「YOYOCHU SEXと代々木忠の世界」のストーリー

ビデオカメラを持った白髪の男が、レンズを通して男女の絡みをじっと見つめている。精悍な顔つきのこの男、AV界ではその名を知らぬ者はないカリスマ“ヨヨチュウ”こと代々木忠だ。代々木の人生はまるで劇画のようだ。1941年、3歳で母親を亡くし、親戚の家を転々とする。終戦後には自宅が売春宿になり、親の愛を知らずに育つ。中高生で札付きの不良として知られるようになると、警察に目を付けられて大阪に逃亡。生活を改め花屋に住み込みで働き始めると、華道の才能を発揮。師範の資格を取って若手華道家として評価される。23歳で結婚するものの、喧嘩で捕まったことをきっかけに離婚。一時、極道の世界に足を踏み入れた後、愛人3人とともに上京する。ワールド映画の助監督になると女優の真湖道代と出合い、29歳で2度目の結婚。34歳で監督デビューを果たすが、プロデューサーとして携わった「女高生芸者」がわいせつ図画として摘発される。裁判費用を捻出するため制作会社ワタナベプロを設立し作品を量産。その後タレント事務所を設立し、愛染恭子をデビューさせる。40歳の時に東京地裁で無罪になると、43歳で制作会社アテナ映像を設立。一般家庭にビデオが普及し始めた時期に、愛染を主役にしたビデオ作品『本番生撮り 淫欲のうずき』を発売して爆発的ヒットとなる。さらに44歳、『ドキュメント ザ・オナニー』が、一大センセーションを巻き起こす。次々と作品を発表して様々な方面から性を追求する一方で、80年代後半にはミクロネシアの文化を紹介する施設をサイパンに建設する計画を進めていたが、バブル崩壊により中止。莫大な借金を抱えることとなった。その後再び低予算の作品を製作するが、AVというジャンルを越えて、心の奥に深く分け入るような試みを進めた結果、代々木自身も一時、うつ病に苦しむこととなった。現在、70歳を超えてなお、コンスタントに新作を撮り続けている。