映画『バビロン』―ハリウッド夢の饗宴が始まる!―
音楽青春ドラマ「セッション」(14)で称賛を浴び、ミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」(16)でその年の賞レースを席巻したデイミアン・チャゼル。今、最も期待される若き俊英が新作として挑んだ題材は1920年代のハリウッド。すべての夢がかなう場所に集まった3人の主人公たちを軸に、華やかなハリウッド映画史が描かれる。本特集では作品中にちりばめられた映画的トリビアを解説、本作の舞台裏を紹介する。
「バビロン」は2020年代の観客にとっての「雨に唄えば」である
デイミアン・チャゼル監督は現代のロサンゼルスを舞台にした「ラ・ラ・ランド」(16)で、女優を目指す女性とジャズピアニストの男性との恋愛を軸にしながら、ハリウッド黄金期からの人気ジャンルであったミュージカル映画への敬愛を作品にちりばめた。新作「バビロン」(22)もまた、ロサンゼルスを舞台にしながら、女優を目指す女性と映画製作を夢見る男性との恋愛が描かれてゆくという共通点がある。ただし、今作の時代設定はサイレントからトーキーへと移行する端境期だ。
タイトルの〝バビロン〟は古代都市の名称だが、D・W・グリフィスが監督した「イントレランス」(1916)の〝バビロン篇〟の舞台でもある。巨大な城壁のセットは、作品を代表するビジュアル。柱の上部には、石膏で制作された白い象の像が起立している。パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ兄弟が監督した「グッドモーニング・バビロン!」(87)では、この石膏像を作る兄弟の姿が描かれていた。
また、〝バビロン〟というキーワードから想起する書籍もある。ハリウッドの映画創世記から黄金期までのスキャンダルを紐解いた、ケネス・アンガーの著書『ハリウッド・バビロン Ⅰ』(パルコ刊)だ。この書籍は、まさに「イントレランス」を題材にした章で始まり、白い石膏の象の写真が読者を待ち構えている。「バビロン」はハリウッドの狂宴時代を描いているという共通項を見出せるのだが、偶然にも今作は巨大な象をパーティー会場へと運送する場面で幕が開く。
「バビロン」では、この象を運ぶ青年マニー(ディエゴ・カルバ)が語り部のような役割を担い、彼が目撃した激動のハリウッドが描かれてゆく。映画冒頭に登場するパラマウント・ピクチャーズの旧ロゴは、1920年代に使われていたもの。物語が1926年から始まることに合わせた演出である。
登場人物の多くは、複数の実在の人物から着想を得ながら人物造形がなされているのも特徴だ。例えば、マニーのモデルとなったのは、ハリウッドでは初めてスペイン語で制作された映画「Sombras Habaneras」(30)を製作・監督・主演したキューバ出身のレネ・カルドナや、チャップリンの「成功争ひ」(1914)などで撮影を担当したメキシコ移民のエンリケ・J・バレホなど、マニーと同様のバックグラウンドを持った映画人。彼は機転を利かして、薬物を過剰摂取した女優をパーティー会場から秘密裏に連れ去るアイデアを提案したことをきっかけに、映画業界での仕事を得てゆくことになる。このエピソードは1921年に起こった、喜劇俳優ロスコー・アルバックルの事件を想起させる。『ハリウッド・バビロン』にも記述されたハリウッドの汚点とも言うべき事件だが、女優の側にいた巨漢の男性はロスコーによく似ている。
マニーが恋する新人女優のネリー(マーゴット・ロビー)と、彼を映画界に引き入れる大スターのジャック(ブラッド・ピット)にもモデルがいる。ネリーのモデルだとされているのが、若きジョーン・クロフォードと、セックスシンボルだった〝イット〟ガールのクララ・ボウ。興味深いのは『ハリウッド・バビロン』にクララの項があることだ。トーキー映画の時代が到来し、ネリーが慣れない〝音〟を伴った撮影現場で悪戦苦闘する場面。モニタールームにいる録音技師が、ネリーの声の大きさに対して苦言を放つのと同様のプロセスが、クララが主演した「底抜け騒ぎ」(29)の現場で起こっていたことが記されている。ミキサーのボリュームを下げていなかったため、真空管が吹っ飛んだというのだ。
またネリーを見出し、彼女を演出する女性映画監督ルース(オリヴィア・ハミルトン)との関係にも言及できる。サイレント映画時代にハリウッドで唯一の女性監督となったドロシー・アーズナーは、クララ・ボウの初トーキー主演映画「底抜け騒ぎ」の監督でもあるのだ。ドロシーはクララが台詞に縛られたトーキー映画よりも、自由な演出を実践できるサイレント映画に向いていることを見抜いていたのだという。
時代を経た現代で、オリヴィア・ハミルトンが「バビロン」のプロデューサーを担っている点にも感慨深さがある。現在『ハリウッド・バビロン』は、記述の多くが誇張されたものだったと評されているが、クララがカジノで借金を抱え、母親が統合失調症で精神病院にいたことなど、ネリーの人生がクララ・ボウの人生と近似していることに異論はないだろう。
ブラッド・ピットはジャック役について「ジョン・ギルバート、クラーク・ゲーブル、ダグラス・フェアバンクスをブレンドした」と述懐している。劇中の台詞には、同時期に大スターだったルドルフ・ヴァレンチノやグレタ・ガルボの名前も登場し、スターが手の届かない星(スター)のような存在であったという時代背景を窺わせる。ブラピが名前を挙げたスターの中でもジョン・ギルバートは酒を愛し、華やかな恋愛遍歴とたび重なる結婚と離婚を経験している点、さらにトーキー映画への順応がうまくいかず、キャリアが低迷した点でも相似している。初のトーキー主演映画「His Glorious Night」(29)では、ダンディで端正な外見とは相反する甲高い声を観客が嘲笑。映画スターにとって〝声〟が重要となってゆく時代の変遷は、「バビロン」と同様にサイレント映画からトーキー映画への端境期をモチーフにした「雨に唄えば」(52)の中でも描かれていた。現代の感覚からだとわかりにくいことだが、公開当時の「雨に唄えば」は、約四半世紀前の昔の出来事を描いた作品だった点が重要なのだ。
ケヴィン・ブラウンロウの大著『サイレント映画の黄金時代』(国書刊行会刊)には、D・W・グリフィスの助監督だったジョセフ・ヘナベリーによる、なんとも狂気じみた撮影現場の記述がある。例えば、人員が足りないため貧民街からエキストラを調達したり、矢が頭に刺さったエキストラが戦場さながらの救護テントに運ばれてきたり、現場の混乱が証言されている。
そんな中でも印象的なのは、夕暮れ時に自然光と人工照明を調和させた画調で撮影するくだり。「バビロン」ではドイツ人監督オットー(スパイク・ジョーンズ)による大作映画撮影という、映画(製作)愛に溢れた白眉な場面となっている。1920年代は、F・W・ムルナウやフリッツ・ラングなど〈ドイツ表現主義〉の監督や、オーストリア出身でD・W・グリフィスの助監督を経て監督となったエリッヒ・フォン・シュトロハイムなどがハリウッドで活躍した時代。つまり、かような背景を反映させた設定なのだ。
このほかにも、映画字幕を担当するフェイ(リージュン・リー)は実家がクリーニング店であることでも、サイレント映画で中国系の先駆的スターとなったアンナ・メイ・ウォンと共通項があり、ジャズトランペッターのパーマー(ジョヴァン・アデポ)の姿には、ルイ・アームストロングのキャリアが重ねられている。それゆえ、マニーのアイデアで製作された短篇映画は、〝サッチモ〟主演の「ラプソディー・イン・ブラック・アンド・ブルー」(32)のことではないかと推測させるのである。
さらに、劇中では数少ない実名の登場人物の一人として、若くして亡くなったプロデューサーのアーヴィング・タルバーグ(マックス・ミンゲラ)がいる。アカデミー賞で映画業界に貢献した映画プロデューサーに贈られる〈アーヴィング・G・タルバーグ賞〉は、彼の名前を冠にしたものだ。
劇中では「ワーナーの発声映画」と説明されている「ジャズ・シンガー」(27)が部分的なトーキー映画として公開されたことを機に、サイレント映画は駆逐されてゆくことになる。また、やがて来るヘイズ・コードを予見させた「モラルを重視する」という台詞があるように、「バビロン」は映画史の流れを描いた作品でもある。奇しくもマーゴット・ロビーとブラッド・ピットは、1960年代末の〝その後のハリウッド〟を描いた「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」(2019)に出演している。〝その後〟とは、「雨に唄えば」が公開された1950年代に、アメリカではテレビが一般家庭で普及し、映画産業が斜陽化に向かった時代のことである。
1952年のマニーは、ふと立ち寄った映画館で「雨に唄えば」を鑑賞することとなる。スクリーンに映し出されているのは、自身が目撃した過日の映画撮影現場。ジーン・ケリーが歌う〈雨に唄えば〉は、映画ではもともと「ハリウッド・レヴュー」(29)に採用された楽曲で、「バビロン」に登場するジャックの歌唱場面は「ハリウッド・レヴュー」に似ている。つまり、約20数年前の出来事を思い出しているのだ。
終幕の走馬灯的なモンタージュにも映画史に対する敬愛がある。エドワード・マイブリッジの「動く馬」(1878)に始まり、「ラ・シオタ駅への列車の到着」(96)、「月世界旅行」(1902)、「大列車強盗」(03)、「イントレランス」(16)、「裁かるゝジャンヌ」(28)のサイレント映画。「ジャズ・シンガー」を機にトーキー映画へ転じて「オズの魔法使」(39)、「市民ケーン」(41)、「これがシネラマだ」(52)。前衛的な実験作品「アンダルシアの犬」(28)、「午後の網目」(43)。「バビロン」の時代を超えた「ベン・ハー」(59)、「サイコ」(60)、「2001年宇宙の旅」(68)、「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」(81)。さらに「マトリックス」(99)や「アバター」(09)まで登場して驚愕させられる。一度目視しただけなので、すべてのショットを挙げられないが、これらは映像の革命を起こした作品だという共通点がある。また「トロン」(82)、「ターミネーター2」(91)、「ジュラシック・パーク」(93)を並べることでCG表現の歴史をモンタージュさせていることもわかる。「映画に記録された映像は記憶として永遠に残る」というテーマを見出せるのだ。つまり「バビロン」は、2020年代の観客にとっての「雨に唄えば」なのである。
文=松崎健夫 制作=キネマ旬報社
(『キネマ旬報2023年2月下旬ベスト・テン発表特別号』より転載)
【出典】『ハリウッド・バビロンⅠ』ケネス・アンガー著 海野弘監修 明石三世訳(パルコ刊)
『サイレント映画の黄金時代』ケヴィン・ブラウンロウ著 宮本高晴翻訳(国書刊行会刊)
「バビロン」
2022年・アメリカ・3時間9分
監督・脚本:デイミアン・チャゼル 撮影:リヌス・サンドグレン 美術:フロレンシア・マーティン 音楽:ジャスティン・ハーウィッツ 編集:トム・クロス 衣裳:メアリー・ゾフリーズ
出演:ブラッド・ピット、マーゴット・ロビー、ディエゴ・カルバ、ジーン・スマート、ジョヴァン・アデポ、リージュン・リー、P・J・バーン、ルーカス・ハース、オリヴィア・ハミルトン、トビー・マグワイア、マックス・ミンゲラ、ローリー・スコーヴェル、キャサリン・ウォーターストン、フリー、ジェフ・ガーリン、エリック・ロバーツ、イーサン・サプリ―、サマラ・ウィーヴィング、オリヴィア・ワイルド
配給:東和ピクチャーズ ◎2月10日(金)より全国にて
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