありや。確かなことは単純な二項対立的なイデオロギーに依拠しない、真の《政治映画》の可能性が極限まで追求されていることだ。過去にフランチェスコ・ロージのような逸材を生んではいるが、ベロッキオは、もっと歴史、宗教が複雑に絡み合う人間性の深層に錘鉛をおろす壮大なフレスコ画のような映画を撮った。まさに前代未聞の試みである。

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マミー(2024)

公開: 2024年8月3日
  • 文筆家  和泉萌香

    95年生まれの私にとってこの事件は物心がついてから一番初めに鮮烈に心に残ったニュース映像の一つだ。少し大人になり、様々な犯罪事件のニュースを見るたび、女は加害者であろうが被害者であろうが、こういう好奇の対象として晒されてしまうんだ、と思った。不謹慎ながら大変面白かった。ここまでの矛盾や疑問が事実としてあるにもかかわらず、訴えを無視し再検証しないままでいることは、いち事件を超え、我々日本国民みなにもっと身近な形で、恐ろしい形として噴出するのでは。

  • フランス文学者  谷昌親

    このドキュメンタリー映画の興味深いところは、あえて客観的な立場を棄てているところだ。もちろん、丹念な取材を重ねつつの撮影だということは観ればわかるが、客観性にこだわるのであれば、もっと別のアプローチや撮影の仕方がありえただろう。しかし、死刑判決にいったん疑義を抱いた二村真弘監督は、その疑義を原動力に突っ走る。そして、ついには取材のために法を破る挙にまで出て、そうした自分を被写体にしてもいる。そのあやうさによる揺らぎがこの映画を「作品」にしている。

  • 映画評論家  吉田広明

    主人公は死刑囚の長男と監督自身である。関係者ながら当時小学生で半ば傍観者であった長男が、外在的な監督の視点を共有して真相探求を主導する。その過程自体の粘り強さに頭が下がるし、説得もされるが、正しさの主張だけでは映画として食い足りない気がするのも確かで、被告一家、近隣住民の人物像を掘り下げる(これが難しいのは分かる)なり、真犯人に関する新たな視点を打ち出すなりしてほしかったが、これは犯罪映画を見過ぎている人間のないものねだりばかりとは言えまい。

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Chime

公開: 2024年8月2日
  • 文筆家  和泉萌香

    見ているだけで陰気な気分になる終始のぺっと薄暗い画面に、耳障りな音をなんてことないというふうに上書きする音の数々と、凝縮された不穏な世界を楽しむ。目撃者と実行者、加害者と被害者、二人だけの蟻地獄的空間と転ずる、規則正しく障害物(机)が並べられた料理教室が恐ろしく魅力的。「走ってもダメ、叫んでもダメなら、もう踊るしかないんじゃない?」と思ったぐらい、何もかものあまりの動かなさにキツくなったが、最後まで濁った虚無のままに締めくくられた。

  • フランス文学者  谷昌親

    いくら男の狂気を示すためとはいえ、殺人のシーンは後味のいいものではない。しかし、その後味の悪さを呑み込むように、料理教室が不気味な空間に変貌し、人物たちが異星人のように感じられてくるのだ。そうした不穏さを象徴するのが、料理教室のすぐ横を走る電車の音と光であり、いつのまにか耳に響きだすチャイムで、それは、映画そのものが現実とのずれのなかで奏でる不協和音ともいえよう。縄のれんが揺れ、ドアが開くだけで戦慄が走るのは、黒沢清作品ならではの映画的体験だ。

  • 映画評論家  吉田広明

    脳内でチャイムが聞こえるという料理学校生徒の自死以後、主人公の周り、主人公自身に異変が生じる。黒沢監督おなじみの半透明の幕が、ここでは扉の内と外を意識させるチャイムや、教室の外から内に差し込む光などに敷衍され、映画内で起こる様々な異常が主人公の脳内の話なのか、現実なのかを曖昧にする。尺が短いので、その事態の意味までは手が届いていないのが物足りないが、ほんの数ショットで自身の映画時空間を立ち上げ、タマの違いを見せつけてくれる技量は流石と言えよう。

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コンセント 同意

公開: 2024年8月2日
  • 文筆業  奈々村久生

    観ることに大きな苦痛を伴う体験であったことは否定できない。だが今はこの痛みに耐えなければいけない時期なのかもしれない。小児性愛者による性加害は被害者の立場があるだけにタブー視を避けられない側面もあり、本作が実話ベースであることはさらにハードルを上げるが、フィクションの中でこそきちんと犯罪として描かれ人の目に触れることに意味がある。文壇の権威が犯罪を芸術にすり替えてきた光景のおぞましさ。それがいかに被害者の人生を破壊するか、表現が現実を救うことを切に願う。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    人をコントロールすることで自我を補強したい人間がいる。支配されることで自我を失って「もの」になりたいと願う人もいる。その欲望は大人同士で、相手との信頼関係のもとセックスの場だけで満たすぶんには問題ないが、関係が日常を侵食してはならない。傷ついてる「子ども」は、尊敬している人に愛されて性的に支配されることで自分は何者かになれると夢みてしまう場合がある。この映画は中学生に授業で(もちろん個々のフラッシュバックへのケアは、なされつつ)観せるといいと思う。

  • 映画評論家  真魚八重子

    まだ経験が浅く是非を判断するのが難しい未成年から、交際の同意を得たと盾に取る大人は卑劣としか言いようがない。邪悪で頭がよく回る男が、少女を相手に彼女が狭量で自分本位であるかのように言いくるめる脚本と演出は、非常にリアルゆえに気分が悪い。今でこそ小児との性交渉は厳しく処罰されるが、文化人の趣味嗜好となると特別視してしまうのは、改めて危険だと感じる。“自分は選ばれた”とのぼせてしまう少年少女への注意喚起で、本作を見せて水を差すのは有効かもしれない。

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赤羽骨子のボディガード

公開: 2024年8月2日
  • ライター、編集  岡本敦史

    三池崇史ミーツ学園ラブコメ群像劇という感じの原作はすごく面白くて、版元のサイトでレビューも書いた。漫画表現の魅力にも満ち溢れた作品なので、期待と不安が半々の実写化だったが、まずは予想以上の出来栄え。特に脇のキャストの豪華さ、各キャラのスタイリングの手厚さには驚く。この顔ぶれに惹かれて若い観客が映画館に詰めかけてくれるなら非常に嬉しい。欲を言えば、軽妙さと丁寧さのメリハリ、殴る蹴るだけでなく物体破壊も盛り込んだアクションの多彩さが欲しかった。

  • 映画評論家  北川れい子

    学園の生徒たちの制服は男女とも真っ白な上下に黒いシャツとブラウス。何度もある集団アクションでは当然泥まみれ。そのたびにあらためて白い制服を用意する衣裳部さんの苦労が気になって。さらに言えばラウールほか男子生徒役がほとんど大人顔だけに、学園に紛れ込んだ白いホスト集団にも。と、話の中身より外観ばかりに気をとられ、ビジュアルからして人騒がせ。ともあれここまでぶっ飛んだ設定だと、ただただ呆れて成り行きを観ているだけ。脱力系の笑いもご苦労様。土屋太鳳の大変身はドッキリ級!

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    単純明快な基本設定を愚直に実写化し、アクションを的確に見せ、プロフェッショナル学生集団を巧みに描き分けた作劇が成功。ラウールの二枚目半ぶりが予想外に良く、長身を生かした所作がアクションと笑いを弾けさせる。この逸材を日本映画は逃してはならない。土屋太鳳の男装の麗人ぶりも素晴らしく、彼女を見るだけで料金分の価値あり。キラキラ映画の受けの芝居には魅力を感じなかったが、奇想とアクションを前にしたときの攻めの演技は突出。もうバンコランも彼女に演ってほしい。

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ツイスターズ

公開: 2024年8月1日
  • 俳優  小川あん

    さすがの「ジュラシック・パーク」製作陣はオクラホマの麦畑、そよぐ草の立体感といい、自然を生き生きと見せるのがお上手。しかし、たちまち巨大な竜巻が美しい風景と地元の人の生活を奪う。ちょうど試写室を出たときに、空がドヨンとしてて、しばらくは震えてたのでかなり没入していた。パニック映画を見ると、もしそうなったときに助かる方法を心得た気持ちになる。実際に竜巻に遭遇した人のインタビューとメイキング映像も合わせて楽しんだ。車にドリルが装備されてるの、いいなぁ。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    こんな非常時に「フランケンシュタイン」の上映を続けている場合か!とか思うが、スクリーンが破れたその先に、まさに人間が自然=神に挑戦する光景が広がっているという趣向なのだろう。竜巻が繰り返されすぎてこちらが慣れてしまうのが難だけど、最初の竜巻の壮絶な描写は、のちの展開に非常に効果的。「ミナリ」の監督が起用されたことは誰もが意外に思うだろうが、CGと人物描写とのバランス感覚と、風景を取りこむセンスが抜群。魅力的な次世代スターの顔合わせもあって、今後伝説になる映画かも。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    米オクラホマ州を舞台に、巨大化する竜巻に対し竜巻破壊計画を企てる若きチームの奮闘を描く。スピルバーグが製作総指揮で、彼が以前に製作総指揮を務めた「ツイスター」(96)よりもスケール感&VFX感がアップ。今回は監督が「ミナリ」のリー・アイザック・チョンで、もっと人間ドラマが描かれているかと思いきや、シナリオが凡庸であくまで竜巻中心の筋運びでガッカリ。才能ある若手映画作家がブロックバスターを手がけると、予算とVFXはふんだんだがドラマ性や美学性が稀釈されるというハリウッド・システムの悪しき最新例。

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スケジュールSCHEDULE

映画公開スケジュール

2024年10月10日 公開予定

Vaundy LIVE in London

令和の音楽シーンを牽引するアーティスト、Vaundyがロンドンで撮影したオリジナルライブ映像を劇場公開。格式高い美しい建造物として知られる旧王立海軍学校を舞台にしたパフォーマンスに加え、インタビュー映像や楽曲制作風景など舞台裏の様子も収録。2024年10月10日より一週間限定で公開するほか、11月8日よりVaundyアリーナツアー帯同の上映も実施。
2024年10月11日 公開予定

人肉ラーメン

タイで2009年に公開されたスプラッタームービーのノーカットインターナショナル完全版。父親から受けた虐待のトラウマや夫が残した借金に苦しみながらも足の悪い少女を育てるバスは、一族に伝わる秘伝のレシピで作る特製ラーメンの店を開くが、レシピには恐ろしい真実が隠されていた……。タイではあまりの残酷さにラーメン業界からクレームを受け、10分以上の短縮版が公開された。監督は、「シスターズ」のティワ・モエーサイソン。日本では2024年10月11日よりデジタルリマスター版が劇場公開。

二つの季節しかない村

「雪の轍」でカンヌ国際映画祭パルム・ドールに輝いたヌリ・ビルゲ・ジェイランが、トルコのアナトリア東部を舞台に、壮大な自然の中に人間の卑小さを描き出すドラマ。村人から尊敬される美術教師のサメットはある日、虚偽の“不適切な接触”を告発される。メルヴェ・ディズダルは、本作でトルコ人初のカンヌ国際映画祭女優賞に輝いた。

TV放映スケジュール(映画)

2024年10月10日放送
13:00〜14:35 NHK BSプレミアム

お早よう デジタルリマスター

13:40〜15:40 テレビ東京

ホテル・ムンバイ

20:00〜22:24 BS松竹東急

危険な女たち

2024年10月11日放送
13:00〜15:47 NHK BSプレミアム

ウエスタン

13:40〜15:40 テレビ東京

ローン・サバイバー

20:00〜22:20 BS松竹東急

江戸川乱歩の陰獣

20:00〜21:50 BS12 トゥエルビ

少林寺木人拳