「はるかなるオンライ山 八重山・沖縄パイン渡来記」のストーリー

沖縄の特産物として知られるパイナップルが、今から80年前に台湾から入植した人々によってもたらされたことは、あまり知られていない。当時、台湾は日本の領土だった。つまり、入植者たちは同じ日本国民として国内を移動したにすぎなかったのだ。歴史上、沖縄と台湾が大きく関わるようになったのは1871年。遭難した宮古島の船員54人が、流れ着いた台湾で先住民族・パイワン族に殺された“牡丹社事件”がきっかけだった。これを機に、日本は台湾に出兵。同時に沖縄は日本の領土であることが国際的に認められてゆく。その後、1895年の日清戦争によって台湾も日本の植民地となり、時代は大きく動き出す。日本政府によって台湾のパイン缶工場の統合が進む中、工場経営者の林発(=りんぱつ)は、仲間とともに石垣島に渡ることを決意。当時、農業技術の遅れていた石垣島に数多くの技術を持ち込み、沖縄にパイン栽培を定着させてゆく。しかしそこには、言葉や文化の違いによる衝突から台湾人に対する差別まで、数多くの苦難が存在した。些細な衝突が、焼き打ち事件に発展する寸前まで行ったこともあるという。しかし最終的には、その苦難を乗り越え、パイン産業を沖縄に根付かせることに成功した。この映画では、八重山に根を下ろした二世の人々やその子孫に取材を行ない、これまで語られてこなかった人々の生き様を浮き彫りにすると同時に、子孫たちが繋ぐ沖縄と台湾の国境を越えた文化交流も映し出す。