【訃報】映画業界 2020年7月~

  • 2020年07月22日

映画界に多大なる貢献を頂きました皆様のご冥福をお祈りいたします。

河原崎次郎氏(かわらざき・じろう/本名=河原崎労作/俳優)

7月、心不全のため死去。79歳。前進座創設者の河原崎長十郎の次男。「どっこい生きてる」51で映画デビューし、「蟹工船」53、「ともしび」53など子役として活動。法政大学経済学部卒業後、俳優座養成所に15期生として入り、66年に俳優座入り。舞台で活躍する傍ら、「讃歌」72、「二百三高地」80、「鉄眼」81、「ボクの女に手を出すな」86、「濹東綺譚」92などや、『水戸黄門』69‐11、『八代将軍吉宗』95などTVドラマにも出演した。

大下武夫氏(おおした・たけお/映画看板絵師)

7月に死去。78歳。50年代末より青森県三沢市で始動し、茨城県水戸市に移住。水戸東映の専属絵師を経て68年に独立し、最盛期に11館あった市内すべての映画館の看板を手掛けるなど活躍。08年の水戸テアトル西友閉館後は、「桜田門外ノ変」10、「ローリング」15など水戸市で撮影された作品を不定期に手掛ける傍ら、国内外のスターの肖像画などを描き続け、17年に同市で個展『スクリーンの仲間たち』も開催された。

ジェフリー・サシーノ氏(米/ヘアスタイリスト)

7月1日、心臓発作のため死去。72歳。“Lucy & Desi: Before the Laughter”91でエミー賞候補となったほか、「タイ・カップ」95、「真実の行方」96、「ポロック 2人だけのアトリエ」00、「愛についてのキンゼイ・レポート」04、「エミリー・ローズ」05、「お家をさがそう」09などや、『アリー・myラブ』97‐02、『テイルズ・オブ・ザ・シティ2』98、『ザ・ホワイトハウス』99‐06などTVドラマや、舞台でも活躍した。

ビリー・タン氏(香/映画監督)

7月1日に死去。69歳。70年代末より亜州電影で助監督として始動し、80年代より人気TVシリーズの演出なども手掛ける。「ドラゴンファイト」89、「欲望の街・純愛篇/紅い疾風」96、「ミッドナイト・エキスプレス」98など映画監督としても活躍した。

青野暉氏(あおの・あきら/TV映画監督)

7月2日、胆嚢がんのため死去。89歳。早稲田大学文学部卒業後、54年に新東宝入りし、石井輝男監督らに就く。61年の同社倒産後は国際放映に映り、『いまに見ておれ』64で監督デビュー。青島幸男主演の『意地悪ばあさん』67‐69では80年代のスペシャル版でも演出・脚本を手掛けたほか、『おくさまは18歳』70‐71、『ママはライバル』72‐73などTVドラマや、PR映画の監督も務めた。

ロナルド・L・シュワリー氏(米/映画プロデューサー)

7月2日に死去。76歳。南カリフォルニア大学卒業後、「セイブ・ザ・タイガー」73、「ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー」74などの助監督を経てプロデューサーに転身し、初映画「普通の人々」80でアカデミー賞作品賞を受賞。以降も、「スクープ・悪意の不在」81、「トッツィー」82(アカデミー賞作品賞候補)、「ランダム・ハーツ」99などシドニー・ポラック監督作品のほか、アカデミー賞作品賞候補となった「ソルジャー・ストーリー」84、「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」92や、「ニューヨーク東八番街の奇跡」87、「ジョー・ブラックをよろしく」98などを手掛けた。

ユン・サムユク氏(韓/映画監督、脚本家)

7月2日に死去。83歳。日本の統治時代より俳優や映画監督として活躍したユン・ボンチュンの長男。脚本家として「桑の葉」85、「アダダ」87、「将軍の息子」90などを手掛けたほか、監督としても「梨泰院の夜空にはアメリカの月が出るのか」91、大鐘賞映画祭脚本賞を受賞した「サロリラッタ」93、「剽窃」99などを手掛けた。

ケヴィン・ラファティ氏(米/ドキュメンタリー映画監督)

7月2日、がんのため死去。73歳。兄ピアースらと共同監督を務めた「アトミック・カフェ」82は、アーカイブ映像を多用しつつ風刺を利かせた革新性でBAFTA賞候補となるなど高評を得て、16年にアメリカ国立フィルム登録簿にも追加。マイケル・ムーアの監督デビュー作「ロジャー&ミー」89などでは撮影監督も務めたほか、アカデミー賞長篇ドキュメンタリー賞候補となった「クリントンを大統領にした男」93などでは製作に名を連ねた。ジョージ・W・ブッシュは従弟にあたる。

桑田二郎氏(くわた・じろう/漫画家)

7月2日に死去。85歳。中学生だった48年に『奇怪星團』でデビュー。57年より『少年画報』誌に連載された『まぼろし探偵』がヒットし、翌年に実写ドラマ化。58年のTVドラマ版放送開始の数か月後より『少年倶楽部』誌で連載がスタートした、『月光仮面』も人気を博す。63年より『週刊少年マガジン』誌に連載された『8マン』は、同年TVアニメーション化され一大ブームを引き起こし、その硬質で洗練された描線で多くの読者を魅了。『チャンピオンRED』誌に連載中の『8マンVSサイボーグ009』にも原作者として携わっていた。

サロージ・カーンさん(印/振付師)

7月3日、心不全のため死去。71歳。子役として始動後、ダンサーを経て振付師に転身。“Mr. India”87などシュリデヴィ、“Khal Nayak”93などマードゥリー・ディークシトの振り付けをはじめ、ナショナル・フィルム・アワードを受賞した「ミモラ 心のままに」99、アカデミー賞外国語賞候補となった「ラガーン」01、「DON ‐過去を消された男」06など300作品・2000曲以上の振り付けを担当し、ボリウッド映画界に長年にわたり貢献。近年はダンスのリアリティ番組の審査員なども務めた。

アール・キャメロン氏(英/俳優)

7月3日に死去。102歳。バミューダに生まれ、39年に渡英。舞台で始動し、映画デビュー作「波止場の弾痕」51では、白人女性と恋におちる船乗りにふんし、英国初の主要な役柄を演じるアフリカ系として注目を浴びる。その後も、ジェームズ・ボンドをサポートするバハマのエージェントを演じた「007/サンダーボール作戦」65のほか、「サファイア」59、「12月の熱い涙」72、「さらばキューバ」79、「ザ・インタープリター」05、「クィーン」06、遺作となった「インセプション」10や、『プリズナーNO.6』67‐68などTVドラマで活躍し、09年に大英帝国勲章コマンダーを授与された。

ニック・コルデロ氏(加/俳優)

7月5日、新型コロナウイルスの合併症のため死去。41歳。4月半ばに右脚を切断するなど長く治療を続け闘病していた。バンド活動を経てニューヨークに渡り、オフ・ブロードウェイで始動。12年に『ロック・オブ・エイジズ』でブロードウェイにデビューし、94年の映画をミュージカル化した『ブロードウェイと銃弾』のギャングの顔役チーチ役で14年にトニー賞候補に。16年には、06年の映画のミュージカル版『ウェイトレス』の主人公の夫役に続き、ブロードウェイ初演の『ブロンクス物語』の出演で翌年にドラマ・デスク・アワード候補となるなど、唄って踊れる舞台俳優として才能を発揮。『LAW & ORDER :性犯罪特捜班』99‐、『ブルーブラッド』10‐などTVドラマや、「ジーサンズ はじめての強盗」17などにも出演した。

ベティナ・ジロイスさん(米/脚本家)

7月5日、がんのため死去。58歳。ドイツのベルリン生まれ。コロンビア大学で学び、「アパッチ」90のアソシエイト・プロデューサーなどを経て、ノンクレジットで「ザ・ハリケーン」99などの脚本に参加。ブルース歌手ベッシー・スミスの生涯を描いたTV映画『BESSIE/ブルースの女王』15でエミー賞候補となるなど高評を得たほか、ヒューマニタス賞候補となった「グローリー・ロード」06、「マクファーランド 栄光への疾走」15なども手掛けた。

エンニオ・モリコーネ氏(伊/作曲家)

7月6日に死去。91歳。サンタ・チェチーリア音楽院で作曲と編曲を学び、トランぺッターとして始動後、60年代より映画音楽の作曲も手掛ける。8歳で出逢い20年以上を経て再会したセルジオ・レオーネ監督とは、「荒野の用心棒」64、「続・夕陽のガンマン」66など6作で組み、マカロニ・ウエスタン人気に音楽面で貢献。その後も国際的に活躍し、「天国の日々」78、「ミッション」86、「アンタッチャブル」87(グラミー賞受賞)、「バグジー」91、「マレーナ」00でアカデミー賞候補となり、07年に同賞名誉賞、彼の長年のファンだったクエンティン・タランティーノと組んだ「ヘイトフル・エイト」15で初のオスカーに輝く。他に、「アルジェの戦い」66、「ソドムの市」75、「1900年」76、「ニュー・シネマ・パラダイス」89(BAFTA賞受賞)、「ザ・シークレット・サービス」93、「海の上のピアニスト」98(ゴールデン・グローブ賞受賞)や、大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』03など。17年にイタリア共和国功労勲章、19年に旭日小綬章を授与された。

鈴木常吉氏(すずき・つねきち/ミュージシャン)

7月6日、食道がんのため死去。65歳。ロックバンド“セメント・ミキサーズ”のヴォーカリスト兼ギタリストとして始動。89年に『三宅裕司のいかすバンド天国』89‐90で3週勝ち抜き“7代目イカ天キング”として注目を浴び、90年にアルバム『笑う身体』でメジャーデビューするも、程なく解散。音曲集団“つれれこ社中”などを経て、初のソロアルバム『ぜいご』06に収録された〈思ひで〉が、TVドラマ『深夜食堂』09‐のオープニング曲に使用され話題となり、同作の劇場版にも多数の楽曲を提供。俳優としても、「オーバー・フェンス」16、「夜明け」18などに出演し、後者の広瀬奈々子監督の「つつんで、ひらいて」19のエンディング曲〈小石と靴下〉も手掛けた。

吉川進氏(よしかわ・すすむ/元東映プロデューサー)

7月10日、呼吸不全のため死去。84歳。58年に東映に入社し、東映テレビ部に配属。『日本侠客伝』68でTVドラマを初プロデュース。『人造人間ハカイダー』72‐73で特撮ものに初参加後、『秘密戦隊ゴレンジャー』75‐77など“スーパー戦隊”シリーズ、『宇宙刑事ギャバン』82‐83など“メタルヒーロー”シリーズの立ち上げや人気に寄与。『仮面ライダーBLACK』87‐88など“ライダー”シリーズも手掛け、「仮面ライダーZO」93、「仮面ライダーJ」94など劇場版の企画にも携わった。

ガイ・トーマス氏(米/脚本家)

7月10日、心臓発作のため死去。66歳。22歳で最初の脚本“Jungle Boy”が売れ、コロンビア・ピクチャーズに“Carter Country”77‐79のスタッフライターとして雇われる。「ダドリー・ムーアのモーゼの気分で」80、「最高の人生のはじめ方」12なども手掛けた。

ケリー・プレストンさん(米/女優)

7月12日、乳がんのため死去。57歳。南カリフォルニア大学などで学ぶ。「デス・ポイント/非情の罠」86、「ツインズ」88、「ザ・エージェント」96、「ラブ・オブ・ザ・ゲーム」99、「ハッピー・フライト」03、「ロビイストの陰謀」10などや、『ミディアム 霊能者アリソン・デュボア』05‐11、『CSI: サイバー』15‐16などTVドラマで活躍。私生活では、俳優ケヴィン・ゲイジと離婚後、91年にジョン・トラヴォルタと再婚し、「バトルフィールド・アース」00などで共演した。

ナヤ・リヴェラさん(米/女優、歌手)

7月13日に遺体で発見された。33歳。4歳の息子をボートに残し行方不明になっていた。子役としてCM出演などを経て、エディ・マーフィー製作の“The Royal Family”91‐92で本格的にデビュー。『glee/グリー』09‐15のレズビアンのチアリーダー・サンタナ役で幅広い層に支持され、10年にSAG賞を受賞するなど脚光を浴びる。その後は、歌手としても活躍した。

グラント・イマムラ氏(米/エンジニア)

7月13日、脳動脈瘤のため死去。49歳。日系アメリカ人として生まれ、南カリフォルニア大学で電子工学を学ぶ。卒業後はルーカスフィルムのTHXやILMで「スター・ウォーズ」新三部作、「マトリックス」シリーズや、「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」97、「ギャラクシー・クエスト」99、「A.I.」01などに携わる。アメリカの都市伝説などを科学的に検証するTVシリーズ『怪しい伝説』03‐18では検証のためのロボットや特殊装置を制作するなど、05~14年までレギュラー出演し人気を博した。

ガリン・ゴルグさん(米/女優、ダンサー)

7月14日、肺がんのため死去。55歳。ロサンゼルスに生まれハワイで育つ。多彩なジャンルのダンスを学びダンサーとして始動し、イタリアのバラエティ番組や、ZZトップの〈Sharp Dressed Man〉のMVなどに出演。「ロボコップ2」90、「ハートブルー」91、「ストーリービル/秘められた街」92などや、『ツイン・ピークス』90‐91、『LOST』04‐10などTVドラマでも活躍した。

ロヤナ・ブラックさん(米/女優)

7月14日、白血病のため死去。47歳。83年に『思い出のブライトン・ビーチ』のブロードウェイ公演でデビュー。“Raising Miranda”88ではタイトルロールであるシングルファーザーの娘役を演じたほか、『コスビー・ショー』84‐92、『ミディアム 霊能者アリソン・デュボア』84‐92などTVドラマに出演した。

モーリス・ローヴス氏(英/俳優)

7月15日に死去。83歳。舞台で始動し、「ユリシーズ」67、「勝利への脱出」80、「ラスト・オブ・モヒカン」92、「マクベス」15などや、『ドクター・フー』63‐89、『ベイウォッチ』89‐01、『ジェシカおばさんの事件簿』84‐96などTVドラマに出演した。

森崎東氏(もりさき・あずま/映画監督)

7月16日、脳梗塞のため死去。92歳。京都大学法学部卒業後、56年に松竹京都撮影所入り。大船撮影所に移籍後は野村芳太郎山田洋次の助監督を務め、シリーズ第1作「男はつらいよ」69など山田作品の脚本にも参加し、69年に「喜劇 女は度胸」で監督デビュー。シリーズ第3作にして異色作「男はつらいよ フーテンの寅」70を経て、「喜劇 女は男のふるさとョ」71に始まる“女”シリーズでは、夜の女たちの喜怒哀楽やバイタリティーを活写。75年よりフリーとなり、「黒木太郎の愛と冒険」77発表後久々の新作となる「時代屋の女房」83がヒットし、「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」85も、したたかに生きる個性溢れる人々の群像劇として高評を得る。その後も、「塀の中の懲りない面々」87、「釣りバカ日誌スペシャル」94、「ラブ・レター」98など話題作を手掛け、様々な社会問題をシニカルなユーモアとともに炙り出す「ニワトリはハダシだ」04で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。故郷・長崎を舞台に認知症の母と息子との日々を軽妙に綴る「ペコロスの母に会いに行く」13で本誌ベスト・テン第1位に輝き遺作となった。『天皇の料理番』80‐81、『地方記者・立花陽介』シリーズ93‐03などTVドラマの演出も手掛けた。

フィリス・サマーヴィルさん(米/女優)

7月16日に死去。76歳。74年にブロードウェイにデビューするなど舞台で始動し、アーロン・ソーキンが脚本を手掛けた、18年の「アラバマ物語」62のブロードウェイ版にも出演。「救命士」99、「リトル・チルドレン」06、「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」08、「イノセント・ガーデン」13などや、『キャシーのbig C いま私にできること』10‐13、『ブラックリスト』13‐などTVドラマでも活躍した。

ジョナサン・オッペンハイム氏(米/ドキュメンタリー映画編集者)

7月17日、脳腫瘍のため死去。67歳。母は女優ジュディ・ホリデイ。画家を経て、「ミスター・アーサー」81など劇映画の編集アシスタントを務める。16年にアメリカ国立フィルム登録簿に加わったLGBTQ映画の金字塔「パリ、夜は眠らない」90のほか、アカデミー賞候補となった“Children Underground”01、サンダンス映画祭など多数受賞した“The Oath”10など、優れたドキュメンタリーに編集分野で貢献した。

ジジ・ジャンメールさん(仏/バレエダンサー)

7月17日に死去。96歳。9歳で、パリ・オペラ座バレエ学校にてローラン・プティとクラスメイトとなる。パリ・オペラ座バレエ団を退団後、プティが結成した“バレエ・ド・パリ”に加わり、彼が振り付けを手掛けた49年の『カルメン』ロンドン公演に主演。ブロードウェイやアメリカ公演でも注目を浴び、「アンデルセン物語」52、「夜は夜もすがら」「巴里の不夜城」56、「ブラック・タイツ」60などに出演したほか、著名な歌手や作詞家が曲を提供するなど歌手としても活躍。私生活では、プティと54年に結婚し、11年に彼が亡くなるまで添い遂げた。

三浦春馬氏(みうら・はるま/俳優)

7月18日に死去。30歳。朝の連続テレビ小説『あぐり』97で子役デビュー。「森の学校」02で映画初主演後、『14才の母』06のヒロインを妊娠させてしまう恋人役で注目され、大ヒット作「恋空」07で日本アカデミー賞新人俳優賞、「奈緒子」08で毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞を受賞。「クローズZEROⅡ」09、「君に届け」10、「東京公園」11、五代友厚を熱演し死去後に公開された「天外者」20や、『ブラッディ・マンデイ』08、『僕のいた時間』14、『わたしを離さないで』16、主題歌を唄い歌手デビューも果たした『TWO WEEKS』19などTVでも着実にキャリアを重ねる。09年以降は舞台にも活躍の場を広げ、16年にはブロードウェイミュージカルの日本版『キンキーブーツ』にドラァグ・クイーン役で主演し、読売演劇大賞優秀男優賞を受賞。「幻影師アイゼンハイム」06として映画化された原作をミュージカル化し、20年12月の世界初演を予定していた『The Illusionist ‐イリュージョニスト』の主演も控えるなど、さらなる活躍が期待されていた。

ソニア・ダリンさん(米/女優)

7月19日に死去。96歳。ダンスを学んでいた縁で、「コルシカの兄弟」41に出演。「三つ数えろ」46ではオーディションでハンフリー・ボガートのガールフレンド役に選ばれる。50年に女優を引退後は、モデルとしても活動した。

アニー・ロスさん(米/ジャズ歌手、女優)

7月21日に死去。89歳。英国に生まれ4歳で渡米し、幼少より歌手や女優として活動。ワーデル・グレイ作曲の50年の楽曲に自ら作詞した〈Twisted〉52がヒットし、「地球は女で回ってる」97のオープニングなどに使用されたほか、ベット・ミドラージョニ・ミッチェルらによってカヴァー。57年にデイヴ・ランバートとジョン・ヘンドリックスとジャズトリオ“ランバート、ヘンドリックス&ロス”を結成し、61年のアルバム『High Flying』でグラミー賞を受賞。62年に解散後も長年にわたり活躍し、10年に全米芸術基金よりジャズ・マスター賞を授与。女優としても、「スーパーマンⅢ/電子の要塞」83、「鬼ママを殺せ」87、「バスケットケース2」90などに出演し、ジャズ歌手にふんした「ショート・カッツ」93で共演者とともにヴェネチア国際映画祭で特別ヴォルピ杯を獲得した。

山本寛斎氏(やまもと・かんさい/ファッションデザイナー)

7月21日、急性骨髄性白血病のため死去。76歳。日本大学英文科を中退後、コシノジュンコらに師事し、67年に装苑賞を受賞。71年に独立し、日本人初となるロンドンでのファッションショー開催を皮切りに、パリコレなどの参加や世界各地に自身のブティックを展開。既成概念に縛られないデザインで注目され、デイヴィッド・ボウイのステージ衣装も手掛けるなど精力的に活動。90年代以降は、音楽や舞台と融合させたパフォーミング・アート『KANSAI SUPER SHOW』を世界中で開催するなどイベントプロデューサーとしても活動。俳優としても「青の炎」03で特異な存在感を発揮した。

弘田三枝子さん(ひろた・みえこ/本名=竹永三枝子/歌手)

7月21日、心不全のため死去。73歳。小学生の頃より米軍キャンプで唄い始め、61年に〈子供ぢゃないの〉でデビュー。実年齢らしからぬ歌唱力で注目を集め、〈ヴァケーション〉62、〈悲しきハート〉63、〈砂に消えた涙〉64などカヴァーポップスで次々とヒットを飛ばし、65年には日本人で初めて米国の“ニューポート・ジャズ・フェスティバル”に出演。69年にはスリムに変貌し〈人形の家〉をヒットさせ、日本レコード大賞歌唱賞を受賞。その爆発力溢れる歌唱は多くの後進に影響を与えた。TVアニメーション『ジャングル大帝』65‐66のエンディング曲〈レオのうた〉、「ドーベルマン刑事」77の挿入歌なども歌い、女優として「魚河岸の旋風娘」「女弥次喜多 タッチ旅行」63、「華やかな女豹」69、「喜劇 開運旅行」72などにも出演した。

ジャクリーン・スコットさん(米/女優)

7月23日、肺がんのため死去。89歳。幼少よりタップダンスを学び、舞台で始動。「ガンファイターの最後」69、「突破口!」73、「テレフォン」77などドン・シーゲル監督作品のほか、「激突!」71、「巨大蟻の帝国」77や、主人公の妹にふんした『逃亡者』63‐67、『鬼警部アイアンサイド』67‐75、『コールドケース』03‐10などTVドラマにも出演した。

セルジオ・ヒカルド氏(ブラジル/作曲家、映画監督)

7月23日に死去。88歳。ピアニストとして始動し、ボサノヴァ・ブーム牽引に一役買う。映画監督としても、初の短篇“Menino da Pant Branca”62が高評を得て、“A Noite do Espantalho”74は数々の映画祭で上映され、アカデミー賞外国語映画賞ブラジル代表にも選出。「黒い髪と白い悪魔」64、ナレーションも務めた「狂乱の大地」67などグラウベル・ローシャ監督作品の作曲も手掛けるなど、多彩に活躍した。

漆戸靖治氏(うるしど・せいじ/映画プロデューサー)

7月23日、腎不全のため死去。87歳。東京大学文学部卒業後、57年に日本テレビに入社し、97年に代表取締役副社長、98年にBS日本社長に就任。「わが愛の譜 滝廉太郎物語」93、「四十七人の刺客」94、「Shall we ダンス?」96、「卓球温泉」98などの製作も手掛けた。

レジス・フィルビン氏(米/TV司会者)

7月24日に死去。88歳。50年代半ばより始動。88年よりキャシー・リー・ギフォードをパートナーに放送開始した“Live with Regis and Kathie Lee”の司会で人気を博し、01年にデイタイム・エミー賞を受賞。01年よりケリー・リパ共演に代わってからも、11、12年に同賞を受賞。日本版は『クイズ$ミリオネア』として人気を博したクイズ番組“Who Wants to Be a Millionaire”99‐20の司会も02年まで務め、“Is that your final Answer?”の決め台詞は流行語に。公開オーディション番組『アメリカズ・ゴット・タレント』06‐の第1シーズンの司会も務めた。03年にハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムに加わり、04年にアメリカでのTV出演最長時間でギネス世界記録に。「ナイト・アンド・ザ・シティ」92、「リトル・ニッキー」00や、『ダメージ』07-12、『アグリー・ベティ』06-10などTVドラマに本人役で出演し、「シュレック3」07などでは声優も務めた。

ジョン・サクソン氏(米/俳優)

7月25日、肺炎のため死去。83歳。高校在学中にモデルとして始動後、ロック・ハドソンらを見出したエージェントの目に留まり俳優に。「年頃ですモノ!」58でゴールデン・グローブ賞有望若手男優賞を受賞し、マーロン・ブランドの敵役にふんした「シェラマドレの決斗」66で同賞助演男優賞候補に。その後も、「燃えよドラゴン」73の武術家ローパー、「エルム街の悪夢」84のヒロインの警部補の父親役など、個性派として活躍。他に、「特攻サンダーボルト作戦」77、「宇宙の7人」80、「フロム・ダスク・ティル・ドーン」95や、『メルローズ・プレイス』92‐99、『CSI: 科学捜査班』00‐15などTVドラマにも出演した。

オリヴィア・デ・ハヴィランドさん(米/女優)

7月26日に死去。104歳。英国人の父の仕事の関係で東京に生まれる。程なく渡米し、10代より舞台で始動。前年の舞台版から続投した「真夏の夜の夢」35で映画デビューし、ワーナー・ブラザース社と契約。「海賊ブラッド」35、「ロビンフッドの冒険」38などでエロール・フリンの相手役を務め、「風と共に去りぬ」39のメラニー役でアカデミー賞助演女優賞候補に。41年に“Hold Back the Down”で同賞主演女優賞候補となるも、不仲で知られた妹ジョーン・フォンテインが「断崖」で受賞。その後、「遥かなる我が子」46と「女相続人」49で受賞。精神病をリアルに描く最初の作品のひとつとされる「蛇の穴」48もヴェネチア国際映画祭女優賞ほか多数受賞するなど、実力派女優として活躍。その間、43年にワーナー社を相手に、出演拒否に対する契約期間延長処置への訴訟を起こして勝利し、俳優らの自由や権利の拡大に貢献。08年に米国芸術勲章、10年にフランスのレジオンドヌール勲章シュヴァリエ、17年に大英帝国勲章デイムを授与され、国際的に賞賛された。

ジャンリコ・テデスキ氏(伊/俳優)

7月27日に死去。100歳。舞台で始動。「」59、「戦場を駆ける女」61、「イタリア式愛のテクニック」66、「ローマに消えた男」13などや、TVにも多数出演した。

イ・サンオクさん(韓/女優)

7月28日、膵臓がんのため死去。46歳。「ソウォン/願い」13、「新感染 ファイナル・エクスプレス」「隠された時間」16などに出演した。

旭堂南陵氏(きょくどう・なんりょう/本名=西野康雄/講談師)

7月30日、膵臓がんのため死去。70歳。68年に三代目旭堂南陵に入門し、06年に四代目南陵を襲名。埋もれた講談の速記本を収集するなど古典の研究や復活などに尽力し、12年に文化庁芸術祭賞大賞、19年に旭日中綬章を受ける。『やんちゃくれ』98‐99、『あさが来た』15‐16などTVドラマにも出演した。

アラン・パーカー氏(英/映画監督)

7月31日に死去。76歳。コピーライターとして広告業界で始動後、「小さな恋のメロディ」71の原作・脚本に携わり映画界に進出。大人の役を子どもに演じさせた「ダウンタウン物語」76で劇場用監督デビューし、BAFTA賞監督賞候補となり、同賞脚本賞を受賞。麻薬密輸でトルコに収監された米国人の衝撃の実話に基づく「ミッドナイト・エクスプレス」78、公民権運動家失踪事件を追う2人のFBI捜査官を描く「ミシシッピー・バーニング」88でアカデミー賞監督賞候補となったほか、「フェーム」80(BAFTA賞監督賞候補)、大ヒットアルバムがモチーフの「ピンク・フロイド/ザ・ウォール」82、「バーディ」84(カンヌ国際映画祭特別グランプリ)、「ザ・コミットメンツ」91(BAFTA賞監督賞&作品賞)、「エビータ」96(ゴールデン・グローブ賞監督賞候補)など、娯楽性と芸術性を併せもつ多彩な作品で活躍するも、死刑制度に一石を投じる「ライフ・オブ・デビッド・ゲイル」03を最後に絵画制作へと移行。95年に大英帝国勲章コマンダー、02年にナイトの爵位、13年にBAFTA賞アカデミー友愛賞を授与された。

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