【あの頃のロマンポルノ】新宿乱れ街 いくまで待って
- 日活ロマンポルノ50周年 , あの頃のロマンポルノ
- 2022年03月18日
日活ロマンポルノは生誕50年をむかえました。それを記念して、「キネマ旬報」に過去掲載された記事の中から、ロマンポルノの魅力を様々な角度から掘り下げていく特別企画「あの頃のロマンポルノ」。キネマ旬報WEBとロマンポルノ公式サイトにて同時連載していきます。
今回は、山根貞男氏による「新宿乱れ街 いくまで待って!」の記事を、「キネマ旬報」1977年11月上旬号より転載いたします。
1919年に創刊され100年以上の歴史を持つ「キネマ旬報」の過去の記事を読める貴重なこの機会をお見逃しなく!
■日本映画批評「新宿乱れ街 いくまで待って!」
▲「新宿乱れ街 いくまで待って!」の撮影風景、左奥が曽根中生監督
うらぶれ安酒場がひしめき並んでいるだけだが、猥雑な活性にみちた街、新宿ゴールデン街。そこを舞台に、映画づくりに関わっている者、関わろうとしている若者の群像が描かれる。ついついモデル実話的興味をそそられる映画だ。脚本の荒井晴彦、監督の曽根中生とも、この街の常連だとか。
だが、もちろん、そんなことはどうだっていい。「嗚呼!!花の応援団」「不連続殺人事件」の曽根中生が、なまなましい青春群像をどう描いたか。マンガ的応援団でもなく、敗戦直後の混沌でもなく、現在只今の安酒場の猥雑なエネルギーを、どう描いたか。
「新宿乱れ街 いくまで待って!」の撮影風景
結論から言えば、期待はずれだった。もっと雑にデタラメにくだらなく描くかと思ったが、なんとも正統にマジメな映画なのだ。主に二つの酒場とアパートの一室が、話の舞台となる。なるほどそれらに、野放図な活性がなくはない。二つの酒場には、シナリオライターの卵、女優志願の女、カメラマン、ポルノ映画の助監督や監督、スタイリスト、その他が、夜に集い、ゴタクを並べ、喧嘩をし、エネルギーを発散したり持て余したり、そしてアパートの一室では、主人公のミミ(山口美也子)と沢井(神田橋満)が、映画への志と日々の暮らしのあいだで、わめき合ったりセックスにのめり込んだり、とにかくデタラメな活力をぶちまけている。が、しかし、あくまですべてはそこどまりだ。酒場とアパートから、ついにエネルギーは広がっていきもせず、かといって爆発もしない。
いや、狭所閉塞がダメだというのではない。それならそれで、たとえば狭所閉塞の息苦しさが描出されていればいい。ここでは、そうではなく、いわば収拾・収束の論理が支配的なのだ。一見、野放図で猥雑なエネルギーの、たんなる収束である。どんなに乱脈な男と女の姿が散らばっていようと、話は結局、ミミと沢井の平凡な同棲関係譚へとまとまってゆく。裸体とセックス・シーンを除けば、なんと純情一途な若者たちの話であることか。表現の問題でいえば、肉体の活性が心情の甘さへと、みごと収拾されていってしまうのだ。
たしか二か所、朝の街頭風景だったが、なんでもない通行人の姿をうつしたシーンがあった。変哲もない挿入カットだがそれは、たんなる情景描写という以上に、画面として一瞬、鮮烈だった。平凡な街の描写が、収束してゆくだけのドラマ空間を、みずみずしく断ち切っていたとでもいおうか。
そう、ドラマが風景に敗北しているのだ。話があまりに作者(たち)の日常に密着しているゆえ、パロディにしきれなかったのか。ならば、「私映画」とするべく徹しきれなかった無力を問わねばならぬ。ドラマが風景に敗北するとは、生活の活性を場・街に奪われていることである。すなわち、曽根中生の映画意識の力が、一つの日常の場、新宿ゴールデン街の呪縛から屹立できないでいる。
文・山根貞男
「キネマ旬報」1977年11月上旬号より転載
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