画家フェルナンド・ボテロの“ふっくら芸術”を紐解くドキュメンタリー、インタビュー映像解禁
- フェルナンド・ボテロ 豊満な人生 , フェルナンド・ボテロ
- 2022年04月08日
独自の画風を確立したコロンビアの巨匠フェルナンド・ボテロ。その波乱万丈な人生と、多幸感あふれる創作の秘密に迫るドキュメンタリー「フェルナンド・ボテロ 豊満な人生」が4月29日(金・祝)よりBunkamuraル・シネマほかで全国順次公開される。このたび本編より、ボテロ本人が“ボテリズム”誕生の瞬間を語るインタビュー映像が解禁された。
世界で最も有名な存命の芸術家、フェルナンド・ボテロ。人間も静物もなぜかふっくら膨らんだ、素朴でユーモアあふれる独創的作風が愛されている。90歳のマエストロは現在も毎朝アトリエに通い、多幸感あふれる作品を生み出している。
映画は幼い頃に父を失った貧しいボテロ少年が、闘牛士学校に通いながらスケッチ画を描いていたという原点から、対象物をぽってり誇張する“ボテリズム”に目覚め、『モナ・リザ、12歳』のMoMA展示で一躍注目を浴びてアート界の頂点へ辿り着くまでの軌跡を追いかける。一方でコロンビア出身という出自で差別され、ポップアートや抽象表現主義全盛期に具象画を描く頑なさを批判されたこと、愛息の死、利き手の一部喪失など、精神的にも肉体的にも作家生命が危ぶまれた衝撃の過去も明らかに。
なぜ“ボテリズム”なのか?
美術史を紐解くと、ルーベンスやルノワールといった巨匠たちが女性の美しさを強調するため、また自らの好みを反映させて豊満な女性を描いてきた。しかし、ボテロの作品は豊満というレベルをはるかに超え、人物にとどまらず動物や植物、静物すらも膨らみたっぷりに描いている。
その理由については多くのインタビューで質問されているが、ボテロ自身は明確な答えを出していない。しかし一貫して主張しているのは「決して太った女性を描こうとしているのではない」ということ。「描く対象の美しさや官能性を追求した結果、徐々に今の作風に辿り着いたのだ」と語っている。ではそうした作風は、いつ、どのように形成されたのか──。
マンドリン描写が転機に
ボテロが画家を目指そうと決意したのは10代半ば。闘牛士の養成学校に通っていたが、その訓練よりも牛の絵を描くことに夢中になり、初めて絵を売ったのも闘牛士の売店での委託販売で、売り上げはわずか2ペソだったという。その後は、地元商業誌のイラストレーターとして食いつなぎながら、画家への夢を追って資金を溜め、当時美術館のなかった故郷メデジンからヨーロッパへ留学した。最初に辿り着いたスペインではベラスケスやゴヤの作品から学び、パリでひと夏を過ごした後、イタリアでルネサンスの巨匠ピエロ・デラ・フランチェスカに惹かれてフィレンツェへ移住する。
ボテロが「ふくよかさ」に目覚めたのがこのフィレンツェで、イタリア・ルネサンス期の絵を見たり、大学で絵画理論を受講したのがきっかけとなった。そして決定打は自身による楽器のマンドリンのスケッチだ。その開口部を意識的に小さく描いたところ、マンドリンが膨れ上がり、爆発したような感覚を得たという。映画でボテロ自身が、その時の衝撃を表情豊かに語っている。作家人生のターニングポイントを知ることで、ボテロ作品から新たな発見を得るだろう。
フェルナンド・ボテロ(Fernando Botero Angulo, 1932年4月19日−)
コロンビア生まれの画家で彫刻家。商人の父とお針子の母のもとに生まれ、幼少時に父を亡くして貧しい家庭で育つ。新聞のイラストレーターとして働き始め、修行のためヨーロッパ、メキシコ、NYへと移る。人間や動物をふくよかな体型で表現したユーモラスな作風は、厳しい評価を受ける一方で次第に注目され、世界で最も有名な存命するアーティストのひとりと称されている。89歳の現在もパリ、ピエトラサンタ、NYを拠点に精力的に活動を続けている。
「フェルナンド・ボテロ 豊満な人生」
監督:ドン・ミラー
2018年/カナダ/英語・スペイン語/ビスタ/デジタル5.1/82分/原題:BOTERO
提供:ニューセレクト 配給:アルバトロス・フィルム
© 2018 by Botero the Legacy Inc. All Rights Reserved
公式HP:botero-movie.com