アリス・ディオップ監督「サントメール ある被告」、裁判シーン映像と著名人コメント公開

 

セネガル系フランス人の新鋭アリス・ディオップが、実話を基に、幼い娘を殺した罪に問われた女性の裁判の行方を描き、2022年ヴェネチア国際映画祭2冠(銀獅子賞と新人監督賞)、本年度セザール賞最優秀新人監督賞受賞、本年度アカデミー賞国際長編映画部門フランス代表選出を果たした「サントメール ある被告」が、7月14日(金)よりBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほかで全国順次公開。裁判シーン映像と国内外著名人のコメントが到着した。

 

 

フランス北部の町サントメール。若き作家のラマはある裁判を傍聴する。被告は、生後15ヵ月の娘を海辺に置き去って殺害した罪に問われたロランス。セネガルからフランスに留学し、完璧なフランス語を話す彼女は、本当に我が子を殺したのか?

被告の証言、娘の父親の証言、何が真実かわからない。そんな中、ラマは偶然に被告の母親と知り合い、ラマが妊娠していることを言い当てられる。そして裁判はラマに “あなたは母親になれる?” と問いかける……。

 

 

公開された裁判シーンは、ロランス、裁判官、弁護士、検察官、娘の父親、ロランスの母親、そしてラマに順次フォーカス。実際に裁判で発された言葉をそのまま台詞化し、緊迫感豊かに演出する。

 

〈国内著名人コメント〉(敬称略・順不同)

衒いなく置かれるカメラは気付けば見ているこちらまで撮り始める。
映画の外側に隠れていることは出来ないのだ。
──飯岡幸子(撮影監督/『偶然と想像』)

裁くのではなく、ただ耳を傾けること。
慈しむ母と支配する母のあいだで揺れる娘の耳に届くのは、
善悪の彼岸から聞こえてくる真実の声なのだろうか。
──小野正嗣(作家、仏文学者)

人種、性別、望まれる“私”から逃れようとするたびにどんどん道が塞がれてしまった彼女のこと。
どんなに想像してもその心の深淵は見えない。それでも他者をわかろうとすることを諦めたくない、という希望が最後に残った。
──川和田恵真(映画監督/『マイスモールランド』)

『サントメール ある被告』の政治的な美学は、ほかの追随を許さない。
セリーヌ・シアマは「これは私たちの時代の“ジャンヌ・ディエルマン”」と賛辞を送るが、
シャンタル・アケルマン同様、今後間違いなくアリス・ディオップは映画史で言及されつづけることになる。
──児玉美月(映画文筆家)

この作品はいい意味でアバンギャルドである。かつて、この様な映画があっただろうか。
軽い眩暈が起きそうな経験をしてしまった。
──北村道子(スタイリスト)

もし私がこの裁判を取材するとしたら どう書くだろう?
裁判で明らかになったのは動機ではなく
社会における女性の現在地、そして孤独だった
──高橋ユキ(裁判傍聴人/ノンフィクションライター)

年齢、性別、国籍、人種などのいくつかの属性が交差した複雑な情景が広がるこの映画を通して、日本でもしばしば報道される「乳児を殺害した母親」の立場がどのようなものであるか、どんな点が自分や周囲の出来事と共通しているかを考えていきたい。
──和田彩花(アイドル)

この作品の人種的、社会的、歴史的、言語的な背景の複雑さの多くを、日本に暮らす私が読み解くことは難しい。けれども、子供を持つということの決して語られざる絶望、多くの女性をのみこむ洞穴のような孤独、という点において、 この映画はあらゆる世界をつなげる細くて強い糸を持っている。
──西川美和(映画監督)

忙しいと、どうしても目が届かなかったり、つい見逃さざるをえないことも多い。それに慣れてしまわないと生きづらいから、いっそ見ないふりすらする。ときには目に入るものを瞬時にジャッジし続ける快楽に溺れることもある。そうした習慣がやがて誰かや自分自身を致命的な不幸に追い込むことには薄々気がついているけれど、つい目を背けてしまう。この映画は、裁判所という空間を捉え直すことで、「みること」と「誰かをジャッジすること」を切り離し、わたしたちを勇敢にさせ、地獄から救い出そうとする。
──三宅唱(映画監督)

カメラは 被告席に立っている女性に向かっていてビクとも動かない
我々も被告を凝視し続けることになる
この作品は 実際にあった裁判の記録に沿って創られている
被告の女性は 生後15ヶ月の赤ん坊を渚に置き去りにしたのだ
2015年に起きた事件だった
被告を演じるガスラジーには、監督は一切の演出をしなかったと聞く
──久米宏(フリーアナウンサー)

「女が語る」ということの重要性と本質をスリリングに、ハードボイルドに捉えた作品。法廷で証言する被告、弁護士、裁判官の女性たちの顔と言葉に釘付けになった。
──山崎まどか(コラムニスト)

 

〈海外映画人コメント〉(敬称略・順不同)

この映画はセイレーンのように私を岩礁へ呼び寄せ、魅惑的で、かつ胸が張り裂けるような物語で、私を催眠術にかける。スクリーンが溶けて消えていくように感じ、登場人物たちの境遇に入り込み、それによって自分が永遠に変わったのを感じた。つたない意見だが、『サントメール ある被告』は、まさにここ10年のフランス映画で最もパワフルな映画のひとつ。いつかディオップ監督に演出されたいと願い、夢見るばかりだ。
──ケイト・ブランシェット(俳優/第79回ヴェネチア国際映画祭女優賞『TAR/ター』)

アリス・ディオップ監督は、複雑さと思いやりをもって、法廷劇というものを再定義している。彼女は観客を陪審員の立場だけでなく、有罪判決を受けた者の立場にも立たせる。『サントメール ある被告』は斬新な映画だ。容赦なく詩的であり、抑制され、完全に魅惑的な作品なのだ。
──テッサ・トンプソン(俳優/『クリード 過去の逆襲』)

美しく、洞察力に満ちている。文化や階級、人種間のインタラクション(相互の影響)を的確に深く捉えている。呪術の比喩に深い衝撃を受け、キメラを語るくだりでは感動の涙を流した。あらゆる場面で、驚かされ、喜び、好奇心を抱かされた。この作品のとりこになってしまったのだ。圧倒的な成果だ。
──キウェテル・イジョフォー(俳優/『それでも夜は明ける』)

この映画は、極めて稀な周波数で振動しているのだ。真摯で、具体的なイメージの上に成り立つ崇高な表現。揺るぐことがなく、勇敢。ガスラジー・マランダは信じられないほどに素晴らしい。この作品を前に、私は茫然自失となった。
──バリー・ジェンキンス(映画監督/『ムーンライト』)

『サントメール ある被告』を見ることは、1975年に『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』を見ることに比べられる。人は映画の詩を見ていることに気づく。アリス・ディオップ監督の言語は、映画言語の歴史だけでなく、彼女自身の歴史に属するものであり、それは危険であり、かつ輝かしいものなのだ。
──セリーヌ・シアマ(映画監督/『燃ゆる女の肖像』)

これは崇高な映画だ。『サントメールある被告』を観た瞬間、自分が偉大な映画作家の手の中にいることを確信した。ディオップ監督は主人公と観客に大きな敬意を表しながら、深い複雑さを持つ物語を見事に編みあげた。私はこの映画について考えることを、やめられないでいる。
──ローラ・ポイトラス(映画監督/第79回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞『All the Beauty and the Bloodshed』)

上映後、審査員たちの議論は熱を帯び、情熱的なものになった。映画の質の高さに関しては、即座に満場一致だったので、議論はそのことについてではなく、この映画が私たちに投げかけた問いの力についてだった。この映画の重要性は、その反響によって測られるのだ。アリス・ディオップ監督に贈られた銀獅子賞は、この勇気と過激さ、高いインスピレーションに満ちた長編デビュー作に対する私たち審査員の賞賛の証だった。
──オードレイ・ディヴァン(映画監督/『あのこと』/第79回ヴェネチア国際映画祭審査員)

シネアストとして、アリス・ディオップの声は新しく、待ち望まれた、必要不可欠なものなのです。
──ジュリアン・ムーア(俳優/第79回ヴェネチア国際映画祭審査員長)

 

 

なおアリス・ディオップの来日およびトークイベントも決定。(7/14と7/16にBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下で「サントメール ある被告」上映後、7/15に東京日仏学院 エスパス・イマージュで「私たち」上映後)。併せてチェックしたい。

 

© SRAB FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA – 2022
配給:トランスフォーマー

▶︎ 彼女は本当に娘を殺したのか?ヴェネチア映画祭2冠の法廷劇「サントメール ある被告」

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