【訃報】映画業界 2020年5月

映画界に多大なる貢献を頂きました皆様のご冥福をお祈りいたします。

エルゼ・ブラングステッドさん(米/映画音楽編集者)

5月1日に死去。99歳。ドイツのヴュルツブルク生まれ。ユダヤ人家庭に生まれて37年にナチスを逃れて渡米し、「サムソンとデリラ」49の端役で女優として始動後、ワーナー・ブラザース社のスタジオで職を得る。「ジャスティス」79、「黄昏」81、「トッツィー」82、「カラーパープル」「グーニーズ」85、「ミラグロ/奇跡の地」88、「恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」89や、TV映画『ヘルター・スケルター』76など長年にわたり数々の作品に携わり、06年に音響編集者組合より最初の生涯功労賞をプレゼンターのロバート・レッドフォードから授与された。夫は映画編集者のフォルマー・ブラングステッド。

フランシス・メゲイ氏(英/映画監督、脚本家)

5月1日、がんのため死去。85歳。「孤独のヒーロー/タフィン」87、「レッド・サン・ライジング」93、「ケビン・ジョンソンの失踪」96や、“Minder”79‐94、“Lovejoy”86‐94、『悪魔の異形』80などTVドラマや、ドキュメンタリーも数多く手掛けた。

木藤聡子さん(きとう・さとこ/声優)

5月1日に死去。58歳。80年代より始動し、OVA『吸血鬼ハンターD』85のラミーカ役、『それいけ!アンパンマン』88‐のあざみちゃん役、『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』96‐98の土方レイ役のほか、数々の海外作品の吹き替えや、『プロ野球 珍プレー・好プレー大賞』83‐のナレーションなども務めた。

スー・ブルース=スミスさん(英/映画プロデューサー)

5月2日、がんのため死去。62歳。アイルランドのダブリン生まれ。フィルム4の広告やブランド戦略のトップとして活躍し、スティーヴ・マックィーン監督の「SHAME ‐シェイム‐」11、「それでも夜は明ける」13、ヨルゴス・ランティモス監督の「ロブスター」15、「女王陛下のお気に入り」18、レニー・アブラハムソン監督の「FRANK ‐フランク‐」14、「ルーム」15などや、「the Future ザ・フューチャー」11、「ウィークエンドはパリで」13、「ハイ・ライズ」15、「ビューティフル・デイ」17など数々の作品に携わり、19年にBAFTA賞特別賞を授与された。

ジョン・エリクソン氏(米/俳優)

5月3日、肺炎のため死去。93歳。ドイツのデュッセルドルフ生まれ。ナチスを逃れて3歳で米国に移住し、名門アメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツでグレース・ケリーらと同窓で学ぶ。「ラプソディー」54、「四十挺の拳銃」57、「ベッドかざりとほうき」71、「クラッシュ!」76や、主人公の女探偵の相棒役にふんした『ハニーにおまかせ』65‐66、『特攻野郎Aチーム』83‐87、『ジェシカおばさんの事件簿』84‐96などTVドラマや舞台で活躍した。

ジョン・メイホン氏(米/俳優)

5月3日に死去。82歳。12歳でポリオを患う。大学で後にピューリッツァー賞に輝くジェイソン・ミラーと出逢い、卒業後ニューヨークに渡る。71年にミラー作“Nobody Hears a Broken Drum”でニューヨーク演劇批評家賞候補となったほか、舞台演出家としても活躍。「エクソシスト」73、「カウチ・トリップ」88、「アメリカン・プレジデント」95、「L.A.コンフィデンシャル」97、「アルマゲドン」98、「ゾディアック」07や、『ロックフォードの事件メモ』74‐80、『X-ファイル』93‐18などTVドラマにも出演した。

ノーマ・ドゲットさん(米/女優)

5月4日に死去。94歳。ダンサーとしてブロードウェイ・ミュージカルなどで活躍後、オーディションを勝ち抜き「掠奪された七人の花嫁」54に花嫁のひとりマーサ役で出演した。

レスリー・A・ポープさん(米/セットデコレーター、プロダクション・デザイナー)

5月6日に死去。65歳。大学で生物学士を取得後、ニューヨークに渡り映画界入り。美術監督組合賞を受賞した「アベンジャーズ/エンドゲーム」19や、「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」14、「アントマン」15など数々のマーヴェル作品のほか、「黄昏に燃えて」87、「カリートの道」93、「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」02、「ジャンゴ 繋がれざる者」12などを手掛けた。

リトル・リチャード氏(米/歌手)

5月9日、骨がんのため死去。87歳。50年代半ばに始動。〈Long Tall Sally〉56、〈Lucille〉57、〈Good Golly Miss Molly〉58などヒットを飛ばし、インパクトの強いメイクにエネルギッシュな歌唱とピアノ演奏で、ロックンロールの先駆者のひとりとして後進に多大な影響を与え、〈Tutti Frutti〉55は10年にアメリカ議会図書館によって全米録音資料登録簿に加えられる。「女はそれを我慢できない」56の同名主題歌〈The Girl Can’t Help It〉を唄ったほか、「ビバリーヒルズ・バム」86、「ラスト・アクション・ヒーロー」93や、『フルハウス』87‐95、『新・刑事コロンボ/影なき殺人者』91、『ラスベガス』93‐08などTVドラマにも出演した。

ロン・ジスキン氏(米/TVプロデューサー)

5月9日に死去。69歳。バンドのバスギター奏者として高校在学中より始動し、73年に大学で放送学士取得後、TV界に。競技形式の人気スポーツバラエティ“American Gladiators”89‐97で95年にデイタイム・エミー賞候補となったほか、『デス・ゲーム2025』98、『愛する勇気』00、『新・グッバイ・ガール』04などTV映画も手掛けた。

ジーノ・シルヴァ氏(米/俳優)

5月9日に死去。72歳。「スカーフェイス」83の寡黙なヒットマン役で印象を残したほか、スティーヴン・スピルバーグ監督の「1941」79、「アミスタッド」「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」97や、「テキーラ・サンライズ」88、「マルホランド・ドライブ」01、「ブルドッグ」03や、『ヒル・ストリート・ブルース』81‐87、『エイリアス』01‐06などTVドラマ、舞台でも活躍した。

マーティン・パスコ氏(加/コミックライター、脚本家)

5月10日に死去。65歳。カナダのモントリオール生まれ。73年より漫画出版社“DCコミックス”で『スーパーマン』ほか数々の作品を様々なメディアで手掛ける。TV界でも脚本家やストーリー・エディターとして活躍し、93年に『バットマン』92‐95でデイタイム・エミー賞を受賞したほか、『地上最強のエキスパートチームG.I.ジョー』85‐86、『ミュータント・タートルズ』87‐96などTVアニメーションや、『トワイライト・ゾーン』85‐89、『マックス・ヘッドルーム』87‐88など実写ドラマ、TVシリーズのスピンオフ映画「バットマン/マスク・オブ・ファンタズム」93なども手掛けた。

ジェリー・スティラー氏(米/コメディアン、俳優)

5月11日に死去。92歳。第二次大戦に従軍後、シラキューズ大学で演技を学ぶ。53年に舞台で始動し、同年に出逢ったアン・メイラと翌年結婚。コメディ・デュオ“スティラー&メイラ”を組み、コメディクラブでの公演や『エド・サリヴァン・ショー』48‐71などTVで人気を博し、冠番組“The Stiller and Meara Show”86も制作。俳優としても、人気ドラマ『となりのサインフェルド』89‐98のフランク・コスタンザ役で97年にエミー賞候補になったほか、『SEX AND THE CITY』98‐04、『グッド・ワイフ』09‐16などTVドラマや、息子ベンと共演した「ズーランダー」01、「ライラにお手あげ」07や、「サブウェイ・パニック」74、07年のリメイク版にも登場した「ヘアスプレー」88などで活躍した。

ミシェル・ピッコリ氏(仏/俳優)

5月12日、脳卒中のため死去。94歳。第二次大戦後に舞台で始動し、モリエール賞候補に2度なるなど活躍。映画も、「軽蔑」63でブリジット・バルドー演じる女優の脚本家の夫役で注目を集め、“Salto nel vuoto”80でカンヌ国際映画祭最優秀男優賞、“Une étrange affaire”82でベルリン国際映画祭男優賞、「ローマ法王の休日」11でダヴィド・ディ・ドナテッロ賞を受賞。ルイス・ブニュエル監督と「昼顔」67、「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」72など6作で組んだほか、「ロシュフォールの恋人たち」66、「トパーズ」69、「汚れた血」86、「五月のミル」89、「美しき諍い女」91、「家路」01、「ここに幸あり」「夜顔」06、「エレニの帰郷」08、「ホーリー・モーターズ」12など近年まで精力的に活動し、11年にヨーロッパ映画賞名誉賞を受賞。90年代より監督業にも進出したほか、平和運動にも尽力した。

浅野孝已氏(あさの・たかみ/“ゴダイゴ”ギタリスト)

5月12日、虚血性心不全のため死去。68歳。65年に大口広司らと“ジュニア・テンプターズ”を結成後、16歳でプロとして始動。ミッキー吉野に誘われ、75年に“ゴダイゴ”結成に参加し、『西遊記』78‐79のテーマ曲〈モンキー・マジック〉〈ガンダーラ〉や、「銀河鉄道999」79の同名主題歌などヒットを放つ。85年の活動停止後はソロに転向し、岡本真夜の〈TOMORROW〉95のプロデュースや、ゲーム音楽の作曲なども手掛けた。

ジョージ秋山氏(じょーじ・あきやま/本名=秋山勇二/漫画家)

5月12日に死去。77歳。貸本漫画の取次店で働く傍ら漫画家を志し、森田拳次のアシスタントを経て66年に『ガイコツくん』でデビュー後、68年に『パットマンX』で講談社児童まんが賞を受賞。70年には、『週刊少年サンデー』誌で『銭ゲバ』を、『週刊少年マガジン』誌で『アシュラ』の連載をスタートさせ、それまでのギャグ漫画から作風を一転させた問題作として衝撃を与え、前者は70年に映画化、09年にTVドラマ化、後者は12年にアニメーション映画化される。73年より『ビッグコミックオリジナル』誌で連載された『浮浪雲』は17年9月まで続く人気作となり、78年度の小学館漫画賞を受賞し、渡哲也とビートたけし主演で2度TVドラマ化され、82年にアニメーション映画化。他に、美保純主演で映画版3作が作られた『ピンクのカーテン』80‐84、『恋子の毎日』85‐92、『捨てがたき人々』96‐99などが映画化された。

デイヴィッド・ニコルズ氏(米/プロダクション・デザイナー、ヴィジュアル・コンサルタント)

5月13日に死去。78歳。「グレート・ボールズ・オブ・ファイヤー」89、「恋はデジャ・ブ」93、「陽のあたる教室」95などのプロダクション・デザイナーや、「ミーン・ストリート」73、「タクシードライバー」「ロッキー」76などのヴィジュアル・コンサルタントを務めた。

一井久司氏(いちい・ひさし/元NHKプロデューサー、演出家)

5月14日、胆管がんのため死去。68歳。東京外国語大学卒業後、NHKに入社。10年に退職するまで、『武田信玄』88、『春日局』89、『武蔵 MUSASHI』03など大河ドラマ、『澪つくし』85、『芋たこなんきん』06‐07など朝の連続テレビ小説のほか、『寺子屋ゆめ指南』97‐98、『陰陽師』01、『大化改新』05など数々のTVドラマの演出や製作に携わった。

リン・シェルトンさん(米/映画・TV監督、脚本家)

5月15日、血液疾患のため死去。54歳。ワシントン大学で演技を、ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツで写真を学ぶ。30代半ばで短篇制作を始め、初長篇“We Go Way Back”06でスラムダンス映画祭グランプリを受賞。カンヌ国際映画祭監督週間で上映された“Humpday”09もサンダンスなど数々の映画祭で高評を得たほか、「ラブ・トライアングル」11、「アラサー女子の恋愛事情」14や、『MAD MEN』07‐15、『GLOW : ゴージャス・レディ・オブ・レスリング』17‐などTVドラマも手掛け、『リトル・ファイアー ~彼女たちの秘密』20では死去後の今年7月のエミー賞で候補になった。

フレッド・ウィラード氏(米/俳優)

5月15日に死去。86歳。60年代より『エド・サリヴァン・ショー』48‐71などTVや、シカゴの即興演劇集団“セカンド・シティ”に参加するなど始動し、“Fernwood 2 night”77のトーク番組の司会者役でブレイク。アメリカン・コメディ・アワードなど数々の賞に輝いた「ドッグ・ショウ!」00などクリストファー・ゲスト監督作品のほか、「大陸横断超特急」76、「おかしな泥棒ディック&ジェーン」77、「愛しのロクサーヌ」87、「ウェディング・プランナー」01、CGによる実写で登場した「ウォーリー」08などにも出演。『Hey!レイモンド』96‐05のハンク役で03~05年に連続でエミー賞候補となったほか、10年にも候補となった『モダン・ファミリー』09‐20で死去後の今年7月の同賞で再びノミネートされた。

吹原幸太氏(ふきはら・こうた/脚本家、劇作家、俳優)

5月17日、脳幹出血のため死去。37歳。法政大学経営学部在学中の05年に劇団〈ポップンマッシュルームチキン野郎〉を旗揚げし、主宰・脚本・演出を担当。『オトメン(乙男)』09、『天才バカボン』シリーズ16‐18、『弱虫ペダル』16、シリーズ構成も手掛けた『ウルトラマンZ』20などTVドラマや、「日々ロック」14、17年のドラマ版から続投した「劇場版 ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん」19などの脚本も執筆。俳優としても、「ギャングース」18などに出演した。

モニーク・メルキューレさん(加/女優)

5月17日、がんのため死去。89歳。パリやモントリオールで演技を学ぶ。“J.A. Martin Photographe”77でカンヌ国際映画祭女優賞受賞したほか、「僕のアントワーヌ叔父さん」71、「クインテット」79、ジニー賞を受賞した「裸のランチ」91、「レッド・バイオリン」98などや舞台でも活躍し、77年にカナダ勲章オフィサー、94年に最高位コンパニオンを授与され、06年にカナダ王立協会フェローに選ばれた。

ペーター・トーマス氏(独/作曲家)

5月17日に死去。94歳。FBI局員の活躍を描く「FBIハリケーン作戦」65など“ジェリー・コットン”シリーズや、「夕陽のモヒカン族」64、「宇宙人は地球にいた」70、「戦場の黄金律/戦争のはらわたⅡ」78などを手掛け、ドイツ映画賞を2度受賞したほか、60年代の楽曲が「コンフェッション」02のサウンドトラックにも使用。ドイツ初のSFシリーズとされる“Raumpatrouille Orion”66などTVも多数手掛けた。

ケン・オズモンド氏(米/俳優)

5月18日に死去。76歳。子役として「美わしき思い出」55などに出演後、『ビーバーちゃん』57‐63のエディ・ハスケル役で大ブレイク。80年代の同作の新シーズンや、劇場版「がんばれ!ビーバー」97にも同役で続投。一時期、ロス市警に18年間勤めるも、タクシー泥棒の容疑者を追跡中に発砲され重傷を負い退職した。

宮坂進氏(みやさか・すすむ/ディレクターズ・カンパニー社長)

5月19日、肺がんのため死去。72歳。慶応大学卒業後、博報堂の営業マンを経て、82年6月にディレクターズ・カンパニーの社長に就任。長谷川和彦を中心に相米慎二、根岸吉太郎、池田敏春、黒沢清、石井聰亙ら多彩な9人の監督による製作会社を経営面で支え、池田監督の「人魚伝説」84を皮切りに、「逆噴射家族」84、「台風クラブ」「ドレミファ娘の血は騒ぐ」85、「永遠の1/2」87、「スウィートホーム」89、「東京上空いらっしゃいませ」90、「死んでもいい」92など意欲作を世に送り出すも、業績は悪化の一途をたどり、92年5月に倒産した。

チャールズ・リッピンコット氏(米/パブリシスト)

5月19日、心臓発作の合併症のため死去。80歳。「スター・ウォーズ」77の宣伝に75年より携わり、現在は世界最大のポップカルチャーイベントに成長したサンディエゴ・コミコンに参加し、SFファンや若者にアピールするなど画期的なマーケティング戦略を展開。他に「エイリアン」79、「フラッシュ・ゴードン」80や、ジニー賞を受賞したドキュメンタリー「ザ・ヒストリー・オブ・アメリカン・コミックス」88の共同脚本、「ジャッジ・ドレッド」95ではプロデューサーも務めた。


ケン・ナイティンゴール氏(英/ブームオペレーター)

5月19日に死去。92歳。15年に発表された「スター・ウォーズ」77のメイキング写真での姿にちなみ“Pink Shorts Boom Guy”の愛称でファンがコスプレするなど人気を博したほか、「ユア・アイズ・オンリー」81、「オクトパシー」83、「リビング・デイ・ライツ」87など「007」シリーズや、「アルフィー」66、「ジュリア」77、「ブラジルから来た少年」78などの音響に携わった。

デニース・クローネンバーグさん(加/衣装デザイナー)

5月22日に死去。81歳。バレエダンサーを経てデザイナーに。弟デイヴィッド・クローネンバーグ監督の「ザ・フライ」86を皮切りに映画衣装を手掛け、サターン賞とジニー賞の候補となった「戦慄の絆」88、「裸のランチ」91、「イースタン・プロミス」07、「マップ・トゥ・ザ・スターズ」14まで数々のクローネンバーグ監督作のほか、「ガーディアン/森は泣いている」90、「ブレス・ザ・チャイルド」00、「ドーン・オブ・ザ・デッド」04、「インクレディブル・ハルク」08、「バイオハザード Ⅳ アフターライフ」10などを手掛けた。

ヘザー・チェイセンさん(英/女優)

5月22日に死去。92歳。シンガポール生まれ。日本占領下の42年に渡英し、数々の舞台で活躍。ラジオの昼ドラマ“The Navy Lark”59‐77では20以上のキャラクターを演じ分けたほか、元ファッションモデルの新聞記者にふんした“Crossroads”64‐88や、『シャーロック・ホームズの冒険』84‐94、『イーストエンダーズ』85‐などTVドラマや、「レッド・バレッツ」11、「レ・ミゼラブル」12などに出演した。

伊藤達文氏(いとう・たつふみ/アニメーション監督)

5月23日、脳幹出血のため死去。55歳。玉川達文名義で80年代より始動。アニメーターとして、『まじかる☆タルるートくん』90‐92、『ママレード・ボーイ』94‐95、『花より男子』96‐97など数々のTVアニメーションや、「Coo 遠い海から来たクー」93、「COWBOY BEBOP 天国の扉」01など劇場版作品に携わったほか、『しゅごキャラ!!!どっきどき』09‐10、『戦姫絶唱シンフォギア』12‐19の第1期などでは監督も務めた。

ジャン=ルー・ダバディー氏(仏/作詞家、脚本家)

5月24日に死去。81歳。19歳で作家として始動後、コメディアンのギイ・ブドスのための脚本や、ミシェル・ポルナレフの〈フランスへの手紙〉77など数々のヒット曲の作詞を手掛ける。脚本家としても、アカデミー賞外国語賞候補となった「ありふれた愛のストーリー」78や「夕なぎ」72、「ギャルソン!」83など数々のクロード・ソーテ監督作のほか、「パリジェンヌ」61、「私のように美しい娘」72、「平手打ち」74、「再会の夏」18などを手掛け、77~79年まで連続でセザール賞候補に。90年にモリエール賞候補となるなど劇作家の顔ももち、08年には仏語の純化などを目的としたアカデミー・フランセーズの会員に選出された。息子はサッカー日本代表のトルシエ元監督のアシスタントだったフローラン・ダバディー。

野村岳也氏(のむら・がくや/映画監督)

5月24日、急性心筋梗塞のため死去。87歳。東京のプロダクション勤務を経て、軍医だった父が戦死した沖縄に関心を抱き、久高島で12年に1度だけ行われる祭祀を撮影した「イザイホウ」66を監督。本土に復帰後は県内に移り住み、10年に映像製作会社“海燕社”の設立に参加し、沖縄戦に従軍した女子学徒隊の生存者の証言を集めた「ふじ学徒隊」12などを手掛けた。

高瀬將嗣氏(たかせ・まさつぐ/アクション監督、殺陣師)

5月25日、胃がんのため死去。63歳。国士館大学文学部在学中より、俳優として始動。79年に卒業後、殺陣師の父・高瀬将敏の後を継ぎ、「ビー・バップ・ハイスクール」シリーズ85‐88、「マルサの女」87、「犬、走る DOG RACE」98、「WASABI」01、「花のあと」09、「海辺の映画館-キネマの玉手箱」19などや、『あぶない刑事』シリーズ、『はみだし刑事情熱系』96‐04など数々のTVドラマのアクションに携わる。90年代以降は、『極道ステーキ』シリーズ、『新・日本の首領』シリーズなど数々のOVAや、「嗚呼!!花の応援団」96など映画監督としても手腕を発揮した。

ウー・ポンフォン氏(台/俳優)

5月25日、出血性脳卒中のため死去。55歳。舞台で始動し、90年代より映像にも進出。ウェイ・ダーション監督の「海角七号/君想う、国境の南」08、「セデック・バレ」11、ワン・ユーリン監督の「父の初七日」09(金馬奨助演男優賞)、「天龍一座がゆく」12、「アリフ・ザ・プリン(セ)ス」17や、「祝宴!シェフ」13、「一分間だけ」14、日本映画「ママ、ごはんまだ?」17などや、『第一響槍』18で金鐘奨主演男優賞を受賞するなどTVでも活躍した。

レナーテ・クレスナーさん(独/女優)

5月25日に死去。75歳。東独で舞台で始動。60年代半ばよりTVや映画にも進出し、ソロ歌手として自立を夢見るヒロインを演じた「ソロシンガー」80でベルリン国際映画祭女優賞を受賞。85年に西独に渡り、“Nordkurve”92、「神に選ばれし無敵の男」01などや、“Bruder Esel”96などTVでも活躍した。

リチャード・ハード氏(米/俳優)

5月26日、がんの合併症のため死去。87歳。舞台で始動。『となりのサインフェルド』89‐98のNYヤンキースでのジョージ・コスタンザの上司ウィルヘルム役、『スター・トレック』シリーズのオーウェン・パリス提督役などで知られるほか、「大統領の陰謀」76、「チャイナ・シンドローム」79、「ゲット・アウト」17、「運び屋」18などに出演した。

ラリー・クレイマー氏(米/劇作家、脚本家、活動家)

5月26日、肺炎のため死去。84歳。23歳でコロンビア・ピクチャーズで始動し、同スタジオの脚本のリライトなどを手掛けた後、D・H・ロレンスの小説を映画化した「恋する女たち」69でアカデミー賞とBAFTA賞の脚色賞候補に。「失われた地平線」72など手掛けた後、米国におけるゲイの意義を追究するべくハリウッドからニューヨークの舞台に活動の場を移す。85年に初演され、11年のブロードウェイ・リバイバルでトニー賞3冠に輝いた『ノーマル・ハート』は14年に自身の脚色でライアン・マーフィ監督によりTV映画化され、エミー賞で2冠に輝くなど高評を得たほか、その続編“The Destiny of Me”は93年にピューリッツァー賞候補に。82年に初のHIV陽性者支援団体“Gay Men’s Health Crisis(GMHC)”、87年にエイズ撲滅のための“AIDS Coalition to Unleash Power(ACT UP)”を設立するなど、80年代のエイズ危機への政府の対応の遅れを作品や行動を通し鋭く批判し、米国の医療にも変革をもたらした。13年に長年の功績により特別トニー賞を授与された。

イルム・ヘルマンさん(独/女優)

5月26日に死去。77歳。秘書などを経て、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督に見出されて女優に。ドイツ映画賞主演女優賞に輝いた「四季を売る男」71や、「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」72、「不安は魂を食いつくす」74、「リリー・マルレーン」81などファスビンダー監督作品のほか、「ヴォイツェク」79、「ヴィクトリー/遥なる大地」95、「10ミニッツ・オールダー イデアの森」02(フォルカー・シュレンドルフ監督篇)、「ベルリン陥落 1945」08などに出演した。

ペギー・ポープさん(米/女優)

5月27日に死去。91歳。68年にジョン・グェア作“Muzeeka”でオビー賞を受賞するなど舞台で活躍。アルコール中毒の秘書をコミカルに演じた「9時から5時まで」80、「ドラゴンフライの幻想」76、「スター・ファイター」84、「野獣教師」96や、『奥さまは魔女』64‐72、『SOAP』77‐81、『LAW & ORDER』90‐10などTVドラマにも出演した。

レニー・ニーハウス氏(米/作曲家、アルトサックス奏者)

5月28日に死去。90歳。サイレント映画のオーケストラのヴァイオリニストだったロシア生まれの父をもつ。アルトサックス奏者として始動後、陸軍で出逢ったクリント・イーストウッドとジャズ愛好家同士で親交を深める。除隊後、ミュージシャン活動の傍ら作曲家ジェリー・フィールディングのオーケストレーションも担当し、「わらの犬」71、「メカニック」72などや、イーストウッド主演の「ガントレット」77、「アルカトラズからの脱出」79など担当。80年のフィールディングの死去後は「タイトロープ」84から「ブラッド・ワーク」02までイーストウッド監督のほぼ全作の作曲を手掛け、イーストウッド自身が作曲するようになってからも、指揮やオーケストレーションでサポートを続けた。

クロード・ヒーター氏(米/オペラ歌手)

5月28日に死去。92歳。ブロードウェイで始動後、オペラに専念し、カラヤンが芸術監督を務めたウィーン国立歌劇場や、カリフォルニアのサンフランシスコ・オペラなどで活躍。ローマで公演中にプロダクション・マネジャーに見出され、スクリーンテストを経て「ベン・ハー」59にイエス・キリスト役で出演した。

ギイ・ブドス氏(仏/俳優、脚本家)

5月28日に死去。85歳。フランス植民地時代のアルジェリア生まれ。パリで演技を学び舞台で始動し、2番目の妻ソフィー・ドゥーミエと組み、数々のスケッチでコメディアンとして人気を博す。映画も、ゴールデン・グローブ賞候補となったイヴ・ロベール監督の“Pardon Mon Affaire”76と翌年の続編のほか、「捕えられた伍長」62、「ミーシャ/ホロコーストと白い狼」07、「みんなで一緒に暮らしたら」11など40作以上に出演した。

マーク・グラマック氏(米/アニメーター)

5月29日に死去。73歳。ウォルト・ディズニー・スタジオで始動し、「ジャングル・ブック」67、「ベッドかざりとほうき」71などに携わる。99年にエミー賞候補となった“Life with Louie”94‐98、『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』93‐94などを手掛けたほか、『地上最強のエキスパートチームG.I.ジョー』85‐86ではプロデューサーも務めた。

蒲池愛さん(かまち・あい/作曲家、編曲家、ピアニスト)

5月30日に死去。48歳。国立音楽大学作曲学科卒業後、レコーディング・エンジニアの永見竜生と組み、音楽ユニット“aikamachi + nagie”および“ANANT-GARDE EYES”として活動。『CLANNAD~AFTER STORY』08‐09、『ANGEL BEATS』10、『Charlotte』15などTVアニメーションの主題歌、挿入歌、サウンドトラックや、NHK Eテレ『おはなしのくに』90、「こま撮りえいが こまねこ」06やCM曲などを手掛け、幅広い分野で活躍した。

岡村春彦氏(おかむら・はるひこ/演出家、俳優)

5月31日、肺炎のため死去。85歳。劇団〈民藝〉水品演劇研究所で同期だった米倉斉加年や常田富士男らと60年に劇団〈青年芸術劇場〉を旗揚げ(66年に解散)。新劇界で異端の劇団として話題作を数多く発表し、俳優や演出家として活動。実相寺昭雄監督の「無常」70、「哥」72、「ウルトラQザ・ムービー 星の伝説」90や、「真田風雲録」63、「沖縄列島」69(ナレーション)、「日本の悪霊」70や、『七人の刑事』シリーズ、『ウルトラ』シリーズや『新・平家物語』72などTVドラマにも出演した。

ダン・ヴァン・ハッセン氏(独/俳優)

5月31日、新型コロナウイルスの合併症のため死去。75歳。スペインのクラブでDJをしていたところをイタリア人プロデューサーに見出され、映画界入り。「エル・コンドル」70、「マーベリックの黄金」71、「J & S/さすらいの逃亡者」72など数々の西部劇で主に悪役を演じたほか、「カサノバ」76、「ノスフェラトゥ」79、「シーウルフ」80、「ジャスティス」02、「スターリングラード」01、「ブリムストーン」16などや、『刑事デリック』74‐98、『バンド・オブ・ブラザース』01などTVドラマにも多数出演した。