“相互理解の場となる修復的司法”、“日本社会で対話が可能か?”──「対峙」をめぐる金平茂紀(ジャーナリスト)× 坂上香(ドキュメンタリー映画監督)のトークイベント開催
- ジェイソン・アイザックス , 対峙 , フラン・クランツ , リード・バーニー , アン・ダウド , マーサ・プリンプトン
- 2023年01月27日
銃乱射事件の被害者家族と加害者家族による緊迫の対話を描き、世界中の賞レースで81部門ノミネート・43部門受賞(※2022年11月14日時点)を果たしている「対峙」が、2月10日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほかで全国公開。ジャーナリストの金平茂紀氏と「プリズン・サークル」などで知られるドキュメンタリー映画監督の坂上香氏が同作を語り合ったトークイベント(1月25日、東京・渋谷のユーロライブにて)のレポートが到着した。
まずは坂上香監督が「今、周りの人が鼻をすすらせながら観ていました。私も何度も観ていますが今回もグッときてしまいました」、金平茂紀氏が「この映画には全く登場しなかった、おそらく登場人物たちを追い込み、ひどい目に遭わせてきたであろうマスメディアのTVという場所で46年間色々な事件や出来事を扱ってきました。そういう人間として何を感じ、考えればいいのか…何かお役に立てることをお話できればと思います」と挨拶。
続いて坂上監督が「最初に映画のご案内をいただいた時に“また銃乱射事件についての映画か”と思ってしまったんです。他の多くの映画ではセンセーショナルな銃乱射の場面や銃の問題、なぜ子どもたちが銃を乱射したのかという“10代の闇”みたいなものが多くて食傷気味でもありました。でも、アン・ダウド(事件加害者の母親リンダ役)のTVドラマシリーズ『ハンドメイズ・テイル 侍女の物語』での演技がすごく好きで、映画を観ることにしたんです(笑)。この映画は、加害者の両親、被害者の両親という2組とも自分たちが愛していた息子を失った埋め合わせのできない喪失を抱えていて、私は完全に親の立場として観ていました。特にリンダとゲイル(被害者の母親)にものすごく共感して、心に触れたんです」と述べた。
金平氏は「この映画を観たのは今日で2回目ですが、スクリーンで観てよかったと思いました。最初はPCで観たんですが、全然違いますね。この映画では密室劇として、本当に良質な舞台のように描かれているんです。全く息をつけないほどの緊張感が漂っています。大きな画面で観て初めて気づいたんですが、荒野の柵にぽつんと付けられた赤いテープが時間の経過も含めて本当に効果的でした」と感想を語り、「映画に出てくる罪の告白をせざるを得ないような“対話”が成り立っている社会と比較して、この日本社会においてそういう“対話”が可能なのかということを考えながら観ていました」とわが国への懸念も示す。

本作はアメリカやヨーロッパで制度化されている“修復的司法”(犯罪を社会における“損害”と捉え、加害者と被害者と地域コミュニティという3者による対話を通して解決策を探ろうとする考え方)を扱っている。坂上監督は1996年にアメリカで修復的司法の実践のための旅を取材し、TVドキュメンタリー『ジャーニー・オブ・ホープ~死刑囚の家族と被害者遺族の2週間~』(1997年文化庁芸術祭優秀作品賞/日曜スペシャル【NHK-BS1】)や書籍『癒しと和解への旅―犯罪被害者と死刑囚の家族たち』を発表するなど、長年このテーマに強い関心を寄せてきた。
修復的司法についての考えを坂上監督から聞かれた金平氏は、「修復的司法の“司法”は英語で“justice”ですよね。ジャスティスを司法という言葉で片付けるにはズレがあると思うんです。あるいは、日本ではジャスティスという言葉から“正義”を思い浮かべますから。アメリカの病ともいえる銃乱射という悲惨な事件の、この映画が描く被害者の両親と加害者の両親による対話ということが、日本では想像できないのが一般的な社会の風潮だと思うんです。何の罪もない被害者がいて、加害者について徹底的に罰を与えるべきであるという“報復感情”を代行するのがマスメディアやジャスティス、つまり司法の役割であると捉えられがちです。坂上さんは番組で加害者家族と被害者家族が一緒に旅をしながら対話をすることを捉えていましたが、犯罪とは社会とかコミュニティ、その人が生まれ育った環境などが生み出す側面もものすごくあると思うんです。社会全体としてそれをなくしていくためには原因を突き詰めていく必要があって、“対話”というプロセスがすごく大事です。解決するための手段もひとつではない」とコメントし、「この映画にも色々な紆余曲折が描かれています。感情が爆発したり泣き出したり。そして4人がそれぞれ違う考えを持っていて、同じ道筋をたどる訳でもない」と、心の動きを振り返る。

本作の背景をリサーチしたという坂上監督は、「監督は、コロンバイン高校銃乱射事件の当事者と同世代の人です。でも、年に何百件も起こっているうちにそれに慣れて諦めも生まれていたんだと思います。でも、2018年にフロリダのパークランドの高校で起こった銃乱射事件の際に、子どもを持ったばかりの父親として“分断化されたこの社会で子どもを育てていかなければならない。なんとか折り合いをつける方法はないのか考えなければならない”と思ったそうです」と撮られたきっかけを紹介し、「この映画は銃乱射事件についての映画ではありません。どうしようもない喪失を抱えた人たちがどうにかして同じ社会で生き続けていくために、何かの方策を探らなければならない。何か考えられないことが起こった時、でも、その先に行かなければならない…同じになることはできなくても、せめて理解をできる場を私たちは積極的に作っていかなければならないと思うんです。この映画はその方法のひとつが修復的司法であると伝えていて、私が『プリズン・サークル』で描いたことなんです」と思いを表明。
金平氏は、自身が取材を通じて修復的司法に触れた経験として、1980年の〈新宿西口バス放火事件〉を挙げ、「火炎瓶を投げ込まれそこに乗っていた人が炭化するほどの酷い事件で6人が亡くなりました。そこで全身に大やけどを負った女性の乗客は、社会に対して恨みを抱いていた加害者に対して、なぜそこまで追い詰められて犯行に至ったのかを知るために何度も面会に行き本人と交流を続けたんです。その女性の試みは、1985年に桃井かおりさん主演で『生きてみたいもう一度 新宿バス放火事件』という映画になりました。大きな意味でいうとこれも修復的司法で、被害に遭った人が自分たちはなぜこんな目に遭ったのかと考え続けると、加害者と直接対話することに行かざるを得ないんですよね」と説明する。
最後に金平氏は「密室劇としてよく出来ていると思います。すごく良質な舞台を観ているような気持ちになって、こうじゃないと本当のことは分からないなと。本音や気持ちがぶつかり合うような場面は演劇ではステージですが、この映画には教会という“場所”がある。僕らにはそういう場所があるんだろうかということは、この映画に課された課題のように思います」、坂上監督は「この映画が描くように、“対話”をすることで思っていたことと違うことが出てきます。私たちの想像力はすごく限られていて、この4人もそれぞれの世界で思いつめて生きているけど、語ることは色んな可能性を持っています。私たちは可能性を制約しすぎていると思うんです。そこには失敗もあるかもしれないけど、それも含めて引き受けるということをしなければならないと映画を観て思いました」と訴えた。
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配給:トランスフォーマー