【訃報】映画業界 2020年9月~
- 2020年09月01日
映画界に多大なる貢献を頂きました皆様のご冥福をお祈りいたします。
ボリス・クリューエフ氏(露/俳優)
9月1日、がんのため死去。76歳。劇場公開もされたロシア版『シャーロック・ホームズ』シリーズ80‐86のホームズの兄マイクロフト役、米国の人気ドラマ『Hey!レイモンド』96‐05のロシア版リメイク“Voroniny”09‐16の主人公の父親役や、「おろし屋国酔夢譚」92、「ステルスX」07など数々の作品で活躍し、02年にロシア人民芸術家に選出された。
スー・ニコルズさん(米/アニメーター)
9月1日、がんのため死去。55歳。カリフォルニア芸術大学を卒業し、TVアニメーション『マペット・ベイビーズ』84‐20などに携わった後、「アラジン」92に参加し、敵役ジャファーの初期デザインなどを担当。プロダクション・デザインで大いに貢献した「ヘラクレス」97、「プリンセスと魔法のキス」09のヒロインが唄う劇中歌〈Almost There〉のシークエンスを担当したほか、「ノートルダムの鐘」96、「ムーラン」98、「モアナと伝説の海」16などのディズニー作品に携わった。
ビロル・ユーネル氏(トルコ/俳優)
9月3日、がんのため死去。59歳。トルコに生まれ、68年にドイツに家族で移住。ハノーウァー音楽演劇大学で学び、80年代より舞台で始動。「太陽に恋して」00に続きファティ・アキン監督と組んだ「愛より強く」04では、偽装結婚するトルコ系ドイツ人役で主演を務め世界的に注目を浴び、アキン監督の「ソウル・キッチン」09にも出演。他に、「スターリングラード」01、「眠れる美女」05、「トランシルヴァニア」06、「スリープレス・ナイト」11など。
アニー・コルディさん(ベルギー/俳優、歌手)
9月4日に死去。92歳。50年にパリに移り、52年に始動。数々のミュージカルや舞台のほか、「雨の訪問者」70、「マダムと奇人と殺人と」04、「DISCO ディスコ」08、「風にそよぐ草」09、主演を務めた「愛しき人生のつくりかた」15や、「ポカホンタス」95の柳の木のおばあさんのフランス語版の吹き替えを担当。歌手としても、ディズニー製作の「デイビー・クロケット/鹿皮服の男」55の主題歌〈デビー・クロケットの唄〉のフランス語カヴァーが56年にフランスで5週連続1位となりヒットするなど長年にわたり活躍し、04年にベルギーの当時の国王アルベール2世より女男爵位を、13年に王冠勲章を授与された。
イジー・メンツェル氏(チェコ/映画監督)
9月5日に死去。82歳。名門のチェコ国立芸術アカデミー(FAMU)を卒業後、ヴェラ・ヒティロヴァの助監督や短篇制作、俳優を経て、第二次大戦中のドイツ支配下のチェコスロヴァキアが舞台の「厳重に監視された列車」66で長篇監督デビュー。ボフミル・フラバル原作の同作でアカデミー賞最優秀外国語映画賞に輝き、ミロシュ・フォアマンやヒティロヴァらと60年代の“チェコ・ヌーヴェルヴァーグ”の一翼を担い注目を集める。68年のソ連侵攻後も母国に留まるも、同じくフラバル原作の「つながれたヒバリ」69は共産主義体制崩壊後の90年まで国内での上映を禁じられ、同年のベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した。他に、アカデミー賞外国語映画賞候補となった「スイート・スイート・ビレッジ」85、オムニバス作「10ミニッツ・オールダー イデアの森」02、フラバル原作の「英国王 給仕人に乾杯!」06(ベルリン国際映画祭・国際映画批評家連盟賞)などを手掛けたほか、俳優としても「放蕩息子の帰郷」66、「りんごゲーム」76など多数出演。89年にフランス芸術文化勲章オフィシエ、03年にカルロヴィヴァリ国際映画祭特別賞、13年にトロント国際映画祭生涯功労賞を受けるなど、世界的に賞賛された。
譚炳文氏(香/俳優)
9月5日、肺がんのため死去。86歳。50年代よりヴォイスオーヴァーの仕事を数多くこなし、「ゴッドファーザー」72のマーロン・ブランドや、『チャーリーズ・エンジェル』76‐81の姿を見せない所長チャーリー・タウンゼント役の吹き替えも担当。俳優としても、「エレクション」05、「エグザイル/絆」06、「奪命金」11などジョニー・トー監督作品や、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナV/天地撃攘」94、「桃さんのしあわせ」11、「ワイルド・シティ」15や数々のTVドラマで活躍し、14年に香港最大手のTV局・無線電視主催のTVBアニバーサリーアワードより生涯功労賞を授与された。
ケヴィン・ドブソン氏(米/俳優)
9月6日、心臓発作のため死去。77歳。鉄道の車掌やバーテンダーなどを経て俳優に。『刑事コジャック』73‐78の主人公とタッグを組むボビー・クロッカー刑事役にオーディションで選ばれ人気を博す。その後も、“Knots Landing”79‐93でミシェル・リーの恋人から夫になる刑事役で82年よりレギュラー出演したほか、「ミッドウェイ」76、「恋のドラッグストア・ナイト」81、「1408号室」07や、『CSI:科学捜査班』00‐15、『コールドケース』03‐10などTVドラマに出演した。
ロナルド・ハーウッド氏(英/劇作家、脚本家)
9月8日に死去。85歳。南アフリカのケープタウンに生まれ、演劇を志しロンドンに渡る。王立演劇学校で学び、舞台で始動。劇団の主宰者ドナルド・ウォルフィットの付き人を務めた実体験に基づく戯曲『ドレッサー』は、80年にロンドンのウエストエンドで初演の後にブロードウェイでも公演され、自ら脚色した83年の映画版はアカデミー賞で作品賞・脚色賞を含む5部門で候補に。「戦場のピアニスト」02でアカデミー賞脚色賞、「潜水服は蝶の夢を見る」07でBAFTA賞脚色賞を受賞したほか、「小さな目撃者」70、「暁の7人」75、「明日にむかって…」94(BAFTA賞候補)、「華麗なる恋の舞台で」04、「オリバー・ツイスト」05、「コレラの時代の愛」07、99年の自身の戯曲を脚色した「カルテット! 人生のオペラハウス」12などを手掛け、96年にフランス芸術文化勲章シュヴァリエ、99年に大英帝国勲章コマンダー、10年にナイト爵位を授与された。
トニー・タナー氏(英/俳優、舞台演出家)
9月8日、がんのため死去。88歳。舞台で俳優や演出家として活躍し、81年に『蜜の味』の演出でトニー賞最優秀リバイバル賞候補、82年に『ヨセフ・アンド・ザ・アメージング・テクニカラー・ドリームコート』で同賞の演出と振付け部門で候補に。61年初演のミュージカルの映画化“Stop the World-I Want to Get Off”66で主演を務めたほか、「ロビン・フッド/キング・オブ・タイツ」93や、アダム・ウェストら60年代のTVシリーズのキャストが多数出演したTV映画『バットマン&ロビン 生涯現役宣言!』03などにも出演した。
スティーヴィー・リー氏(米/プロレスラー、俳優)
9月9日、心臓発作のため死去。54歳。“Puppet the Psycho Dwarf”のリングネームでプロレスラーとして活動。俳優としても、「夢を生きた男 ザ・ベーブ」92、「ジャッカス3D」10、「オズ はじまりの戦い」13や、『アメリカン・ホラー・ストーリー:怪奇劇場』14‐15などTVドラマに出演した。
ダイアナ・リグさん(英/俳優)
9月10日、がんのため死去。82歳。8歳までインドで育つ。王立演劇学校で学び、50年代よりモデルの傍ら数々の舞台に立つ。『おしゃれ㊙探偵』61‐69の3代目ヒロインのエマ・ピール役を65~68年まで務め人気を博し、67、68年にエミー賞候補となり、00年にはオナー・ブラックマンら歴代ヒロイン役の俳優とともにBAFTA賞特別賞を受賞。ジェームズ・ボンドの妻にふんした「女王陛下の007」69や、「ホスピタル」71(ゴールデン・グローブ賞候補)、「地中海殺人事件」82、「ハイジ」05、「ブレス しあわせの呼吸」17や、『検察側の証人』82、主演を務めた『ブラッドリー夫人の推理』98‐00などTVでも活躍し、ダンヴァース夫人にふんした『レベッカ』97でエミー賞を受賞。近年は『ゲーム・オブ・スローンズ』11‐19の“茨の女王”ことオレナ・タイレル役を13~17年まで務め幅広い世代に知られ、13、14、15、18年にエミー賞候補に。94年に『メディア』の主演でトニー賞を受賞するなど舞台でも活躍。94年に大英帝国勲章デイムを授与された。
成田尚哉氏(なりた・なおや/映画プロデューサー)
9月11日、肝臓がんのため死去。69歳。75年に慶應義塾大学美学美術史学修了後、日活に入社。「嗚呼!花の応援団」「天使のはらわた」「桃尻娘」などの人気シリーズを生み出したほか、「エロチックな関係」78、「濡れた週末」79、「赤い暴行」80、「ダブルベッド」83、「ラブホテル」85など数々のロマンポルノの名作の企画に携わる。その後も、先に日活から独立した岡田裕設立の制作集団“ニュー・センチュリー・プロデューサーズ”、中原俊監督らと立ち上げた制作会社“ボノボ”、自ら旗揚げした制作プロダクション“アルチンボルド”などで活動し、「1999年の夏休み」88、「櫻の園」90、「12人の優しい日本人」91、「ヌードの夜」93、「800 TWO LAP RUNNERS」94、「理髪店主のかなしみ」02、「月とチェリー」04、「海を感じる時」14、「さよなら歌舞伎町」15、「花芯」16など多彩な作品を手掛け、「空の瞳とカタツムリ」19が遺作となった。「メイド・イン・ヘブン ~ブルジョワ満子の優雅なお仕事~」07では監督も務めたほか、個展を開くなど美術家としても活動した。
アーニー・オルサッティ氏(米/スタントマン、俳優)
9月12日に死去。80歳。五輪も狙える有望な水泳選手やモデルを経て、68年に俳優デビュー。パメラ・スー・マーティンの恋人役で出演した「ポセイドン・アドベンチャー」72では、ガラスの天窓に32フィート落下する決死のスタントを自らこなす。以降、展望エレベーターの屋根にぶら下がった「タワーリング・インフェルノ」74のほか、「勝利への旅立ち」86、「ホット・ショット」91、「エイリアン4」97、「アメリカン・ヒストリーX」98、「ザ・ダイバー」00や、『プロファイラー/犯罪心理分析官』96‐00、『クローザー』05‐12、『アントラージュ★オレたちのハリウッド』04‐11などTVドラマで、俳優業の傍らスタントマンやスタント・コーディネーターとして活躍した。
バーバラ・ジェフォードさん(英/俳優)
9月12日に死去。90歳。49年に王立演劇学校を卒業し、舞台で始動。50年のピーター・ブルック演出の『尺には尺を』を皮切りにシェイクスピアのほぼ全作に出演し、65年に舞台への貢献によって大英帝国勲章オフィサーを史上最年少の35歳で授与。映画も、「ユリシーズ」67でBAFTA賞候補となったほか、「栄光の座」68、「そして船は行く」83、「セイント」97、「ナインスゲート」99、「あなたを抱きしめる日まで」13などに出演した。
芦名星さん(あしな・せい/本名=五十嵐彩/俳優)
9月14日に死去。36歳。スカウトを機にモデルとして始動し、TVドラマ『しあわせのシッポ』02でデビュー。『Stand Up!!』03、『仮面ライダー響鬼』05‐06などを経て、日本・カナダ・イタリアの合作「シルク」07で、訪日した既婚のフランス人男性を魅了する謎めくヒロイン役に抜擢され注目を浴びる。その後も、「たとえ世界が終わっても」07、「カムイ外伝」09、「七瀬ふたたび」10、「ハードロマンチッカー」11、「検察側の罪人」18、「AI崩壊」20や、16年より度々出演した『相棒』00‐、『ブラッディ・マンデイ』08,10、『猿ロック』09、『信長のシェフ』13,14、『ST 赤と白の捜査ファイル』14、『スペシャリスト』16、『W県警の悲劇』19、『テセウスの船』20など数々のTVドラマで、主から脇まで多彩な役柄で存在感を発揮した。
アル・カシャ氏(米/ソングライター)
9月14日に死去。83歳。22歳でコロンビア・レコードのプロデューサーに。ジョエル・ハーシュホーンとコンビを組み、「ポセイドン・アドベンチャー」72の主題歌〈The Morning After〉でアカデミー賞歌曲賞を受賞。当時無名だったモーリン・マクガバンの翌年のカヴァー版が大ヒットし、マクガバンが唄った「タワーリング・インフェルノ」74の主題歌〈We May Never Love Like This Again〉も同賞を受賞。「フリーキー・フライデー」76でゴールデン・グローブ賞歌曲賞候補、「ピートとドラゴン」77でもアカデミー賞音楽賞と歌曲賞候補に。“Copperfield”81、『掠奪された七人の花嫁』82でトニー賞候補となるなど舞台でも才能を発揮した。
オ・インヘさん(韓/俳優)
9月14日に死去。36歳。「赤いバカンス、黒いウェディング」11、「君に泳げ!」13、「設計」14や、『馬医』12などTVドラマに出演した。
ラリー・ローゼン氏(米/TVプロデューサー)
9月14日、膵臓がんのため死去。84歳。67年に“The Mike Douglas Show”61‐82でエミー賞候補となったほか、「ボブ&キャロル&テッド&アリス」69がモチーフの『陽気なカップル』73や、『人気家族パートリッジ』70‐74、『陽気な幽霊ジェニー』83‐84などのTVドラマを手掛けた。
エイリアン・ホアン氏(台/歌手、俳優)
9月16日、心血管疾患のため死去。36歳。18歳で芸能界入り。02年、人気バラエティ番組『いきなり!黄金伝説。』98‐16の企画で、ココリコの遠藤章造と芸能養成学校の同級生だったチェン・ボーリンとユニット“HC3(ハウチー3)”を結成し、〈我們是朋友〉でCDデビュー。その後も歌手や司会者として活躍したほか、「夢遊ハワイ」05、「陣頭」12、「角頭」15や、『東京ジュリエット』07、『最後はキミを好きになる!』11、『剰女保鏢』12などTVドラマに出演。イラストレーターやファッションデザイナーとしても活動した。
エンリケ・イラソキ氏(スペイン/俳優)
9月16日に死去。76歳。学生時代にイタリアを旅行中にピエル・パオロ・パゾリーニ監督に見出され、演技未経験ながら「奇跡の丘」64のイエス・キリスト役に抜擢。同作は、ヴェネチア国際映画祭審査員特別賞に輝いた。
斎藤洋介氏(さいとう・ようすけ/本名=斉藤洋介/俳優)
9月19日、がんのため死去。69歳。明治大学経済学部卒業後、79年に『男たちの旅路』シリーズ76‐82の『車輪の一歩』で車椅子の青年役でデビュー。映画も、大森一樹監督の「ヒポクラテスたち」80でデビュー以降、「トットチャンネル」87、「わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語」96、「ドリームスタジアム」97など大森監督作品のほか、「セーラー服と機関銃」81、「郷愁」88、「われに撃つ用意あり」90、「寝盗られ宗介」92、「眠らない街 新宿鮫」93、「スーパースキャンダル」96、「ハッシュ!」01、「半落ち」03、「純喫茶磯辺」08、「アントキノイノチ」11、「ひとよ」19など、独特の風貌で名バイプレイヤーとして個性を発揮。TVも、『人間・失格 ~たとえばぼくが死んだら』『家なき子』94のいじめ役のほか、『おしん』83‐84、『家裁の人』93、『女検事・霞夕子』シリーズ94‐05、『新・半七捕物帳』97、『ドラゴン桜』05など多数出演。『SMAP×SMAP』96‐16ではコントも披露するなど、多彩に活躍した。
守屋浩氏(もりや・ひろし/本名=守屋邦彦/歌手)
9月19日、前立腺がんのため死去。81歳。高校卒業後の57年、ウエスタンバンド“スウィング・ウエスト”のバンドボーイに。58年にリーダーの堀威夫にヴォーカルに起用され、初ステージにして大成功を収める。59年にソロデビューし、〈僕は泣いちっち〉59、〈有難や節〉60、〈大学かぞえうた〉62などヒット曲を連発。俳優としても、「檻の中の野郎たち」59、「素っ飛び小僧」60、「泣きとうござんす」61、「思い出の指輪」68や、『大学は花ざかり』60‐61、『青い太陽』68などTVドラマに出演。76年に引退後は、堀が60年に設立し自身も当初より在籍していた“堀プロダクション(現・ホリプロ)”の宣伝部長などを歴任し、数々のタレントを発掘。86年より歌手活動も再開していた。
藤木孝氏(ふじき・たかし/本名=松尾与士彦/俳優)
9月20日に死去。80歳。渡辺プロダクションと契約し、ロカビリー歌手として始動。高い歌唱力とダンスでツイスト・ブームを牽引するも、人気絶頂期に俳優に転身。文学座研究生を経て、劇団〈欅〉、劇団〈昴〉の結成に参加。86年に『ロッキー・ホラー・ショー』と『ブラック・コメディ』で菊田一夫演劇賞、03年に『ナイチンゲールではなく』で紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞したほか、近年も『薔薇とサムライ』10、『南へ』11、『100万回生きたねこ』13など話題の舞台で精力的に活躍。「涙を、獅子のたて髪に」62、「乾いた花」64、「シン・ゴジラ」16、「ばるぼら」20や、『夜明けの刑事』74‐77、『太平記』91、『新選組!』04、『やすらぎの郷』17などTVドラマにも出演した。
マイケル・チャップマン氏(米/映画撮影監督)
9月20日、鬱血性心不全のため死去。84歳。撮影監督だった義父の誘いで映画界入り。ゴードン・ウィリスに師事し「真夜中の青春」70、「ゴッドファーザー」72などに就き、「さらば冬のかもめ」73で撮影監督としてデビュー。マーティン・スコセッシ監督と「タクシードライバー」76、「ラスト・ワルツ」78で組み、「レイジング・ブル」80でアカデミー賞候補となり、スコセッシが演出したマイケル・ジャクソンの〈Bad〉87のショートフィルムの撮影も担当。「ハリソン・フォード 逃亡者」93でもオスカー候補となったほか、「SF/ボディ・スナッチャー」78、「ライジング・サン」93などフィリップ・カウフマン、「キンダガートン・コップ」90、「エボリューション」01などアイヴァン・ライトマン監督作品や、「ロストボーイ」87、「真実の行方」96、「ストーリー・オブ・ラブ」99、「テラビシアにかける橋」07などを手掛け、04年にアメリカ撮影監督協会賞の、16年にカメリマージュ国際映画祭の生涯功労賞を受賞。「トム・クルーズ/栄光の彼方に」83では監督デビューも果たした。
マイケル・ロンズデール氏(仏/俳優)
9月21日に死去。89歳。英国系フランス人としてパリに生まれる。56年に舞台で始動し、翌年に映画デビュー。殺し屋を追いつめる警視を好演した「ジャッカルの日」73でBAFTA賞候補、「007/ムーンレイカー」79の狂気の実業家役で国際的に注目を集めたほか、「審判」63、「日曜日には鼠を殺せ」64、「夜霧の恋人たち」68、「インディア・ソング」74、「パリの灯は遠く」76、「薔薇の名前」86、「日の名残り」93、「RONIN」98、「ミュンヘン」05、「楽園からの旅人」11、「家族の灯り」12など、多彩な作品で長年にわたり国際的に活躍。医師でもあるトラピスト修道院の修道士にふんした「神々と男たち」10ではセザール賞助演男優賞など数々の賞に輝いた。
ロン・コッグ氏(米/コンセプトデザイナー)
9月21日、レビー小体型認知症の合併症のため死去。83歳。高校卒業後、ディズニー社で「眠れる森の美女」59などのアニメーターとして始動。風刺漫画家として活動する傍ら、特殊効果で参加した「ダーク・スター」74を機に映画界にも進出。漫画作品のファンだったジョン・ミリウス監督の「コナン・ザ・グレート」82や、「スター・ファイター」84、「リバイアサン」89などでプロダクションデザイナーを務めたほか、「スター・ウォーズ」77の酒場のクリーチャー、「エイリアン」79のノストロモ号、「未知との遭遇」80のマザーシップ内部、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」85のデロリアンなどのデザインを担当。「エイリアン2」86、「アビス」89、「トータル・リコール」90、「トゥルー・ライズ」94などにも携わった。
ミヒャエル・グヴィスデク氏(独/俳優、映画監督)
9月22日に死去。78歳。東ドイツで俳優として始動。“Nachtgestalten”99でベルリン国際映画祭銀熊賞(最優秀男優賞)に輝いたほか、「グッバイ、レーニン!」03、「素粒子」06、「コーヒーをめぐる冒険」12(ドイツ映画賞助演男優賞)などや、数々のTVドラマで活躍。監督としても、当時の妻だったコリンナ・ハルフォーフも出演したデビュー作“Treffen in Travers”88が東ドイツ初のカンヌ国際映画祭(「ある視点」部門)で上映されるなど手腕を発揮した。
ジュリエット・グレコさん(仏/歌手、俳優)
9月23日に死去。93歳。黒ずくめの男性服に黒い長髪の個性的な風貌が著名な写真家の目に留まり、脚光を浴びる。50年代より本格的に歌手として活動し、親交のあったジャン・ポール・サルトルやアルベール・カミュらも詩を書き下ろしたほか、〈枯葉〉〈パリの空の下〉などのカヴァー曲もヒットし、グレコを愛聴する英国人女性が主人公の「17歳の肖像」09など数々の作品のサウンドトラックとして楽曲が使用される。俳優としても、「オルフェ」49、「陽はまた昇る」57、同名主題歌をダンスシーンで披露した「悲しみよこんにちは」58、「将軍たちの夜」66、主演したTVシリーズ『ベルフェゴールは誰だ!』65を下敷きにした「ルーブルの怪人」01などに出演。私生活では、マイルス・デイヴィスと長く親密な関係にあったほか、フィリップ・ルメールやミシェル・ピッコリと離婚後、ピアニストで作曲家のジェラール・ジュアネストと再婚した。
藤田敏雄氏(ふじた・としお/本名=藤田稔雄/劇作家、作詞家)
9月24日、心不全のため死去。92歳。宝塚歌劇団文芸部、劇団〈四季〉を経て、日本オリジナルの創作ミュージカルの草分けとして脚本、作詞や演出を手掛け、作曲家のいずみたくと組んだ『死神』『おれたちは天使じゃない』、米国でも上演された『歌麿』などの制作に従事。「狂った脱獄」59、「素晴らしき遺産」60、「若い野ばら」65の原案、雪村いづみ〈約束〉64、ザ・ブロードサイド・フォー〈若者たち〉66、岸洋子〈希望〉70などの作詞、『題名のない音楽会』64‐では放送開始より30年以上にわたり企画・構成を担当するなど、多彩に活躍した。
S・P・バーラスブラマニアム氏(印/プレイバックシンガー)
9月25日、新型コロナウイルスの合併症のため死去。74歳。エンジニアを志すも、大学在学中に歌のコンテストで優勝したのを機に60年代より始動し、テルグ語映画「シャンカラーバラナム」79で国際的に認知される。“SPB”の異名で南インドをはじめ後にボリウッドでも活躍し、かつてのバンド仲間だったイライヤラージャ作曲の「ダラパティ/踊るゴッドファーザー」91、「ヴィーラ~踊るONE MORE NIGHT!」94、A・R・ラフマーン作曲の「ムトゥ 踊るマハラジャ」95、「インディラ」96、「ロボット」10など膨大な作品で4万曲以上を吹き込み、“世界で最も多く映画の曲を唄った男性歌手”としてギネス世界記録にも認定。インド政府より01年にパドマ・シュリー勲章、11年にパドマ・ブーシャ勲章を授与された。
野崎健輔氏(のざき・けんすけ/記録映像作家)
9月25日、慢性肺疾患のため死去。88歳。50年代より新理研映画や中日映画社にてニュース映画の企画や取材を手掛け、「泥海の悲劇-伊勢湾台風の記録」60で監督デビュー。三和映画社創設後、75年よりフリー。「鬼すべ」83、「架ける」87、「映像評伝 朝永振一郎」95でキネマ旬報文化映画ベスト・ワン、「海底炭鉱に生きる」83で毎日映画コンクール教育文化映画賞を受賞するなど、綿密な取材と鋭い洞察による作品で高評を得た。他に、「海峡に架ける」80、「小さな牧場の物語」82、「サイエンスの証言」97、「映像評伝 湯川秀樹」01、「道もなき道ふみわけて-女性科学者の100年-」07など。
ゴラン・パスカリェーヴィチ氏(セルビア/映画監督)
9月25日、肺がんのため死去。73歳。チェコ国立芸術アカデミー(FAMU)で学ぶ。68年のソ連軍のプラハ侵攻でユーゴスラヴィアに帰国し、短篇やTVドキュメンタリーの制作を経て、長篇デビュー作“Cuvar plaze u zimskom periodu”76がベルリン国際映画祭でC.I.D.A.L.C.賞を受賞するなど高評を得る。その後も、カンヌ国際映画祭に出品された“Poseban tretman”80、ヴェネチア国際映画祭批評家連盟賞など多数受賞した“Bure baruta”98など国際的に評価され、ニューヨーク近代美術館や英国映画協会(BFI)にてレトロスペクティブを開催。08年にフランス芸術文化勲章オフィシエを授与された。
加藤幹郎氏(かとう・みきろう/映画批評家、京都大学名誉教授)
9月26日、消化管出血による出血性ショックのため死去。78歳。筑波大学卒業後、英文学者として始動し、86年にジェイムズ・ジョイス著『ユリシーズ』の研究論文で日本英文学会新人賞を受賞。87年に京都大学教養部助教授着任後、本格的に映画研究に移行。05年に日本映画学会の設立に携わり、初代学会長に就任した。主な著書に、吉田秀和賞を受賞した『映画とは何か』01や、『映画のメロドラマ的想像力』88、『鏡の迷路』93、『映画ジャンル論』96など。
竹内結子さん(たけうち・ゆうこ/俳優)
9月27日に死去。40歳。中学卒業後にスカウトされ、96年にTVドラマ『新・木曜の怪談 Cyborg』95‐97のヒロインの女子高生役でデビュー。「リング」98、「黄泉がえり」02、「いま、会いにゆきます」04、「春の雪」05や、ヒロインに抜擢された連続テレビ小説『あすか』99‐00、『白い影』01、『ランチの女王』02、『プライド』04、『不機嫌なジーン』05などTVでも順調にキャリアを重ね、「サイドカーに犬」07ではキネマ旬報ベスト・テン主演女優賞など多数受賞。その後も、「チーム・バチスタの栄光」08、「ゴールデンスランバー」09、「ステキな金縛り」10、「クリーピー 偽りの隣人」16、「コンフィデンスマンJP」「長いお別れ」19や、『ストロベリーナイト』シリーズ10⁻、『真田丸』16、『ミス・シャーロック/Miss Sherlock』18、『スキャンダル弁護士 QUEEN』19など数々のドラマで、人気実力派俳優として第一線で活躍した。
ケヴィン・バーンズ氏(TV・映画プロデューサー)
9月27日に死去。65歳。ボストン大学などで学び、バーブラ・ストライサンドにまつわる短篇“I Remember Barbra”81で学生アカデミー賞を受賞。20世紀フォックス・テレヴィジョン、フォックススター・プロダクションズを経て、99年に“Prometheus Entertainment”を設立。02年に“Biography”87‐でエミー賞、03年に“Hollywood Rocks the Movies : The 1970s”02でデイタイム・エミー賞を受賞したほか、60年代に放送されたオリジナル作のリブート版『ロスト・イン・スペース』18⁻19や「ポセイドン」06などの製作、『ストーリー・オブ・スーパーマン ~スーパーマンの全て~』06など数々のTVドキュメンタリーの演出も手掛けた。
富田耕生氏(とみた・こうせい/本名=富田耕吉/声優、俳優)
9月27日、脳卒中のため死去。84歳。劇団〈東芸〉で俳優として活動する傍ら、60年代より外国作品の吹き替えで声優として始動。69年に日本初の声優専門の芸能事務所“青二プロダクション”の創立に参加し、79年に“ぷろだくしょんバオバブ”を立ち上げ独立。『ドラえもん』73の初代ドラえもん、『ゲッターロボ』74‐75の早乙女博士、『海底超特急マリン・エクスプレス』79や「メトロポリス」01など数々の手塚治虫作品のヒゲオヤジ、『名探偵ホームズ』84‐85のワトソン、『平成天才バカボン』90のバカボンのパパや、『あっぱれさんま大先生』88‐96のマスコット“わしゃガエル”など数々の当たり役で長年にわたり活躍。「空飛ぶゆうれい船」69、「ながぐつ三銃士」72、「クレヨンしんちゃん ブリブリ王国の秘宝」94、「フランダースの犬」97、「河童のクゥと夏休み」07など、数々の劇場版アニメーション作品にも携わった。
ジーン・コーマン氏(米/映画プロデューサー)
9月28日に死去。93歳。MCAでエージェントとして始動し、ジョーン・クロフォード、レイ・ミランドらを担当。兄ロジャーの監督デビュー作の配給を経て、プロデューサーに。「侵入者」62、「ターゲット・ハリー」68、「レッド・バロン」71などロジャー監督作のほか、「魔の谷」59、「トブルク戦線」66、「フィスト」78、「最前線物語」80などを手掛け、イングリッド・バーグマンがイスラエル初の女性首相ゴルダ・メイアを演じ遺作となった“A Woman Called Golda”82でエミー賞を受賞するなど、TVでも活躍した。
ヘレン・レディさん(豪/歌手)
9月29日に死去。78歳。両親ともに役者でメルボルンに生まれ、歌唱コンテストの優勝を機に渡米。72年に、女性の地位向上を訴える運動に感化され作詞も共同で手掛けた〈I Am Woman〉が全米チャート第1位となり、翌73年に同曲で豪州人初のグラミー賞を受賞。〈Delta Dawn〉73、〈Angie Baby〉74も全米で首位をマークしたほか、俳優としても、「エアポート’75」74でゴールデン・グローブ賞新進女優賞候補、「ピートとドラゴン」77で披露した〈Candle on the Water〉でアカデミー賞歌曲賞候補に。自身の半生を描く伝記映画“I Am Woman”19も20年に米豪などで公開され、オーストラリア映画テレビ芸術アカデミー賞の9部門で候補となった。
マック・デイヴィス氏(米/シンガー・ソングライター、俳優)
9月29日、心臓手術の合併症のため死去。78歳。ナンシー・シナトラを介してエルヴィス・プレスリーと知己を得て、エルヴィス主演の「バギー万才!!」69の挿入歌〈A Little Less Conversation〉や、〈Memories〉68、〈In the Ghetto〉〈Don’t Cry Daddy〉69などのヒット曲を手掛ける。自身も、同名アルバムに収録された〈Baby, Don’t Get Hooked on Me〉72や、ドリー・パートンとデュエットした〈Wait ’Til I Get You Home〉89などがヒット。俳優としても、「ノース・ダラス40」79、「スティング2」83や、『新スーパーマン』93‐97、『ザット’70sショー』98‐06などTVドラマに出演した。
レツゴー正児氏(れつごー・しょうじ/本名=直井正三/レツゴー三匹メンバー)
9月29日、肺炎のため死去。80歳。68年に“レツゴー三匹”を結成し、70年にNHK上方漫才コンテスト優秀敢闘賞、71年に上方漫才大賞新人賞、73年に同賞大賞、79年に上方お笑い大賞金賞を受賞するなど、関西を代表するトリオ漫才師として活躍。俳優としても、「必殺!Ⅲ 裏か表か」86、「ドンを撃った男」99や、『銭形平次』66‐84、『ときめき時代』93、『あすか』99‐00、『書道教授』10などTVドラマで活躍した。
キノ氏(アルゼンチン/漫画家)
9月30日、脳出血のため死去。88歳。64年よりアルゼンチンの週刊誌で4コマ漫画『マファルダ』の連載開始。好奇心旺盛な6歳の少女マファルダの活躍を通して政治や社会をユーモアを交えて風刺する同作は、スペイン語圏を中心に人気を博し、英語や日本語など30以上の言語に翻訳。TVアニメーションや映画化もされ、日本でも『おませなマハルダ』78‐79として吹き替え版が放送。14年にフランス芸術文化勲章、スペインのアストゥリアス皇太子賞を授与された。