第47回城戸賞準入賞作品シナリオ「寄生虫と残り3分の恋」全掲載
- 城戸賞
- 2022年01月05日
1974年12月1日「映画の日」に制定され、第47回目を迎えた優れた映画脚本を表彰する城戸(きど)賞。本年度は、対象337作品から準入賞に「グレー」と「寄生虫と残り3分の恋」の2作品が選ばれました。
自己欺瞞・モラトリアムなどから覚醒する三人三様の姿をLGBTを絡ませて描いた「寄生虫と残り3分の恋」。そのシナリオ全文を掲載いたします。
もう一つの準入賞作品「グレー」の全文はこちらから、お読み頂けます。
タイトル「寄生虫と残り3分の恋」
一戸慶乃
あらすじ
大学中退以来、定職に就いたことのない奈留は、むせるほど辛いカップ麺を食べながら彼氏の帰りを待つことが日常だった。自堕落な自分を許してくれる優しい彼氏の早川。だがその日、早川の口から呆気なく別れを告げられてしまう。奈留は仕事を探し、家を出て行かなければならなくなった。
そんな折、親友の岩瀬を家に連れてきた早川。岩瀬は早川とは反対に、歯に衣着せぬ物言いのさっぱりとした男だ。その日から、短い3人暮らしが始まる。
岩瀬の目もあり早々にバイト先を見つける奈留だったが、店長のセクハラ発言に耐え兼ねすぐに逃げ出し、また元の生活へ逆戻り。そんなある日、突然奈留の両親が訪れる。父親のてる彦は、優しすぎる早川と自分を重ねていた。てる彦は早川に土下座をしてまで娘と別れるようにと勧める。そんなてる彦に、もう別れることは決めていると答える早川。その言葉を聞いた奈留は、改めて早川が本気なのだと気づくのだった。
奈留は翌日、職業支援センターへと向かう。前に進まなければと泣く泣く舵を切ったのだ。だが体は思うように動かない。浴びるように酒を飲み、なんとか受付へたどり着くが心は折れ、笑いと涙が止まらなくなった。そんな奈留を迎えにきた早川に、奈留は「好きだ」と小さく呟く。早川はもう何年も聞いていなかった奈留のその言葉に、ひどく動揺した。それと同時に、奈留を養ってきたことは自己満足だったのではないかと疑問を抱き始める。
そんな早川の迷いを知った岩瀬もまた、複雑な気持ちを抱く。岩瀬は親友である早川に、恋愛感情を持っていたからだ。それに気付いてか早川は、岩瀬を拒絶するような態度を見せる。その翌日、岩瀬は早川と奈留の前から姿を消した。
必死に前を向こうとする奈留。本当にこれでよかったのかと自問する早川。一向に帰らない岩瀬。別れの日だけが刻々と近づいた。
そして最後の日。早川は奈留と岩瀬に、「ふたりを自己満足のための存在として利用してた」と打ち明ける。早川は自分の弱さを認めるため、ふたりとの決別を選んだのだ。そして奈留と岩瀬もまた、別れを受け入れ前に進んでいく。
登場人物
木嶋 奈留(28)無職
早川 桜介(28)介護士・奈留の彼氏
岩瀬 光希(28)SE・早川の親友
木嶋 てる美(64)奈留の母
木嶋 てる彦(65)奈留の父
貝塚(67)コンビニ店員
鹿野崎(44)岩瀬の上司
店長(60)酒屋の店長
鈴木マネージャー(62)早川の上司
田中(40)奈留の上司
店主(68)めん処あやめの店主
高柴(35)岩瀬の友人
施設のおばあさん
施設のおじいさん
職業支援センターの受付スタッフ
職業支援センターの面談スタッフ
面接官1~3
オフィスの受付スタッフ
引っ越し屋の作業員
介護職員
コンビニ店員
林(声のみ)酒屋の従業員
テレビのコメンテーター
テレビのアナウンサー
シナリオ
〇松虫荘・居間(夜)
テーブルの上には、ティッシュや求人誌、コバエ取りなど。
無造作に置かれたキッチンタイマーの数字が0になり音が鳴ると、木嶋奈留(28)が、少々乱暴に止める。
カップ麺のフタの上に置かれたリモコンを取ってテレビをつけると、報道番組が流れだす。
画面に映る時刻は23時57分。
コメンテーター「急に終止符が打たれるわけじゃないですからね。ある意味世界は終わりに近づいてますよ。あなたもそう思いませんか!」
テレビ画面の中、コメンテーターの言葉に女性アナウンサーがたじろいでいる。
奈留、鼻をかんで、
奈留「大げさだねー」
遠くのゴミ箱に丸めたティッシュを投げて、外れる。
外れたティッシュが他にもいくつも転がっているが気に留めない。
カップ麺を混ぜて、勢いよく麺をすすると、むせて、
奈留「……っ辛」
コメンテーター「炎上覚悟で言いますけどね、正直希望もへったくれも」
奈留、テレビを消して。
コバエがうっとおしく、手で払う。
奈留「あーもう」
コバエがテーブルに止まると、ティッシュで仕留める。
奈留「おし」
そのティッシュをテーブルに適当に投げ捨て、再びカップ麺を食べ始める。
そこへ玄関の開く音がして、早川桜介(28)が帰宅する。
早川「ただいま」
奈留「(むせながら)早いじゃん」
早川、返事をせず。
奈留「え、機嫌悪い感じ?」
早川 「いや、全然(と、鼻をすすって)」
奈留「風邪とかやめてよね」
早川、テーブルに置いてあるコバエを仕留めたティッシュを手にして、鼻をかむ。
奈留「あ」
早川「何?」
奈留「いやなんでもない」
早川、ティッシュを捨てにゴミ箱へ行くと、いくつも丸めたティッシュが床に落ちている。
すべて拾って、……。捨てる。
早川「ねぇ、奈留?」
奈留、カップ麺を食べていて。
早川「別れよっか」
奈留「……。は?」
早川「俺もカップ麺もらっていい?」
奈留「え、何? なんて?」
早川 「……別れよう。もう決めたから」
奈留「(苦笑して)意味がわからん」
早川「すぐに出て行ってほしいとは言わない。奈留がちゃんと仕事見つけてからにするし、引っ越し代もちゃんと出す」
奈留「……冗談きついって」
早川、カップ麺にお湯を注ぎ、キッチンタイマーをセットする。
残り時間3分から、カウントされていくタイマー。
〇メインタイトル
「寄生虫と残り3分の恋」
〇同・寝室(深夜)
テレビ画面でシューティングゲームをしている奈留。
パジャマに着替えた早川がきて、
早川「もう寝るよー」
奈留、無視をして。
早川「おやすみ」
早川、電気を消しベッドに入ると、奈留の顔がテレビ画面の光に照らされていて、見入ってしまう。
〇同・同(朝)
窓の外はすっかり明るい。
ベッドの上、大口を開け、バンザイの体勢で寝ている奈留。
〇同・玄関(朝)
早川、部屋を出て、仕事へ向かう。
〇介護施設、花きりん・外観
表に『花きりん』の看板が見える。
〇同・パブリックスペース
立ち上がろうとするおばあさんを介助する早川。
おばあさん「うん。うん。ありがとう」
早川「ゆっくりでいいからね」
おばあさん「いつも優しくしてくれて、ありがとう」
早川「いいえ、こちらこそ」
おばあさん、車椅子に乗って、別の介護職員に連れられていく。
喜びを感じ、つい顔が緩む早川。
そこへ鈴木マネージャー(62)がきて、
鈴木「早川くんは辞めないでね!」
早川「なんですか、急に」
鈴木「この前入った新人くん、今月いっぱいで辞めるって」
早川「へぇ」
鈴木「人のためになりたいって入ってきたのに、見返りが少なすぎるって。介護の仕事舐めてるわよね」
早川「(苦笑して)まぁ、そうっすね」
鈴木「早川くんには私、辞めてほしくないのよ。早川くんって真面目だし、優しいし……真面目じゃない?」
早川「そんなに真面目では」
鈴木「しかもほら、結婚考えてる彼女さんいるんでしょ? 頑張んなさいよ!」
早川「(苦笑して)はい」
鈴木「あなたみたいに無条件で人に優しくできる人は、そういないんだから」
早川「……」
鈴木「ほいじゃあよろしくね!」
鈴木、そそくさと去っていく。
〇松虫荘・外階段(夜)
アパートの階段を上る早川。
足元には大家の趣味か、花を咲かせた植木鉢がひっそり置いてある。
早川の後ろからは、もうひとりついて歩く男の足。
〇同・玄関(夜)
帰宅する早川。
家の中は真っ暗。電気をつけて、
早川「ただいま」
〇同・寝室(夜)
ベッドの上、大口を開け、バンザイの体勢で寝ている奈留。
朝とほとんど変わらない寝相。
早川、部屋を覗いて、
早川「奈留起きてる?」
奈留、目を覚ますが、ボーっとしていて。
奈留「んー」
早川「こいつ、岩瀬」
奈留「(片目を開け)んあ?」
早川の後ろから部屋を覗く岩瀬光希(28)。
岩瀬「どうも」
奈留「は? 誰」
早川「友達」
岩瀬「……」
早川「今日からしばらくここに泊まるから」
奈留「ん、はい?」
岩瀬「お願いしまーす」
奈留「え、誰。何」
岩瀬「桜介ごめん、キッチン借りていい?」
早川「もちろん。ごめん俺、先風呂入ってきていい?」
岩瀬「あいよー」
早川、風呂へ向かう。
岩瀬、奈留をチラッと見るが、気にせずキッチンへ。
奈留「え、待って。何勝手に進めてんの?」
〇同・居間(夜)
キッチンのコンロには煮立った鍋。
岩瀬が野菜を切って入れていく。
奈留、寝起きの顔で近づくと、
岩瀬「あの、ピーラーあります?」
奈留「ピーラー?」
奈留、引き出しをいくつか開け、ピーラーを探す。
岩瀬「え、彼女さんピーラーの場所も知らないんすか?」
奈留「……は」
岩瀬「いいっす、ないなら」
奈留「(イラッとして)早川と、友達なんですよね」
岩瀬「そうですが?」
奈留「なんかしっくりこないなぁ。早川と雰囲気違いすぎるっていうか」
岩瀬「彼女さん、桜介のこと苗字で呼んでるんですか?」
奈留「そうですけど」
岩瀬「珍しっ」
奈留「高校の時の同級生なんで、その時から変えてないだけです」
岩瀬「もしかして、夜の営み中でも苗字で呼ぶんすか?」
奈留「は!?」
岩瀬「まぁ、それはそれでアリか」
奈留「え、何なんですか」
岩瀬「特に深い意味はないですけど?」
奈留、苛立って。
冷蔵庫を開け、発泡酒を手にし、テーブルにつく。
缶のまま飲んで。
岩瀬「彼女さん、仕事してないんでしたっけ?」
奈留「まぁ今は」
岩瀬「今はって? いつから?」
奈留「……5、6……、7年前くらいでしょうか」
岩瀬「ひどいな……(と、小さく呟いて)」
奈留「なんか言いました?」
岩瀬「桜介のために、もうちょっと頑張ろうとかないんすか?」
奈留「……。岩瀬さんって、なんでここに泊まることになったんですか?」
岩瀬「質問に質問で返さないでください」
奈留「今日から何日泊まるんですか?」
岩瀬「だから」
奈留「いつまでいるつもりなんですか?」
岩瀬「……、特に決めてないっすね」
奈留「は?」
岩瀬「ん?」
奈留「困るんですよね、こっちも女子なんで」
岩瀬「(笑って)」
奈留「はい?」
岩瀬「何言ってんすか? ここ桜介んちでしょ」
奈留「……そうですけど、一応私彼女なんで」
岩瀬「一応」
奈留「……」
岩瀬、たまたま開けた引き出しからピーラーを見つけて。
岩瀬「お、ありましたピーラー。場所ここです。一応、彼女さん」
奈留「(無視をして、発泡酒を飲む)」
岩瀬「あれ。怒りました?」
早川、風呂から上がってきて、
早川「ん? どした?」
岩瀬「鍋、そろそろできまーす」
早川「おお、ありがとう」
岩瀬、鍋をテーブルにセットして、奈留を見る。
奈留、明らかに不機嫌な顔。
岩瀬「一応……」
早川「ん?」
岩瀬「彼女さんも食べますか?」
奈留「……、(怒りながら)はい!!」
岩瀬「おぉ……」
早川、席について、
早川「美味しそう」
岩瀬も席につくと、
岩瀬「はい(と、早川の器を取ろうとして)」
早川「おう……ありがとう」
岩瀬、早川の器に鍋をよそう。
横を見ると、奈留もよそってもらえるかと器を手に準備している。
岩瀬「はい(と、早川に渡して)」
岩瀬、次に自分の器によそう。
岩瀬「(奈留に)ん?」
奈留「……(自分の器を下して)」
岩瀬「彼女さんは自分でどうぞ?」
奈留、黙って自分でよそう。
早川「あ、岩瀬ごめん」
岩瀬「んー?」
早川「言ってなかったけど、俺たち別れることになったから」
岩瀬「え。(奈留を見て)……」
無言で食べている奈留。
岩瀬「じゃあ、彼女さんはもうすぐこの家を出る感じ?」
早川「奈留の仕事が見つかったらね」
岩瀬「(嘲笑い)それ、ズルズル行くやつ」
奈留「はい?」
岩瀬「仕事見つからなかったら、出て行かなくていいってことでしょ? 優しいな桜介は」
早川「……」
奈留「私だって、すでに探してますから。(と、テーブルの求人誌を岩瀬に見せる)」
岩瀬、求人誌を見ると、2019年版と書かれており、
岩瀬「これ、2年前のですよ。(微笑んで)まだ募集中だといいですね」
奈留「……ネットでも探してます」
岩瀬「へぇ。あ、そうだ! 確か近くの酒屋でバイト募集の張り紙貼ってましたよ」
奈留「そうですか」
岩瀬「今度写真撮ってきましょうか?」
奈留「これはこれはわざわざご丁寧にどうも」
岩瀬「いえいえ全然。受かるといいっすね」
奈留「ですね~」
嫌な沈黙が流れて、
早川「これ、本当美味しいな」
岩瀬、早川に微笑む。
〇同・脱衣所(夜)
風呂は電気がついていて、シャワーの流れる音。
〇同・居間(夜)
早川、スープだけになった鍋を見て、
早川「これ明日おじやできるね」
奈留「ねぇ何なのあの人」
早川「何って、大学時代からの友達」
奈留「いつまで泊まるの?」
早川「わかんないけど、1カ月……、2カ月」
奈留「なんで曖昧?」
早川「悪いけど居させてやってよ。泊まる場所に困ってるんだって」
奈留「知らないしそんなの」
早川「奈留は気にせず仕事探してくれていいから」
奈留「気になるわ」
早川「あいつ、つい頼っちゃうくらい良い奴なんだよ」
奈留「どこが? そもそも頼られてるのは早川の方でしょ?」
早川「……。これ明日おじやできるなぁ」
奈留、誤魔化す早川に苛立つ。
〇オフィス・13階デジタル部門
仕事をしている岩瀬。
ノートパソコンを持った後輩がきて、
後輩「岩瀬さん、ここどういう事象かわかりますかね?」
岩瀬「あぁ……」
岩瀬、後輩のノートパソコンでプログラミングを修正し、
岩瀬「こうだね」
後輩「おぉ、ありがとうございます! さすがです」
岩瀬「(微笑んで)」
去っていく後輩。
岩瀬、自分のパソコンに向かうと、上司の鹿野崎(44)がきて、
鹿野崎「頼られてんじゃん」
岩瀬「あ、いえ」
鹿野崎「岩瀬くんってさ、苦手なものとかあるの?」
岩瀬「え?」
鹿野崎「仕事も人間関係もそつなくこなすし、これは苦手、無理ーってものがなさそうだなって思って」
岩瀬「あー。まぁ、優しさが取り柄の奴に寄生虫みたいにくっついてる女とかは苦手っすけどね」
鹿野崎「え、なに彼女? もしかして一周まわってノロケ?」
岩瀬「違いますよ。俺彼女いないですし、優しい奴でもないんで」
鹿野崎「岩瀬くんは、優しいよ? 優しい奴だよ」
岩瀬「いやそんなこと」
鹿野崎「しっかり後輩たちに優しく指導してくれてる」
岩瀬「……」
鹿野崎「まぁ人に頼られすぎたら、抱え込まずにちゃんと誰かに相談するんだよ」
岩瀬「はい」
鹿野崎「彼女でも作ってさ」
岩瀬「……(微笑み)そうっすね」
鹿野崎「(微笑み返し)じゃあ、午後の会議よろしくね」
鹿野崎、軽快に去っていく。
岩瀬、パソコンに向き直し、無表情で仕事を再開する。
〇酒屋・スタッフルーム
奈留、帰りたいなと思いながら座っている。
店長(60)、履歴書を見てから、奈留の顔を見て、
店長「採用で」
奈留「え?」
店長「いつから働けます?」
奈留「あの、履歴書見ましたか?」
店長「うん、ざっくりね」
奈留「自分で言うのもあれですけど、私長らく無職だったんですよね」
店長「あぁ、そうね」
奈留「こういう奴って、途中で絶対ばっくれると思いませんか?」
店長「え~、それは困っちゃうよ~。でもあなた働きたいんでしょ?」
奈留「……まぁはい。そうですけど」
店長「採用で」
奈留「え」
店長「週5行ける? 行けるね?」
奈留「あぁ、はい……。でも私今までずっと」
店長「大丈夫。あなたのバックボーンなんて誰も興味ないから」
奈留「……そうですか(と、笑う)」
〇松虫荘・寝室
奈留、テレビ画面でシューティングゲームをしている。
岩瀬が部屋を覗き、
岩瀬「呑気っすね」
奈留「(ゲームに)いけっ」
岩瀬「見つかったんすかー? 仕事」
奈留「はい」
岩瀬「え?」
奈留「(ゲームに)うわ、しまった」
岩瀬「まじか。俺が教えたあの酒屋?」
奈留「そうですが?」
岩瀬「おぉ、素直に受けたんだ……」
奈留「受かったこと、早川にはまだ言わないでくださいね」
岩瀬「なんで? 安心するんじゃない?」
奈留「ちゃんと働き続けられるかわかってからじゃないと意味ないんで」
岩瀬「辞める気満々じゃん」
奈留「こっちにだって仕事を選ぶ権利があるんでね。(ゲームに)よし、よし、いいよ、はい天才。うわ待って待って待って!」
岩瀬「俺ここにきたときからずっと思ってたんですけど……、彼女さんって桜介のヒモなのに態度でかいっすよね」
奈留「(ゲームに)わっ。うわ!」
奈留、ゲームオーバーになって、
奈留「(岩瀬を見て)……あなたには言われたくないです」
岩瀬「(笑って)風呂借りまーす」
奈留、苛立って、ベッドにダイブし、寝っ転がる。
〇酒屋・店内
エプロンをつけた奈留。
酒の入った段ボールを運んでいて、
奈留「重っ」
店長がやってきて、
店長「あれ? 木嶋さん違うよそこじゃない。それは奥の棚に運んでくれる?」
奈留「え? でも林さんはここって」
店長「林くん?」
奈留「はい、林さんが売れ筋だから手前の方にって教えてくれて」
店長「え、何? もしかして木嶋さん林くんのこと好き?」
奈留「は?」
店長「やめてよ~そういうの。仕事に持ち込まないで~」
奈留「(苦笑して)いや違うんですけど」
店長「林くんうちの社員だからさ、急に妊娠しちゃいましたとかやめてよ~?」
奈留「……?」
店長「まっ早く時給分は働けるようになってくださいな。はい、奥に運ぶ運ぶっ」
奈留「……」
店長「(林を見つけ)あ、林くーん。ダメだよバイトに手出しちゃ~」
林(声)「は?」
奈留、目の前の段ボールを無表情で見つめ、
奈留「きも……」
〇松虫荘・居間(夜)
料理をしている岩瀬。
玄関の方からドアが開く音。
岩瀬「お、おかえりー」
早川が帰宅して。
早川「ただいま。(見渡して)奈留は?」
岩瀬「んー? 奥で寝てるよ」
奈留、起きてきて、
奈留「起きてますよー」
岩瀬「あ、そういえば桜介」
早川「ん?」
岩瀬「彼女さんから、2つ報告があるって」
奈留「ちょっとやめてよ」
早川「何?」
岩瀬「1つ目が、なんとバイト先が決まりました!」
早川「え……」
岩瀬「おい、もうちょっと喜べよ」
早川「あぁ、思ったより早くてびっくりした。おめでとう奈留」
奈留「(白けた顔をして)」
岩瀬「それで2つ目が、今日、バイト初日でばっくれてきました!」
早川「え」
奈留「言うな」
早川「(安心して)なんだ、結局決まってないじゃんかよ。びっくりしたー」
岩瀬「……」
早川「ちょっと俺風呂入ってくる」
早川、風呂へと向かう。
奈留、テーブルについて、発泡酒を開けて飲んで。
岩瀬、奈留の前の席に座り、奈留の顔をじっと見る。
奈留「?」
岩瀬「君のどこがいいんだろうね」
奈留「は?」
岩瀬「皆目見当がつかない」
奈留「……私にだってつきませんよ」
岩瀬「ふーん」
奈留「(目を逸らして)」
岩瀬「じゃあ彼女さんは桜介のどこが好きなの?」
奈留「……え」
岩瀬「養ってくれるとこ?」
奈留「違います」
岩瀬「じゃあどこ? 長く一緒にいすぎて忘れちゃった?」
奈留「……一緒にいるのが当たり前だからパッと出てこないだけです」
岩瀬「俺は桜介と友達になって結構経つけど、パッと出てくるけどねー。好きなとこくらいいっぱい」
奈留「彼女と友達を一緒にしないでください」
岩瀬「……」
インターホンが鳴って、
岩瀬「お、出ますよ」
奈留「いいです、客人はどうぞ座っていらして?」
岩瀬「君の家じゃないんだよ?」
〇同・玄関(夜)
奈留、玄関を開けると、木嶋てる美(64)が顔を覗かせる。
てる美「やほ(と手を上げて)」
奈留「……お母さん!」
てる美「彼氏くんちだっけ? もう帰ってるの?」
てる美、ずかずかと部屋に入る。
奈留「お母さん? 急にやめて?」
〇同・居間(夜)
部屋に入っていくてる美。
てる美「へぇ、男の子にしてはきれいに」
エプロン姿の岩瀬が目に入り、
てる美「……?」
奈留「お母さん、えっと」
岩瀬「どうも」
奈留「この人はね」
てる美「(奈留に)あんた……」
奈留「ううん違う。この人は」
岩瀬「奈留さんの二番目の男です」
てる美「へ⁉」
奈留「違うね、何言ってるのかな? バカなのかな?」
てる美「早川くんは? もしかしてもう別れたの?」
岩瀬「(もう? と)」
奈留「早川は今お風呂。この人はただの早川の友達」
てる美「……本当かしら」
てる美、風呂へと向かって、
奈留「お母さん? 何してんのちょっと」
〇同・脱衣所(夜)
てる美、勢いよく扉を開けると、全裸の早川が立っていて。
早川「……」
てる美「(全身見て)あら早川くん」
早川「……」
てる美「お疲れ様~」
早川「お疲れ様です」
奈留「え、何が?」
早川「とりあえずもろもろ履きますね」
てる美「そうしてちょうだい」
居間から脱衣所の方を覗く岩瀬。
口を押さえ、ニヤニヤしている。
〇同・居間(夜)
鍋を囲む、奈留、早川、岩瀬、てる美。
奈留「また鍋」
岩瀬「(は? と)」
早川「さっきはすみません、もろもろと」
てる美「こちらこそもろもろとごめんね」
岩瀬「あ、お母さん取りますよ?」
てる美「あらいい男。お願い」
岩瀬、てる美の器に鍋をよそって、
てる美「ありがと~」
岩瀬「(早川に)んっ」
早川「? あぁ、ありがとう」
岩瀬、早川の器にもよそってあげて。
奈留にはよそわずに、おたまを戻す。
奈留、イラッとして。
てる美「(早川と岩瀬に)なんかふたり、新婚さんみたいね?」
岩瀬「えっ(と、少し照れて)」
奈留「はぁ? 男同士に何言ってんの」
岩瀬「……」
てる美「私も昔はよかった~。新婚さんの頃」
奈留「誰もそんな話聞いてない」
てる美「いいじゃない。お父さんと出会ったのはお見合いだったんだけどね、運命感じちゃった!」
奈留「名前がてる美とてる彦だったからでしょ? 安直な」
てる美「いいでしょ? 奇跡だと思ったんだから」
奈留「はいはい5万回聞いたよそれ」
てる美「この人なら、この先ずっと一緒にいられるのかもって、思えたのよね……」
奈留「それはおめでとう」
てる美「奈留と早川くんは? もう長いわよね」
早川「10年近くなりますかね」
奈留「最初の方は付き合ってんだか怪しかったけど」
早川「すいません、8年くらいになります」
奈留「いいよそんな厳密に」
てる美「にしても長いわねー。こんなに長いと、簡単に別れられなくなるでしょ」
奈留「……」
早川「(てる美に)巾着食べます?」
てる美「巾着もう食べた」
早川「……。うどん入れます?」
てる美「今炭水化物抜いてるの」
早川「……」
岩瀬「お母さん、巾着の中身餅っすよ」
てる美「あらやだ(と、笑って)」
そこへインターホンが鳴り、早川が玄関へ向かう。
〇同・玄関(夜)
早川、扉を開ける。
早川「はい」
そこには木嶋てる彦(65)が立っている。
〇同・居間(夜)
早川について部屋に入るてる彦。
てる美「てるちゃん?」
てる彦「(てる美を見て)……てるちゃん」
奈留「は? なんで?」
× × ×
ぐつぐつと煮える鍋。
その席に加わっているてる彦。
奈留「お父さん早川と初めてだよね」
てる彦「いや、この前ちょっとな」
早川「はい」
奈留「え? 聞いてないんだけど」
てる彦「(岩瀬に)君は?」
岩瀬「奈留さんの二番目の男です」
てる彦「⁉」
岩瀬「嘘です」
てる彦「……」
早川「お父さん巾着食べます?」
てる彦「いらん」
早川「はい」
奈留「で、お父さん何しにきたわけ? 言ってくれたら帰ったのに」
てる彦「今日はお前に用はない」
奈留「は?」
てる彦「(早川に)この前は急に押しかけてすまなかった」
早川「あぁ、いえ」
奈留「?」
てる彦「一方的に意見を言ってしまったから、後になって不安になってな」
早川「大丈夫です」
てる彦「でも伝えたかったことは今も変わっていない。娘とは別れた方がいい」
早川「……」
奈留「はぁ? 何言ってんのお父さん」
てる彦「お前には関係ない」
奈留「え、あるわ」
てる彦「早川くんのために言っている」
てる美「てるちゃん、それはやっぱり余計なお世話なんじゃない?」
てる彦、椅子から降りて、早川に土下座をする。
皆、驚いて。
てる彦「娘と別れてくれ」
早川「やめてください、お父さん」
奈留「何なんのさっきから。お父さんが早川に別れるように言ったってこと?」
てる彦「(頭を上げて)そうだ」
奈留「何してくれてんの」
てる彦「奈留、俺とてるちゃんは、近々離婚する予定だ」
奈留「……は?」
てる彦「てるちゃんが、お前がしっかり働いて自立したら、離婚を考えてもいいと言ってくれた」
てる美「……」
奈留「待って、キャパオーバー」
てる彦「お前が自立するには、早川くんは彼氏として優しすぎる。いつまで経ってもお前は人に甘えたままだ」
奈留「……」
岩瀬「あの」
てる彦「誰だ君は」
岩瀬「二番目の」
奈留「(岩瀬をカッと睨んで)」
岩瀬「要は、奈留さんが自立すればわざわざ別れなくてもいいってことですよね?」
奈留「……」
てる彦「いや……」
岩瀬「離婚したいがために娘を別れさせるって、なんか違うと思いますよ」
てる美「……」
てる彦「確かに最初はそうだった。だけど今は違う。奈留の父親として言ってるんじゃない。ひとりの男として、早川くんに別れた方がいいと言ってるんだ」
早川「……」
てる彦「私はこれまで妻に尽くしてきた。妻の住みたい街に住んで、妻が勧める仕事に就いた。この苗字だって妻のものだ。私は姓を捨てた。ずっとそれでいいと思ってきたんだ。でも仕事を退職して、人生の折り返し地点をとっくに過ぎていたことに今更気付いた。それで少しずつ考えが変わった。(込み上げるものがあって)……わぁ青森さ帰りてでゃ。帰りで。でもてるちゃんは一緒行がねって。そった田舎くせぇどご行がねって」
てる美「……」
てる彦「早川くんと自分とば重ねた。優しいことはいいことだや? でも自分の捨てでぐねぇもんは捨てでほしぐねぇ。奈留のために犠牲にしたことが今までいくつもあったべ? 若いうちにそんな思いをしてったら、わぁみたいになる」
早川「……」
てる彦「おめぇ自身のために別れることを勧める。娘と別れでけ(と、また頭を下げる)」
奈留・岩瀬・てる美「……」
早川「大丈夫ですお父さん。僕たち、別れることにしましたから」
てる美「(え…… と)」
てる彦「(頭を上げて)……本当な?」
早川「お二人の離婚のためではありません。僕自身がこのままではダメだと思ったから。奈留さんには僕がいてはダメだと思ったからです」
てる美「早川くんでも……」
早川「もう、決めましたから」
奈留「……」
てる彦「んだがんだが。うし……、へば巾着もらうが!」
早川「はい」
早川、鍋から巾着をすくって、てる彦の器によそう。
岩瀬、奈留を見て、……。
〇道(夜)
てる美とてる彦を見送りに来ている奈留。
てる彦「(立ち止まって)もうここでいい」
てる美「奈留、あんまり思いつめないでね」
てる彦「いや、こいつはいっぺんしっかり考えた方がいいんだ」
奈留「しっかり考えた方がいいのはふたりもでしょ」
てる彦「言われなくてもこっちはもう考えた」
奈留「お父さんは、ね」
てる美「……」
奈留「てる美とてる彦で運命感じた、なんて。本当バカみたい」
てる彦「じゃあお前はどうだ? お前の10年は、バカみたいだったとは思わないのか?」
奈留「……。(苦笑して)そうですね」
奈留、ひとり引き返していく。
てる美「奈留っ」
てる彦「いい大人なんだから、放っておけ」
てる美「……」
〇松虫荘・居間(夜)
テーブルにはほとんど中身が空になった鍋。
早川と岩瀬がふたり発泡酒を飲んでいる。
岩瀬「強烈だったな」
早川「ん?」
岩瀬「てる美とてる男」
早川「てる彦」
岩瀬「そうだ。(と、笑って)でも桜介があんなきっぱり言うとは思わなかったな」
早川「……」
岩瀬「さすがの彼女さんも桜介が本気だって気付いたんじゃない?」
早川「……お父さん」
岩瀬「てるちゃん?」
早川「うん。厳しいこと言ってたけど、あれが本当の優しさなんだろうなぁ」
岩瀬「どうだか。屁理屈にも聞こえたけどね」
早川「俺には親の愛情ってすげぇって思えた」
岩瀬「……」
早川「俺は一人じゃ何もできないから。……岩瀬がうちに来てくれて感謝してるよ」
岩瀬「……桜介のためなら何でもするよ? 何でも言ってよ」
早川「……」
岩瀬「(微笑んで)親友だろ?」
早川「(微笑んで)おう」
岩瀬、少し寂しそうな顔で発泡酒を飲む。
〇同・洗面所(朝)
リクルートスーツに身を包み、鏡に向かって髪を束ねている奈留。
岩瀬が通りかかり、
岩瀬「うぉ。何、面接っすか?」
奈留「仕事紹介してくれるとかいう、支援センターに行ってくるだけ」
岩瀬「へぇ」
奈留「昨日は……、まぁありがと」
岩瀬「何が?」
奈留「お父さんに別れなくてもいいって言ってくれて」
岩瀬「そのせいで2回も土下座させちゃったけどな」
奈留「本当よくやるよね」
岩瀬「(苦笑して)」
奈留「……いいなぁ」
岩瀬「?」
奈留「岩瀬さんはこれからもずっと早川と一緒にいられるんだもんね」
岩瀬「……」
奈留「私も最初から友達でいればよかった。散々甘えといてあれだけど、友達としてならずっと続いたのに」
岩瀬「そんなの、ずっとでも一緒でも何でもないよ」
奈留「?」
岩瀬「本当の意味で一緒にいるっていうのは、心で繋がってるってことでしょ?」
奈留「……岩瀬さんは繋がってないの?」
岩瀬「ただの友達ごときじゃね」
奈留「……」
岩瀬「一瞬でも繋がれる方がよっぽどすごいわけですよ。いつか二度と繋がれなくなるとしても」
奈留「そういうもんかな」
岩瀬「(奈留のポニーテールを指でツンと触って)まぁ気楽に頑張んなさい」
岩瀬、部屋へと戻って行く。
奈留、鏡を見て、虚しい気持ち。
〇職業支援センター・館内
奈留、恐る恐るビルの中へと入って行くと、多くの人がいる。
戸惑い立ち止まると、後ろからきた人にぶつかられて、……。
〇同・外
踵を返した奈留がビルから出てくる。
〇コンビニ・店内
奈留が入店する。
レジの中には店員の貝塚(67)。
貝塚「いらっしゃいませー」
奈留、ドリンクコーナーの前に立って、水を取ろうとするが、やっぱり発泡酒を手に取って。
× × ×
店を出て行く奈留。
貝塚「(不思議そうに)ありがとうございましたー」
〇職業支援センター・外
ビルの前にあるガードレールに座って、発泡酒を飲んでいる奈留。
ビルにはどんどん人が吸い込まれていって、……。
発泡酒を飲み干すと、またビルへと向かって歩いて行く。
〇コンビニ・店内
再び来店する奈留。
貝塚「いらっしゃいませ……」
奈留、発泡酒を手にし、レジへ。
貝塚「大丈夫かい?」
奈留「はい」
〇職業支援センター・外
ビルの前にあるガードレールに座って、発泡酒を飲んでいる奈留。
すべて飲み干して、
奈留「よしっ(と、立ち上がる)」
〇コンビニ・店内
再び来店する奈留。
貝塚「いらっしゃい……」
奈留、発泡酒を手にし、レジへ。
貝塚「顔、赤いよ。大丈夫?」
奈留「これがなくなったら、そろそろ」
奈留の目は座っている。
貝塚、発泡酒にテープを貼って、奈留に渡す。
貝塚「あんまり頑張りすぎないでちょうだい」
奈留「……はい」
〇職業支援センター・外
ビルの前にあるガードレールの前にしゃがみ込んでいる奈留。
目の前に、発泡酒の空き缶を5つ並べて、指をさして数える。
奈留「うん」
空き缶をすべて鞄にしまい、立ち上がって、よろけながらビルの中へと入って行く。
〇同・館内
奈留、ビルの中に入ると、先ほどよりも人が増えている。
奈留「……大丈夫」
受付まで進んで行って、
奈留「あの」
受付スタッフ「はい」
奈留「あの……」
受付スタッフ「はい?」
奈留「……」
受付スタッフ「お仕事をお探しの方ですか?」
奈留「……あぁ」
受付スタッフ「(酒が臭って)あなた、お酒飲まれてます?」
奈留「いやっ」
奈留、笑って誤魔化していると、なんだか泣けてきて。
奈留「あれ……」
笑いながら、涙が出てくる。
受付スタッフ「どうしました? 大丈夫ですか?」
奈留「大丈夫です」
奈留、ふらつきながら引き返す。
受付スタッフ「お客様―?」
奈留、立ち止まり、涙が止まらない。
〇介護施設、花きりん・客室
おじいさんがベッドに横になっていて、早川が布団を整える。
早川、行こうとして、
おじいさん「おい、兄ちゃん」
早川「はい?」
おじいさん「ちょっとマッサージしてくれ」
早川「あ、はい」
早川、おじいさんの足をマッサージする。
早川「どうですか? 痛くない?」
おじいさん「おう」
早川「こってるね。しっかりほぐさなきゃね」
おじいさん「あ?」
早川「(声を大きくして)かなりこってる。ほぐしてあげるからねー」
おじいさん、足を引っ込めて。
早川「……?」
おじいさん「もういい。帰れ」
早川「え、まだ」
おじいさん「なんだその口調は。わしはお前の子どもじゃない。自己満足のためにわしを使うな」
早川「……」
〇職業支援センター・スタッフルーム
奈留、ソファにかけて俯いている。
手にはペットボトルの水。
受付スタッフがきて、
受付スタッフ「木嶋さん? お迎えの方いらっしゃいましたよ」
奈留、顔を上げると、早川が立っている。
奈留、……。
〇道
並んで歩く奈留と早川。
奈留はまだ足がおぼつかない。
奈留「早川」
早川「ん?」
奈留「私をふった早川」
早川「……」
奈留「お父さんに言われたくらいで私を捨てた早川」
早川「言われたからじゃないよ」
奈留「じゃあなんで」
早川「言われて、気付いたから」
奈留「ほら、やっぱり言われたからじゃん」
早川「……」
奈留「(立ち止まって)……」
早川「?」
奈留「どこで間違った? 私」
早川、また歩き出して、奈留も歩き出す。
早川「俺が間違った」
奈留「(苦笑して)意味がわからん」
早川「ごめん」
奈留「……好きだ、早川」
早川「……」
奈留「出会った頃の私はこんなんじゃなかったよね」
早川「……」
奈留「早川はもう、私のことなんか好きじゃないか」
早川「……俺は」
奈留、よろけてしまい、
早川「おぉ。(と、奈留を支える)……」
無言で歩いていくふたり。
〇松虫荘・寝室(夜)
暗い部屋。
ベッドに寝ている奈留。
テレビ画面でシューティングゲームをしている早川。
テレビ画面の光に照らされる早川の顔は無表情。
岩瀬が部屋を覗いて、
岩瀬「彼女さん、寝たの?」
早川「うん」
岩瀬、早川の近くまできて、発泡酒を差し出す。
岩瀬「なんかあった?」
早川「奈留に、好きだって言われた」
岩瀬「……」
早川「ここ何年もそういうこと言われたことなかったから」
岩瀬「それで? 揺らいじゃってんだ」
早川「いや……。でもさすがにちょっと動揺したな」
岩瀬「桜介は優しいから。また自分がいなきゃとか思ったんじゃない?」
早川「優しさってさ、なんなんだろうね」
岩瀬「哲学的な話でもする?」
早川「(苦笑して)……自己満足だったのかな」
岩瀬「?」
早川「施設の入居者さんに言われた。自己満足のために人を使うなって」
岩瀬「……」
早川「まぁ、子どもの相手するみたいに、目上の人と接して怒られただけなんだけどね」
岩瀬「いいんじゃない? 自己満足の優しさでも、それを利用されてもいいって思えるんだったらそれで」
早川「……」
岩瀬「俺は、桜介に利用されて捨てられてもいいって思ってここにきたよ」
早川「?」
岩瀬「なんで桜介は俺をここに呼んだの?」
早川「え」
岩瀬「なんで俺だったの?」
早川「……それは、お前がズバッと言ってくれる性格だから」
岩瀬「自分自身のため? それとも、奈留さんのため」
早川「それは、」
岩瀬「もし奈留さんのためなんだったら」
早川「……?」
岩瀬「いやっ、なんでも」
早川「俺は、岩瀬がいてくれてすごい助かってるよ」
岩瀬「……桜介はさ、俺が奈留さんみたいに働けなくなって、助けてって言ったら、そん時は甘えさせてくれんの?」
早川「そんなの当たり前だろ」
岩瀬「(微笑んで)」
早川「だって親友なんだから」
岩瀬「……」
早川「まぁ、今は俺が頼ってばっかりだけど」
岩瀬「好き?」
早川「……え?」
岩瀬「……、奈留さんのこと」
早川「……」
俯いて自問する早川。
岩瀬、その表情が切なく、つい頬に手を伸ばす。
早川、咄嗟にその手を払って。
早川「……ごめん」
岩瀬「(微笑んで)ちゃんと言ってあげたら、奈留さんと元に戻れるんじゃない?」
早川「いや……」
岩瀬「決めた。俺応援するよ」
早川「……」
岩瀬「(発泡酒を飲んで)おやすみ」
岩瀬、部屋を出て行く。
早川、……。
〇同・居間(夜)
暗い部屋。
ソファに寝転がる岩瀬。
自分の手を見つめて、……。
〇カフェボトルゴード・店内
岩瀬と奈留が向かい合って座っている。
二人の前にはパンケーキ。
奈留「なんでパンケーキ?」
岩瀬「前から食べたかったんだよここの」
奈留「案外乙女なの?」
岩瀬「……。てるちゃんたちはその後どうなの?」
奈留「岩瀬さんがてるちゃんって呼ばないで」
岩瀬「(笑って)すいません」
奈留「変わらず離婚の方向で進んでるってさ」
岩瀬「そっか」
奈留「お父さんとお母さんさ、お見合いした時名前が似てるからって理由だけで、会う前に結婚決めちゃったんだって」
岩瀬「へぇ」
奈留「それでこの歳になって離婚って、バカみたいだよね。だったら子どもつくる前に離婚してほしかったよ」
岩瀬「君も十分、長くいたと思うけどね」
奈留「……、そうだね」
岩瀬「桜介の優しさに頼りっぱなしで、ずっと捨てられない自信があったの?」
奈留「自信があったわけじゃないけど、どっかで思ってた。私がいないとダメなのは、早川の方なんじゃないかって」
岩瀬「……」
奈留「でも同時に、そのことに早川が気付いちゃったらどうしようって思ってた。早川は人のために生きたい人だから、それが自分のためだって気付いちゃったら、いなくなるんだろうなって」
岩瀬「それで桜介はそれに気付いたってわけ?」
奈留「そういうことかな」
岩瀬「もう本当に諦めたんだ」
奈留「(頷く)」
岩瀬「本当にそれでいいの?」
奈留「……この前さ、早川に酔った勢いで好きだって言ったんだよね。そしたら、早川すっごい困った顔してて。もう、ないんだなぁって思った」
岩瀬「ないって?」
奈留「早川が私といる理由」
岩瀬「桜介だって、まだ迷ってるんじゃないの?」
奈留「(微笑んで)岩瀬さんは彼女とか好きな人とかいないの?」
岩瀬「また質問を質問で返す」
奈留「ごめん、急に気になった」
岩瀬「俺は、追いかけても無駄なものは追いかけない」
奈留「何、そんな釣り合わないようひとが好みなの?」
岩瀬「……そうだねぇ。わざわざ最初からわかってることを確認するほどバカじゃないから」
奈留「……ねぇ、もしかしてそれって」
岩瀬「(奈留を遮るように)そもそも追いかけるって決めたらさ? 寄生虫まで駆除しなきゃいけなくなるからね」
奈留「寄生虫? 何それ」
岩瀬「まぁでも、結局いなくなったところで何も変わらないか」
奈留「……?」
岩瀬「おし、食べたら行こう。暇だから近くまでついて行くよ」
奈留「……うん」
〇同・外
店から出てくる岩瀬と奈留。
扉には小さく『café bottle gourd』と書かれている。
〇職業支援センター・館内
職員の前に座っている奈留。
職員「では以上になります。こちらご説明した企業の求人票です。ご検討をお願いします」
奈留「はい」
〇同・外
岩瀬にメッセージを送る奈留。
『近くまでついてきてくれてありがとう。おかげで無事終了しました』
スマホをしまって、歩き出す。
〇松虫荘・居間(夜)
ひとりカップ麺を食べている早川。
勢いよく麺をすすると、むせて、
早川「……っ辛」
鼻をかんで、丸めたティッシュをゴミ箱に投げる。外して、……。
立ち上がってゴミ箱に入れ直す。
また座って、再びカップ麺を食べていると、玄関が開く音がして、奈留が帰宅する。
奈留「ただいま」
早川「(むせながら)おかえり」
奈留「あれ、岩瀬さんまだか」
早川「出かけてるんじゃない?」
奈留「そうなんだ」
早川「あいつの飯期待してたの?」
奈留「違うわ。あの人鍋しか作らないし」
早川「確かに」
早川、また鼻をかんで、
早川「カップ麺食べてる時ってさ、何で鼻水出るのかな」
奈留「カップ麺っていうかラーメン全般ね」
早川「それで言ったらうどんもか」
奈留「あー、だったら岩瀬さんの鍋食べてる時も出てるかも」
早川「あー、だったら冬に外で肉まん食べる時も出ない?」
奈留「え、それは寒いからじゃないの?」
早川「肉まん関係ないか」
奈留「(笑って)くだらなっ」
早川「(笑って)……よく食べたな」
奈留「肉まん?」
早川「うん」
奈留「食べたねぇ、高校の時」
早川「ラーメンも」
奈留「食べた。えっと、待って……」
早川「めん処あやめ」
奈留「そう! そう懐かしっ」
早川「……いつから行かなくなったんだっけな」
奈留「行こうよ。どうせ最後なんだしさ」
早川「おう」
奈留「おう」
〇面接先のオフィス・会議室
面接官が3人。
その前にリクルートスーツを着て緊張した様子の奈留が座っている。
面接官「次に、仕事をする上であなたが大切にしたいと思うことは何ですか?」
奈留「はい。えっと、私が仕事する上で大切にしたいことは、責任感です。チームで協力し合いながら、自分のやるべきことをしっかり考えて、責任を持つことが大切だと思います。……以上です」
面接官たち、渋い顔で頷いて。
面接官「では、普段ご家族や友人、恋人などと接する際に大切にしていることがあれば教えてください」
奈留「……あぁはい、えっと」
奈留、答えに困って、……。
〇コンビニ・店内(夕)
レジに立ち寄る奈留。
奈留「すいません肉まん2つ。あ、やっぱり3つで」
店員「はーい」
〇道(夕)
コンビニの袋をぶら下げて歩く奈留。
夕日が眩しくて、顔をしかめる。
〇松虫荘・外階段(夕)
コンビニの袋をぶらさげて歩く奈留の後ろ姿。
ひっそりと置かれた植木鉢の花は枯れている。
〇同・居間(夕)
奈留、部屋に入ってきて。
奈留「ただいま」
誰もいなくて、
奈留「帰ってないか」
がらんとして、妙に寂しげな部屋を眺める。
〇同・同(早朝)
ベランダの外は薄明。
テーブルの上にはコンビニの袋。
ソファで眠っている奈留。
玄関が開く音がして、早川が帰ってくる。
眠っている奈留に気付いて、……。
コンビニの袋の中を見ると3つの肉まんが入っていて、また奈留を見る。
肉まんを取り出して、食べて、
早川「冷た」
早川、奈留に近づき、眠る奈留の頬に手の甲で触れる。
早川「冷た」
早川、近くのブランケットをかけると、奈留が起きる。
奈留「わ、寝てた」
早川「ごめん起こした」
奈留「ううん」
早川「肉まん、勝手にいただいてます」
奈留「あぁ、どうぞ。……あれ岩瀬さんは?」
早川「まだ」
奈留「昨日から帰ってなくない?」
早川「そうだね(と、肉まんをかじる)」
奈留「心配じゃないの?」
早川「いやぁ、家にでも帰ってるんじゃないかな」
奈留「え、帰るとこないからここに泊まってるんでしょ?」
早川「あいつも気まぐれだから。寂しくて誰かの家に泊まりたかっただけなんじゃない?」
奈留「そうかな」
早川「……うん」
奈留「岩瀬さんは、そういう面倒なことはしない人だと思うけど」
早川「……奈留」
奈留「ん?」
早川「奈留には、岩瀬みたいな奴がいいのかもな」
奈留「何それ」
早川「奈留が心配したくなる相手。そういう人なら、ご両親も納得するんだろうね」
奈留「岩瀬さんは、岩瀬さんはさ」
早川「?」
奈留「……ごめん。もう少しベッドで寝る」
早川「……」
奈留、部屋を出て行く。
〇同・寝室(早朝)
ベッドに横たわる奈留。
目は冴えていて、どこでもないところをじっと見ている。
〇(回想)面接先のオフィス・会議室
面接官が3人。
その前にリクルートスーツを着て緊張した様子の奈留が座っている。
面接官「では、普段ご家族や友人、恋人などと接する際に大切にしていることがあれば教えてください」
奈留「……あぁ、えっと」
奈留、答えに困って、……。
面接官、やれやれという表情。
奈留「……もっと、想像していればよかったなと思います。未来のことも相手のことも。多年草ってあるじゃないですか。あれ、放っておいても毎年咲くっていうけど、人によっては枯らしてしまうこともあって」
面接官、……。
奈留「誰かが終わりだって言っても、大げさだなぁって思ってました。でも本当は気付きたくなかっただけで。どこかで終わりがくることはわかってて。もっと想像して、こんなところに行きつく前に、人の善意を奪わずにいられたらよかった。
(ハッとして)今後仕事では、しっかり相手の立場や想いを考えて、コミュニケーションを取っていけたらと思っています」
面接官、うんうんと頷いている。
(回想終わり)
〇高柴のマンション・寝室(朝)
黒で統一された男らしい部屋。
隣の部屋から高柴(35)が覗き、
高柴「おーい、起きろー」
ベッドには上半身裸で寝ている岩瀬。
高柴の声で起きて、
岩瀬「んー……」
高柴「今日も泊まってくの?」
岩瀬「……うん、そうしていい?」
高柴「(微笑んで)ったく、仕方ねーな。仕事早く終わらせて帰るから」
岩瀬「……うん」
岩瀬、虚しい顔で、額を掻く。
〇めん処あやめ・店内
カウンター席に座る早川。
ガラガラと扉が開く音がして、奈留が遅れてやってくる。
早川「おう」
奈留「おう」
早川「この前は、ごめん」
奈留「ううん。私の方も」
早川「ラーメン頼んどいた」
奈留「お。あれね」
早川「あれ」
奈留「……」
早川「岩瀬のこと、心配だよね」
奈留「うん。もう10日くらい?」
早川「そうだね。連絡も返ってこない」
奈留「……そっか」
店主(68)がラーメンが運ぶ。
店主「お待たせしました~」
ふたり、店主に会釈して。
奈留「これね」
早川「これ」
奈留・早川「いただきます」
ラーメンを食べると、辛くてむせる。
奈留・早川「辛っ」
ふたり、水を飲む。
店主、カウンター越しに見ていて、
店主「やっぱりそうだよな!」
早川・奈留「?」
店主「昔、よく来てなかった?」
早川「来てました」
奈留「高校のころふたりでよく」
店主「だよねぇ! ぱったりこなくなったからどうしたのかなって思ってたけど、まだ続いてたんだな~」
奈留・早川「(愛想笑いをして)……」
店主「ねーちゃんはさ、ショートカットで、ほらいつもジャージ着てて」
奈留「はい、部活帰りだったので」
店主「で、にーちゃんは絵に描いたみたいな帰宅部だったよな」
早川「絵に描かないでください」
店主「二人はなんていうか、すっごいミスマッチだったんだよなぁ」
奈留・早川「……」
店主「でもそれが、絶妙によく見えたんだよ。ラーメンに入ってるキクラゲみたいに」
早川「(自分を指さし)……キクラゲ?」
店主「おう、にーちゃんがキクラゲよ。ねーちゃんの方はいつ見てもハツラツとしてて、こってり豚骨醤油だったな」
奈留「(微笑んで)……」
奈留の電話が鳴って。
奈留「ごめん」
早川「うん」
奈留、席を外す。
早川「僕たち、あの頃から変わりましたか?」
店主「そりゃ、こんだけ時間が経てばな。でも、相変わらずにーちゃんはあの子が好きなんだろうなぁ」
早川「え……」
店主「幸せにしてやれよ?」
早川「……幸せって、何なんでしょうか」
お客が来店して、
店主「いらっしゃい~」
早川「……」
〇同・外
軒先で電話をしている奈留。
奈留「はい。はい。あ、本当ですか。はい、ありがとうございます。わかりました、詳細のメールお待ちしてます。はい」
奈留、電話を切って、……。
〇同・店内
奈留が戻ってきて、
早川「大丈夫?」
奈留「うん……」
早川「ん?」
奈留「(微笑んで)面接受かってた」
早川「……。そっか、おめでとう」
奈留「うん」
早川「よかった」
奈留「うん」
早川「食べよっか」
奈留「(頷いて)」
ふたり、辛そうにしながらラーメンを食べる。
早川、鼻水をすすって。
奈留、ティッシュを取って渡す。
奈留も一緒になって、鼻をかむ。
〇松虫荘・居間(夜)
ソファに座って、受かった会社のパンフレットを読み返している奈留。
ふとスマホを手に取り、岩瀬にメッセージを送る。
『岩瀬さんちゃんと帰ってるの?』
『私、就職決まったよ。ちゃんと報告したいから、落ち着いたら連絡してください』
送信後、SNSを開いて、岩瀬の名前を検索してみる。
最近更新されていないSNSのプロフィールが出てきて、所属している会社名がわかる。
〇高柴のマンション・寝室(夜)
ベッドの上、高柴の腕枕で寝る岩瀬。
スマホが鳴って、手にする。
奈留のメッセージを読んで、
岩瀬「……」
高柴「誰? ほかの男?」
岩瀬「違うよ、女」
高柴「女? お前女友達なんていたっけ」
岩瀬「んー、友達ではないけど憎めない子よ」
岩瀬、スマホを閉じて、枕の横に置く。
そこへ、1件のメッセージが届く。
ホーム画面に表示されたのは早川からのメッセージ。
『心配してる。一回連絡して』
岩瀬、通知に気付かず、高柴に寄り添っている。
〇オフィス・エントランス
奈留、広くて都会らしいビルに戸惑いながら、受付へと向かう。
奈留「あの、岩瀬光希さんっていますか」
受付スタッフ「お約束ですか?」
奈留「あ、いえ。ちょっと知り合いで……」
受付スタッフ「お調べします。少々お待ちください」
奈留「はい」
〇同・13階デジタル部門
広い執務スペースにあるソファに、落ち着かない様子で座っている奈留。
鹿野崎がお茶を出し、
鹿野崎「ごめんね、岩瀬くん少し前からまとめて有給消化中なの」
奈留「……いつ戻られるんですか?」
鹿野崎「あと二週間くらいかな」
奈留「そうですか」
鹿野崎「もしかして、岩瀬くんの彼女?」
奈留「いやっ違います。ただの知り合いです」
鹿野崎「なんだそっか。彼女だったら安心だなと思ったけど」
奈留「え?」
鹿野崎「なんかあの子、たまに心配になっちゃうのよね。ほら、何でもそつなくこなすでしょ? 弱みも本音も見えづらいのよ。だから、弱音が吐ける彼女でもいたらいいなと思ったんだけど」
奈留「……すいません彼女じゃなくて」
鹿野崎「でもあなたも、心配できてくれたんでしょ?」
奈留「はい」
鹿野崎「そういえばこの前、もうひとり男の子がきた」
奈留「え」
鹿野崎「(微笑んで)出社したら、連絡するように言っておくわね」
奈留「……はい。ありがとうございます」
〇同・同・エレベーター前
奈留がエレベーターに乗り込んでいく。
お辞儀をして、見送る鹿野崎。
エレベーターのドアが閉まると顔を上げて、
鹿野崎「ふーん。あれが寄生虫ちゃんか」
〇松虫荘・玄関
インターホンが鳴る。
早川、岩瀬かも? と扉を開けると、引っ越し屋の作業員が笑顔で立っている。
作業員「段ボール」
早川「あ、すいません」
早川、段ボールを受け取る。
作業員「また足りなくなったら自分に言ってください」
早川「どうも」
作業員「夕方には間に合いそうですか?」
早川「早急に、頑張ります」
作業員「(帽子を取って)素敵な引っ越しを!(と頭を下げる)」
早川「……あ、はい」
早川、段ボールを持って、部屋へ。
〇同・居間
荷造りが進んでる部屋。
作業の手を止めて、発泡酒を飲んでいる奈留。
早川、新しい段ボールを運び入れる。
奈留「今思ったけど、早川は引っ越さなくてもよくない?」
早川「もうこの家もボロいからね」
奈留「そっか」
早川「ほら、飲んでないで早く進めて」
奈留「はーい」
奈留、キッチンの吊戸棚を開けて、中の状態を確かめる。
次に、いくつか引き出しを開けると、中からピーラーがひとつ出てきて、……。
そこへインターホンが鳴る。
早川「あれ、業者の人かな」
早川、玄関へ
〇同・玄関
早川、玄関を開けると、岩瀬が立っている。
早川「……」
岩瀬「ただいま」
早川「……おう。おかえり。(部屋の方へ)奈留―?」
奈留、発泡酒を片手に、やってきて、
奈留「……」
思わず発泡酒を床に落とす。
床に中身が流れ出て、
早川「まじか、まじか。(慌てて、雑巾を探して拭いて)」
奈留「……、(怒りながら)バカ‼」
岩瀬「おぉ……」
奈留「死んだかと思ったじゃん‼」
岩瀬「そんなわけ。っていうか酔ってる?」
奈留「酔ってない! もう、どんだけ心配したと思ってんの! バカ‼」
岩瀬「……え、この人こんなに俺に懐いてた?」
岩瀬、床を拭く早川を見ると、早川は安心して、涙ぐんでいる。
岩瀬「えっ、何このカップル。きも……」
奈留「うるさい! 今度奢ってよ!」
岩瀬「は?」
奈留「心配かけまくったんだから当たり前でしょ」
岩瀬「桜介、この子また意味わかんないこと言ってるよ?」
早川「(涙ぐみながら)奢ってください」
岩瀬「え」
奈留「忘れんなよ。あと引っ越し手伝えよ」
岩瀬「(笑って)は?」
早川「(涙ぐみながら)手伝ってください」
岩瀬「おい!」
早川、目に涙を溜め、必死に床を拭いている。
岩瀬「……」
〇コンビニ・店内(夕)
レジに立ち寄る奈留。
奈留「あの、肉まんを、2つください」
店員「はーい」
〇松虫荘・外(夕)
引っ越し用のトラックが入ってくる。
その横をコンビニの袋をぶらさげて、通る奈留。
〇同・居間(夕)
奈留が覗くと、すでに部屋の荷物はほとんど運ばれていて、ガランとしている。
早川はベランダから外を眺めていて、岩瀬は部屋の中に。
奈留、キッチンの台にコンビニの袋を置く。
岩瀬「さぼってたろ」
奈留「違うよ、引っ越し屋さんに差し入れ買ってただけ」
岩瀬「へぇ」
業者が部屋に入ってきて、
業者「(奈留に)あっ飲み物、ありがとうございました」
奈留「あっいえ」
業者、残りひとつの段ボールを見て、
業者「これで最後ですかね?」
岩瀬「たぶん……(早川に)桜介! これで終わりでいいんだよね」
早川「(部屋に戻り)はい、これで終わりです」
業者「ではこれから近い方を先に運びますので、すべて終わるのは夜になると思います」
早川「はい」
作業員「では、(帽子を取って)素敵な引っ越しを!(と頭を下げる)」
奈留・早川「……。(会釈をして)」
業者が荷物を持ち、部屋を出て行く。
奈留「じゃあ、私行くわ」
岩瀬「もう行くの?」
奈留「私、近い方の人だから」
岩瀬「そっか」
早川「……」
岩瀬「明日から仕事?」
奈留「うん」
岩瀬「まぁ、気軽に頑張んなさい」
奈留「(頷いて)あ、奢るの忘れないでよ!」
岩瀬「わかってるよ。就職祝いも兼ねてなんだから、すぐばっくれたりすんなよ」
奈留「……おう!」
岩瀬「自信ねーのかよ」
奈留「(笑って)」
岩瀬「(早川を見て)」
早川「……」
奈留「じゃあ行くね」
岩瀬「おう」
奈留「じゃっ」
早川「……」
奈留、笑顔で部屋を出て行く。
沈黙が流れて、
岩瀬「桜介もちゃんとこいよ」
早川「……うん、もちろん」
岩瀬「何、今更別れが惜しくなった?」
早川「いやぁ、なんか最近の奈留さ」
岩瀬「?」
早川「高校の時に戻ったみたいなんだよ」
岩瀬「昔はどうだったわけ?」
早川「あいつバスケ部のキャプテンで」
岩瀬「え、あれが」
早川「(苦笑して)そう。結構まわりからも頼られてて、自分がチームを勝たせるんだって、いつも必死に練習してて、キラキラしてた」
岩瀬「へぇ」
早川「手の届かない人だなってずっと思ってたけど、なんか俺みたいな奴でも優しくしてくれて。部活の合間見つけてよく肉まん食って。部活終わりでラーメン食って」
岩瀬「何それ、青春かよ」
早川「あいつ、就職決まってからその仕事のこと色々調べて勉強したりしててさ」
岩瀬「あの頃好きだった奈留ちゃんが戻ってきちゃったってわけ?」
早川「いや、あの頃はただ眩しかっただけで。俺が好きだったのは、クズみたいに何もできない奈留だったんだよ」
岩瀬「……」
早川「本当に、強くて明るい奈留に戻っちゃったんだよな」
〇同・外(夕)
奈留、笑顔のままアパートの階段を降りてくる。
ふと、アパートを振り返ると、『松虫荘』と書かれた館銘板が薄汚れていて、なんだか寂しい。
奈留、笑顔が消えて。
館銘板に触れ、涙が溢れ出す。
〇同・居間(夕)
早川と岩瀬はまだ話をしている。
岩瀬、キッチンの台に置かれたコンビニの袋を見つけて、
岩瀬「何これ」
中身を開けると、肉まんがふたつ。
岩瀬「桜介っ。(と、肉まんをひとつ早川に投げて)」
受け取る早川。
早川「俺はあの日、奈留を幸せにするって決めたんだよ」
岩瀬「……」
早川「その正解が今」
早川、肉まんをかじって、
早川「(笑って)……冷てぇ」
岩瀬も肉まんををかじると、冷たくて笑えてくる。
岩瀬「こういうのってさ、普通家についたらすぐ渡さない?」
早川、食べながらただ笑っている。
〇奈留の新居・部屋(朝)
窓の外は快晴。
鏡に向かい、慣れない手つきで、アイシャドウを塗っている奈留。
時計を見て、急いで荷物をまとめて部屋を出て行く。
〇コンビニ・店内(朝)
レジの中には店員の貝塚がいる。
奈留、急ぎ足で入店し、
貝塚「いらっしゃいませー」
奈留、ドリンクコーナーで迷わず水を手に取り、レジへ。
× × ×
貝塚、水にテープを貼って、
貝塚「大丈夫?」
奈留「(貝塚に気付いて)あっ。大丈夫です」
貝塚「じゃあ、頑張ってちょうだい」
奈留「はい」
貝塚「(微笑んで)」
奈留、店を出て行く。
貝塚「いってらっしゃい」
〇奈留の職場(夕)
真剣な表情でパソコンを打っている奈留。
上司の田中(40)がきて、缶コーヒーを差し出す。
田中「お疲れ。あんまり初めから根詰めてやると、週末疲れて遊びに行けなくなるよ?」
奈留「遊びに行く相手、いないので」
田中「(笑って)無理しないでってこと。ゆっくりやってこ?」
奈留「はい。ありがとうございます」
田中、去っていく。
奈留、また真剣な顔でパソコンに向かう。
〇介護施設、花きりん・客室(夕)
おじいさんにマッサージをしている早川。
早川「力加減、痛くないですか?」
おじいさん「大丈夫だ」
早川「よかったです」
おじいさん「また次も、やってくれ」
早川「(微笑んで)はい」
マッサージを続ける早川。
〇コンビニ・外(夜)
仕事帰りの早川、コンビニ袋を手に店から出てくる。
〇道(夜)
仕事帰りの奈留、缶コーヒーを飲みながら歩いている。
〇早川の新居・前の道(夜)
自宅のアパートに向かってひとり歩いている早川。
〇奈留の新居・前の道(夜)
自宅のアパートに向かってひとり歩いている奈留。
〇同・部屋(夜)
真っ暗な部屋に帰宅する奈留。
電気をつけようと、スイッチに手を伸ばす。
〇早川の新居・居間(夜)
キッチンタイマーが0になり音が鳴って、止める早川。
キッチンの小さな電気に照らされて、カップ麺を食べる。
〇居酒屋、葡萄風信子(夜)
店の引き戸を開け、入店する奈留。
辺りを見渡すと、すでに到着している早川と岩瀬が見える。
テーブルの上には鍋。
奈留、席にやってきて、
奈留「ごめん、遅れた」
早川と岩瀬、奈留を見て、いつもと雰囲気が違い言葉を失う。
奈留「ん? あっまた鍋」
岩瀬「まぁまぁ似合ってんじゃん」
奈留「当たり前」
岩瀬「部屋着の印象しかないからなぁ」
奈留「うるさいな」
早川「……」
奈留「(早川を見て)久しぶり」
早川「久しぶり」
奈留「……」
岩瀬「はい(と、早川の器を取ろうとして)」
早川「おう……、ありがとう」
岩瀬、早川によそい終わると、隣にいる奈留に手を出して、
岩瀬「はい」
奈留「?」
岩瀬、奈留の器を自分で取って、鍋をよそってやる。
奈留「……ありがとう」
岩瀬「そういえばてるちゃんたちは? その後どうなの」
奈留「あぁ、結局ふたりで青森帰ることにしたみたい」
岩瀬「え、じゃあ」
奈留「丸く収まった。ごめん、お騒がせして」
岩瀬「よかったじゃん」
奈留「うん、まぁね」
沈黙が続いて、
奈留・岩瀬「あのさ」
奈留「どうぞ」
岩瀬「いやどうぞ?」
奈留「……ずっと思ってたことがあるんだけど。私、ふたりみたいに友達になりたい。早川とも岩瀬さんとも、……親友になりたい」
早川「……」
岩瀬「親友はなろうって言ってなるもんじゃないのよ」
奈留「わかってる。だけど、友達だったらずっといい距離感でいられる。もうふたりには頼らない。ただ楽しい話だけをする。これだったら何も問題ないでしょ?」
早川「……」
奈留「そういう形でも関係が続くのは嫌?」
岩瀬「……俺は嫌だね」
奈留「……」
岩瀬「こんな関係がずっと続くなんて」
奈留「そっか、そうだよね」
岩瀬「俺は桜介が好きだから」
早川「……」
奈留「……」
岩瀬「友達だなんて、親友だなんて一回も思ったことない。ずっと、下心しかない」
早川「……」
岩瀬「でももう無理。これからもずっとそれを隠して友達のふりするのは。もう、友達はやめる」
嫌な沈黙が流れて、
岩瀬「鍋。食べましょう」
奈留「……うん」
早川「俺は、知ってたよ。知っててお前を家に呼んだ。お前の気持ちを利用してた」
岩瀬「……」
早川「奈留も同じ。奈留は俺しか頼れないって知ってて、そこにつけ込んで一緒にいた」
奈留「それは私が」
早川「俺が間違ってた。俺はふたりを友達でも恋人でもない、自己満足のための存在として、利用してただけなんだ」
岩瀬「……」
早川「俺は優しい人間じゃない。優しいふりをして、自分を肯定したかっただけ。奈留のこれからの人生も、岩瀬の本心も、どうでもよかった。どうでもいいってことにしてた。それに、今になって気付いた。だから、ふたりとは友達にはなれない。今日は、もう会わないつもりでここにきた」
奈留「……」
早川「ごめんね。今までの奈留の人生、俺のものにして」
奈留「……」
早川「岩瀬も。今までの我慢、ずっと俺のものにしてごめん」
岩瀬「……桜介は本当に」
早川「鍋」
奈留・岩瀬「?」
早川「食べましょう」
奈留・岩瀬「……(頷いて)」
3人、黙々と鍋を食べる。
〇同・トイレ(夜)
早川、トイレに入って便器に腰掛ける。
目の前には、『今日の井出林店長の格言』と書かれた紙が貼ってある。
『過去の過ちも、後悔も、すべてこの便器で水に流せ。そして進め!』と書いてある。
それを読んだ早川、涙が溢れてくる。
早川「井出林って誰……」
トイレの中、声を殺して泣く。
〇同・外(深夜)
店から出てくる奈留、早川、岩瀬。
立ち止まって、
早川「じゃあ、行くわ」
岩瀬「おう」
奈留「(頷いて)」
早川、反対へ歩いていく。
奈留「早川!」
早川、足を止めて、
奈留「ごめん。やっぱり謝るのは私の方だから」
早川「……」
奈留「早川がもしこの10年を全部水に流したとしても、私は覚えてるから」
早川「……」
奈留「忘れないから」
早川、何も言わずにまたゆっくりと歩いていく。
奈留「……」
岩瀬「行くか」
奈留「うん」
歩き出す岩瀬と奈留。
岩瀬、勢いよく奈留の肩に手をまわし、肩を組む。
奈留「?」
岩瀬「久々酔った」
奈留「全然飲んでないじゃん」
岩瀬「ねぇ」
奈留「ん?」
岩瀬「……、親友になろっか」
奈留「親友はなろうって言ってなるもんじゃないのよ」
岩瀬「いやそれ俺が言ったやつ」
奈留「(笑って)じゃあ、お友達から」
岩瀬「うん、お友達から。もう同じ男好きになるのだけはやめようね?」
奈留「それは、まじでやめよう」
ふたり、笑い合って、
岩瀬「じゃ、もう一軒行きますか~」
奈留「え、私明日も仕事」
岩瀬「は? 親友でしょ?」
奈留「いやまだ友達1日目」
岩瀬「相変わらず態度がでかい」
奈留「岩瀬さんに言われたくないよ」
寂しさを感じながらも、それを笑い飛ばし、歩いていくふたり。
〇歓楽街の道(深夜)
人が多く行きかう道。
街中にある時計が0時を指している。ひとり歩いていく早川の背中。
赤信号で立ち止まり、空を見上げる。
聞き取れない声で、
早川「進め」
信号が青になり、信号機の音が鳴る。大勢の人が歩き出して、早川も、ひとり歩き出す。