「美と殺戮のすべて」ナン・ゴールディンのセルフポートレイトと著名人コメント公開

 

1970〜80年代にドラッグカルチャー、ゲイカルチャー、ポストパンク/ニューウェーブシーンなど過激と言われた対象を撮影し、一躍時代の寵児となった写真家ナン・ゴールディン。彼女が巨大資本を相手に繰り広げた闘争を捉えるとともに、大切な人々との出会いと別れ、アーティストである前に一人の人間として歩んできた道のりを明かし、第79回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞および第95回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞ノミネートを果たした「美と殺戮のすべて」が、3月29日(金)より新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、グランドシネマサンシャイン池袋ほかで全国公開される。映画に登場するゴールディンのセルフポートレイト、著名人のコメントが到着した。

 

   

 

〈コメント〉

イシヅカユウ(モデル・俳優)
人はなぜ戻ることのできない時に思いを馳せ、時に後悔をするのだろう? ナンはきっと、ままならなかった悔しさを新しい時代の希望にする為戦うことを選んだのだと思う。そして怒れることを恐れず、勝ち取り、悲しみも喜びも分けあって生きている。私は何を選び取れるだろう。

岩渕貞哉(美術手帖総編集長)
1980年代のサブカルチャーを鮮烈にとらえた伝説的写真集『性的依存のバラード』のナン・ゴールディンが、アクティビストとして社会正義を謳うことに一瞬戸惑うひともいるかもしれない。しかし、アメリカのオピオイド危機の深刻さ、彼女自身がそのサバイバーであること、そして、世界のアートのインフラである大型美術館がこのオピオイドの利益による寄付で支えられてきたことを知るとき、その見え方は一変する。観る者にアート界の欺瞞性とアートの力をこれほど強烈に突き付けてくる映画はほかにない。

小田原のどか(彫刻家・評論家・版元主宰)
「行動を起こさなければ」とナン・ゴールディンは言った。そうしてミュージアムは〈寝た子〉を起こす場となった。とはいえ本作は、オピオイド危機の原因企業への直接行動を牽引した、希代の写真家の後ろ姿を追うだけのものではない。映し出されるのは、彼女を「行動」へと導いた人生の道行きと、喪失のかたちだ。薬物依存、精神障害、AIDS……、それらを烙印と見なし、偏見を押し付け、人命を軽んずるこの社会に対して、ナン・ゴールディンは抵抗し続ける。

笠原美智子(アーティゾン美術館副館長)
言葉さえ失っていた少女が、自立と依存の狭間で苦しみながら、世界的アーティストとなった。現実をありのままに見据える写真で時代を切り拓いてきた、ナン・ゴールディンの美と痛みのドキュメンタリーである。また、現代美術がいかなる力を持っているか、実証してくれている。

後藤繁雄(編集者/京都芸術大学教授)
この映画は、写真の、アートの闘いの映画だ。ナンが2023年末に、アートワールドで最も影響力のある『ArtReview』のランキング「Power 100」で1位に選ばれたのは、彼女が「私」という「生」の場を最もラディカルなアートにしたからだ。その苛烈な姿の全てがこの映画にある、目撃せよ「現代写真」の前線を!

志賀理江子(写真家)
痛みに体が支配される時、時は過去と未来のつながりを失い、点滅し始める。人は一瞬ごとの苦しみに閉じ込められ、そこから逃げ出すためには、もう、何にでもすがるだろう。困難にどのように抵抗するか、その手段こそが「表現」であることを彼女は体得していく。だからこそ「生き延びることがアートだった」と言う。ナンと彼女の近しい人たちは、その姿を写真に写すことによって曝けていたのではなく、私たちの鏡のようにして、世界に、その光を照らし返すのだ。

渋川清彦(俳優)
19の時、地下鉄で偶然にナン・ゴールディンと出逢った。それから東京とNYで色々な事を遊びのなかに教えてくれた。モデルをすすめてくれたが、わたしはモデルは好きじゃないと言っていた気がする。20数年会っていないが、「美と殺戮のすべて」のナンを観て何も変わっていないと感じた。強さと脆さと優しさと反骨さと。ナンは闘い続けてる。ナンと出逢わなかったら今の俺はない。確実に

治部れんげ(ジャーナリスト)
アメリカでオピオイド中毒死が急増した原因を作った富豪一家。自ら薬物中毒サバイバーである著名写真家率いる抗議活動は、メトロポリタン、ルーブルなどの美術館に向かう。アート、巨万の富、無責任な医療行政をパーソナルな視点でつなぐ、非常に見応えのあるドキュメンタリー。

瀧波ユカリ(漫画家)
「痛み」をないものにする社会で「ここに痛みがある」と訴える。それはアートの役割のひとつであり、ゴールディンが長い間取り組んできたことだ。つまり鎮痛薬によって維持される社会の病巣に斬り込むことは、彼女にとって必然の帰結なのだ。痛みと悲しみを見つめ続けた者だけが持つ強さと美しさが、ここにある。

長島有里枝(アーティスト)
ナン・ゴールディンのオピオイドクライシスとの闘いは、人の痛みにますます鈍感な社会にアートがどこまで対抗できるのか、というチャレンジでもある。彼女の写真にはいつも被写体への愛、彼らと彼らの文化を容易に奪おうとする社会に対する怒りが写っている。彼女からは作風以上に、アーティストとして何を大事にするべきなのかを学んだ。アート界に彼女がいることはこれからもわたしを支え、勇気を奮い起こす助けになると思う。

MISATO ANDO(美術家)
異質。異端。それの何が悪い? ナン・ゴールディンは、この世の記憶を偽りなく物体に吹き込み、それが現在・未来へと生き継がれている。その力があるからこそ私はアートに惹かれるのだ。偏見が形を変えて浮き続ける世の中で、いつの時代も人は自由を求めている。今、自分が信じるもの。愛するもの。それは一体何なのか。誰なのか。生命力溢れる彼女の人生にあなたもきっと問いただされるだろう。

村上由鶴(写真研究)
はじめてナン・ゴールディンの写真を見たときに感じた、セックス・ドラッグ・暴力(そして死)の生々しさと、それらがあまりにも魅力的に写っていることへの困惑をよく覚えています。この映画のなかでその写真と再び出会い、彼女がオピオイド危機にその身を呈して立ち向かう姿とその声がより切実なものに感じられました。

 

 

Photo courtesy of Nan Goldin
配給:クロックワークス

▶︎ 写真家ナン・ゴールディンの闘争の記録。ヴェネチア映画祭金獅子賞「美と殺戮のすべて」