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ラストマイル
公開: 2024年8月23日 公開 4週目エイリアン:ロムルス
公開: 2024年9月6日 公開 2週目インサイド・ヘッド2
公開: 2024年8月1日 公開 8週目夏目アラタの結婚
公開: 2024年9月6日 公開 2週目映画クレヨンしんちゃん オラたちの恐竜日記
公開: 2024年8月9日 公開 6週目キングダム 大将軍の帰還
公開: 2024年7月12日 公開 10週目僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ユアネクスト
公開: 2024年8月2日 公開 7週目ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 完結編 第1章
公開: 2024年9月6日 公開 2週目怪盗グルーのミニオン超変身
公開: 2024年7月19日 公開 9週目きみの色
公開: 2024年8月30日 公開 3週目専門家レビューREVIEW
サユリ(2024)
公開: 2024年8月23日-
文筆家 和泉萌香
原作からそのまま飛び出してきたような、最強婆ちゃんを演じる根岸季衣の弾けっぷり! 呆気にとられるほど最悪な、しかもそこから逃げられない!という事態に立ち向かうには、兎にも角にも元気を出すことだと文字通りパワー全開、エンジン全開で推し進める痛快さ。一人の少年の通過儀礼的物語でもあり、怨霊化した少女の理由も哀しいのだが、そんな余韻は残させないとばかりにたたみかけるサービス精神。まったく納涼にはならない真夏のエンタテイメント・ホラー。
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フランス文学者 谷昌親
「貞子vs伽椰子」も撮っている白石晃士監督だけに、Jホラーをしっかり踏まえているはずだが、家にまつわる物語でありながら、その映画的な表現は「呪怨」に遠く及ばない。もちろん、この「サユリ」の場合、Jホラーとは異なる試みをしているのだろうし、実際、突如としてアクション映画のごとき展開になるあたりには痛快さも感じられるのだが、それも、凄惨でひたすら内向きの復讐劇となっていき、それでいて都合よく事件性が発覚しないというのでは、作品としての緊迫度が保ちえない。
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映画評論家 吉田広明
後半になって中心になる人物すら変わってくるあたりが新機軸ということになるだろうが、それまでの前半がホラーとしてはありきたりで若干タルく見える。悪霊vs.祖母=長男チームのバトルと、サユリがいかにして悪霊と化したのかの哀話の交代。前半後半に分かれ、さらに後半も二重化して、構造が若干煩雑。バトルのロックなノリが、サユリ周りの話でスピードダウンしている。さらにサユリの陰惨な過去も挿話的な処理で、深刻な話をネタ使いされているようであまりいい気はしない。
箱男
公開: 2024年8月23日-
ライター、編集 岡本敦史
石井岳龍監督の「映画表現と文学表現を横断する」一連の試みの集大成とも言うべき力作。前衛的文芸作でありながら「ELECTRIC DRAGON 80000V」顔負けのアクション娯楽作にもなっていて、確かにこれは石井監督にしか作れない。長年にわたり紆余曲折を繰り返した執念の企画だが、出来上がってみれば「ほら、だから面白い映画になるって言ったじゃないか!」という監督の声が聞こえるような、清々しい快作となった。箱をまとった永瀬正敏の所作の美しさ、キレのある動きにも惚れ惚れ。
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映画評論家 北川れい子
安部公房の原作は遙か昔、背伸びをして読み、リアルな観念小説という記憶以外、ほとんど忘れていたのだが、石井監督がその観念を人物たちの言動と挑発的な映像で具象化しようとしていることに敬服する。戦後の昭和。箱の中から外の世界を覗き見る正体不明の箱男。そんな箱男に惹かれる訳ありの男たち。ただ原作が書かれた当時はともかく、ダンボール生活というと、どうしてもホームレスを連想してしまい、それが観ていて落ち着かない。“箱男を意識するものは箱男になる”という言葉も皮肉に聞こえて。
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映画評論家 吉田伊知郎
90年代日本映画にどっぷり浸かった身としては「暴走機関車」「連合赤軍」より実現を夢見た幻の企画だけに感無量。意外や緻密に原作を解体再構築しており、箱男たちが全力疾走し、過剰なまでのアクションを見せる野放図な石井の世界と接合させる荒業が成立してしまう。永瀬、佐藤、浅野に囲まれ、伝説とは無縁に堂々たる存在感を見せる白本彩奈も出色。ただ、ヒッチコックの「裏窓」が観客を一体化させてスクリーンが覗き窓と化したことを思えば、本作の終盤は説明過多にも思える。
劇場版 アナウンサーたちの戦争
公開: 2024年8月16日-
文筆家 和泉萌香
全篇にわたるナレーションとテロップをふくむ構成に、見ているのはNHKのドラマ……という印象は拭えないが、呑気に茶番を流しているらしい今のテレビを思うと、映画は(もう一つのレビュー作品である「マミー」でも同様のことを感じたが)まだ間に合う、という気がしてくる。主に焦点が当てられるのは和田信賢の葛藤で、他のアナウンサーたちは登場時間は決して長くはないものの、それぞれの「貌」は(親切な説明もあり)強く焼きつくし、実枝子さんの物語などもスピンオフで見てみたい。
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フランス文学者 谷昌親
NHKらしい題材であり、記録映像をふんだんに用いていることも含めて、NHKだからこその作品でもある。さらに、国が戦時体制を突き進み、報道すらも戦意高揚の道具とされていくなかで、決断を迫られたアナウンサーたちが味わうことになった苦悩を描いている点は、いまのように報道そのものの信頼性が問われる時代にあっては貴重であり、見ごたえもある。だが、「劇場版」と銘打ちながら、再編集後も、どうにもテレビ番組的としか見えない作りのままであるのは否定できないだろう。
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映画評論家 吉田広明
ポイントは二点。総力戦である戦争における市民(アナウンサー)の戦争への加担の問題。その声が人々を鼓舞してしまうとしたら、その責任は如何。第二に、情報戦として敵に、あるいは戦況を隠すため市民に流される偽ニュース。フェイクニュースが問題になる現在に反省の材料を与える。何が「事実」かは難しい話だが、主人公は上から流されてきた情報を垂れ流すのでなく、調べて話す。それが彼の言葉に力を与える。昨今の記者クラブの在り方を含め、報道とは何かを考えさせる作品。
フォールガイ
公開: 2024年8月16日-
俳優 小川あん
アクション映画で絶好調のデイヴィッド・リーチ監督。スタントマンとしての経験で内側から見てきた映画界をポジティブに取り入れて、映画愛が炸裂。ぜひ、スタントマンにもオスカーの受賞を……! 各部署が完璧な仕事をしていて、一体感◎な皆さんのおかげで俳優は仕事に徹していられます。感謝。こんな感じで仲間と映画作れたら最高だよね。本作を観た後に真面目な話はしたくないけど、(実はあまり観てこなかったジャンルだったので)アクション映画って際立って編集が要だと感じました。
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翻訳者、映画批評 篠儀直子
死体発見を機にプロットが急転換するのを、「えっ、そんな話だったの?」と必要以上に唐突に感じてしまい、以後の展開もごちゃごちゃして見えてしまうのが、自分のせいなのか脚本と演出のせいなのかと考えこんでしまうのだが、SF超大作映画の撮影風景を見られるのが何より楽しく、エンドロールでそのさらに裏側まで見られるのも楽しい。女性キャラが全員、暴れはじめたら徹底的に暴れるのも愉快。主演ふたり快調。多くのアクションシーンのなかでも、〈見つめて欲しい〉が流れるシーンが最高にアガる。
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編集者/東北芸術工科大学教授 菅付雅信
撮影中に大怪我をして業界を去ったスタントマンが、元恋人が初監督となる撮影に復帰するも、殺人事件に巻き込まれる。スタントマン出身で「ブレット・トレイン」でも知られるデイヴィッド・リーチ監督がTVドラマ「俺たち賞金稼ぎ!! フォール・ガイ」から題材を得たスタントマン讃歌。映画関係者しか出ないため映画ネタ満載の会話も楽しく、アクション馬鹿への愛に溢れた、マーケティング先導でない快作。タイトルバックのメイキング・シーンも素晴らしく、映画という命懸けの嘘を作る気概を感じる。
ボレロ 永遠の旋律
公開: 2024年8月9日-
映画監督 清原惟
作曲家ラヴェルの代表曲〈ボレロ〉が生まれるまでにフォーカスした伝記映画。冒頭のたくさんの〈ボレロ〉のカバー曲のつなぎが楽しく、今に至るまで愛されてきた曲だと改めてわかる。演奏シーンが長めで贅沢な時間だったが、もう少しラヴェル独特の曲作りについて見てみたかった。クラシックの文脈だけではなく、様々な背景を基に作られたラヴェルの独自の作曲や、同時代の音楽家との交流についての言及は少なめで、生みの苦しみや私生活のウエートが高かったのが少し残念だった。
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編集者、映画批評家 高崎俊夫
〈亡き王女のためのパヴァーヌ〉をピアノトリオで聴いて興奮したことがある。劇中、ラヴェルがNYで黒人が演奏するガーシュインの〈私の彼氏〉に聴き惚れ「ジャズは単純ではない。複雑で力強く絡み合うものだ」と呟く。〈ボレロ〉の永劫に反復されるようなメロディの源泉にジャズがあったのではないかと夢想するのは愉しい。ラヴェルの生涯は母、ダンサー、愛人、家政婦と様々な女たちに囲繞されるも、そこには〈性〉が希薄で、倒錯にも似た依存関係が断片的な語り口で表出されるばかりだ。
夏の終わりに願うこと
公開: 2024年8月9日-
映画監督 清原惟
少女の見ている世界がまるでドキュメンタリーのように繊細に描かれていた。音がとても印象的で、舞台となっている家の周りの空気や、家の中にたくさんの人が同時に動いている感覚が音によって表現されていた。女性たちのシャワーやトイレなどプライベートな場面がいくつかあり、そこに映っている親密さや人肌の温度みたいなものが、映画の全体に響いている。主人公の少女が、親戚の家で手持ち無沙汰になって落ち着かない様子を見ながら、私自身の子どもの頃にもあった感覚が蘇ってきた。
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編集者、映画批評家 高崎俊夫
公衆トイレでの母娘のあけすけな会話という意表を突く導入部から、すでに不穏な気配が漂う。祖父の家で重篤な病を患う父親の誕生日を祝うために集まった大家族。その特別であるはずの一日が奇妙な居心地の悪さを抱えた7歳の少女の視点を介して、断片的な世界そのものとして提示される。ドアの向こうにたしかにいるはずの父親との再会が絶えず遅延された果てに、ささやかなクライマックスが訪れる。何かとてつもなく豊かな世界に触れたという記憶のみが揺曳する稀有な映画体験である。
ブルーピリオド
公開: 2024年8月9日-
ライター、編集 岡本敦史
絵描きの映画は難しい。この作品も観ながら「そういうことかなぁ」と思うところ多々だったが、尺の問題もあるのだろう。絵を描くことの喜び、独自の視点の獲得など、見せ場にとっておきたいのもわかるが、そんな基本的なことは序盤で描いてしまって、どんどん高度な挑戦や障壁を惜しみなく描いてほしかった。とはいえ、トランスジェンダーの登場人物を単なる彩り以上(またはコメディリリーフ以外)のキャラクターとして掘り下げた青少年向けドラマが普通に全国公開されるのは喜ばしい。
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映画評論家 北川れい子
共感度の高い青春映画である。いや間口の広さは青春に止まらない。映画はこれまで、音楽でもスポーツでも恋でもゲームでも、何かに本気でぶつかっていく人の姿を無数に描いてきたが、本作の場合は“絵”。しかも実証的、立体的に描いているのが素晴らしい。茶髪にピアスの高校生が、放課後の美術部で偶然目にした一枚の絵に触発され、才能や将来性など一切度外視、絵という難物に体当たり。美術部員のエピソードや彼らの絵も説得力があり、主人公が唯我独尊的ではなく、聞く耳を持っているのも頼もしい。
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映画評論家 吉田伊知郎
美大系青春映画は数あれど、ここまで描くことのみに徹した作りは異色。学校、友人、ライバル、家族も登場するが、一線を引いた距離感になっており、描くことからブレない作劇が素晴らしい。画架に置かれた紙を見つめ続ける画面が続くだけに、眞栄田のドラマチックな眼差しが本作ではいっそう際立つ。ユカちゃん役の高橋が見せる繊細な演技は自暴自棄になる姿にも品があり魅了。「ルックバック」との共通項も多いが、あちらは実写ではなくアニメが相応しかったが、本作は実写が合う。
#スージー・サーチ
公開: 2024年8月9日-
文筆業 奈々村久生
ヒロインの自己承認欲求が物語の引き金になるというフリがあまり効いておらず、事件解決の鍵を握ると見られたライブ配信もほとんど生かされていない。オチはわりと早い段階で明かされるにもかかわらず、それが作劇の軸となっているわけでもなく、単に構成を入れ替えて流行りのツールをちりばめただけに思えてしまう。インフルエンサーとされている男子生徒の描写は薄く、なぜ彼がそれほどまでに人気を集めているのか語りが足りていない。学校の対応も記号的すぎて全体的に粗さが目立つ。
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アダルトビデオ監督 二村ヒトシ
ミステリとしては古典的だが、見せかたが新しく音楽もすばらしく、その古い筋立てで描かれてるのがポリコレ以後の、今の人間だった。その「今」とはどういう時代なのかを書くとネタバレしちゃうが、あえてちょっとだけ書くと、この青春映画はむちゃな恋愛の加害者がもつ権利意識の話だとも読める。関係ないが「ヘレディタリー 継承」主役のアレックス・ウルフが本作ではイケメンキャラなのに「ヒメアノ?ル」や「神は見返りを求める」のムロツヨシと同じ、とぼけた顔をしていて笑った。
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映画評論家 真魚八重子
ミステリ映画として非常に珍しい形を取っている。ポッドキャストやYouTubeを使って、自己承認欲求を満たす若者たちの物語で、映像の加工なども現代的なクリシェが使われている。幼い頃から推理小説が大好きなスージー(カーシー・クレモンズ)が、行方不明のインフルエンサーを捜す序盤から、その後の謎を割っていく展開が、突然倒叙ミステリになるという風変わりな構成だ。そこからサスペンスの要素が加わり、観客にハラハラ感を与える。ラストの編集の切れ味も余韻がある。
新米記者トロッ子 私がやらねば誰がやる!
公開: 2024年8月9日-
ライター、編集 岡本敦史
監督の小林啓一、脚本の大野大輔、主演の藤吉夏鈴・高石あかりと、新世代の才人が一挙に集結しながら、一見まるで欲のない作りで楽しませる学園スクリューボールコメディ。体制に逆らう学生新聞部員のアナーキーな冒険を描くところは漫画『映像研には手を出すな!』を想起させ、適度に温度の低いコミカルな演出は初期の周防正行も思わせる。社会派要素を自然に盛り込む心意気にも好感が持てるが、もう少し「適度」から逸脱しても良かった。音楽が案外冴えないのも惜しい。
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映画評論家 北川れい子
若い観客層向きのとんでも学園騒動だが、“私“のナレーションに加え、各人物の説明台詞や後だし情報が多い脚本と演出はかなり甘いし、学園の闇がまたチープなおふざけレベル。ではあるが、活字離れや新聞離れが言われて久しいいま、学園の目玉という設定の文芸部と、モグリの新聞部のスパイ合戦とはかなり大胆で、一方から踊らされているとも知らず二股をかける”私“の迷走は、さしずめ文学少女の勇み足? 新聞部部長役の高石あかりが、刷り上がっていく新聞のインクの臭いにうっとりする場面にはほっこり。
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映画評論家 吉田伊知郎
時代錯誤な設定も台詞も瞬時に観客に了解させ、没入させてしまう小林啓一は、小さな世界を周到な演出で拡張させ、学校をスパイ戦の舞台へと変貌させる。随所に一歩間違えれば白々しくなりかねない箇所が出てくるが、戯画的な描写とリアルの配分が神がかり的に絶妙。学生たちが皆良いが、藤吉と高石による〈躍動する低温演技〉が絶品。全篇にわたって空間の切り取り、カットの繋ぎが突出し、一人部室に取り残された新聞部員が立ち尽くすさりげないロングショットも忘れがたい。秀作。
夜の外側 イタリアを震撼させた55日間
公開: 2024年8月9日-
映画監督 清原惟
イタリアで実際に起きた誘拐事件を基にした、5時間40分もの超大作。議員、テロリスト、家族、教皇など様々な立場の視点をもって多層的に描いている。実際の多くの出来事が起こっているときにはわからないことが多いように、渦中にいる人間の感じる混乱がそのまま描かれているような臨場感があった。長い映画でありながらどのシーンもスマートに作られていて、疲労はあっても飽きることはない。一人ひとりの物語の片鱗がたくさんあって、もっと彼らを知りたかったと思うくらいだった。
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編集者、映画批評家 高崎俊夫
20年前に「夜よ、こんにちは」で描いたアルド・モーロ元首相誘拐・殺害事件を340分という長尺で再話するマルコ・ベロッキオの意図は奈辺にありや。確かなことは単純な二項対立的なイデオロギーに依拠しない、真の《政治映画》の可能性が極限まで追求されていることだ。過去にフランチェスコ・ロージのような逸材を生んではいるが、ベロッキオは、もっと歴史、宗教が複雑に絡み合う人間性の深層に錘鉛をおろす壮大なフレスコ画のような映画を撮った。まさに前代未聞の試みである。
マミー(2024)
公開: 2024年8月3日-
文筆家 和泉萌香
95年生まれの私にとってこの事件は物心がついてから一番初めに鮮烈に心に残ったニュース映像の一つだ。少し大人になり、様々な犯罪事件のニュースを見るたび、女は加害者であろうが被害者であろうが、こういう好奇の対象として晒されてしまうんだ、と思った。不謹慎ながら大変面白かった。ここまでの矛盾や疑問が事実としてあるにもかかわらず、訴えを無視し再検証しないままでいることは、いち事件を超え、我々日本国民みなにもっと身近な形で、恐ろしい形として噴出するのでは。
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フランス文学者 谷昌親
このドキュメンタリー映画の興味深いところは、あえて客観的な立場を棄てているところだ。もちろん、丹念な取材を重ねつつの撮影だということは観ればわかるが、客観性にこだわるのであれば、もっと別のアプローチや撮影の仕方がありえただろう。しかし、死刑判決にいったん疑義を抱いた二村真弘監督は、その疑義を原動力に突っ走る。そして、ついには取材のために法を破る挙にまで出て、そうした自分を被写体にしてもいる。そのあやうさによる揺らぎがこの映画を「作品」にしている。
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映画評論家 吉田広明
主人公は死刑囚の長男と監督自身である。関係者ながら当時小学生で半ば傍観者であった長男が、外在的な監督の視点を共有して真相探求を主導する。その過程自体の粘り強さに頭が下がるし、説得もされるが、正しさの主張だけでは映画として食い足りない気がするのも確かで、被告一家、近隣住民の人物像を掘り下げる(これが難しいのは分かる)なり、真犯人に関する新たな視点を打ち出すなりしてほしかったが、これは犯罪映画を見過ぎている人間のないものねだりばかりとは言えまい。
Chime
公開: 2024年8月2日-
文筆家 和泉萌香
見ているだけで陰気な気分になる終始のぺっと薄暗い画面に、耳障りな音をなんてことないというふうに上書きする音の数々と、凝縮された不穏な世界を楽しむ。目撃者と実行者、加害者と被害者、二人だけの蟻地獄的空間と転ずる、規則正しく障害物(机)が並べられた料理教室が恐ろしく魅力的。「走ってもダメ、叫んでもダメなら、もう踊るしかないんじゃない?」と思ったぐらい、何もかものあまりの動かなさにキツくなったが、最後まで濁った虚無のままに締めくくられた。
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フランス文学者 谷昌親
いくら男の狂気を示すためとはいえ、殺人のシーンは後味のいいものではない。しかし、その後味の悪さを呑み込むように、料理教室が不気味な空間に変貌し、人物たちが異星人のように感じられてくるのだ。そうした不穏さを象徴するのが、料理教室のすぐ横を走る電車の音と光であり、いつのまにか耳に響きだすチャイムで、それは、映画そのものが現実とのずれのなかで奏でる不協和音ともいえよう。縄のれんが揺れ、ドアが開くだけで戦慄が走るのは、黒沢清作品ならではの映画的体験だ。
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映画評論家 吉田広明
脳内でチャイムが聞こえるという料理学校生徒の自死以後、主人公の周り、主人公自身に異変が生じる。黒沢監督おなじみの半透明の幕が、ここでは扉の内と外を意識させるチャイムや、教室の外から内に差し込む光などに敷衍され、映画内で起こる様々な異常が主人公の脳内の話なのか、現実なのかを曖昧にする。尺が短いので、その事態の意味までは手が届いていないのが物足りないが、ほんの数ショットで自身の映画時空間を立ち上げ、タマの違いを見せつけてくれる技量は流石と言えよう。
コンセント 同意
公開: 2024年8月2日-
文筆業 奈々村久生
観ることに大きな苦痛を伴う体験であったことは否定できない。だが今はこの痛みに耐えなければいけない時期なのかもしれない。小児性愛者による性加害は被害者の立場があるだけにタブー視を避けられない側面もあり、本作が実話ベースであることはさらにハードルを上げるが、フィクションの中でこそきちんと犯罪として描かれ人の目に触れることに意味がある。文壇の権威が犯罪を芸術にすり替えてきた光景のおぞましさ。それがいかに被害者の人生を破壊するか、表現が現実を救うことを切に願う。
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アダルトビデオ監督 二村ヒトシ
人をコントロールすることで自我を補強したい人間がいる。支配されることで自我を失って「もの」になりたいと願う人もいる。その欲望は大人同士で、相手との信頼関係のもとセックスの場だけで満たすぶんには問題ないが、関係が日常を侵食してはならない。傷ついてる「子ども」は、尊敬している人に愛されて性的に支配されることで自分は何者かになれると夢みてしまう場合がある。この映画は中学生に授業で(もちろん個々のフラッシュバックへのケアは、なされつつ)観せるといいと思う。
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映画評論家 真魚八重子
まだ経験が浅く是非を判断するのが難しい未成年から、交際の同意を得たと盾に取る大人は卑劣としか言いようがない。邪悪で頭がよく回る男が、少女を相手に彼女が狭量で自分本位であるかのように言いくるめる脚本と演出は、非常にリアルゆえに気分が悪い。今でこそ小児との性交渉は厳しく処罰されるが、文化人の趣味嗜好となると特別視してしまうのは、改めて危険だと感じる。“自分は選ばれた”とのぼせてしまう少年少女への注意喚起で、本作を見せて水を差すのは有効かもしれない。
赤羽骨子のボディガード
公開: 2024年8月2日-
ライター、編集 岡本敦史
三池崇史ミーツ学園ラブコメ群像劇という感じの原作はすごく面白くて、版元のサイトでレビューも書いた。漫画表現の魅力にも満ち溢れた作品なので、期待と不安が半々の実写化だったが、まずは予想以上の出来栄え。特に脇のキャストの豪華さ、各キャラのスタイリングの手厚さには驚く。この顔ぶれに惹かれて若い観客が映画館に詰めかけてくれるなら非常に嬉しい。欲を言えば、軽妙さと丁寧さのメリハリ、殴る蹴るだけでなく物体破壊も盛り込んだアクションの多彩さが欲しかった。
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映画評論家 北川れい子
学園の生徒たちの制服は男女とも真っ白な上下に黒いシャツとブラウス。何度もある集団アクションでは当然泥まみれ。そのたびにあらためて白い制服を用意する衣裳部さんの苦労が気になって。さらに言えばラウールほか男子生徒役がほとんど大人顔だけに、学園に紛れ込んだ白いホスト集団にも。と、話の中身より外観ばかりに気をとられ、ビジュアルからして人騒がせ。ともあれここまでぶっ飛んだ設定だと、ただただ呆れて成り行きを観ているだけ。脱力系の笑いもご苦労様。土屋太鳳の大変身はドッキリ級!
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映画評論家 吉田伊知郎
単純明快な基本設定を愚直に実写化し、アクションを的確に見せ、プロフェッショナル学生集団を巧みに描き分けた作劇が成功。ラウールの二枚目半ぶりが予想外に良く、長身を生かした所作がアクションと笑いを弾けさせる。この逸材を日本映画は逃してはならない。土屋太鳳の男装の麗人ぶりも素晴らしく、彼女を見るだけで料金分の価値あり。キラキラ映画の受けの芝居には魅力を感じなかったが、奇想とアクションを前にしたときの攻めの演技は突出。もうバンコランも彼女に演ってほしい。
ツイスターズ
公開: 2024年8月1日-
俳優 小川あん
さすがの「ジュラシック・パーク」製作陣はオクラホマの麦畑、そよぐ草の立体感といい、自然を生き生きと見せるのがお上手。しかし、たちまち巨大な竜巻が美しい風景と地元の人の生活を奪う。ちょうど試写室を出たときに、空がドヨンとしてて、しばらくは震えてたのでかなり没入していた。パニック映画を見ると、もしそうなったときに助かる方法を心得た気持ちになる。実際に竜巻に遭遇した人のインタビューとメイキング映像も合わせて楽しんだ。車にドリルが装備されてるの、いいなぁ。
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翻訳者、映画批評 篠儀直子
こんな非常時に「フランケンシュタイン」の上映を続けている場合か!とか思うが、スクリーンが破れたその先に、まさに人間が自然=神に挑戦する光景が広がっているという趣向なのだろう。竜巻が繰り返されすぎてこちらが慣れてしまうのが難だけど、最初の竜巻の壮絶な描写は、のちの展開に非常に効果的。「ミナリ」の監督が起用されたことは誰もが意外に思うだろうが、CGと人物描写とのバランス感覚と、風景を取りこむセンスが抜群。魅力的な次世代スターの顔合わせもあって、今後伝説になる映画かも。
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編集者/東北芸術工科大学教授 菅付雅信
米オクラホマ州を舞台に、巨大化する竜巻に対し竜巻破壊計画を企てる若きチームの奮闘を描く。スピルバーグが製作総指揮で、彼が以前に製作総指揮を務めた「ツイスター」(96)よりもスケール感&VFX感がアップ。今回は監督が「ミナリ」のリー・アイザック・チョンで、もっと人間ドラマが描かれているかと思いきや、シナリオが凡庸であくまで竜巻中心の筋運びでガッカリ。才能ある若手映画作家がブロックバスターを手がけると、予算とVFXはふんだんだがドラマ性や美学性が稀釈されるというハリウッド・システムの悪しき最新例。
このろくでもない世界で
公開: 2024年7月26日-
文筆業 奈々村久生
韓国映画のノワールでも湿っぽいほうの系統。負の連鎖がどんよりと重いタッチで描かれるが、脚本の展開とそれに沿った編集、音楽はいささか緩慢で、暴力描写がいたずらに長い。ソン・ジュンギの演じる悪漢はクールな姿勢を崩すことなく設定以上の奥行きに欠ける。主人公はとても賢いとは言えない選択を繰り返し自分で自分を追い詰めていくが、劣悪な家庭環境で育った少年を殊更に美化しない描き方には誠実さを感じる。彼の妹ハヤンを演じた“闇のIU”ことBIBIには演技を続けてほしい。
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アダルトビデオ監督 二村ヒトシ
とても気合の入った映画なのはわかる。しかし、これは結局のところソン・ジュンギ演ずるチゴンのキャラクターを美しく描くための映画だったのではないか。いや、それはそれでもちろんいいのだが、本作では、彼を美しく描いた結果として、コーピングではない最悪の自傷である〈暴力〉を、最終的に肯定することになってしまっていないか。比べるものではないけれど、同じくろくでもない、やりきれない暴力の?末を描いた邦画「ケンとカズ」は救いも希望もなかったぶん、僕には嬉しく感じられた。
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映画評論家 真魚八重子
主人公のヨンギュはDVを受けて育ち機能不全となったアダルトチルドレン。彼が入った半グレ集団のリーダーを演じるソン・ジュンギは、カッコイイを通り越してカッコ良すぎるキャラになっている。俯瞰的に見ると彼は半グレを使役するヤクザとの折衝役だ。ヨンギュに幼い頃、父親から虐待を受けた自分を見出してひいきにすると同時に、恩義という概念を否定し、憐れみは懲罰の対象になると教える。ヤクザの命令でいかようにも動く立場と、このひいきが矛盾し、違和感や破綻を残す。
時々、私は考える
公開: 2024年7月26日-
俳優 小川あん
舞台はポートランドに近い、オレゴン州の港町。その閑散とした町とは裏腹に、陽気な地元の人々。主人公のみが寂寥感ただよう町の空気感を背負っている。監督はフランの特徴に焦点を当て、生活の細かい隙間まで冷静沈着に設計している。おそらく就寝時間にも誤差がないフランは新しい同僚に出会い、寝室脇にあるデジタル時計の時間が進んだ。彼女の微細な感情の変化に至るまでの貴重な時間を体験。エニェディ・イルディコー監督「心と体と」と並ぶ、静かに心に残る稀有な良品質の作品。
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翻訳者、映画批評 篠儀直子
人づきあいに悩んでいる、というよりみずから孤独を選んでいるようにしか見えないフランの芯にあるのは、無価値な自分は誰からも愛されるはずがないという思いこみなのだろう。自分を愛することができない彼女は当然空想の世界に生きざるをえないのだが、ロバートの出現が彼女の硬い殻にひびを入れはじめる。状況を打開しようと主人公が行動する瞬間がほぼ終盤に至るまでないので、その意味で「何も起こっていない」かのように見える映画だが、その「何もなさ」はなんと豊かで変化に満ちていることか。
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編集者/東北芸術工科大学教授 菅付雅信
「スター・ウォーズ」のレイ役でブレイクしたデイジー・リドリーの主演・プロデュース作。常に自分の死にまつわる妄想を考えている地方都市の孤独なワーキング・ウーマンが職場に新たに入った男性などとの出会いによって徐々に変化していく様子を描く。彼女にシンパシーを持つ人はいるのだろうと思うが、いかんせん物語のグリップ力が弱すぎる。女優プロデュース作はより自分が綺麗に見えるか、または極端にネガに見えるかをやる傾向があるが、これは後者。妄想シーンの美学的な世界に星ひとつ追加。
ロイヤルホテル
公開: 2024年7月26日-
文筆業 奈々村久生
前作「アシスタント」と同様、キティ・グリーン監督は言語化や証明の難しい身近なハラスメントの実態を可視化させている。仮にこの映画でワーホリ女子に向けられた男たちのセリフを録音し、されたことの被害を訴えても、彼らを法的に裁くのは困難と思われる。だからこそフィクションで語ることに意義があり、脚本や演出は敢えて立証できない暴力のあり方を丁寧に探る。田舎町での住み込み労働という閉鎖的な環境と話の通じない輩に取り囲まれる絶望。その恐怖はほとんど「悪魔のいけにえ」だ。
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アダルトビデオ監督 二村ヒトシ
どうしてこうなってしまうのかさっぱりわからない。そもそも酔って性欲の対象にからむ気持ちが僕にはまったくわからない。この映画を観ると、男たちが酔っ払いたくて酔っ払ってるわけじゃないらしいことはわかるが。旅先で怖い目にあうホラー映画を知ってるから怖くて僕は旅行にもいかない。だから文化人類学のフィールドワーカーを尊敬する。ただ、この映画のラストは想像してたのよりも面白かった。このまま主人公たちが世界中を放浪し、日本のスナックでもバイトする続篇はどうか。
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映画評論家 真魚八重子
導入から無駄を省いたメインストーリーへの運びがスマートだ。女性が男性に対し薄っすら感じている恐怖が端的に描かれている。侮蔑的な言葉、目的のわからない付きまといといった悪意は、実際におおよその女性が経験したことのある気味の悪い出来事だ。それに同調する女性もいるし、抵抗を見せる女性がいるのも自然であり、どちらが良い悪いではない。同じくオーストラリアを舞台にした「荒野の千鳥足」を彷彿とさせたが、ラストの反撃は現在の女性映画によるマニフェストであろう。
もしも徳川家康が総理大臣になったら
公開: 2024年7月26日-
ライター、編集 岡本敦史
原作は「ビジネス小説」に分類されるそうだが、特に新味のある内容ではない。永田町が火の海になる愉快な展開とか、「シン・ゴジラ」ばりの国家改造シミュレーションとかいった見どころもなく、あるのはCM的なギャグの羅列のみ。また、劇中でフィーチャーされるのは一緒に蘇った秀吉や信長の政策で、家康はそれっぽい長広舌を披露するだけなので、タイトルの答えも見当たらない。国民の投票率アップを促すエクスキューズ的展開も、むしろ逆効果の感もあり、はなはだ迷惑である。
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映画評論家 北川れい子
監督の武内英樹と脚本の徳永友一は「翔んで埼玉」シリーズのコンビ、しかもGACKTまで出演するということで、「翔んで埼玉」級の人騒がせな笑いと展開を期待したのだが、賑々しいわりには芝居のド派手な絵看板でも観ているようで、かなりがっかり。それでも話の導入部には身を乗り出し、現実の不甲斐ない政治家たちも、いっそAIで信頼できる人物に、と思ったりしたが、偉人内閣の面々は、通り一遍のイメージに収まったままで格別な活躍はなし。にしても家康のラストの大演説はお節介にもほどがある!
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映画評論家 吉田伊知郎
偉人たちはAIで復活したホログラムで、時代変化も学習済、歴史上の禍根も抱かないようになっている懇切丁寧な設定が面白さを削ぐ。上杉謙信が瞬く間に自衛隊の装備を扱えるようになっていた「戦国自衛隊」よろしく、タイムスリップで偉人たちを強制連行してきても現代に順応したはず。ホログラムだから斬っても撃っても効果なしであることも生かされていないし、最後に現代人へ向けて偉人たちが説教臭い話を長々とするのも閉口。何より浜辺美波を輝かせていないのは許しがたい。
幸せのイタリアーノ
公開: 2024年7月26日-
俳優 小川あん
王道を王道たらしめる作品。金持ち、傲慢で女遊びの激しい主人公の男性が、障がいを抱えている、才能溢れる女性に本気の恋をする。王道が故にすべてを肯定しがち、それでもって映画はヒット……。私にとっては、ドラマになる要素をあらすじで示せてしまう映画は味気がなく、消費される恋愛外国映画のカテゴリーに属してしまう。フランス映画「パリ、嘘つきな恋」のリメイク作品とのことだけど、誰が撮ったらいいかなと妄想……キャメロン・クロウだ! そしたらちゃんと面白くなりそうなのに!
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翻訳者、映画批評 篠儀直子
リメイク元の「パリ、嘘つきな恋」は未見だがほぼ同じプロットらしい。金持ちのクズ男の性根を、強く賢い女(でも彼女があまりに高スペックすぎるのが、まるで障がいを相殺するための設定のように見えてしまいそうなのはつらい)が叩きなおすだけでなく、恋人にまでなってあげるというおなじみのパターンの物語で、こういうのは俳優に魅力がないと見ていられないのだが、M・レオーネがとてもよく、P・ファヴィーノの芸域の広さにもびっくり。いつの間にやらカップルが複数成立しているのも可愛い。
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編集者/東北芸術工科大学教授 菅付雅信
仏映画「パリ、嘘つきな恋」のリメイク。モテ男の独身経営者が車いすテニス・プレイヤーでありヴァイオリニストの美女と出会い、彼女を口説くために自分も車いすの障がい者と偽り積極的にアプローチするコメディ。これぞイタリア伊達男といったファヴィーノと抜群の美貌を誇るレオーネといったスクリーン映えする二人のやりとりの軽妙洒脱さが見事でヨーロッパならではの大人のラブコメを堪能。イタリア人がそのイタリアらしさを苦笑している感じも良い。
HOW TO HAVE SEX
公開: 2024年7月19日-
映画監督 清原惟
友人と旅行に出かけた少女が、旅先で初体験をしようと意気込むが思わぬ方向へ行ってしまうという、デートレイプの問題を扱った作品。突然訪れる残酷な出来事に、自分でも自覚しないままに傷ついてしまうさまは、主人公を演じた俳優によって生々しく表現されていた。少女らしい見栄の張り方、妬みや苦しみが、簡単に割り切れない複雑なもののまま存在していた。ただ、最後に突然訪れるシスターフッド感と、無理やりにでも元気を出そうとする結び方は、少し乱暴な感じがしてしまった。
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編集者、映画批評家 高崎俊夫
見終えたあとで、ジェーン・カンピオンの絶賛や性加害のモチーフを潜在的に忍ばせさせた果敢な問題提起作という高評価に触れてやや意外だった。リゾート地に卒業旅行でやってきてお酒とダンスに興じる3人のティーンエイジャーの空騒ぎが延々と無造作に点描される。そのうちの一人がヴァージンであることに引け目を感じてひと夏の冒険を試みるという過去に無数に変奏されてきた〈初体験ヴァカンスもの〉のバリエーションであり、それ以上でも以下でもない。それとも私は全く別な映画を見ていたのだろうか。
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映画批評・編集 渡部幻
宣伝の通り“直感的で感覚的な体験”であると同時に“感情的な経験の追体験”を探求した青春映画。物語としては何度も見てきたありきたりな青春の通過儀礼だが、描き方が違う。10代の少女のセックスへの憧れとプレッシャー、同意なき経験の痛みに皮膚感覚で寄り添いながら、前向きで、非感傷的である。全ての映画は人間の経験を扱っている。人の経験には個人差があるが、どこかで似通ってもいる。だからこそ私たちは経験の物語を共有できる。そんな映画の可能性を拡げる試みであり、この新鋭監督の才能だろう。
墓泥棒と失われた女神
公開: 2024年7月19日-
文筆業 奈々村久生
現時点の自分は、多くのロルヴァケル支持者に比べて、その美しい映像叙情詩を愛していない。ダウジングの能力を持つ主人公は「エル・スール」(83)を思い出させるが、あの父親もやはり喪失に囚われた男であった。失われた過去を幻想化して神聖視することは目の前の現実を容易に下に見ておろそかにする。ジョシュ・オコナー演じる男性のナイーブさは村上春樹的でもあり、幻想を取り戻すことがゴールではあまりに救いがない。その中で圧倒的な現在と現実を担う女性・イタリアの存在が希望だ。
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アダルトビデオ監督 二村ヒトシ
導入部で「幸せの黄色いハンカチ」みたいな人情話かと思ったら全然ちがった。超能力というものがあるとしたら(あるのだと思うが)それは正義のためや戦いのためには使われず、日々こういうことに使われているのだろう。もう死んでいる人から盗む泥棒は何を盗んでいるのか。泥棒にならざるをえない人々は誰から何を盗まれているのか。死んでいる人に恋し続けることは美しいことなのか。美術館や写真や一瞬の夢の中で見る過去の遺跡や過去の恋人は、どこから掘りだされてきたものなのか。
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映画評論家 真魚八重子
撮影は35ミリ、16ミリ、スーパー16を使っていて、時折左右にぼやけた黒味が出る。特に使い分けに法則は感じず、適当な割り振り方に好感が持てた。そもそも主人公のアーサーがダウジングで古代の墓を探り当てる時点で、マジックリアリズムのような映画だ。昔の墓に入っていくシーンの供えられた動物の人形の魅力。アーサーはこの世とあの世の狭間にいる人間だが、失ってしまった恋人、魅了される古代の遺物と、過去に引っ張られているようだ。それゆえのラストシーンがまばゆかった。
フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン
公開: 2024年7月19日-
俳優 小川あん
人類の歴史的偉業「アポロ11号」の題材にひねりをくわえ、その裏側に存在したメディアの嘘を描いた壮大なブラックユーモア。それに留まらず、たくさんの夢と希望が詰まっている。95年に製作された「アポロ13」から、語りのアプローチがここまで飛躍するとは。NASAの当時の貴重映像とともにさまざまなギミックを駆使したオープニングから一気に心を掴まれる。後はもう映画のリズムに乗るだけ。やっと、バーランティ監督の実力が明らかになった。これからどんどん映画を撮ってほしい!
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翻訳者、映画批評 篠儀直子
捏造映像を保険として撮影しておくことにしたのがやがてサスペンスを生み出すという、根強い都市伝説を逆手に取った着想がなかなか面白く、NASAを支えていた女性たちを讃える側面を備えているのもイマの映画らしくてよい。ところで作品の評価とは全然関係ないが、テイタムがチームメンバーを奮起させる演説シーンを見つつ、こういうのつい最近も見た気がするけど何だっけと考えてみたら「オッペンハイマー」だった。両プロジェクトの本質的類似性やら、表象行為の危うさやらを再度思い知らされた気分。
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編集者/東北芸術工科大学教授 菅付雅信
1969年の人類初の月面着陸に関わる陰謀をめぐるコメディ。切れ者のPRウーマンをジョハンソン、NASAの発射責任者をテイタムが演じ、二人の掛け合いの楽しさは50〜60年代のハリウッド映画的。全体に往年ハリウッド映画的かつ、古き良きアメリカ的なテイストが濃厚で、最終的に誰も悪役ではなく、見事にハッピーエンドとなる。しかし、その後の世界を生きる我々としては「古き良きハッピーエンド」で映画を終わらせていいのかと。たとえコメディにするとしても月面着陸に対する批評的視点が必要はなずでは。
逃走中 THE MOVIE
公開: 2024年7月19日-
ライター、編集 岡本敦史
人気ゲームバラエティ番組の劇映画化という趣向自体にはなんの異論もない。面白ければ全然OKだが、結局なんの驚きも興奮もないまま終わった。反撃も対決もせず逃げ続けるだけのアクション映画がいかに成立し難いか思い知らされる内容だが、それ以前に、親友同士という設定にまるで実感が伴わない主人公たちのドラマが空虚すぎて震えた。現実世界を異世界のルールが侵食するという設定が映画版「クレヨンしんちゃん」そっくりで、敵キャラのドラァグクイーン3人組もすごい既視感。
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映画評論家 北川れい子
テレビのバラエティ番組をドラマ化した映画だそうだが、ごめん、始まって5分ほどでスクリーンの前から“逃走”したくなった。友情と絆をベースにしたゲーム仕立ての青春アクション? 最後まで逃げきれれば賞金がドサッ!? が、設定もキャラも実に雑で、口裂け男まで登場、逃げて逃げての逃走シーンもただそういう場面があるだけ。彼らを追うハンターたちのナリフリが、サングラスに黒服、ネクタイで、以前の“NO MORE 映画泥棒”のキャラそっくり。まぁ勝手にやってれば。映画を観るのも忍耐なのだった。
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映画評論家 吉田伊知郎
ひたすら追われて逃げるだけの映画の根源的な面白さに満ちた設定なのに、サスペンスの欠片もない。若者たちの古臭い青春回顧物語も邪魔。中途半端にテレビと連動させ、タレントの顔出しが多いのも興を削ぐ。それなら、「ミンナのウタ」のGENERATIONSのように、本作のJO1もFANTASTICSも本人役にした方が良かったのでは? 「もし徳」に暴れん坊将軍役で出なくて正解だった松平健という俳優のスケールを生かせていないのも無念。長井短のヒールぶりが見どころ。
化け猫あんずちゃん
公開: 2024年7月19日-
ライター、編集 岡本敦史
実写をトレスするロトスコープという作画技法は、現実を解剖するような生々しさと異化をアニメーションにもたらす。本作のもっさりした妖怪キャラたちはその効果を台無しにしそうに見えて、見たことのないリアリティと愛らしさをしっかり兼ね備え、そこに才人・久野遥子監督のセンスと巧さが光る。実写担当・山下敦弘監督のアニメ的定型から離れた構図も新鮮な化学反応を生み、のどかなのに終始ゾクゾクした。原作には登場しない、ちょいワルな主役の女の子も抜群にかわいい。
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映画評論家 北川れい子
猫漫画、猫アニメに外れなし! いえ、ネコ好きの独りごとです。それにしてもアニメ化された大島弓子の傑作漫画『綿の国星』の猫同様、等身大に擬人化された茶猫・あんずちゃんのキャラと言動の愉快なこと。お寺の住職に拾われて37年、バイクで出張マッサージもする町の人気者。ただかなり皮肉屋。そんな猫人間が、住職の孫娘の世話をする羽目になって化け猫ぶりを発揮、リアルとファンタジーを巧みに融合させた展開は、絵も色も軽やか。ロトスコープなるアニメ手法が効果的で、そして森山未來の声!
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映画評論家 吉田伊知郎
船頭が多くとも順路が一致すれば、こんな快適な旅が待っている。原作への愛着が迸る久野・山下両監督に、これまで河童に蛙、さらに神も地獄も平然と自作に登場させてきた、いまおかしんじの濃厚な脚本を理想的な形でアニメーションへ昇華。「お引越し」「つぐみ」から触発されたという映画オリジナルのヒロインの異分子ぶりも良く、終始不機嫌な少女と、あんずちゃんのドライでシニカルな描写の数々が素晴らしい。死を描きつつ安易な感動に利用しない作劇に、じんわりと涙が滲む。
お母さんが一緒
公開: 2024年7月12日-
文筆家 和泉萌香
男がどうの、あんたがどうのと互いを責めたてる姉妹たち、もうやかましいどころではないのだが、彼女たちはそうして「結婚」という同じひとつの言葉をぶつけ合い、「結婚」以上の複雑な呪縛、負の連鎖を引き剥がそうと頑張り叫びつくす。一晩明けてのさっぱり感は微笑ましく、その奇跡(!?)に救われたのは、彼女たちよりも母親か。「ゴド待ち」ならぬ「母待ち」でもなく、肝心の母も同じ旅館内にいる設定と施設での喧嘩っぷりは、映画の中でも現実性が欠ける気がするが……。
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フランス文学者 谷昌親
脚本も手掛けているペヤンヌマキの戯曲が原作で、いかにも舞台劇らしく、終始温泉宿で展開する三人姉妹のほぼ一日の物語であり、俳優たちの演技も映画的というよりはむしろ演劇的と言えなくもないのだが、それがむしろコメディとしてのこの作品のあり方をうまく際立たせている。緻密に構成されつつパワフルに展開する原作と芸達者な俳優たちに身を委ねるかのように、これまでとは違い、余分な力を抜いた演出を披露した橋口亮輔監督によって、良質のコメディ映画が生み出された。
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映画評論家 吉田広明
キューカー「女性たち」を思わせる密室女性劇。とは言えあれほど姦しくはない。母親を出さず(別室にいる)、主要舞台を姉妹らの一室に限る設定が、原作が演劇であることを思い起こさせるが、映画だと少し窮屈な印象。末妹が婚約者に対して吐く決定的な一言が、聞いてなかったでスルーされる、最後の母親の肯定的な言葉で結局事態が全て丸く収まるなど、いささか緩いのが引っかかるが、よく出来たドラマ。ただ、今これは映画として必要なのか、橋口監督がすべき題材なのかは疑問が残った。
クレオの夏休み
公開: 2024年7月12日-
俳優 小川あん
一つ一つのシーンが幼きクレオの記憶として、大切に扱われている。秀逸なのは、映されるいくつかの手元のショット。洗濯物を畳む母親代わりのグロリアの手。しかし、そこにはいないはずの我が子たちの存在を強く感じさせる。クレオがグロリアの素肌を指で触れる。同様に、亡き母親の存在がある。それらのショットは言葉より強い仕草で愛情を示し、その深さの海図は印象的なアニメーションで表現される。グロリアとクレオの永遠の絆はカメラのフィルターを越えるほどの温もりを与えた。
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翻訳者、映画批評 篠儀直子
いわゆる「マジカル・ニグロ」(白人に都合よく奉仕する黒人キャラクター)のパターンになるのではと冒頭懸念したが、全然違う趣向の物語に。クレオはグロリアを実母のように慕うが、グロリアもその家族も、新しい子守が来れば他人になってしまう人々だ。クレオやグロリアから離れまいとするかのようなカメラ(ウニー・ルコントの「冬の小鳥」を思わせる)の親密さ。母親と過ごすはずの年月をクレオに奪われていた少年セザールの苛立ち。挿入されるアニメーションにも催涙効果あり。これはたまらん。
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編集者/東北芸術工科大学教授 菅付雅信
パリの6歳の少女クレオが、アフリカ系の乳母グロリアが故郷に戻ることになり、彼女を訪ねてアフリカへの旅に出る。好奇心に満ち未知なるものとの出会いに一々興奮するクレオ役の少女が素晴らしく、劇映画とドキュメンタリーのいいとこどりをした高揚感とリアリティがある。願わくは、もう少しドラマ性があったほうが楽しめるのだろうが、そうなると映画が嘘っぽくなるのだろう。大まかな物語の筋はあるが、ほとんどドキュメンタルな現場感で作られている(ように見える)、フィクションとドキュメントの見事な交差点。ちょっとした映画の発明。
メイ・ディセンバー ゆれる真実
公開: 2024年7月12日-
映画監督 清原惟
子どもと大人の恋愛が客観的には犯罪と位置付けられたとしても、本人たちにとっては真実の愛として存在できるのか。そのようなテーマを内包する本作は、今の時代にかなりアクチュアルな内容。当時少年だった彼の眼差しは不安げで見ていて苦しくなるが、それでも簡単に被害者とは割り切れないように描かれていることの奥行きもある。知らず知らずのうちに近づいてくる暴力について考えさせられた。ナタリー・ポートマン、ジュリアン・ムーアをはじめとする俳優たちの演技がすごい。
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編集者、映画批評家 高崎俊夫
ミシェル・ルグランの傑作「恋」のスコアが耳にこびりつく。トッド・ヘインズは「あるスキャンダルの覚え書き」と同工のテーマを全く異なるアプローチで自家薬籠中のものとする。事件の当事者に取材する女優がいつしか対象と同一化し、危うい共犯関係へと踏み入ってゆくのだ。「仮面/ペルソナ」「三人の女」といった人格交換劇の記憶を喚起させながらも、ヒロインの無意識の悪意が感染症のごとく他者に浸透してゆく恐怖をこれほど澄明なトーンで描ききった映画は稀ではないだろうか。
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映画批評・編集 渡部幻
36歳の女性が13歳の少年と不倫し、逮捕されたのちに刑務所で出産。23年後、彼らの人生を映画化すべく主演女優が取材に来て……。異才トッド・ヘインズの腕が冴え渡る“解釈の迷宮”である。分裂し多層化したアイデンティティの混乱に、“演じること”と“同化”の問題が絡んでくる。ピンターとロージーの「恋」のテーマ曲(ルグラン)を編曲した音楽が強力で、精妙な細部を敷き詰めた一流の映画と同様、二度見るとさらに興趣を増す。蜘蛛の巣に捕らわれた元少年(チャールズ・メルトン)の哀れが胸に残る。
密輸 1970
公開: 2024年7月12日-
文筆業 奈々村久生
「ベテラン」(15)続篇の公開も控えたリュ・スンワン監督によるエンタメの極み。コテコテの方言でまくし立てる痛快なセリフ回しでクセの強い海女を演じたキム・ヘスの幅には目を見張るばかり。流行りのシスターフッドは監督の初期作「血も涙もなく」(02)を彷彿とさせる。時系列トリック、ゲストのチョ・インソン、潜水アクションなどてんこ盛りで語り口はややごたつくが泥くさいパワーと人情味が勝った感じ。当時のレトロカルチャーや70年代風味あふれるチャン・ギハの音楽も楽しい。
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アダルトビデオ監督 二村ヒトシ
実際の60〜70年代の韓国歌謡曲なのか新譜なのかわからないけど音楽がすばらしくて泣ける。水中撮影も美しい。泥臭い話だが編集で飽きさせない。人間がみんな暴力的で、かわいい。女と女の(恋愛ではない)友情と憎しみと事情を軸に、登場人物たちが変貌していくのが人生を感じさせて悲しいし楽しいし、物語の筋はそらさないまま映画そのものまでどんどん変貌していく。人の命の値段に関係ないサメ映画にまでなっちゃうサービス精神が炸裂。最後のオチ、あれも俳優のファンへのサービス?
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映画評論家 真魚八重子
リュ・スンワンは「ベテラン」に引き続き、音楽に60年代コリアンサイケロックをチョイス。この絶妙な劇伴だけで楽しいのに、物語も海女たちvsギャングvs税関、という設定が素晴らしい。友情、裏切り、アクションとてんこ盛りで、スンワンの作品の中でももっとも抑揚があり、秀逸な出来。現代のフェミニズム運動とも連動した内容だ。女性たちの仲間で海女ではない人は、美人局的な役割を自然と担う仕事の分配も良い。キム・ヘスの全然老けない美貌とスタイルも目の保養になる。
キングダム 大将軍の帰還
公開: 2024年7月12日-
ライター、編集 岡本敦史
吉川晃司無双と大沢たかお歌舞伎が火花を散らす場面はずっと面白い。両者が戦場のド真ん中で繰り広げる一対一のバトルと、馬陽の戦いに決着がつくまでの一大スペクタクルは、確かに入場料の元は取れる見応えだ。とはいえ、そこに至るまでが長い。冒頭はツイ・ハーク作品も思わせる吉川アクションで魅了するも、中盤はファンフレンドリーに徹するがゆえ省略できない部分が多く、かなりの忍耐を強いられる。主役の影の薄さもシリーズ随一だが、見せ場は最高という評者泣かせの一篇だ。
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映画評論家 北川れい子
今回もスペクタクルな戦闘シーンに因縁のある人物やそのエピソードを絡ませて進行するが、際立って魅力的なのは、大沢たかおが演じる大将軍・王騎の冷静かつ圧倒的なリーダーシップ。「キングダム2 遥かなる大地へ」の終盤に登場したときも、不敵な笑みを浮かべて大合戦を俯瞰していたが、その王騎が中華統一を目指す秦国軍を率いて戦う本作は、です、ます調の台詞といい、小事に拘らない大局的な戦術といい、実に鮮烈で、さしずめ大沢たかおのワンマンショー! あっ、吉川晃司の怪演にも拍手。
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映画評論家 吉田伊知郎
もはや王騎を眺めることが最大の目的となっていた本シリーズ。作を重ねるごとに王騎役の大沢たかおが、とんでもない肉体と演技にバージョンアップしていく。これまで後方に控えてきた王騎による肉弾戦と饒舌な語りが中心となる本作には大いに満足するが、女優陣の扱いは薄い。清野は相変わらずアクションで際立つとしても、橋本、長澤、佐久間は突っ立っているだけで顔見世以上のものではなく、摎役の新木優子の細い身体と腕は、原作もそうだからとは言え、実写では説得力に欠ける。
大いなる不在
公開: 2024年7月12日-
文筆家 和泉萌香
まだ何も見ていない、もうすでに見た、何も見ていない、と反芻し続けたくなる魅力の作品だ。あっけにとられる逮捕シーンから始まり、自分の人生に長らく不在だった父が語る話、優しい義母の失踪……と少しずつ玉突きのように広がっていく謎のほか、登場人物たちのさまざまな感情をかかえながら、ある地点での状態の理由を明かすべく、まさに無限階段の時間をみせてゆくエレガントな手腕。藤竜也が発する声、呼びかけによって、どこかSFの手ざわりも感じられる傑作。
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フランス文学者 谷昌親
疎遠だった父親との再会、その父親の認知症、結婚前の父と義母のあいだの秘められた情熱的な愛、そしてその義母の失踪、そうした重たいテーマのそれぞれに、近浦啓監督は真摯に向き合っている。だが、その真摯な姿勢が映画的な柔軟さを奪い、ひとつひとつのピースがばらばらのままになってしまった。職業は俳優という設定の主人公の卓(森山未來)が劇中で演じようとしているイヨネスコの『瀕死の王』のほうが、映画そのものよりもむしろ魅力的に見えてしまうのは、なんとも皮肉だ。
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映画評論家 吉田広明
二十五年ぶりに父親と再会する主人公が視点人物で、父親の現在から過去を辿ることになるが、父親はいわば信用できない語り手であり、彼の語ることが本当なのか嘘なのか次第に分からなくなってゆく。とはいえその原因は認知症であって、そう言われれば何の驚きもないのだが、それをあえて羅生門形式のミステリ仕立てにするのは目くらましに見える。特に冒頭の逮捕場面はミスリーディングであざとく、そのせいで虚実のはざまに見えてくる真情も、共感度を著しく損なうことになる。
フェラーリ
公開: 2024年7月5日-
文筆業 奈々村久生
P・クルスの妻が息子の死という夫婦最大の試練から目をそらせないのに対して、愛人との二重生活に苦悩の証しを求めるエンツォは、A・ドライヴァーがまとう煮え切らない空気と相まって絶妙に愛され難い人物像となっている。特筆すべきは終盤の事故シーン。スピード、カット割り、犠牲者をとらえる描写の切れ味は戦争映画の爆撃シーンにも匹敵し、皮肉なことに、カーレースの熱狂とスリルと迫力を最も実感したのはここだった。その容赦ない凄惨ぶりにマイケル・マンの本気を見た気がする。
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アダルトビデオ監督 二村ヒトシ
アダムくん老け役でも顔つきも物腰もやっぱり変でいい。家父長制を煮詰めたような哀れな成功者。速度が経済になり、競うことに愛や死を賭けるなんて地獄だよ。自動車の映画だと思って観に来た人が期待するのだろう男のロマンという糞みたいなものがほぼ描かれない(クライマックスで少し描かれたと思ったら、すぐ最悪の悲劇が起きる)のがいい。ペネロペさんのサレ妻もいい。お金持ちの妻や愛人やってる女性、それと「がんばれ。命がけでやれ」と人に指図するのが仕事の人はみんな観てね。
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映画評論家 真魚八重子
アダム・ドライヴァーは魅力的な俳優だし、役に入ると雰囲気も変わる傑出した存在だけれども、「ハウス・オブ・グッチ」から「フェラーリ」と、名門の実在の人物を立て続けに演じるのはどうなのか。他の才能ある俳優たちの、世に出る機会を奪っているのではないか? 車へのフェティシズムよりビジネスを優先しており、世知辛い話題が続くのも面白いとは言いづらい。事故のシーンは丁寧で非常にリアリティを持っていたが、基本的には車のフェラーリではなく会社としてのフェラーリの話だ。
先生の白い嘘
公開: 2024年7月5日-
文筆家 和泉萌香
強姦のシーンの悪趣味なスローモーション。しょっちゅう流れる音楽もひどいし、夫婦でのセックスシーンも撮り方や演出といい、性加害を扱う話であるのに、プレスの言葉を借りれば「センセーショナルさ」に注力してないか。配給宣伝側からもレビューの際のNGワードやらここはネタバレ注意やらの指定をされていて、もう、配給側もこういったテーマをまっすぐ扱う覚悟がないならやらない方がいい。原作者、鳥飼氏の「性被害を無くしたくてこの漫画を書いた」というコメントに★一つ。
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フランス文学者 谷昌親
問題作と言われる漫画の映画化であり、むずかしいテーマに逃げずに取り組むその姿勢には敬意を表したいのだが、作品としてどうも咀嚼しきれない。性にかかわる問題を扱っているにもかかわらず、妙に観念的に感じられてしまうのだ。性が人間にとって重要であるのは言うまでもないが、同時に、それだけが人間を形づくっているわけではないだろう。どんな人間にも日常生活があるはずなのに、この映画の作中人物の場合、ひとりひとりの背景が一切見えず、薄っぺらな存在になっている。
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映画評論家 吉田広明
自分が現在置かれた弱い立場は女であるせいと思い込んできた主人公が、同様の性被害に遭っていた男子生徒によって、男女問わない権力性こそ悪と気づき、同志として連帯する。衝撃的な題材を扱っているからこそ注目度も高くなるのではあろうが、性差別、権力性への眼差しは、より日常的で繊細なものに精度を上げる時期ではないか(「はちどり」がその方向性を示している)。女性性の肯定にしても、娼婦と聖女の同居という紋切り型イメージに帰着することで果たされるのは疑問だ。
Shirley シャーリイ
公開: 2024年7月5日-
映画監督 清原惟
凡庸の中に閉じ込められている若い女性と、天才的小説家の年上の女性が惹かれ合う物語。惹かれ合う二人の関係性もキャラクターも独特で、ステレオタイプではない。現代よりも女は男に支配されており自由ではなかったという視点も、単なる主張に留まらず、とても巧妙に物語に組み込まれていた。それでいうと夫が結局暗躍者で、創作さえうまく行けばいいとも捉えられるラストは少し腑に落ちないかもしれない。不穏なときに軽快な音楽が鳴る演出も、事態の混乱を表しているようで冴えていた。
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編集者、映画批評家 高崎俊夫
〈イヤミス〉のベストテン上位に必ず選ばれる傑作短篇『くじ』の作家シャーリイ・ジャクスンの知られざる私生活に迫った異色作。最大の理解者たる大学教授の夫との捻れた共依存関係、そこに教職に就こうと目論む若い野心家夫婦が絡む。かくして肥大したエゴとモラルを欠落させた4人の間でアブノーマルな心理劇が展開される。シャーリイは多重人格がテーマの『鳥の巣』という傑作ミステリも書いているが、エリザベス・モスは深い狂気の淵にたたずむヒロインを絶妙に演じている。
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映画批評・編集 渡部幻
伝説の小説家シャーリイ・ジャクスン夫妻と架空の若い夫妻をめぐる結婚と創作の物語。通常の伝記映画とは異なる。事情と空想を溶かした映像美が蠱惑的で、指先で触れれば絵の具が付きそうだ。劇中のシャーリイは、代表作『くじ』の後で、実際の少女失踪事件に刺激された『絞首人』を執筆しようとしている。それらは実在の小説だが、ジョセフィン・デッカー監督は、かつてワイズが映画化した「たたり」同様、女性心理に力点を置き、仮にシャーリイ(エリザベス・モスはそっくり)に詳しくなくとも引き込む力があると思う。
THE MOON
公開: 2024年7月5日-
俳優 小川あん
ウリ号? 韓国人宇宙飛行士で月面を歩いた人いたかな?と思ったら、近未来のSF映画だった! 韓国が宇宙開発競争に限らず、世界の映画産業に対しても切り札を差し出したような結構な力作。ドラマ展開に実直すぎる部分はあるけれど、主演ソル・ギョングの勢いで物語を引っ張っていく。ツッコミどころがたくさんあったが、楽しく鑑賞した。CGでイノシシの集団が突然現れるところとか、偉い上層部の人物に限ってオーバーアクティングしがちなこととか。エンタメ要素はやや韓国ドラマ寄り。
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翻訳者、映画批評 篠儀直子
映画内の人々が国の威信をかけて技術力の高さを証明しようとするのと同様、この作品自体もまた、韓国映画の技術力がいよいよ世界トップレベルにあることを証明する。複数の先行米国映画の影が序盤こそちらちらするが、手に汗握る展開を観るうち気にならなくなるはず。一方、もはやこれまでという局面を打開するのが、過去の因縁とディープな情念というのは韓国映画らしいところ。いつものように愛すべき小物感を爆発させるチョ・ハンチョルからいつも素晴らしいソル・ギョングまで、キャストも充実。
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編集者/東北芸術工科大学教授 菅付雅信
韓国初の月面有人探査というミッションを担い3人の宇宙飛行士が月へ旅立つが、太陽風の影響で2名の命が失われる。果たして残された1名は月面探査を行い、地球に帰還できるのか。韓国映画として最大級の超大作SFだが、構成は「ゼロ・グラビティ」×「オデッセイ」のまんま。そこに過剰なまでの愛国主義的な情感を盛り込み、かなりウエットな仕上がり。この制作費と技術力には素直に負けを認めるが、いかなる国の愛国主義映画も好まない私としては残念なプロパガンダ映画に思える。
スケジュールSCHEDULE
映画公開スケジュール
- 2024年9月13日 公開予定
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ぼくのお日さま
「僕はイエス様が嫌い」の奥山大史監督による長編第2作にして商業映画デビュー作。雪の降る街を舞台に、吃音をもつホッケーが苦手な少年タクヤと、フュギュアスケートを学ぶ少女さくら、さくらのコーチ荒川の3人の視点から紡がれる、淡くて切ない小さな恋の物語。出演はTV『天狗の台所』の越山敬達、本作が演技デビューとなる中西希亜良、「シン・仮面ライダー」の池松壮亮。第77回カンヌ国際映画祭オフィシャルセレクション「ある視点」部門正式出品。 -
シサム
寛一郎主演で、江戸時代前期の北海道を舞台に贈る時代劇。アイヌとの交易品を主な収入源とする松前藩藩士の息子・孝二郎は、使用人の善助に殺された兄・栄之助の敵討ちを誓い、善助を追って蝦夷地へ。その頃、蝦夷地では和人への反発の動きが強まっていた。共演は「Winny」の三浦貴大、「レジェンド&バタフライ」の和田正人。「世界は今日から君のもの」の尾崎将也が脚本を手掛け、「劇場版タイムスクープハンター 安土城 最後の1日」の中尾浩之が監督を務めた。 -
スオミの話をしよう
三谷幸喜が「記憶にございません!」依頼5年ぶりに脚本・監督を務め、長澤まさみを主演に迎えたミステリー・コメディ。大富豪の妻・スオミが行方不明になる。彼女を愛した男たちが屋敷に集まるが、彼らが語る思い出の中のスオミは別人のようだった。出演は、「ドライブ・マイ・カー」の西島秀俊、「流浪の月」の松坂桃李、「首」の遠藤憲一、「記憶にございません!」の小林隆、「審判」の坂東彌十郎。
TV放映スケジュール(映画)
- 2024年9月13日放送
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13:40〜15:40 テレビ東京
ザ・マミー/呪われた砂漠の王女
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20:00〜22:00 BS12 トゥエルビ
ポリス・ストーリー 香港国際警察
- 2024年9月18日放送
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13:00〜15:00 NHK BSプレミアム
博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか
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13:40〜15:40 テレビ東京
ラストキング・オブ・スコットランド
- 2024年9月19日放送
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13:00〜15:00 NHK BSプレミアム
浮雲(1955)