松本穂香主演「みをつくし料理帖」最後の監督作、でも“まだまだ生涯現役の不良です”――角川春樹監督インタビュー

角川春樹、“最後”の監督作「みをつくし料理帖」を語る

1970~80年代を中心に日本映画界の風雲児として数々のヒット作を世に送り出してきた角川春樹氏。業界にさまざまな伝説を刻んだ敏腕プロデューサーとしてのみならず、「汚れた英雄」(82)を皮切りに映画監督としても長いキャリアをもつ。そして監督作としては前作「笑う警官」(09)から約10年ぶり、通算8本目となる監督作「みをつくし料理帖」がついに我々の前に届けられた。これで監督業を引退すると宣言している本作には、かつての〈角川映画〉を彩った俳優たちも集結。御年78歳、監督・角川春樹は今、何を思うのか。

沈黙の十年を越えて

――角川さんはもう映画を作られないと思っていました。“現代の若い観客は、TVドラマの延長で映画を観て、「壮大なスケール」や「重厚なテーマ」を求めなくなり、観客の質が落ちた”(『日経エンタテイメント』07年8月号)と映画に絶望なさったからです。

角川:「笑う警官」(09)の(制作費の)回収がつかなかったときは、もう映画はやめようと思いましたね。自分と時代の距離感を感じたからです。
それから10年、私は編集者に戻って、角川春樹事務所で二つの路線を作りました。一つは今野敏さん、佐々木譲さんなどの警察小説。もう一つは女性をターゲットにした時代小説です。私は他社に先がけて、97年に「時代小説文庫」を始めたんですが、佐伯泰英さんなどの小説で60~70代の男性読者を獲得したあと、次に女性読者に読んでもらえる時代小説とは何か、を模索していました。そんなときに企画会議で髙田郁(たかだかおる)さんの『出世花』(08年、祥伝社、のちにハルキ文庫)を読んだんです。この本は初版が1万5000部で実売が500部の売れない本でしたが、“この人は男性ターゲットの捕物帖やチャンバラじゃない、新しい時代小説が書ける”と確信して、編集者を髙田さんの住む関西に行かせました。著者と次回作の話をするなかで、テーマを「食」に決め、髙田さんに『みをつくし料理帖』(全10巻、角川春樹事務所)を書いていただきました。

「みをつくし料理帖」の原作は、作家・高田郁によるベストセラー時代小説シリーズ(角川春樹事務所より刊行)

 

――「食」とともに、『下妻物語 ヤンキーちゃんとロリータちゃん』(02年、嶽本野ばら著)や『NANA』(06~07年、矢沢あい著)のような女性二人の友情ものであることと、「女性が女性を身請けする」という誰も考えなかった結末が『みをつくし料理帖』をミリオンセラーにしたように思います。

角川:髙田さんの慧眼ですよ。

――髙田郁さんは、角川さんが『みをつくし』の発売前にゲラ(校正刷り)を持って全国の書店を回った、と書いています。

角川:回りました。各書店の文庫担当者の方に、“こういう素晴らしい女性の作家がいる”とお知らせして、当時あった「時代小説は男性作家のもの」という固定観念を覆したかったんです。

――“作家を見つけ、原作を丹精込めて育て、それを映画にする――それが編集者の愛ですよ”(『サンデー毎日』20年3月8日号)という「角川映画」の原点に返ったんですね。

角川:その通りです。この10年、私はハルキ文庫の原作を絶えずTV局や映画会社に売りこんできました。『紙の月』(12年、角田光代著、角川春樹事務所)は14年にTV化(NHK)、同じ年に映画化(吉田大八監督)されたんです。しかし、『みをつくし料理帖』は09年の初版(ハルキ文庫)から10年が経ち、累計販売数が400万部を超えても、NHKとテレビ朝日でドラマ化はされましたが、映画化の企画は、まとまりかけては壊れ、壊れてはまた生まれてを繰り返し、なぜだか実現しないんですよ。東映にも頼みに行ったんですが、東映には「食べ物の映画は当たらない」というジンクスがあるんです。

――「流れ板七人」(97年、和泉誠治監督)が当たらなかったからですね。

角川:そうです。いたずらに時間が過ぎるうち、“あなたが自分で撮るべきだ”と女房に背中を押され、遠藤茂行さん(本作の制作統括)に相談したんです。彼が骨を折って、配給を東映が引き受けてくれることになり、18年に私の最後の監督作品として企画がようやく動き出しました。

ダブル・クライマックスの妙味

――角川さんは、「REX 恐竜物語」(93)を三幕劇として構成し、「汚れた英雄」(82)のクライマックスの二輪レースの長さを「ロッキー」(76、ジョン・G・アヴィルドセン監督)のラストファイトと同じ長さにしたように、監督作品をつねに厳密に構成します。

角川:それはプロデューサーも兼ねているからでしょう。「REX」は夏休みのファミリー映画ですから、10歳の子供が飽きないぎりぎりの時間は1時間50分だと考え、子供が退屈しない山あり谷ありの構成を考えたんですよ。

――今回も、大坂をプロローグにして、「野江(奈緒)が澪(松本穂香)の境遇を知る」までが第一幕、「澪が野江の現在を知る」までが二幕、「澪と野江が離れたまま出会う」までが三幕。それに、「澪と野江が実際に会う」エピローグが付けられています。澪と野江が最後に二度会う、ダブル・クライマックスにしたところが脚本の巧さですね。

角川:それは、江良至さん、松井香奈さんとハコ書きを作りながら考えました。ハコの段階で撮影の北信康さんを呼んで、ここは円形移動でいこうか、白狐の面をかぶった野江はすべてハイスピードで撮ろうかなどと、撮り方も決めていったんです。

――角川監督作品は、他の角川映画にくらべ極端に台詞が少ないですね。

角川:それは私が俳人だからでしょう。俳句は「五・七・五」しかなく、行間を読み手の想像力に委ねるわけです。「汚れた英雄」を初めて撮るとき、それまでの日本映画はしゃべり過ぎだし、目を剥いて怒鳴り過ぎると感じて、脚本から説明と台詞を削ぎ落としたんです。『みをつくし料理帖』でもNHK版(17年)は、澪(黒木華)と小松原(森山未來)の別れを75分かけて、しゃべりっぱなしでやっています。映画では、澪と小松原の別れを5分、台詞三つだけで描きました。
テレビやシネコンの映画は、目を瞑っていても筋がわかり、観客に考える余地を与えませんが、映画は行間を読むこと、読ませることが楽しみなんです。

――吉本隆明さんは角川監督作品を「純映像映画」と評価しましたが(『産経新聞』93年9月5日夕刊)、マックス・テシネを始めとする多くの批評家は、「汚れた英雄」や「天と地と」(90)を「ドラマが弱い」と評しました。この評価をどう思われましたか?

角川:私は最初(はな)から「人間ドラマ」なんてやる気はない。「汚れた英雄」では二輪レースのスリルと主人公の虛無と頽廃を、「天と地と」では絢爛たる合戦絵巻と謙信の孤愁を描きたかったんです。観客はくだくだした人間ドラマより、荘重なスペクタクルと美しいヴィジョンを観たいと思っているんです。

ハルキ・ブルーからハルキ・レッドへ

――角川監督作品にはつねに基本の色調があります。「汚れた英雄」はブルー、「愛情物語」(84)は赤、「キャバレー」(86)はセピア、「天と地と」は赤と黒。

角川:私は日本刀を眺めるのが好きで、日本刀は青い光を放つんです。「汚れた英雄」は、私の好きな青を基本色調にしました。(撮影監督を務めた)仙元誠三さんもブルーが好きなカメラマンでしたし。「汚れた英雄」の撮影チーフだった柳島克己さんと北野武監督が考えた「キタノ・ブルー」はいまや世界的になりましたが、本当は「ハルキ・ブルー」のほうが早い(笑)。「みをつくし料理帖」は暖色をベースにしたいとスタッフに言ったんです。

――暖色を基調にしながら、画面のどこかに「赤」が「差し色」として入っています。

角川:それは撮影の北さんや照明の渡部嘉さん、美術の清水剛さんがおたがい相談しながら入れたんでしょう。
私はいままで73本の映画を製作してきましたが、正直、「スタッフ、キャストが一体になった」現場なんてほとんどありませんでした。どこかしらに問題があり、それは完成作品を観ればわかりました。でも、今回の現場に薬師丸(ひろ子)さんが来たとき、“全員が監督を見て、監督が何を望んでいるかをキャッチしようとしている珍しい撮影現場ですね”と言ったんですよ。彼女が指摘した通り、こんなにスタッフ、キャストに恵まれた現場は、73本のうちで初めてでした。最後の監督作品で初めてそういう現場に立てた。小道具の大矢(誠)クンなんか張り切って、“ここはシャボン玉を飛ばしましょう”とどんどん意見を出してくれて、“おう、やってくれ”と(笑)。

――コンビを組んでいた仙元誠三さんがフィルムにこだわったこともあり、いままでの作品はフィルム撮りでしたが、今回は初めてのデジタル撮影。デジタルに変わって角川さんの映画が軽やかになった気がします。

角川:それはそうかもしれない。プロデューサーとして、フィルム代は高いけれど、デジタルだと安いからいくらでも回せるのがありがたかった(笑)。

神は細部に宿る


――「みをつくし料理帖」の音響には驚きました。さながら音による「江戸歳時記」の趣があります。料理も高級なものではなく、庶民的なところが良いですね。

角川:音響効果の柴崎憲治さんとは何回かやっていますが、今回が最高でした。料理の担当は日本を代表する料理学校の理事長、服部幸應さんと東京神楽坂の蕎麦の名店「たかさご」の宮澤佳穂さんに現場で誂えてもらいました。

――吉原の廓言葉の指導を、威勢のいい江戸弁と芝居噺で知られる春風亭一朝さんに依頼しているのも行き届いていますね。

角川:上方と江戸の言葉が入り交じる話ですから、船場言葉と廓言葉には気をつけました。私はお客さんに「みをつくし料理帖」を2回も3回も観てもらいたい。それには、見えない部分が豊かでなければならないんです。

――監督作品8本のなかでもっとも映画の無意識が豊かな映画になっていると思います。また、いままでの角川アイドル映画では、薬師丸ひろ子さんや原田知世さんを年上の渡瀬恒彦さんが見守っていましたが、今回は松本穂香さんをかつての角川映画に出た俳優たちが総勢で支え、映画に幸福感が漂います。

角川:俳優さんたちとは4回脚本(ホン)読みをやりました。始める前に若村麻由美さんが来て、“監督、船場言葉でいいですね?”と訊いたんです。脚本に指定がないのに、彼女は脚本を読みこんだんですね。俳優にとっていちばん大切なことは脚本の読解力だと思います。松本穂香さんも奈緒さんも読解力に優れた役者でした。薬師丸さんは一日だけの特別出演でしたが、出番が終わったとたん号泣したんですよ。その瞬間、彼女は13歳のひろ子に、私はひろ子と出会った35歳の私に戻ったんですね。

 

――それから、「白狐」のイメージが心に残ります。白狐が出てくる映画、「恋や恋なすな恋」(62、内田吐夢監督)や、その原作である人形浄瑠璃の『芦屋道満大内鑑』や清元の『保名』などの古典芸能を参考になさったのでしょうか?

角川:白狐の舞いを撮るときに参考にしたのは、「時をかける少女」(97、角川春樹監督)のロケ地である飛騨古川で毎秋行なわれている「狐火まつり」でした。

――「白狐の面をずらす」と書かれていた原作に対し、映画ではラストで奈緒さんがお面を取ります。今回はここまでやるのか、と驚きました。これまでの監督作で、角川さんがこれほど観客の心を摑み、揺り動かしたことはありませんでした。

角川:お面を取らない選択肢ももちろんあり得ました。スタッフのほとんどが取らないほうがいいと私に意見し、奈緒さんも撮影前日、取らない芝居をしたいと言ってきました。しかし、観客が望むのはお面をとって、二人が素顔で見つめ合うことだと思い、それがエンタテインメントの王道だと決断しました。

――「時をかける少女」のラスト、大林版とは逆に、15年後の芳山和子と深町一夫がお互いに気付くハッピーエンドを思い起こしました。

角川:それはうれしい指摘ですね。「時をかける少女」と「みをつくし料理帖」は姉妹篇だと思ってるんですよ。

震災の記憶と、これからのこと


――「みをつくし料理帖」はまぎれもなく、東日本大震災から新型コロナにいたる「災禍の時代」に向けて撮られた「現代劇」ですね。第二次大戦の戦火と江戸の大火を重ね合わせた山本周五郎の『ちいさこべ』を思い出しました。

角川:東日本大震災のときに、『ボクチン』というフリーペーパーで被災地のティーンのインタビューをしたんですよ。生き残った子供たちに話を聞くと、その子を生き残らせるために、たくさんの両親や兄弟が身代わりになって亡くなっているんですね。地震や津波のさなかに、自分の命より他人の命を選んだ人たちがこれほど多かったのかと切なかったんです。明らかに、『ボクチン』の体験が「みをつくし料理帖」に残響しています。大坂の大洪水で家族を亡くした澪も野江も、死者を背負って生きているんです。

――「みをつくし」にはこれまでお話してきたように、角川さんの新境地があります。もうお撮りにならないんですか?

角川:これが最後の監督作品だと思って、製作も監督もやると決めました。撮影中は、まさに”身を尽くし”、健康が不安になるほど命を削りました。今後はどうするかな(笑)。年齢的なこともあるが、まだまだ生涯不良の現役ですから。

取材・構成=伊藤彰彦

映画「みをつくし料理帖」
製作・監督:角川春樹
脚本:江良至、松井香奈、角川春樹
制作統括:遠藤茂行
料理監修:服部幸應
音楽:松任谷正隆
撮影:北信康
照明:渡部嘉
美術:清水剛
出演:松本穂香、奈緒、若村麻由美、浅野温子、窪塚洋介、小関裕太、藤井隆、野村宏伸、衛藤美彩、渡辺典子、村上淳、永島敏行、松山ケンイチ、反町隆史、榎木孝明、鹿賀丈史、薬師丸ひろ子、石坂浩二(特別出演)、中村獅童
配給:東映
◎10月16日(金)より丸の内TOEIほか全国にて
(C)2020映画「みをつくし料理帖」製作委員会
角川春樹(かどかわ・はるき)

1942年生まれ、富山県出身。角川書店の編集者として角川翻訳文庫などを手掛けたのち、75年に父・源義の後を継ぎ社長就任。映像と出版のメディアミックス戦略の先駆者として映画をプロデュース、「犬神家の一族」(76)、「野性の証明」(78)、「セーラー服と機関銃」(81)、「蒲田行進曲」(82)など次々ヒットを飛ばし、日本映画界に〈角川映画〉旋風を巻き起こす。93年に角川書店を離れるも、95年、角川春樹事務所を設立し出版業に復帰。さらに2005年には「男たちの大和/YAMATO」で映画製作にも復帰を果たした。プロデュースの傍ら、「汚れた英雄」(82)以来、監督業にも進出。「みをつくし料理帖」は通算8本目の監督作品となる。
<角川春樹 監督作品>
「汚れた英雄」(82)「愛情物語」(84)「キャバレー」(86)「天と地と」(90)「REX 恐竜物語」(93)「時をかける少女」(97)「笑う警官」(09)

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