北陸の保守王国にみるニッポンの縮図。「はりぼて」の五百旗頭幸男監督が仕掛ける「裸のムラ」

富山市議会の不正を丸裸にして反響を呼んだ「はりぼて」の五百旗頭幸男監督が、“新天地” の石川テレビで作り上げたポリティカル・ドキュメンタリー「裸のムラ」が、10月8日(土)より東京のポレポレ東中野、金沢のシネモンドほかで全国順次公開。予告編ならびに社会学者の上野千鶴子氏、法政大学教授で国会パブリックビューイング代表の上西充子氏、「さよならテレビ」の東海テレビプロデューサー阿武野勝彦氏、「なぜ君は総理大臣になれないのか」の大島新氏、落語家の春風亭一之輔氏ら著名人のコメントが到着した。

 

 

舞台は石川県。現職最長となる7期27年目の谷本正憲知事(75)は、コロナ禍に「無症状の方は石川県にお越しいただければ」と失言、「4人以下での会食」を呼びかけながら自身は90人以上で会食。長すぎた権力集中が招いた綻びか、仕える者は忖度の度合いを強め、為政者は傍若無人になっていく。そんな長期県政もついに終焉を迎えた。8選出馬に前向きに見えた谷本の機先を制したのは、谷本の選対本部長を務めていた衆議院議員の馳浩。新知事が掲げたスローガンは「新時代」。そういえば22年前、衆議院に初当選した馳が掲げていたのもまた「新時代」だった。

ムラの男たちが熱演する栄枯盛衰の権力移譲劇。ここ一番で必ず登場するのは、ご存知キングメーカーの森喜朗だ。一方でキャメラは、市井の生活者へも向けられる。同調圧力の強い社会で暮らすムスリム一家、車で移動しながら生活や仕事をするバンライファーの家族の姿から、理想や自由をめぐる葛藤と矛盾が浮かび上がる。

富山のチューリップテレビを辞した五百旗頭幸男監督が、新天地の石川テレビで制作した2本のドキュメンタリー番組「裸のムラ」と「日本国男村」から生まれた本作。私たちの社会に偏在する家父長制(パターナリズム)の徴を笑いとともに抉り出していくが、被写体と厳しく向き合う中で、次第に高圧的になっていく取材者自身の姿も晒すことになり……。

 

五百旗頭幸男監督の言葉
世の空気は政治や行政によって醸成され、市井の人々へと伝播する。今作は前作「はりぼて」のように明快に不正を暴くものでなく、この国のムラ社会を覆う空気を描いたものだ。目に見えないが、人々は簡単に流され、染められていく。その様は滑稽で危うい。一昨年、17年勤めた地方局を離れた。社会の空気はテレビ局をも支配し、官僚機構同様、忖度がはびこり同調圧力が強まった。ドキュメンタリーは作り手の今も映し出す。地方局内に染み込んだ空気により傷を負った制作者として、その源を探り、見えない空気を映像化するのは宿命だった。

 

 

著名人コメントは以下(五十音順・敬称略)。

道場破りがやって来る…。真剣を地方政治に振り下ろし、ムスリムとバン・ライファーの家族にも抜身をチラッと見せる。不調和な撮影対象もなんのその、ドドンと和太鼓を鳴らしてカットバック。これぞ、ドキュメンタリーの醍醐味。はりぼて富山を暴き出し、金沢を丸裸。ドキュメンタリーの旅人よ、次はどこで刀を抜く…。
──阿武野勝彦(東海テレビプロデューサー)

政治家を囲む多数のカメラと、それを織り込んだ彼らの振る舞い。
そんな光景を見慣れた先に、地域に暮らす人へと間近にマイクを向ける五百旗頭記者の姿が不意に映され、観客である自分の立ち位置が揺らぐ。
ドキュメンタリーって何だろう、と。
──上西充子(法政大学教授)

ムラはずれの人々があぶりだすニッポン・ムラの奇ッ怪。
あなたの足もとにもきっとある。
──上野千鶴子(社会学者)

内容がとっ散らかっている!監督が自意識過剰でウザい!と、終始もやもや。しかしそれこそが、この映画の圧倒的な魅力である。そして見終わると、自分も同じムラの住人だと気づく。恐ろしい映画ですよ、これは。
──大島新(ドキュメンタリー監督)

自分も「ムラ人」でした。せっかく居心地良かったのに、映画を観たせいで自分も「素っ裸」なことに気づいてしまいました。だから今、とても寒いです。早く「服」を着よう。ちゃんと袖を通して、ひとつひとつボタンを閉めて。
──春風亭一之輔(落語家)

コロナ禍、石川県という大きな言葉の中には何層もの人々の生活が折り重なっている。そのいくつもの視点から見えてくる社会とその社会の運営を任されているはずの政治。今を生きている人々が見据える未来とテレビ局制作ならではの豊富な過去のアーカイブ映像で時間軸もまた幾重にも折り重なり、子供が日記をつけ、おじさんたちがずらりと並び、そして今日もまた茶器が丁寧に磨かれる。
──ダースレイダー(ラッパー)

みんなチヤホヤされたいし、認められたいし、バカにされたくはない。
見え隠れするプライドに、さて、オマエはどうかと指を差された気がした。
──武田砂鉄(ライター)

日本社会に多様性がないと言ったのは誰か。多様性のないのは政界。石川の豊かな自然を背景にしたユニークな3家族の暮らしの映像が、日本人男だらけの県庁ムラと格好のコントラストになって印象的だ。そしてなにより、政治家たちの空疎な言葉に比べて、インドネシアから来たヒクマさんの知性溢れる言葉は、一つひとつ宝物。日本中の子どもたちにみんなに聞かせたい。
──林香里(東京大学大学院教授、メディア・ジャーナリズム研究)

「森喜朗」「馳浩」「北國新聞」。私の大好物を存分に鑑賞できる作品だと思ったら想像を超えてきた。
見えないウイルスのせいでいろいろ見えてきてしまったこの数年を、全方位むき出しで見せている。
五百旗頭監督が被写体に「仕掛ける」度にハラハラしたのだが、あの関係性は俯瞰ではなく「並走」がポイントなのか。
あ、こんなことを考えさせる監督自身もむき出しだったのかも。
──プチ鹿島(時事芸人)

三つ巴の選挙戦を制した新知事陣営は男性ばかり。女性は花束渡すのみ。県議会では、知事席の麦茶の瓶の水滴を丁寧にぬぐう姿。つくづくこの国は、家庭も政治も社会も男の価値によって回る「裸のムラ」なのだ。
──望月衣塑子(「東京新聞」記者)

観始めてすぐにつぶやいた。何だこれ。何の関連もないはずの3つの軸。共通するのは視点。そして可視化される日本のムラ。やがてあなたは気づく。これは僕たちだ。ドキュメンタリーとは何か。ジャーナリズムはどうあるべきか。二つの要素が奇跡的に融合する。
──森達也(映画監督/作家)

 

 

「裸のムラ」

監督:五百旗頭幸男 撮影:和田光弘 編集:西田豊和
音楽:岩本圭介 音楽プロデューサー:矢﨑裕行 プロデューサー:米澤利彦
製作:石川テレビ放送 配給:東風
2022年/日本/118分
©石川テレビ放送