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略歴 / Brief history
【ダイナミックなアクション映画の巨匠】アメリカ、イリノイ州オーク・パーク生まれ。マリン・ジュニア・カレッジ卒業後、1932年RKOのブループリント部に入る。美術部、編集部を経てプロデューサー助手となり、デイヴィッド・O・セルズニックのアシスタントを務めたこともあった。第二次世界大戦中は、米軍通信隊から空軍に移って大尉となり、短編ドキュメンタリー45本を製作する。戦後46年、コロンビアと契約して“The Man Who Dared”で監督デビュー。しばらく作品は発表するが目立ったものはなく、50年MGMに転じ、53年、西部劇「ブラボー砦の脱出」で日本初登場。54年「日本人の勲章」は、西部にある小さな町を舞台に、命の恩人の日本人の父親を尋ねて旅人がやって来ることから起きるサスペンスを描く。次いでワイアット・アープとクラントン一家との戦いを描いた「OK牧場の決斗」(57)。バート・ランカスター、カーク・ダグラスなど大スターをそろえてのダイナミックな映像が評判を集め、一躍、トップ監督に名乗りをあげる。【アクション映画の金字塔「大脱走」】58年にはヘミングウェイ原作の「老人と海」を撮る。キューバのとある村の老人と巨大なマーリン(カジキ)との3日間にわたる1対1の死闘を描いた意欲作で、映画化は不可能という原作をダイナミックに映像化した。次いで西部劇が「ゴーストタウンの決闘」「ガンヒルの決斗」(58)と続き、「OK 牧場の決斗」を含めた決闘三部作の路線は「荒野の七人」(60)につながる。これは黒澤明の「七人の侍」の翻案映画化で、時代劇を西部劇に置き換え、志村喬が演じたリーダーをユル・ブリンナーが演じるほか、彼以外の6人のキャラクターも微妙に似ている。それ以上に、西部劇として徹底的なアクションが痛快な作品である。フランク・シナトラ一家総出演の西部劇コメディ「荒野の3軍曹」(62) の後に、大作「大脱走」(63)を撮る。第二次大戦中のドイツ捕虜収容所を舞台に、何度も脱走を企てる捕虜たちを描く。スターたちの大量出演、ミッチー・ミラーのテーマ曲のヒット、そして何よりもスタージェスのサービス満点の演出が素晴しく大ヒットした。以降も娯楽作を撮り続け、67年の「墓石と決闘」では、再度“OK牧場の決闘”に挑み、今度はその後、生き残った人間たちを追った後日譚で、スタージェス入魂の作品と言えよう。ジョン・ウェイン晩年のアクション「マックQ」(74)、そしてナチスのチャーチル暗殺計画を描いた「鷲は舞いおりた」(77)を最後に、スクリーンから離れた。
ジョン・スタージェスの関連作品 / Related Work
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スティーヴ・マックィーン その男とル・マン
制作年: 2015モータースポーツに並みならぬ情熱を燃やした俳優スティーヴ・マックィーン悲願のカーレース映画「栄光のル・マン」の製作を振り返るドキュメンタリー。夢を追いかけるあまりに監督と対立、困難を招きキャリアに大ダメージを与えた制作過程を追う。新たに発見された未使用の映像やメイキング素材、スタッフやドライバーが個人的に撮影した映像、マックィーンのボイス・ レコーディング、当時の関係者のインタビューを盛り込み、「栄光のル・マン」の裏側を描き出す。 -
宇宙からの脱出
制作年: 1969宇宙船の故障で沈黙の宇宙にとり残された飛行士たちの不安と恐怖、彼らを救助すべくいらだつ地上基地の苦慮を描く、SFサスペンス。製作は、「サボテンの花」のマイク・フランコビッチ、監督は「大脱走」のジョン・スタージェス、マーティン・ケイディンの原作をメイヨ・サイモンが脚色。撮影は「ウエスト・サイド物語」のダニエル・ファッブ、特殊視覚効果をローレンス・バトラー、ドナルド・C・グルーナー、ロビー・ロビンソン、音楽をレス・フレショルツ、アーサー・ピアンタドシィ、編集をウォルター・トンプソンがそれぞれ担当。出演は「レッド・ムーン」のグレゴリー・ペック、「スター!」のリチャード・クレンナ、「暴動」のジーン・ハックマン、デイヴィッド・ジャンセン、ジェームズ・フランシスカスなど。テクニカラー、パナビジョン。1969作品。