「巣鴨の母」のストーリー
四人の子供のうち三人まで戦争に奪われ、南方から復員した最後の頼みの綱、末男とY港の埠頭で相擁して泣く小森あきの傍らには、戦友有吉から夫が戦犯として抑留された報せをきき、呆然と失望のどん底に沈む二人の幼子の母松井道子の姿があった。小森母子の喜びも永くは続かなかった。祝膳の箸もとらぬうちに末男は戦犯容疑者として拘引され、裁判の結果重労働三十年の刑に処せられたのだった。靴みがき、掃除婦と、あきの苦難の日が続いた。そのあきや、一方これも必死に戦後の生活難と闘う道子の面倒を何くれとなく見ていた有吉は、やがて運悪く戦犯となった人々を慰めるために巣鴨拘置所の看守を志願した。心痛と生活にひしがれたあきの老躯に、世の迫害は酷しく、アパートも追い出された。電車賃もないあきは、巣鴨のわが子を求めてトボトボ歩み続けたあげく、力つきて路傍に崩折れてしまった。救ったのは奇縁にも道子の長屋の人々だった。彼らの温かい看病で一時恢復した彼女も、末男との面会の際受けた戦犯や看守達の心こもる贈り物を、帰りの車中で盗まれてからというもの、病状は俄に悪化し、再起の見込みもたえてしまった。有吉のはからいで枕頭に駈けつけた末男は、もう釈放されたんだよ、という偽りの励ましを真にうけ、にっこり笑った母の死顔を胸に、再び巣鴨の拘置署へと帰ってゆくのだった。