智恵子抄(1967)

ちえこしょう Portrait of Chieko
上映日
1967年6月5日

製作国
日本

制作年
1967
上映時間
125分

レーティング
一般映画
ジャンル
文芸

check解説

高村光太郎の詩集『智恵子抄』と佐藤春夫の『小説智恵子抄』を原作として、「惜春(1967)」の中村登と新進広瀬襄が共同でシナリオ化し、中村登が監督した文芸もの。撮影はコンビの竹村博。
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「智恵子抄(1967)」のストーリー

明治四十四年、高村光太郎は“パンの会”に属し、奔放な生活を送っていたが、彼の身を案じる友人、椿夫妻の紹介で、画学生長沼智恵子と見合いした。二人の仲は急速に深まった。一年を経て二人は結婚した。光太郎は詩作に専念し、智恵子は油絵に没頭した。大正四年、智恵子は絵を文展に出したが、結果は落選だった。傷心の智恵子は光太郎と共に故郷二本松を訪れた。智恵子の父宗吉と母やすは二人を心から歓待した。二本松から帰った智恵子は絵筆を捨て、かわりに機織をはじめた。そんな頃、二本松に大火があり、父宗吉は焼死した。昭和六年、智恵子の姪ふみ子が看護婦試験に合格し、智恵子と光太郎のアトリエに寄宿していた。或る日、智恵子の実家が倒産したという知らせが届いた。智恵子は夫光太郎に事実を話さず、一人苦しんだ。そして、光太郎の留守をねらって服毒自殺をはかった。そんな智恵子を、ふみ子が発見した。病院に入れられた智恵子は一命を取りとめたが、精神に異常をきたしていた。光太郎は智恵子を、二本松、九十九里浜と転地療養に連れだした。そんななかに、光太郎の父光雲が亡くなった。智恵子の病状はいぜんとして良くならず、光太郎以外の人の見分けがつかなくなっていた。昭和十三年、品川の精神病院へ入院した智恵子は、ふみ子の看護をうけていた。一日、病院を見舞った光太郎は、智恵子の切抜き絵をみてびっくりした。そのすばらしい造型、すぐれた色彩感覚は、狂気の人がつくったものとは思われなかった。しばらく智恵子の病院生活はつづいた。が或る夜急性肺炎となった智恵子は、かけつけた光太郎の手を握って死んでいった。

「智恵子抄(1967)」のスタッフ・キャスト

スタッフ
キャスト役名

「智恵子抄(1967)」のスペック

基本情報
ジャンル 文芸
製作国 日本
製作年 1967
公開年月日 1967年6月5日
上映時間 125分
製作会社 松竹
配給 松竹
レイティング 一般映画
アスペクト比 シネマ・スコープ(1:2.35)
カラー/サイズ カラー/シネスコ
音量 モノラル

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