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専門家レビューREVIEW

ゼンブ・オブ・トーキョー

公開: 2024年10月25日
  • 文筆家  和泉萌香

    坂道グループのメンバーはもう今や2000年代生まれがほとんどなのかとビビる。浅草や竹下通りなど、観光客でいっぱいの実際の場所に溶け込んでいる撮影は、プレスによるとロケの日数がかなり限られていたとのことで、修学旅行ならではのドタバタなタイムテーブルとマッチして効果的。青春映画として以前に、日向坂46とアイドルファンのための映画といえばもうそれまでかもしれないが、彼女たちそれぞれのキャラの立ちっぷりもチャーミングで、気楽に楽しめるエンタメ作。

  • フランス文学者  谷昌親

    修学旅行で上京した女子高生たちがそれぞれ東京の街をさまようという設定はそれなりに映画向きであり、東京各地の風景も悪くなく、女子高生たちの個性も表現できてはいる。映画史にはすぐれたアイドル映画も存在するのだから、女子高生たちを演じるのが演技経験のほとんどない日向坂46のメンバーであることもさほど問題ではない。しかし、女子高生たちが東京の風景のなかにただ点在するショットの集積にとどまり、それらが有機的に結びつかない作品になってしまっているのが残念だ。

  • 映画評論家  吉田広明

    修学旅行に来た女子高生たちが、班長の統率を逃げ出して各自勝手に行動し始める。アイドルグループに何の興味もない身としても、わちゃわちゃした群像劇として面白く見られたのは確かだ。ただ、題名になっていながらトーキョーが新鮮に見えてくるわけでもないのは、それだけ東京の都市としての魅力が薄れている現在をドキュメンタリー的に反映していると言うべきなのか。ならば別の場所でもよかったし、その地に新たな視点を与えることの方が映画は輝いたのでは。

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リトル・ワンダーズ

公開: 2024年10月25日
  • 映画監督  清原惟

    病気の母親のために、パイの材料を探す一日の冒険譚。妙にませた子どもたち三人組のキャラクターが愛おしい。特にリーダー的存在の女の子の、いざというところできめてくれるクールさにしびれる。怪しい館、日本製の不思議なゲーム機、青い玉のおもちゃの銃など、美術のアイデアも楽しい。現実味に欠ける設定や展開でありながらも、それがただのファンタジーで済まされるわけではないのは、子どもたちの存在感によってだろうか。彼女たちの間になぜだか突然生まれた友情には胸を打たれた。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    「スタンド・バイ・ミー」のような牧歌的で多幸感溢れるキッズ・ムーヴィーと思いきや違った。悪ガキ三人組が病気の母親が大好物のブルーベリーパイを作るのに必要な玉子を横取りした男を追い、謎の魔女集団と対決する羽目に――。逸脱を狙ったプロットは行き当たりばったりで、リアルな描写とファンタジーが奇妙に同居したまま齟齬を来している印象が否めない。2組に共通するのは父親が不在の母子家庭であるということだが、その描き方も中途半端でまったく掘り下げられていない。

  • 映画批評・編集  渡部幻

    70~80年代に子供たちの冒険映画をたくさん観た。しかし夢中にならなかったのは、仲間との“本物の冒険”の方が楽しかったからだ。そして、あれから何十年を経て観たこの映画は楽しんだ。新鋭監督が描き上げた現代アメリカのユタ州は、美しく広大で、ノスタルジックなパステル画。しかしウェス・アンダーソン映画よりも生身の身体性が豊かである。大人と比べて子供時代の1日はとても長い。だからこそ、たくさんの経験に挑戦したし、勇敢にもなれた。そうした世代を超えた実感を思い出させてくれる秀作。

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八犬伝(2024)

公開: 2024年10月25日
  • ライター、編集  岡本敦史

    最初に始まる「八犬伝」パートのムードのなさに、大丈夫か!?という不安を覚えるが、滝沢馬琴パートに入ると役所広司の芝居だけで十分引っ張るので早々に印象はよくなる。撮り方が平板なところもあるが、物書きの仕事場を描く物語の宿命でもあろう。馬琴と鶴屋南北が芝居小屋の奈落で対峙するシーンが何しろ出色。「八犬伝」パートも文字どおり役者が揃うと俄然覇気が宿り、監督得意のVFXアクションも上々。家族の悲劇と背中合わせの古風なクリエイター賛歌として見応えがあった。

  • 映画評論家  北川れい子

    まずは力作である。美術セットや特撮もそれなりの大仕掛け。「八犬伝」といえば、いまや世界の真田広之も「里見八犬伝」(83年/深作欣二監督)で〈仁〉の霊玉を持つ犬士を演じていたが、今回の原作は山田風太郎。江戸の戯作者・滝沢馬琴が28年かけて伝奇小説『南総里見八犬伝』を完成させるまでの身辺話をベースに、その都度、いま書き上げた部分の怪奇譚を映像化して進行、途切れ途切れで緊張感には欠けるが一挙両得感も。「八犬伝」に託した思いを口にする役所広司の抑えた演技はさすがのさすが。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    牧野省三に始まり、東映時代劇、さらに「宇宙からのメッセージ」「里見八犬伝」へと深作欣二が翻案した話を、VFX畑の曽利が撮るなら意味があると思えたが、さにあらず。原作同様に滝沢馬琴と八犬伝パートが交錯するのが目新しいが、虚実の世界が侵食し合うわけでもVFXが両者を接合させるわけでもないので、二部構成以上のものを感じず。鶴屋南北の芝居を見るくだりに「忠臣蔵外伝 四谷怪談」を思い、エネルギッシュに映画へと転換させた深作のことばかり思い浮かべてしまう。

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グレース

公開: 2024年10月19日
  • 文筆業  奈々村久生

    一台の車で父親と生活を共にする年頃の少女。各地を転々とする日々では同世代や外部の誰かと安定した人間関係を築くことができない。自分で買った下着をトイレで身につけ、着替えも入浴もプライバシーはなく、夜は狭い車内に父親と並んで眠る。その歪さと貧困は今の日本社会でも容易に想像できてしまう。脱出を求めて頼った男性もまた救いにはならない。男性中心社会への絶望と限界。そして辿り着いた海。「大人は判ってくれない」の少年から半世紀以上、少女はようやく同じ場所に立つ。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    こういう静かな、説明が少ない、監督が独自のことをやろうとしてるまじめな映画に、たいていセックスがでてくるのはなぜなのか。われわれ都市生活者はセックスにまったくありつけない(または求めない)か、やりすぎてセックスの意味を失ってるかで、映画(他人の、意味ある人生)とAV(僕が撮ったのも絶対入ってると思う)をかかえ荒野をゆく父と娘は野生動物のようにセックスとでくわすわけだが、セックスに縁のない人はこの映画をどう観ればいいのか。荒涼とした風景が、とてもよかった。

  • 映画評論家  真魚八重子

    草も生えないゴツゴツとした暗い岩場から始まり、オンボロ車に寝泊まりする父と娘の侘しい日常を長回しで追っていく。二人旅が普段の生活となれば停滞も生まれ、移動で眺めが変わっても寂寥感が立ち込める。感情的になるのは男盛りの父の性的な問題で、娘は母への裏切りとして怒りを露わにする。娘の外泊は父を不安にさせるための同害報復だが、父の人肌恋しさも娘はどこかで理解していると思う。静謐な演出は些か退屈さも招きつつ、野外上映に向けて砂を巻き上げ疾走する車の群れのショットなど印象深い。

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ソウ X

公開: 2024年10月18日
  • 俳優  小川あん

    学生時代に「『ソウ』見た? グロいよね?」と話題になっていて、興味本位で見てたあの頃。そして、久しぶりに見て……今はちょっと無理。この不快感をあえて感じたいとは思わない。しかも、いつのまにか首謀者が明かされていて、報復としてあの悪夢の実行をする。陳腐な復讐劇としてしか見られないし、首謀者のサイコパスお爺ちゃんの悲哀な姿など見たくない。身元が明かされないでいたほうが良かったと思う。そのほうが、スリルを守れた。私がお母さんになったら絶対子どもに見せたくない一本。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    後半セシリアが、ジョン・クレイマーの正体を知っていたと言い出すので、「だったらその時点で『こいつに手を出すのはやめよう』と判断しないか?」と思ったのだけど、そういうことを考えて観てはいけない。ゴア・スペクタクルだけでなく、意外にもドラマとしてちゃんとしている。心理とかそもそも必要ないとか、ジグソウはこんなキャラクターであってほしくないという意見もあるだろうが、「命をもてあそぶ」ことへの正当な怒りが表現されていて、シリーズから取り出してこれ単体で観ても悪くない。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    連続ゲーム殺人を描く「ソウ」シリーズ最新作。末期癌で余命宣告を受けた主人公の老人が実験治療を試すためにメキシコへ。しかしそれは詐欺で、彼は詐欺師たちに報復する。あっさり騙される主人公にも、彼の報復に簡単に絡み取られる悪役たちにもまったく感情移入できないまま、映画はおびただしい出血量の殺人ポルノと化す。シナリオにも撮影にも創意工夫は見られず、続篇を予感させる結末にもうんざり。映画の面白さよりも露悪的残酷さに奉仕する製作姿勢に告げたい、「ゲームはもうおしまい」だと。

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破墓/パミョ

公開: 2024年10月18日
  • 映画監督  清原惟

    先祖の怨念を晴らすために改葬を行う呪術師(?)たちのバトル映画。日本でいうところの陰陽師みたいだなと思いつつ、ホラー映画でありながらも仰々しい演出に笑ってしまう場面もあった。埋葬という馴染み深い題材でリアリティを担保しながらも、日本の鬼が出てきたりと突拍子もない展開をしていく。そこから日本の植民地時代の話も混ざりつつ、国家や民族といった大きな枠組みの話になっていっているのが、怖くもあり面白い。主人公の女性の鋭い視線が、このとんでもない設定を支えている。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    この映画はいわば二段構えになっていて、前半のエピソードが圧倒的に面白い。在米の富豪コリアン家族からの依頼で跡継ぎが代々謎の病気にかかっており、お祓いと墓の掘り起こしで多額の報酬を得る風水師、葬儀師の四人組がいかがわしくてよい。巫女が憑依して踊り狂うシーンなど絶品だった。ところが後半は一転、日帝が朝鮮半島の絆を断ち切るために刺した呪いの釘などという大法螺吹きのテーマが朗々と謳い上げられ、異形の歴史オカルトみたいな収拾がつかない事態になってしまった。

  • 映画批評・編集  渡部幻

    チャン・ジェヒョンのオカルト・スリラー。主要人物が自らを紹介していく快調な冒頭でまず、前作「サバハ」からの熟達を感じられる。前代未聞の悪地に佇む墓の改葬依頼。不審な点が多い。40年間、地官を務めてきたチェ・ミンシクはチームに警告する。ここは悪地の中の悪地で、関われば全員が命を落とすであろうと。あらすじの解説は野暮だろう。ぐいぐい引き込む演出と役者陣の卓越した演技に導かれながら、驚きの展開に身を任せた方がよい。本国での大ヒットもうなずけるエンタテインメントだと思う。

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ジョイランド わたしの願い

公開: 2024年10月18日
  • 俳優  小川あん

    これは……ミヒャエル・ハネケ「ハッピーエンド」との類似性を感じる。タイトル、そして内容の逆転。一つの問題から派生して、家族が最悪の事態に陥る。最後になってやっと周囲が正気を取り戻す時間感覚。同じように、本作も見て取れた。この構成を描き切るのは難しい。主人公の妻が自殺に追いやられた要因を、正確に説明する必要があり、家父長制、トランスジェンダーの要素は慎重に描写しなければならない。「ジョイランド」はバッチリだった。鋭く、重厚感のある作品になっている。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    監督がずっと温めていた題材だけに、ややテーマを盛りこみすぎな気もするが、それでもなお喚起力に満ちた力強い映画。トランスジェンダー女性との出会いによって、自分の真の姿に気づかされていく夫。「女」の枠に閉じこめられまいともがきはじめる妻。文化が違えば先進的なベストカップルとして賞賛されるだろうふたりが、強力な男尊女卑社会の圧力のもと、苦悩するさまが痛々しい。そしてもちろん苦悩するのは彼らだけではない。場面の息づかいをとらえる撮影も、洗練されたタッチの演出も魅力的。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    パキスタンの新鋭監督の初長篇。大都市ラホールに暮らす伝統を重んじる9人家族の失業中の次男が就活で紹介されたシアターでトランスジェンダー女性と出会い、惹かれていく。第三世界LGBTQモノは性的偏見にのみフォーカスを当てがちだが、本作は家族のキャラクター描写が巧みで、次男が保守的価値観と性的多様性の価値観の間で揺れ動く様子が丁寧に描かれる。撮影や編集もモダンで、地球の遠くの国を舞台にしながら、私たちと共感・共有できる物語に仕上がっている。この監督、期待大。

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ピアニストを待ちながら

公開: 2024年10月12日
  • 文筆家  和泉萌香

    自動扉は開閉するのに出ていくことはできない虜囚たる我々はもう、不条理文学談議をしている場合でも、神など待っている場合でもない。新しい図書館における、内輪的なぐるぐるとした遊戯は悲しくも「現代的」と言ってしまえるのかもしれない。「去年マリエンバートで」「世界の全ての記憶」といったレネ的不在と記憶の、そして「皆殺しの天使」的囚われの物語だが、暗示的な世界に対してやや雄弁な説明的なセリフが多いせいか、生きているものと死せるもののあわいにある官能性に欠ける。

  • フランス文学者  谷昌親

    題名が示すように、ベケットの戯曲が下敷きにされており、芝居の上演に向けて稽古をしている人物たちが登場する。物語の展開も不条理劇風で、総じて、きわめて演劇的な作品と言えるだろう。しかしそれでいて、夜の暗闇を身にまとうように佇む建物をとらえた冒頭から、ひとつひとつのショットの力、そしてショットとショットの連なりが生む力が伝わってくる。このふたつの力が交わるなかで作り出される独特の空間や人物の奇妙な存在感は、映画的表現のみごとな達成にほかならない。

  • 映画評論家  吉田広明

    ピアニストは到来すべき芸術=「詩」であり、やがて来る「死」でもあるゆえ、本作は芸術とは、生きるとは何かを問う原理論的作品としての深みを得る。しかし「原理」を言うならば、舞台上の現存に縛られる演劇でこそ「不在」は逆説的に強い存在感を放つが、映画の場合、「在」っても真偽不明のいかがわしい「映像」、その嘘の力こそ映画の面目では、という疑問も浮かばないではいない。とはいえ、与えられた機会を生かして自身の映画に仕上げた力業は、一つの範例たりえよう。

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リリアン・ギッシュの肖像

公開: 2024年10月11日
  • 文筆業  奈々村久生

    映画界の黎明期とサイレント時代を支えた大スターである先輩にジャンヌ・モローが迫った貴重なインタビュー映像。特にグリフィスに関する話は興味深く、スペイン風邪が流行った「散り行く花」の撮影当時、監督が罹患せぬようマスクを着用して臨んだ現場から指でスマイルを作る芝居が生まれたエピソードは、コロナ禍を経た今こそ響く。女性が働いて自活することが困難だった時代に生涯独身を貫いたギッシュが、孤独についての質問に「プライバシーは唯一の贅沢」と答える姿が美しい。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    映画創成期に、出演者の顔の美しさという「武器」が、クローズアップの技法を育てた。リリアン・ギッシュという美しすぎる眼と唯一無二の瞳の角度をした女の子が存在したから、その技法が観客の心に定着した。AVを撮っててもいつも思いますが、どんなジャンルの今では誰にでも知られた技法も、それを世界で初めてやった人がいて、それを世界で初めてやらせた人(思いついて命じてやらせた人ではなく、その人の存在に吸い込まれるように、やったほうは思わずやってしまった)がいるのだ。

  • 映画評論家  真魚八重子

    リリアン・ギッシュは素朴な役柄でしか観たことがなかったため、インタビューの席に赤と黒の瀟洒なチャイナ服で現れた姿に、女優としての矜持を改めて認識した。まさにハリウッドバビロンの時代に清楚な佇まいでいられた精神が、いかに強靭であったかを思い知る。グリフィスを尊敬しつつも、数年間共同作業をした恩師にすぎず、映画より舞台俳優であったことが印象付けられる。監督で聴き手のJ・モローは様々な角度から微笑むショットがあり、尋ね方は謙虚だが、自分の見せ場作りに余念がないのはさすが。

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若き見知らぬ者たち

公開: 2024年10月11日
  • ライター、編集  岡本敦史

    壊れかけの家族を描いたからといって、映画自体がバラバラになってしまうのは如何なものか。クライマックスの試合シーンは確かに迫力あるが、作品に貢献しているかというと疑問。映画制作には時間がかかるので、おそらく今の日本の若者を苦しめている問題をリアルタイムで描いたら、また違った中身になっただろう(困窮と政治批判が全然絡まないのはさすがに不自然)。また、コロナ禍を経て映画料金が2000円に跳ね上がったあとの企画なら、こんな鬱屈した作劇になったろうかとも思う。

  • 映画評論家  北川れい子

    時代の気分をリアルに描いた内山監督の前作「佐々木、イン、マイマイン」は、世間に向かってザマアミロ!と一緒に叫びたくなるような青春群像劇だったが、今回は話が無理無理過ぎて、いささか置いてきぼり状態に。父の残した借金と精神が病んだ母を抱えてギリギリに生きている兄弟の話で、それでも兄には献身的な恋人やよき友人もいるのだが、とんでもない悲劇に。弟が総合格闘技の選手で試合の場面はかなり演出に力が入っているが、世間の理不尽さを描くにしても設定の強引さはやはり気になる。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    前作と同じく内山監督が造形する世界には瞠目するが、これでもかと不幸が背負わされ、重苦しい空気が沈殿するので疲弊する。社会や権力への憎悪が希薄なせいか、主人公たちを不幸にさせているのは他ならぬ作者ではないかと思わせる作為性が気にかかる。一方、この窒息しそうな世界を、手綱を締めたま描き切る手腕が突出しているのも認めないわけにはいかない。生と死の境界が不意に越境して画面に出現する瞬間や、終盤の総合格闘技場面の技法も装飾もかなぐり捨てた描写が印象的。

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ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ

公開: 2024年10月11日
  • 俳優  小川あん

    ジョーカー、またの名、アーサー・フレックについに終止符。ホアキン・フェニックスの俳優としての居方は真に感銘を受ける。人間離れした表情、身体性、重心のずれ、初作では、ジョーカーを追求し、演じ切った。次ぐ本作は、当人が映画の中でリーと共に歌っていた、まさに愛のエンタテインメント。人間を描くなら愛を探究するのは分かる。が、もったいない。ジョーカーとして、生まれ変わった後に、普遍的な感情に揺さぶられてほしくなかった。興奮が足りなかったのは逸脱しなかったからだろう。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    ジョーカーに「過去」や「内面」を付与してしまったのは前作限りしか通用しないことで、絶対無理が来るけどどうするんだろうと思っていたら、形式面(ちょっと「オール・ザット・ジャズ」っぽい)でも内容面でも、やっぱこうするしかないよねという作品に。ジョーカーとアーサーとに主人公が引き裂かれるさまも、前作のほうがよく描けていた気がするけれどどうだろう。ガガ様の影が思ったより薄いが歌は最高。個人的には「バンド・ワゴン」の上映プリントが無事だったかどうかが気になって仕方ない。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    「バットマン」に悪役で登場するジョーカーの誕生秘話を描いた「ジョーカー」の続篇。前作で逮捕されたアーサーは刑務所の中でリーという謎の女性と出会う。全米が注目するアーサーの裁判が始まり、彼の二重人格性に焦点が集まる。レディー・ガガ演じるリーが大きな役割を占め、二人の妄想ミュージカルが全篇にちりばめられた続篇は、人々がカリスマやエンタテインメントを切望することへのスペクタクルな批評だ。今シェイクスピアが生きてこれを観たら、泣いて悔しがるであろう、時を超える悲喜劇の傑作。

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はじまりの日

公開: 2024年10月11日
  • 文筆家  和泉萌香

    主人公と、物語を進行させるためだけに存在しているような都合のいい登場人物たちや台詞にくわえ、肝心の二人が打ち解けていく様子がまるでダイジェストで、現実の強度がゆるいために、夢のミュージカルシーンがひどく浮いて感じられてしまう。男が(彼らに名前を与えないのも効果的と思えないが)薬物に走ってしまったのにはさまざまな葛藤があったのだろうと想像するも、娘との和解シーンもとってつけたよう。歌声はもちろん素晴らしいのだが、ドビュッシーの言葉の引用も的外れでは。

  • フランス文学者  谷昌親

    中村耕一、そしてとりわけ遥海の歌がすばらしいし、ミュージカルシーンの華やかさにも目を奪われる。だがそうした音楽関係の要素を取り除いてみると、劇映画としてのあり方に物足りなさを感じてしまう。主人公の二人が隣人で、職場も同じという偶然があっても悪くはないが、それが映画的に活かされているかというと疑問だし、なにより二人が古ぼけたアパートに流れ着いているという設定が重要であるのに、そのロケーションがほとんど書き割りのようになってしまっているのが残念だ。

  • 映画評論家  吉田広明

    一度地に堕ちた歌手と、同じく底辺に沈んでいた女性が、共に助け合い、歌によって再び活路を見いだす。舞台は日本の地方都市、主人公らが住むのは路地のアパートだが、女性が歌うのは英語、しかもその歌詞は前向きで多幸感に満ちており、なおかつ歌い方も朗々、ミュージカル風に演出される部分もあって、ほとんどディズニー作品のように聞こえる。泥臭い物語と歌が水と油、昭和の平屋住宅にシンデレラ城が乗っかっているようだ。「PERFECT DAYS」を連想させるのも不利に働く。

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二つの季節しかない村

公開: 2024年10月11日
  • 映画監督  清原惟

    夏と冬しか存在しない村での、閉塞感に包まれた人々の生活を描いた作品。主人公の男性は、かなりどうしようもない人間だが、それで得をするわけでも裁かれるでもなく、一人の住人として怠惰に生きている。時折挟まれる誰とも知らない人々のポートレート写真を見て、まさに主人公がその一人にもなりうる、市井の人であるに過ぎないことを示しているのだと思った。ただやはり彼にはどうしても嫌悪感をぬぐえず、女性の家を訪ねるシーンでは早く帰ってほしいと心から願ってしまった。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    昨年のTIFFで見て忘れがたい印象を受けた。とにかく見る者の共感や感情移入を完璧に拒む美術教師サメットの造型がうんざりするほどにリアルだ。トルコ辺境のこの村を「ゴミため」と呼んで嫌悪し、苛立たしいまでに自己中心的で狡猾な冷笑家。一方で彼が撮った肖像写真はウォーカー・エヴァンスを思わせる親密さが漂う。義足の教師ヌライとの10分を超える烈しいディスカッションは篇中の白眉だが、次第にこの鼻持ちならぬ人物を見舞うある受難が普遍性を帯びた切実な寓意として迫ってくるのが圧巻だ。

  • 映画批評・編集  渡部幻

    「昔々、アナトリアで」「雪の轍」に感銘を受けた名匠の新作。流暢な語り口と壮大な風景画、彫りの深い人物像と会話の緊張感に時間を忘れた。一面的な人物は出てこない。誰もが別の顔を隠していて、そのことから人生の背景を想像させる。中でも興味深く、時に不快な人物は主人公である。この男の感情を揺さぶる二つの出来事が起こり、観る者は、彼の反応や対応に眉をひそめながら、そこに自分自身の似姿を発見できるだろう。役者の顔がみな見事。各人物の関係性でしか語り得ない物語なので、短評は空しい。

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金で買える夢

公開: 2024年10月5日
  • 映画監督  清原惟

    他人の頭の中を見ることができる主人公が、客の願望を汲み取った夢を売る商売をはじめる、精神分析的な作品。夢というアイテムを使い、通常のナラティブのなかに、そうそうたる作家たちの描いたシュルレアリスム映像を落とし込んでいく。イメージの面白さもありつつ、映像が誰かの夢や願望を反映できるといった、映像というメディウムそのものにも言及するような描写が興味深い。ただし、男性の夢のほとんどが、女性に対する欲望を表すようなものだったのには、少し辟易としてしまった。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    ハンス・リヒターがレジェ、エルンストらシュルレアリストたちの協力でつくったオムニバス。他人の内心を読めることに気づいた主人公が事務所で《夢》のビジネスを始めるという設定は当時、隆盛のフィルム・ノワールの私立探偵を思わせる。ヴォイス・オーヴァーの活用、ヴェロニカ・レイク風の金髪の美女の依頼人。それらはあくまでエロティックな夢想の断片としてのみ提示されるだけだ。眼球のクローズアップが頻出するのはやはりブニュエルの「アンダルシアの犬」の影響だろうか。

  • 映画批評・編集  渡部幻

    ハンス・リヒターが1947年にマンハッタンで制作したという前衛映画。“夢”のビジネスを始めた男の事務所に、願望や欲望、夢、怖れと虚しさを秘めた人々が訪ねてくる。探偵映画風の設定で、ロッド・サーリングのTV番組『ミステリー・ゾーン』のエピソードを連想させる邦題でもあるが、語り草のシュルレアリストが参加している。シュルレアリスム宣言から100年の夢の映像表現、歴史の1コマに想いを馳せる意義を感じたが、イメージの造形が弱いので、ぼくは夢に踏み迷うような快楽を味わえなかった。

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本を綴る

公開: 2024年10月5日
  • ライター、編集  岡本敦史

    一応は本好き、本屋好きではあるのに全然ピンと来なかったのは、きっと求めるものが違うからだろう。本屋にお洒落さとか居心地のよさはいらないので、むしろ最も平板に撮っている宮脇書店の棚の充実にいちばんそそられた。雑然としてればなお良し。ついでに言うと物書きが旅先で自然の景観や土地の空気に触れるときも、もっと目まぐるしく思考は渦巻いているのでは。淡い恋情に背を向けてでも現実の悲劇を書かずにいられない作家性の話なのかと思いきや、そうならないのも不可思議。

  • 映画評論家  北川れい子

    書けなくなった作家が、地方の図書館のイベントに参加したり、各地の個性的な本屋さんを訪ね歩くという、ドキュドラマ仕立てのロードムービーだが、じつに誠実で穏やか、控えめでぬくもりのある作品で、映像がまた美しい。そして本と本屋さんに対するリスペクト。現実には人々の本離れで、町から次々と本屋さんが消えている。があえてそれには触れずに、本を通してのエピソードに話を滑らせているのも効果的で、細やかな演出も気持ちがいい。作家役・矢柴俊博のキャラと演技は絶賛したい。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    基になったYouTubeドラマは未見ながら、本に絡んだ書物に目がないだけに、京都の恵文社などが登場する本作も、終始好意的に眺めていた。過剰に本への愛情を注ぐこともなく、さり気なく語るのが好ましい。贔屓筋である矢柴俊博の軽妙さも良く、痕跡本から始まる旅などエピソードも無理がない。小品の理想的な在り方だ。本を利用して別のものを語ろうとする嫌らしさがないからだろう。本をめぐる旅の映画だけに、移動中に本を読むカットが欲しかったと思うのはないものねだりか。

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悪魔と夜ふかし

公開: 2024年10月4日
  • 文筆業  奈々村久生

    生放送中の番組で悪魔を召喚する設定自体は少しも目新しくない。主軸は怪奇現象ではなく視聴率を稼ごうとする制作者側の野心であり、ホラーとしての怖さは度外視だ。私たちはどうして放送事故を恐れるのか。テロップのみの固定画面になぜあんなにも不安を煽られるのか。スポンサー企業のCMを放送できないリスクは理解できるが、ライブ=止められないという思い込みはまったくのナンセンスで、本番中はカメラの前を侵すべからずという撮影現場における不文律の理不尽な滑稽さを思わせる。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    こういう怖さのホラー映画、ひさしぶりに観た気がする。怖かったし笑えたし、すべてのキャラクターが類型といえば類型だけど悲劇的で、面白かった。そして続篇が作りにくい、いさぎよい終わりかた。テレビ局ごと地獄に堕ちるのは中島らもの傑作長篇小説『ガダラの豚』を思い出す。日本だとホラーの元凶はメンヘラの幽霊か田舎の因習かサイコパスな人なのが多いけど、与党に影響力をもつカルト宗教が悪の本尊だと設定を改変してネトフリで『ガダラの豚』をドラマにしてくれないかしらね。

  • 映画評論家  真魚八重子

    生放送のバラエティ番組で起こるハプニングは、ホラーとの親和性が高く、視聴者に他者と共有できない孤独な不安を与えるものだ。今や売れっ子の助演俳優デイヴィッド・ダストマルチャンの、満を持しての主演作。背が高くスタイルも良いので、70年代風シルエットの背広姿と髪型が、フェティッシュな魅力を放つ。悪魔憑きなどの表現は凡庸なものの、当時の雰囲気を再現する美術や映像へのこだわりは愉しい。ファウンドフッテージなのに、カメラがセット裏の内緒話などに立ち会っているのはご愛嬌。

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エストニアの聖なるカンフーマスター

公開: 2024年10月4日
  • 文筆業  奈々村久生

    往年の東映の特撮シリーズや実写版の魔法少女もの、あるいは円谷プロの特撮ドラマや実相寺マジックの匂いを感じるような一本。宗教と信仰への皮肉、ブラックユーモアのテイストはライナル・サルネット監督の前作「ノベンバー」と共通しており、東方の三博士のような三人のカンフー達人も登場する。端正なモノクロ映像でダークファンタジーの様相をまとった前作に比べると極彩色の本作は荒唐無稽で奇想天外な世界観が全開。ただし、表現の飛躍に対して感情が追いつかなかったのもまた事実。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    困った映画ですね。やんちゃだ。しかも監督はあの「ノベンバー」が長篇第一作で、これが第二作か……。異様に美しくて可愛かった前作も、このふざけた映画とテーマは同根ということか。なるほど、そんな気もしてきた。どっちも土着の宗教の話だもんね。「ノべンバー」もじつはギャグ映画だった説までありえるが、それにしてもこれだけ堂々と印象の振り幅がつけられるのは、第一作が評判よかったのに自己模倣を要求されてないということで、きっと楽しい環境で仕事できているのだろうね。

  • 映画評論家  真魚八重子

    北欧のロックといえばやはりヘヴィメタルになるのか。最初に天から降ってくる、東洋系の三人のカンフーマスターはかっこよかったが、それ以降は失速してしまった。可愛らしくカラフルな装飾も、少し前のポップな映画でよく観たものだし、ロシア正教会がカンフーの鍛錬を積んでいる設定も、出オチ感は否めない。全篇にわたってギャグが笑えないのもつらく、主人公が正教会からいきなり高い徳を積んだ人物として扱われるのもありがちだ。彼を取り巻く女性たちの役割も、宗教が持つ差別的視点から脱却していない。

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HAPPYEND(2024)

公開: 2024年10月4日
  • 文筆家  和泉萌香

    10代が無邪気でいることは悪いこととは思わない。初めてデモに参加する者、「気楽にやろうよ」と過ごす者、今を生きる等身大の高校生たちの心情、葛藤、時にはちょっとした傲慢さ、おふざけなどをもあくまでも等しく愛と尊敬をもって描写したこの眼差しはきっと若者たちを優しく鼓舞することだろう。劇中での音楽そのものの在り方も魅力的だ。主演ふたりも迫力満点に美しいが、三枚目に徹する友人キャラが実は最高に格好いい。「声」はそれぞれ十人十色と思わせる。

  • フランス文学者  谷昌親

    どこか北野武の「キッズ・リターン」を思わせるような不良少年物の骨格を保ちながら、近未来からの視点を借りることで、閉塞感ただよう現代の日本社会までも鮮やかに浮かび上がらせた、21世紀的な青春群像劇の秀作と言えそうだ。高校の管理体制に反発する生徒たちを描いた映画というのも、なぜか最近はあまり見た記憶がなく、それだけに、少年・少女たちのみずみずしい演技が印象的だ。何度となく歩道橋で語り合い、左右に別れていく少年二人の姿がほほえましく、そしてもの悲しい。

  • 映画評論家  吉田広明

    映画の冒頭に、大人たちは管理を強めようとし、一方若者はそれに反抗するという旨の字幕が出るのだが、本作の内容はそれをそっくりそのまま映像化したものだ。語りたい主題があり、それを映像として実現するというのが映画作りではあろうが、しかし映像=音響がそれを逸脱しようとし、主題とは別の意味を生み出し始める、その葛藤に映画の意義はあるだろう。一定の意味に映像や音響を押し込めるだけであれば、本作が仮想敵としている「大人たち」のありようと大して変わるまい。

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ブラッド・スウェット&ティアーズに何が起こったのか?

公開: 2024年9月27日
  • 俳優  小川あん

    ‘70年代に活躍した8人組のロックバンド(ジョニー・キャッシュの曲名からそのまま拝借した、バンド名とのこと。知らなかった……)。時系列を示す多くの写真と映像、そして関係者のインタビューを含む模範的なアーティストの音楽史。膨大な資料を背景にすると、BS&Tの歌詞と曲調に理解が増してくるのだけれど、ヴェトナム戦争も、アメリカの政治事情も詳しくないので、アーティストよりも歴史的背景のほうが興味深い。その印象が強く残ってしまって、少し残念。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    ヴェトナム反戦運動の時代に、ロックバンドが、国務省主導で東欧ツアーを行うことが持ってしまう意味。バンドをスターダムに押し上げた強力な二代目ヴォーカルが、政府につけこまれるウィークポイントになったという皮肉。未発表映像と機密資料で驚愕の事実が次々明らかに。「東側の国が全部同じだったわけではない」ことが具体的にわかるのも面白いが、何よりも、毀誉褒貶に遭った偉大な音楽家たちの再評価であり、破壊され失われたと思われていた映画(東欧ツアーの記録映画)の、感動的な救済。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    60年代後半?70年代初頭の米人気ロックバンド「ブラッド・スウェット&ティアーズ」が米国務省主催による東欧諸国を回る「鉄のカーテンツアー」を実施した様子を捉えた映像と現在の関係者の証言からなるドキュメンタリー。東西冷戦の中で「音楽の政治的利用」を巡る興味深い内容で、ニュース素材や当時の時代感を伝える映像もうまく織り交ぜた構成だが、いかんせんバンドそのものに強い魅力がなく、驚くような発言があるわけでもないので、映画として観客をグリップする力に欠ける。

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ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ

公開: 2024年9月27日
  • 文筆家  和泉萌香

    ロングラン上映、ドラマ化もされた人気エンタメシリーズだが筆者は本作が初ベイビーわるきゅーれ。今回は現代の若者像について考えさせられる4本のラインナップだ。なるほど伊澤沙織を筆頭に銃、ナイフを用いてぶつかり合うガチなアクションシーンは(ややめまぐるしくも)見応えあり。だが、いかにもゆるくてテキトーな「現代の若者的」であるイメージを投影された「若い女の子たち」のキャラクター像はただ間が抜けているように思えてキツいし、持ち味であろう愉快さが悪目立ちしている印象。

  • フランス文学者  谷昌親

    アクションシーン、とりわけ格闘シーンの充実ぶりには目を瞠らされる。運動をとらえるのが映画の本来的なあり方なのだから、いかにも映画的な作品とも言えよう。しかし、いかにすばらしいアクションでも、そればかりが続いては単調になってしまうのが映画でもある。「ベイビーわるきゅーれ」シリーズは、少女たちの日常と殺し屋稼業を織り交ぜて描くことで成立してきたはずだが、今回の「ナイスデイズ」篇は、アクションシーンを盛り込みすぎたせいで、本来の持ち味が薄まっている。

  • 映画評論家  吉田広明

    少女が主人公でハードなアクションをCGに頼らず(編集時に何かはしているのだろうが)こなすというのがシリーズの目玉らしいが、それがここでは池松壮亮相手で一段ハードルが上がっており、とりわけ銃とナイフを両手にしての近接戦闘は両者ともに見事というしかない。ただ結局なぜこの二者が対立しているのか、戦いの意味がよく分からない。また3作目ともなれば、個性豊かな敵であるだけでなく、彼女らの新しい側面を露わにする存在として設定すべきではなかったか。

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SUPER HAPPY FOREVER

公開: 2024年9月27日
  • 文筆家  和泉萌香

    現在と過去、男と女の眼差し、ふたつの世界を同じ質量で提供してみせる館。海沿いのホテルというドラマにぴったりなロケーションも、ひたむきに流れる名曲も露骨さなしに、「海」という場所そのものが持つ時間のちからを借り、個人の物語をも超えてゆくその美しさ。永遠と感じられるような甘やかなひとときは始まりの一瞬であり、それをたぐり寄せるべく、文字通りどんなになくした符号を探し続けたとて、あとは失い続けるのみというやるせない真理もさらりと暴き出す。

  • フランス文学者  谷昌親

    どちらかと言えば小品の部類に属するような映画だが、かつてヌーヴェル・ヴァーグによって生み出された傑作にもそうした小品が少なからずあった。しかも、ひとつのショットのなかで鮮やかに時間を遡ることで始まる後半部において、海や空や避暑地の光景はまさにこれがヌーヴェル・ヴァーグ的なヴァカンスの映画であることを示している。佐野から凪へ、そして凪からアンへと持ち主を変えつつ、オフュルスの「たそがれの女心」でのイアリングのごとくに物語を紡ぐ赤いキャップが印象的だ。

  • 映画評論家  吉田広明

    前半では妙に投げやりで、奇矯な行動を繰り返すだけの変人にしか見えなかった男が、後半の二人の出会いのフラッシュバックにより、それが妻を喪った悲しみによるものだったと判明する構成。順序を逆転させることで、またタイトルや劇中歌われる歌がハッピーであることのアイロニーという作為によって痛切さを「自然」に演出しているわけだ。後半における二人の交情がそれこそ「自然」に見えるだけに、後半を前半への答え合わせに貶めるような作為がかえって邪魔に思える。

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ビートルジュース ビートルジュース

公開: 2024年9月27日
  • 俳優  小川あん

    いつまでも老いを感じさせない、そんな生粋のティム・バートン作品を見ると、うんと若返る! 好きなシーンを挙げてって言われたら、①ソウル・トレインのホームでダンスホール。②グロリア、ホッチキスで合体、そして復活!③上半身サメに喰われた父と、同じく喰われたサーファーのシュールなご挨拶。④母と父と娘の感動のHUG。⑤結婚式の土壇場はサンドワームの介入で呆気ない。終わりは意外とドライないんだけど、断片的な好きがいっぱいありました◎

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    まさかティム・バートンがここに来てこんな作品を送り出してくるとは! オープニングクレジットからもうすでに面白い予感でぞくぞくする。出オチみたいな「ソウル・トレイン」をいつまでもひっぱっているのも、ピラニアぴちぴちも面白く、「わたしたちの大好きだったティム・バートン」が帰ってきたという思いがするが、実は昔よりポップになっているかもしれない。クライマックス、リチャード・ハリスの〈マッカーサー・パーク〉で歌い踊るシーンも、そのあとの身も蓋もないたたみかけ方にも大笑い。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    ティム・バートンの出世作「ビートルジュース」の35年ぶりの続篇。死後の世界の「人間怖がらせ屋」ビートルジュースがかつて結婚を迫りながらもフラれたリディアから娘が死後の世界に囚われたことで助けを求められ、現実世界と死後の世界を往復する騒動になる。再結成バンドのスタジアム・ライブのような懐かしさとスケールアップ感があるが、バートンのその後の華麗なフィルモグラフィを考慮すると、あまりにノスタルジックな仕上がりに肩透かし。バートンには本気の新曲を披露してほしいものだ。

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西湖畔(せいこはん)に生きる

公開: 2024年9月27日
  • 映画監督  清原惟

    はじめは母親の愚かさに辟易とし息子に同情していたが、彼女の発言を聞いていくうちに別の側面が見えてきた。彼女はただ騙されただけの愚かな女性ではなく、家族や社会規範のなかで抑圧されて生きてきて、マルチ商法に自己実現を託したのだった。まわりの男性たちがそのことを重要視していないことがどうしても気になってしまう。もう少しだけでも女性の自己実現について掘り下げてほしかった。雄大な自然と、人間の愚かさが映像としてはっきり対比させられていたのが印象的だった。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    「成功とは神経症の副産物」というフロイトの引用があったが、較差社会の中国で見果てぬチャイニーズ・ドリームが蔓延しているのは煽情的なマルチ商法のシーンで垣間見ることができる。〈自己実現〉という空無な妄想のはてに、否応なく突きつけられる敗残者という過酷な現実。一方「人生で最も苦しいことは、夢から醒めて、行くべき道がないことであります」という魯迅の箴言も思い浮かぶ。終幕、山水画の世界の中で母子が融和するフォークロア的なイメージがささやかな救いであろうか。

  • 映画批評・編集  渡部幻

    冒頭、山を冬の眠りから起こして豊作を願う人々の列が映し出される。主人公を乗せたバスがトンネルを抜け、カメラが右側の木々を越えて上昇、空撮で再び薄闇の山々を歩く人々のシルエットを捉える。いかにも劇映画的なカメラワークに目を見張る。が、ここから予想外の転調を繰り返し、ネズミ講の犠牲となる母親とその息子をめぐる受難劇が描かれ、詐欺組織の洗脳場面でアロノフスキー風の悪夢を展開。面食らわせたが、弧を描くようにして故郷に戻る寓話的な後半ではエネルギーが尽きてしまっていると思う。

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憐れみの3章

公開: 2024年9月27日
  • 俳優  小川あん

    ランティモスがいよいよ映画界の問題児にモデルチェンジしている! 悪趣味を乱発し、次にどんな球が投げられるのか分かりゃしない。そして、見手は大打撃を受ける。原題「Kinds of Kindness」のブラックジョークを超えた意地悪さよ……。3章共通テーマを「親切味」として捉えるならば、どう考えたって狂っているし、許容しづらい。しかし、一周回れば意外とメルヘンなお話かも、とも思えてしまう。映画の矛盾を思い知らされ、結果、この策士の才能に翻弄されている私。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    何かにとり憑かれた人物や、支配と従属、共依存のさまが、3つのエピソードで共通して描かれる。共感できる人物がほぼ出てこないのだけれど、「嫌映画」というよりは、突き放したブラックコメディという印象(特に最終話の幕切れ)。第1・第2エピソードで、人物の顔を意図的に見せないようにしているショットが頻出するが、これは、俳優たちが次々役を乗り換えていくのと同様、誰もが交換可能な存在だということだろうか。ランティモスは「足」と「人の歩き方」にフェチがあるのかもなあと今回発見。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    「哀れなるものたち」で世界の映画祭を席巻したヨルゴス・ランティモスの新作。前作にも出演したストーン、デフォー、クアリーが引き続き出演し、3つの章でそれぞれ異なる役を演じる三部作構成。3つともアメリカ郊外を舞台にした奇妙な筋書きで不穏なムードに満ちている。原作モノの映画化で大ヒットした反動か、新作でランティモスは彼の初期作と同じ脚本家と組み、現代の不条理劇を描かんとするが、最後まで映画的カタルシスのないままに終わる。登場人物の生死を極めて軽く扱う世界観も肯定し難い。

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傲慢と善良

公開: 2024年9月27日
  • ライター、編集  岡本敦史

    え、そっち側の視点で進むの?という戸惑いは「スオミの話をしよう」と同様。こちらは途中で作劇的ルール違反とも言える視点の変化もあるが、遅きに失した感は否めず、壁ドン青春ラブコメのような結末の陳腐さも残念。醜悪な人間ばかり出てくる話に辟易するが、すべて狙いどおりと言い返されそうな嫌らしさもある。ミステリとしての興趣を優先したような小説的構成が、映画では嫌悪感を濃縮する結果となった。そのカメラ位置合ってる?といった小さな苛立ちも蓄積し、思わず痛飲。

  • 映画評論家  北川れい子

    逃げられたから追う、追わせるために逃げるという、マッチングアプリで出会った相互依存的カップルの、安手の恋愛ゲームのようなメロドラマで、ムダにミステリ仕立てなのも人騒がせ。おまけに自己実現とか、承認欲求とかの匂いもプンプン。しかも逃げ出した彼女サン側の親や関係者がみな濃いめのキャラクターで、仲人を生きがいにしているらしい前田美波里など、まるで横溝正史の“金田一耕助”シリーズから抜け出してきたみたい。彼氏サン側の女友だちたちの嫉妬交じりのお喋りはけっこうリアル。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    「四月になれば彼女は」と同じく、結婚を目前に彼女が消えて男が探すパターンだが、こちらは闇が深そうで惹きつける。奈緒の被虐的な存在感や、終始戸惑いを隠さない藤ヶ谷が良い。ホームパーティの場面は「パラサイト」風で、何かが起きそうな予感を漂わせ、その不穏感は全篇に広がっていく。だが、予感だけでなく、起きるところまで観たかったのが人情だが。婚活アプリを用いた映画が増えてきたが、男女ともに結婚に何を求めているかは省略されてしまう。愚直にそこを描いて欲しい。

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Cloud クラウド

公開: 2024年9月27日
  • ライター、編集  岡本敦史

    「蛇の道」リメイク版よりもずっと“みんなが好きな黒沢清”を感じた快作。クレショフ効果のごとくプレーンな表情から自業自得以上の意味を読み取られ、市民の憎悪の対象となる菅田将暉がまさにハマり役。シャブロル「ふくろうの叫び」を思わせる悪意の醸造劇にゾクゾクし、「CURE」にも通じる“異常者に認められること”がスイッチとなる構成に笑い、まさかの活劇展開になだれ込む無邪気な不自然さにワクワク。この監督・主演チームでサイコな「勝手にしやがれ」シリーズのような連作希望!

  • 映画評論家  北川れい子

    現代は、生きているだけで誰でも加害者、誰でも被害者、と誰かが書いていたが、ネットを使って転売を繰り返している主人公が、集団暴力に曝されるという本作、極端な設定、極端な展開だが、奇妙な説得力がある。もともと黒沢清作品はかなり無口で、言葉より人物たちの黙々とした行動やその映像で話を進め、いつの間にか、観ているこちらをとんでもない世界に引きずり込み、というのが得意なのだが、今回はさらに過激化、後半のアクションなど、背景といい、戦場さながら。アンチヒーローものとしても痛快。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    2階の窓から下の道を見下ろせるアパートの一室、湖の傍の一軒家、巨大な廃工場。突如として降り出す雪も含め、相変わらず黒沢が作り出す空間は映画らしさにあふれ、あれよあれよという間に地獄の入り口へ突き進む。ネットを介した憎悪を無機質な菅田を通して肥大させる前半と、戦場さながらの銃撃戦が展開する後半へ。出鱈目なまでの過剰さがたまらない。窪田、岡山ら30代の実力派たちが明らかに乗って演じ、洞口依子的存在感の古川も良い。次世代が刷新した黒沢清的世界を堪能する。

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ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー

公開: 2024年9月20日
  • 映画監督  清原惟

    ジョン・ガリアーノが差別的発言をしてしまうという自らの過ちについて語るシーンから始まり、彼のキャリアを包括的に描いている映画。ガリアーノの発言は許されるものではないし、その後の行動にも疑問を感じるが、人が過ちを犯してしまったあとに、どのように再び歩むのか、という部分にフォーカスしていたのは興味深かった。ガリアーノだけではなく、傷つけてしまった相手にもインタビューするなど、この難しい題材を扱うにあたって多角的な視点も入れていたのがよかった。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    眩いばかりの栄光の絶頂に君臨していたファッションデザイナーがふと口にした〈反ユダヤ主義的な暴言〉ゆえにキャリアを?奪される。その?落と再起を追ったドキュメンタリーだが、ガリアーノが崇拝するアベル・ガンスの「ナポレオン」(27)の映像を、彼の栄枯盛衰に重ね合わせる手法はいささか鼻白む。K・マクドナルドは、こうしたハッタリめいたテクニックを除けば、ガリアーノの貧しい出自から掘り起こし、オーソドックスな語り口で、その屈曲に富む境涯を浮き彫りにしている。

  • 映画批評・編集  渡部幻

    革命的だがビジネスには不向きな男の波乱に富んだ軌跡をガリアーノ本人が振り返るドキュメンタリー。80年代のロンドンに始まり、スリップドレスを流行らせた94年のブラックショーへ……最盛期のコレクションを見ていると素人のぼくでも天才の二文字が思い浮かんでくる。ディオールのデザイナーに選ばれ、一時代を築くが、仕事上の右腕を亡くしたことから心が荒み、酒と処方薬漬けになった末に、2011年の反ユダヤ発言のスキャンダルへと至る。この贖罪と再起への願いが彼自身の言葉で語られる意欲作。

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パリのちいさなオーケストラ

公開: 2024年9月20日
  • 文筆業  奈々村久生

    音楽界の中でも特に指揮者のポジションにおけるジェンダーアンバランス、移民差別や彼らとの共存など、実話ベースとはいえ訴えるに足る要素が詰め込まれた形。ただしテーマが強固である分、それを語るドラマの作劇や映像表現はやや脆弱で、現実の複雑さをカバーしきれていないように思う。ヒロインはいくつかの困難に直面するも、それなりの努力をすれば報われるのが既定路線となっている。ただ、女性が当たり前に指揮棒を振る姿を写し、それが多くの人の目に触れることには意味がある。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    最初の30分、観ているのが本当につらかった。僕は人種差別されたこともなく、男だからという理由で悔しい思いをしたこともないので罪悪感が湧きあがり、主人公を意地悪に嘲笑う白人の金持ちの少年少女たちに激しい共感性(というのもなんだけど)羞恥を感じたからだ。主人公姉妹の人生を祝福したい。もちろん女性には(恋愛以外のことに)執念をもてる人が沢山いる。ただ、世界が変わっても才能もなく運もなく性格も悪い者は結局、差別されちゃうんだよなと映画とは関係ないことも思う。

  • 映画評論家  真魚八重子

    実話に基づいた映画で、パリに限定したタイトルと少し違い、主人公はパリ郊外に住むアルジェリア移民の少女だ。パリの富裕層が集まる音楽院と、郊外の移民が多い貧困地区という対立構造があり、女性が指揮者を志すことへの性差別も描かれる。そのために主人公が郊外で指揮を執るオーケストラを作る物語で、パリの音楽院にも彼女に共鳴する仲間はおり、移民にも演奏能力はあると明らかにする。ただ善悪をはっきりさせすぎていささか鼻白むし、わかりやすさがスケールをすぼめている。

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ぼくが生きてる、ふたつの世界

公開: 2024年9月20日
  • 文筆家  和泉萌香

    赤ん坊を世話する若い母を見つめた光景や、学校で手話を友人に見せてみせる少年の顔など、日常に溶け込み繊細に主人公の成長を追う前半部分に比べると、どうしても成人後の彼の心の揺れ動きは粗い印象が。気になったのは想像以上に、物語内に父が不在で、働きに出ている彼、家にいる母、マッチョな祖父に耐える祖母と、世代の差、男と女、そういったさまざまな二つの世界の重なり合いも自然と浮き彫りになっている。とはいえ、小さく遠ざかっていく母の背中などはやはりほろりとする。

  • フランス文学者  谷昌親

    自身もコーダである五十嵐大の自伝的エッセイの映画化である。当然ながら、宮城県の小さな港町に住む聴者の少年が、聾者である母親との関係に戸惑うようになる映画の前半がむしろ重要だし、そもそも呉美保は、地方での家族のあり方を描くのに手腕を発揮する監督でもある。だが、この作品では、主人公の大が乗った列車がトンネルを抜け、東京へと向かうことでむしろ映画が動き出す。つまるところ、少年から大人への旅立ちとして成立している物語が、強みでもあり、弱みでもある作品なのだ。

  • 映画評論家  吉田広明

    両親が「普通」ではないとの気づきから、色眼鏡で見られることへの反発、コーダとしてではない自分の希求へと、主人公のアイデンティティをめぐる葛藤が淡々と時系列に沿って描かれるだけに、初めて時間軸が揺らぐラスト、過去の母親の後ろ姿に、コーダであることも含めて自分なのだと自己肯定に至り、記憶が溢れ出して両親と同じ音のない世界を体感する部分が生きる。奇を衒った表現もなければ、大事件も起こりはしないが、一個の人間の等身大の大きさを確かに感じさせる。

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たとえ嵐が来ないとしても

公開: 2024年9月14日
  • 俳優  小川あん

    2013年、フィリピンの地で実際に被害を受けた台風ハイエン災害後をドキュメンタリータッチではなく、創造力の高い予想外な物語に描き直した。物凄くいい。主人公の二人は被災した街中を歩き続け、景色を交わしながら、未来への意を決していく。気弱な男子の隣で恋人役ランス・リフォルが銃を構えるショットは「バッファロー’66」のクリスティーナ・リッチを想起した。気概のある、力強い女性像で、最高。彼女が肝だ。焦点の合わせ方が独特な撮影も、メロウな音楽も、絶妙。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    災害後の荒廃を生き抜くサバイバルドラマか、夢のマニラへ渡ろうともがきつつもたどり着けない若者たちの苦い青春映画かと思って観ていたら、不条理劇かマジックリアリズムかという展開に。こんな映画観たことないとうっかり口走りそうになるけれど、どこか懐かしさを感じるセンスでもある。終盤ややメロドラマ的になるのをどう評価するかが難しいのだが、それまでの、若者ふたりが旅を続けるパートは、最近亡くなったせいもあるのか、個人的には、なぜか佐々木昭一郎の作品を重ねつつ観てしまった。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    2013年にフィリピンを襲った巨大台風を題材に、壊滅的な被害を受けた街を舞台にしたドキュメンタリーのようなドラマ。新たな嵐の到来の噂が流れ、主人公は恋人と母を探して街から脱出しようとする。この世の終わりのような背景の中、フィクションとノンフィクションの境界が溶け合った世界で、話はラテンアメリカ文学のマジック・リアリズムのように徐々に神話的な色彩を帯びてくる。「探すこと/逃げること」という矛盾する行為にもっとダイナミズムを与えていれば映画はもっとドライブしただろう。

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ジガルタンダ・ダブルX

公開: 2024年9月13日
  • 文筆業  奈々村久生

    「マッド・マックス」的な暴力と狂気に支配されたバイオレンス・アクションが、腐敗した国家権力とそれに癒着した警察組織の政治ドラマと連結し、密猟される象や少数部族を巻き込んだ復讐劇へと展開。まさに銃をカメラに持ち替えてシュートする命懸けの闘いで、撮影を名目にあらゆるリスクを冒す制作現場特有の狂った論理もメタ的に内包。振付師出身であるラーガヴァー演じるギャングのダンスは圧巻で、「イングロリアス・バスターズ」を彷彿とさせるクライマックスも映画愛に満ちている。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    血を見ると気絶する男が暗殺者になる。西部劇マニアのヤクザが自分主演の映画を撮れと無茶振りし、撮影方法を何も知らない男は巨匠になりすまして監督しなければならない。かつて聖なる象を殺してしまい村を捨てた男が帰郷して、象を密猟する邪神の如き森の民と悪徳警官との三つ巴の抗争に巻き込まれる。ここまでですでに面白そうな映画3本分のシノプシスが詰め込まれてるのに、最後にインド現代史の闇をあばく政治ドラマになってマジの感動で泣かされるなんて誰が想像しただろうか。

  • 映画評論家  真魚八重子

    イーストウッド好きなギャングの親分に、サタジット・レイ門下と偽った警官が近づき暗殺を狙う。このシネフィル的設定は問答無用に惹かれるし、8ミリカメラで撮っていようとリアリズムなど求めない。冷酷な政権側と象牙を狙った密猟の問題なども絡み、複雑だがわかりにくくはない。政治を前にした民間人の無力さという悲劇性も、映画には昔からあったやりきれなさだ。ただ主人公が強面で愛嬌が足りないことや、続篇を匂わせる物語ゆえに本作だけで判断がしきれない惜しさがある。

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ヒットマン(2023)

公開: 2024年9月13日
  • 映画監督  清原惟

    地味な大学講師が殺し屋になりきり警察の捜査に協力していくなかで、相手の好みに合わせた殺し屋に扮していくのだが、そのレパートリーの豊富さとそれぞれの人物の説得力がとてつもなくて笑える。前半は演技で人を欺くさまを単純に楽しんで観ていたが、物語の核となっていく依頼人の女性との恋愛は、どんな人間でも日常の中で演技をしていることや、相手によって自分が変わってしまうこと、それによって人が変化していくことなど、演技というものに深く考えさせられる展開だった。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    無類のシネフィルであるR・リンクレイターだけに冒頭の殺し屋映画のフッテージをコラージュ風に引用した下りで野村孝の「拳銃は俺のパスポート」(67)が登場した瞬間、思わずニヤリとなる。よいセンスだ! 実在のニセ殺し屋がモデルらしいが、ふだん大学で心理学を講じる教授という設定は「霧の夜の戦慄」(47)のジェームス・メイソンのパロディではないか。ただし元ネタのような深刻なスリラーではなく、プレコード時代のモラルを粉砕するようなスクリューボールな笑いをこそ顕揚したい。

  • 映画批評・編集  渡部幻

    快作。好調の波に乗ったグレン・パウエル。リンクレイターのファンは彼の近作でこの妙に面白い役者を発見したが、コンビの新作では二人で脚本を書いている。離婚経験のある地味な心理学教授が、囮捜査への協力のため偽の殺し屋を演じさせられる。依頼人を逮捕するため、彼らが期待するだろう“殺し屋像”を演じ分ける才能に気づくのだが、ある女性に思い入れてしまい……。リンクレイターは彼ならではの現代人の混乱をユーモアに包んで「本当の自分は誰? 真実の人生とは何?」と問いを忍び込ませているのだ。

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スオミの話をしよう

公開: 2024年9月13日
  • ライター、編集  岡本敦史

    舞台『オデッサ』は手法も含めてすこぶる面白かったし、近年はおそらくTVドラマを「最も冒険できるメディア」として認め直した感がある。つまり三谷幸喜が想定観客レベルを最も低く見積もっているのが映画なのでは……そんな疑念が今回も拭えず。投げやりな空中遊泳ギャグなどは映画への憎悪に見えるし、どうかするとお話自体が女性憎悪の表れに見えなくもない。「他人に合わせる生き方しか知らない」人間の救済と脱出を正面から描いてこそ、映画なのでは。ダメ男の自己憐憫ではなく。

  • 映画評論家  北川れい子

    まずは気楽に楽しめるパロディと遊びが満載のミステリである。長澤まさみをまるで操り人形のように男たちの間をたらい回しさせ、その男たちがまた、上っ調子の曲ものばかり。が三谷監督、長澤まさみを“あなた好みの女”で終わらせるはずもなく、操り人形の本当の姿は。彼女を含め、俳優たち全員が喜々としてその役を演じているのもお気楽感を誘い、特に5番目の夫役の板東彌十郎は堂々の悪のり。“スオミ”という名の由来とショー形式のラストにもニンマリ。思うに三谷監督も作品の後ろでニンマリかもね。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    近作は最後まで観るのも苦痛だったが、舞台調へと引き寄せた今回は捲土重来を予感させる。だが、男たちがスオミとの関係を語りだすと、いちいち映像で見せてしまうので、クライマックスも驚きがなくなる。「天国と地獄」だって前半は室内から出なかったんだから、三谷なら彼女の姿を見せずに、対話だけで彼女の幻影を描くことができたのでは? 長澤の七変化は圧倒的な演技でそれを見せてくれるわけでもないので、後に控える見せ場も寒々としてしまう。終始映画を観ている実感わかず。

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チャイコフスキーの妻

公開: 2024年9月6日
  • 文筆業  奈々村久生

    女性の自立が事実上不可能だった時代で、結婚に人生を懸けようとしたアントニーナを責めるのは酷かもしれない。だが一貫して自分の理想のみを追い求め相手と現実を見ようとしない業の深さはしんどい。届いたばかりのピアノを弾くチャイコフスキーの興をぶち壊す行動や、離婚の説得に訪れたルビンシュテインを見送った後の一言にはゾッとさせられる。同性愛・異性愛に拘らず、いつの時代も恋愛や結婚には向き不向きがあり、自分に合った生き方を選択できる自由の大切さを痛感する。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    まあ映画は映画ですけど、一応この映画の元ネタではある大変な夫婦関係をやりながら同時進行で夫は世界的な名曲を書いてるのが凄い(その名曲〈白鳥の湖〉をジョン・カサヴェデスの「こわれゆく女」でジーナ・ローランズが踊り狂ってるのも、考えてみると凄い。チャイコフスキー夫婦のこと念頭に曲を選んだのかな)。これは夫が悪いとか妻が悪いとか、才能ある人と結婚してはダメとか、愛なき恋をしてはダメとかそういう話ではない。どうすることもできなかった可哀想な「寂しさ」の話だ。

  • 映画評論家  真魚八重子

    チャイコフスキーの妻アントニーナは悪妻として知られる。この映画は史実として伝えられる彼女の愚かで無神経な振る舞いを踏まえつつ、一途にチャイコフスキーを愛した情念の女性として描く。そのため熱烈だが、愛されようと身勝手に振る舞う分裂した女性像になっている。ただチャイコフスキーを囲む男性の友人たちのミソジニーが、一人の女性に露骨ないじめを働く結束を作る、ありがちな構図を描き抜いたのは誠実だ。美しい映像でも夫婦両者が不快な143分を見続けるのはしんどい。

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スケジュールSCHEDULE

映画公開スケジュール

2024年10月25日 公開予定

ゲキ×シネ「吉原御免状」

劇団☆新感線の話題の舞台を映画館で上映する『ゲキ×シネ』20周年記念プロジェクト第6弾。隆慶一郎原作の伝奇時代小説『吉原御免状』を基にした2005年上演作を映像化。青年剣士・松永誠一郎が、吉原設立にまつわる神君御免状を巡り、闘いを繰り広げる。出演は「おまえの罪を自白しろ」の堤真一、「甘いお酒でうがい」の松雪泰子、「ヴィレッジ」の古田新太。

劇場版ACMA:GAME 最後の鍵

週刊少年マガジンに連載された大ヒットコミック「ACMA:GAME」を間宮祥太朗主演でテレビドラマ化したシリーズの劇場版。謎の組織グングニルに父を殺され、99本の“悪魔の鍵”を全て破壊する旅を続けていた織田照朝の前に、新たな強敵が現れる。照朝の親友でありライバルの斉藤初を「ブラック校則」の田中樹、照朝の幼馴染である眞鍋悠季を「お母さんが一緒」の古川琴音、天才ギャンブラーの上杉潜夜を「Gメン」の竜星涼、人気アイドル・ 式部紫「マイスモールランド」の嵐莉菜が演じる。

シングル・イン・ソウル

ドラマ『トッケビ~君がくれた愛しい日々~』のイ・ドンウクと「あなたの初恋探します」のイム・スジョン主演のラブコメディ。ソロ活好きのヨンホとひとりが苦手なヒョンジンは価値観の違いからぶつかり合うが、やがて特別な感情が芽生えていることに気づく。監督は、「レッドカーペット」のパク・ボムス。脚本は「KCIA 南山の部長たち」のイ・ジミン。

TV放映スケジュール(映画)

2024年10月23日放送
13:00〜15:06 NHK BSプレミアム

マリと子犬の物語

13:40〜15:40 テレビ東京

AVA/エヴァ

18:00〜20:10 BS12 トゥエルビ

デス・ウィッシュ

20:10〜22:00 BS12 トゥエルビ

網走番外地 荒野の対決

2024年10月24日放送
13:00〜15:00 NHK BSプレミアム

フレンチ・コネクション

13:40〜15:40 テレビ東京

リーサル・ストーム