【あの頃のロマンポルノ】日本映画批評『天使のはらわた 名美』
- 日活ロマンポルノ50周年 , あの頃のロマンポルノ
- 2022年05月13日
日活ロマンポルノは生誕50年をむかえました。それを記念して、「キネマ旬報」に過去掲載された記事の中から、ロマンポルノの魅力を様々な角度から掘り下げていく特別企画「あの頃のロマンポルノ」。キネマ旬報WEBとロマンポルノ公式サイトにて同時連載していきます。(これまでの掲載記事はコチラから)
今回は、斎藤正治氏による「日本映画批評『天使のはらわた 名美』」の記事を、「キネマ旬報」 1979年8月下旬号より転載いたします。
1919年に創刊され100年以上の歴史を持つ「キネマ旬報」の過去の記事を読める貴重なこの機会をお見逃しなく!
日本映画批評『天使のはらわた 名美』
連作の『天使のはらわた』で、ヒロイン「名美」を文字通り名実ともに前面に押出してきたのは三作目の『天使のはらわた 名美』がはじめてだが、皮肉にも私の中の”名美神話”が崩壊していく気持ちがしてどうしようもない。シンにすえられて、わがいとしい名美は、こんな女ではなかった、という途惑いで困惑しているのである。
原作では女教師としての”顔”すら持っている名美だから雑誌記者であったっておかしくはない。いくつもの職業を演じて分けて登場するのが石井隆の名美だ。にも拘らず、この作品に描かれた名美にはなじめない。堕天使はこんな女である筈がない。
田中登の描いた名美は余りにもりっぱすぎる女だった。一流女性雑誌の、尨大な読者を想定し、その健全なマジョリティのために、記事を作るのだ、と心から思い込んでいる有能記者が名美なんて!彼女の仕事熱心さ、あきれるほどのバイタリティにへきえきする。読者に、立直った強姦被害者のさわやかな姿を紹介するのが役目だと本気で思っているようで、こういう使命感を持った役割の思想などに無縁な女が、わが名美のイメージだと思込んでいたのは間違いだったのか。作品の中で、鹿沼えりが有能な女を演じれば演じるほど鼻白んでしまった。健全で教養趣味的啓蒙主義をたっぷり持っている女は、村木哲郎(地井武男)の感慨を借りれば、かわいそうな被害者に対して、ただ「鈍感で無神経な女」にすぎない。こんな「無神経プラス自惚屋」で強姦好きのキャリア・ウーマンなんかではなく、名美はやっぱり終始「日ざしが肌にきつすぎる人」でなくてはならないのに。
なるほど彼女は、最終的には、つき崩されひんむかれて、狂気の妄想者になりはてる。図式的にいってしまえば、健全な加害者から狂った被害者になっていった。
その変わりいく落差が、変質過程のコージネーター役村木がいるにもかかわらず、作品では十分に描かれていない。
前半の気はずかしいまでに使命感を大上段に振りかざした部分よりも、狂気にさいなまれた終わりの部分で、はじめてわが名美が立ちあらわれる。やはり名美は、人のおせっかいをやく正義漢よりも、堕天使の資質を内包する女の方が似つかわしい。
雑誌ライター名美が、妄想の痴女に変貌していく、その激しい変わりようが唐突すぎて、説得力がない。堕天使になるには、彼女がかわいげなく、えげつない女でありすぎた。十分に書き込まれたシナリオ(石井隆)である。逆に書き込まれすぎて、転落前のしたたかさがとてもどぎつくて、『㊙︎色情めす市場』や『実録・阿部定』の作者も戸惑ったのであろう。
すでに触れたように、名美にはいくつかの顔がある。その顔を、優秀すぎる女記者に設定し、拡大しすぎたのが、作品の総体をくるわせてしまった。名美に魅力なく、ひとり村木にだけ存在感がある。そんな計算違いは田中登にしては珍しい。
文・斎藤正治
「キネマ旬報」 1979年8月下旬号より転載
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